現代ノンフィクション
2015年01月19日(月) 一橋文哉

「餃子の王将」社長大東隆行氏はなぜ殺されたのか――暴力団、半グレ集団、チャイニーズマフィアに食い物にされた裏の実態

一橋文哉・著『餃子の王将社長射殺事件』より

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第2回はこちらからご覧ください

『海の彼方から狙う新しい形の企業テロ事件』

 

「大東隆行社長は気さくで気配りができ、誰からも人気があった。会社も恨みを買うようなトラブルなど、全く思い当たらない」

「餃子の王将」社長射殺事件後に会見した役員は、そう強調した。

だが、企業を標的とする殺人や恐喝などの凶悪事件では、巧みに隠蔽された、あるいは被害者自身も気づかないトラブルや紛争が多く、その大半が未解決事件として残っている原因とされる。

王将事件でも、カリスマ創業者亡き後の経営戦略をめぐる社内の派閥抗争や、ブラック企業大賞候補にノミネートされるほど厳しい労働環境への従業員の不満など、さまざまな問題が山積していた。中でも京都府警は、各地の繁華街で次々と展開した新規開店に対する地元飲食業界、暴力団など闇社会との“揉め事”に注目した。

新規開店絡みで「あいつら、やりやがったな」

金沢市の「王将」金沢片町店内で2012年12月、近くのショーパブのホストら10人の男性客が店の制止を振り切り、全裸でカウンター席に座って写真を撮影、ネットで公開した。この事件がもとで同店は閉店に追い込まれ、「王将」は威力業務妨害罪などで刑事告訴。石川県警は2人を逮捕、7人を書類送検(9人が略式起訴)した。

当時、世間では裸でショーケースに入るなどおバカ画像を撮影しネットに投稿する事件が相次ぎ、これも同じ類と思われたが、実は「王将」店の進出場所をめぐり同パブ側と揉めていたことが判明。その背後に中国残留孤児2、3世が結成し、暴力団やチャイニーズマフィアと交流がある半グレ集団「怒羅権」のメンバーがいることが分かった。射殺事件は摘発から2か月足らずで起きており、元半グレメンバーは「あいつら、やりやがったな」と呟いたという。

また、1980年代に始まった北九州市など九州北部への進出も難航した。「王将」側は福岡県が創業者・加藤朝雄氏の出身地とあって80年に福岡市に九州1号店をオープン、同市内に食材を製造・加工する「セントラルキッチン」を設立するなど力を注いだ。が、当時の北九州市は、今の工藤會を構成する二大勢力だった工藤組・草野組系組織が熾烈な縄張り争いを繰り広げ、後に山口組の九州侵攻もあって、連日、銃弾が飛び交う激戦地となっていたからだ。

こうした“揉め事”は2005年7月、「王将」が中国東北部・大連市に新店舗を開業した際も噴出した。中華料理の本場への進出は大東社長が創業者の長年の夢を実現した事業だったが、14年10月末の役員会で中国市場からの完全撤退を決め、発表するに至った。

「日本人が中国で商売するには、店舗やオフィスを開設する土地や各種許認可を得るため、地方政府の役人や共産党幹部への根回しが必要。そのために敏腕の現地コーディネーターの確保が重要だが、『王将』はその選任や連携に失敗、仲介に乗り出した地元マフィアとの交渉もうまく行かなかった」(大連市在住の日本人実業家)

さらに「王将」側の現地責任者が勝手に、新しいコーディネーターを雇って、後ろ楯の東北マフィアに特別成功報酬を支払う約束をするなど暴走。怒った大東氏は別に暴力団幹部を通じて大連在住の中国人実業家にトラブル収拾を依頼したため、トリプルブッキングという“最もやってはいけない状態”になってしまっていた。

最初のコーディネーターは、「王将」店舗の真上の部屋を借りて床に水をまき、水漏れで店内を使えなくする嫌がらせを始めた。ほかに仲間が店内で暴れ、食器や窓ガラスを割る騒動も続発した。

一方的に特別成功報酬の約束を反故にされた東北マフィアの代理人は、13年秋から大東社長に強く約束の履行を求めたが拒否されたため、殺し屋を送り込んだ疑いが浮上した。また、大東氏がトラブル収拾を依頼した暴力団幹部と謝礼をめぐって揉めていたとの情報もあり、意趣返しにヒットマンを雇った疑いも捨て切れない。

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