「日経ビジネス プラチナ 変革リーダーの「白熱!経営教室」」

古森重隆の「負けない経営」

経営は「真剣による斬り合い」(第1回)

  • 日経ビジネス編集部

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2015年1月19日(月)

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 長らく続いたデフレからの脱却とともに、円高から円安へ、原油高から原油安へと、経済環境ではパラダイム転換が起こりつつある。さらに企業経営へと目を向ければ、「IoT(Internet of Things=モノのインターネット)」をキーワードに、「第4次産業革命」の波が押し寄せている。

 こうした大転換期には、過去の慣習や成功体験に捉われず、事業や企業文化を大胆に変革することが求められる。とはいえ、実際の変革には痛みを伴うことも少なくない。リーダーの覚悟や、現場の当事者意識が重要になる。事業構造改革、グローバル化の進展、新技術開発など、様々な分野で会社の変革を促し、成果を挙げてきた経営者たちが“講師”となって、経営論を語る。

(2013年3月4日号より)

写真フィルム市場の急減に直面した富士フイルムホールディングス。だが、事業構造の大転換を進めた結果、より強い会社に生まれ変わった。改革をリードした古森重隆CEO(最高経営責任者)が骨太の経営論を語る。

(写真:村田 和聡)
古森 重隆(こもり・しげたか)氏
1939年、旧満州国生まれ。63年東京大学経済学部卒業、富士写真フイルムに入社。2003年6月に代表取締役CEOに就任すると、写真フィルムに依存した事業構造の大転換を進めた。

 ピーク時に写真フィルムを含む写真市場で営業利益の7割を稼ぎ出していた富士フイルムホールディングス。だが、デジタル化の進展でフィルム市場は急減、本業消滅の危機に直面した。

 その中で古森重隆CEO(最高経営責任者)に率いられた富士フイルムは事業構造の大転換に着手し、別の会社に生まれ変わった。2012年1月にチャプターイレブン(米連邦倒産法第11条)の適用を申請した米イーストマン・コダックとは対照的だ。

 今から古森CEOの改革の軌跡を見ていく。危機時におけるリーダーの役割が改めて分かるのではないだろうか。

 今でも鮮明に覚えている光景があります。終戦直後の1945年8月、私が暮らしていた旧満州国・奉天市(現瀋陽市)で満州人の暴動が起きました。投石や略奪を繰り返す群衆――。そのまま、家の前にやってきました。

 どうなってしまうのだろう。子供ながらに不安に思って見ていると、父は知人の軍人とともに軍刀を抜き、暴徒と対峙、追い払いました。当時、私は6歳でした。それでも、身を挺して家族を守った父の姿が脳裏に焼きついています*1

*1 その後、父は幼い古森氏に一振りの日本刀を渡した。「よく切れる刀でね。『自分がいなくなったら母と姉を守れ』という思いだったのだろう」と振り返る。父親が軍関係のビジネスをしていたこともあり、古森家には軍人がよく出入りしていた。それもあって、旧日本軍にシンパシーを感じていた古森氏は敗戦に大きな衝撃を受けた。

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