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2015年01月15日 12:49

X Japan、世界をとる準備はできた、英ロック誌が特集とインタビュー(1)

 

去年10月、ニューヨークのマディソンスクエアガーデンでのコンサートを成功させたX Japanだが、イギリスのロック誌「チームロック(TEAMROCK)」が、「GENERATION X: X JAPAN」として、特集とインタビューを行っている。内容は、同じ会社が発行するメタルの月刊雑誌「メタルハンマー(Metal Humner)」の2月号にも掲載されている。メタルハンマーは、イギリスだけでなく、ヨーロッパ各国でも発売されている有力メタル情報雑誌の一つだ。

その内容を、2回に分けて紹介する。
2回目はこちら: X Japan、世界をとる準備はできた、英ロック誌が特集とインタビュー(2)

「X Japan: 世界をとる準備はできた」との見出しが付けられた記事は、3000万枚のアルバムを販売し、独自のサブカルチャーを生み出し、世界で最も象徴的なアリーナー埋めたバンド。世界最大のカルトバンド、X Japanとして始まる。

マディソン・スクエア・ガーデンは、世界で最も有名なエンターテイメント施設の一つだ。ボクシングの競技場として1968年にオープンし、マンハッタンで1万8,000人の収容能力を持つホールは現在、アイスホッケー、バスケットボール、プロレスのステージとして利用され、ライブコンサートやコメディの会場ともなっている。毎年4月には、ゾウたちが堂々とニューヨークの街を歩くという壮大な見所を持つリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスも開催されいる。しかし、この最も名高い会場でも、このようなことはかつて見たことが無かったと続く記事。

Yoshikiは、観客に赤いバラを投げながら、ステージを進む。そして、白いスカーフをつけながら、しっかりとグランドピアノをひき、ドラマチックなクラシック音楽のテーマを演奏し始める。黙示的な音楽がスペースを包み込む中、メインステージから切り離されドラム・キットの後ろに跳びはね、ゆっくりと観客席に向かって拡張されプラットフォームが降りて行く。

同時に、LEDライトが観客のリストバンド上で輝き、青、赤、緑のライトが点滅しながらアリーナを照らす。カルテットが一列となってステー上に現れ、音楽が強弱する中、ドラムライザーは上昇する。そして、この日本のミュージシャンは崩れ落ち、涙しているように見えた。それは、ディズニーのファンタジアのようであり、ブラックスワンのようであり、X Japanのコンサートを始めて経験したものにとっては、紛れも無く「一体なんだ?」という瞬間だった。

好評のコンサート: X JapanのNYコンサート、ビルボードなども報道、現地紙もレビュー

X Japanは、アジアのバンドとしてはこれまでで最大のロックグループだ。3000万枚のアルバムを販売し、5万5,000人の収容能力をもつ東京ドームを18回満員にすると言う記録を作った。中国、韓国、台湾、タイを訪問したときには、ヒステリックなファンたちが押し寄せ、マディソンスクエアの公演はこれらの国でもライブTVで同時放送された。メインソングライターであり、ドラマーでピアニストのYoshikiは、日本の天皇のためのコンサートで作曲・演奏を行い、日本の銀行からは自身のオリジナルVisaとマスターカードを発行され、スタン・リーの新しい漫画シリーズのモチーフとなり(ブラッド·レッド·ドラゴン)、ハローキティでさえ、その名誉を記念してYoshikittyを作ったほどだ。

そのルーツをパンクや、グラムロック、アニメ、能舞台に持ち、音楽と芸術、ファッションが鮮やかに混ざり合ったビジュアル系は、Dir En GreyやThe Gazette、D’espairsRayによって世界に広がった。この5人組は、そのビジュアル系活動のパイオニアだ。そして、ビートルズのように、アジアでのロックの発展に非常に重要な役割を果たしたとされている。これが、熱烈なメタル好きから、JPockの信望者、スタイリッシュな日本の10代、ニューヨークコミコンから来たようなコスプレイヤーまで、1万人以上のファンがマディソンスクエアガーデンに集まり、共に日本語で歌い、バンドのシンボルである「X」の形に腕を交差させた理由なのだ。

素晴らしい公演が行われた日の午後、スレンダーでハンサムなYoshikiは、ドキュメンタリー映画のクルーとして上品にドレスアップされ、バンドメンバーの付添い人たちと一緒になり、マンハッタンのホテルのスイートにいた。48歳という実際の年齢よりも若く見える千葉出身のアーティストは、驚くべき歴史のドラマと騒動を、X Japan形成期の話と関連付けながら、落ち着いた英語で、静かに話したとし、インタビューの紹介が始まる。

ドキュメンタリーは: X Japanが長編ドキュメンタリーに、アカデミー受賞プロデューサーがNYで撮影

それは悲劇から生まれた話だ。Yoshikiが10歳の時、父親が自殺した。自殺する2、3年前の間、父親は並外れたピアノの才能を持っていた息子に毎月一枚ずつクラシック音楽のアルバムを買っていた。その死後、Yoshikiの母親は、長男にコインを握って渡し、これからは自分でレコードを選ばなければならないと話した。東京のレコード店の中を歩きながら、少年は、「クレイジー」にメイクアップされた4人の顔が映る7インチシングルに気づき、店員にそのレコードを聞くことが出来るかとたずねた。キスの「Love Gun」がスピーカーを通して押し寄せ、少年Yoshikiの世界は全く逆転することになった。

「当時私は、悲しみと混乱と怒りで、毎日泣いていました。」と振り返るYoshiki。「そしてこの曲は、ちょうどその感情を全て吸収してくれました。キスの後、レッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイを発見し、みんな素晴らしいロックミュージシャンでした。同じ年、母親がドラムセットを買ってくれ、毎日演奏を始めました。ドラムを叩くことで怒りを発散していました。父親が亡くなった後、ほとんど自殺しかけましたが、ロックミュージックが渡しを救ったのです。」

その2へと続く

2回目はこちら: X Japan、世界をとる準備はできた、英ロック誌が特集とインタビュー(2)
X JapanのNYコンサート、ビルボードなども報道、現地紙もレビュー
X Japanが長編ドキュメンタリーに、アカデミー受賞プロデューサーがNYで撮影

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