日本アカデミー賞の存在理由――北野武監督の批判と岡田裕介会長の反論
松谷創一郎 | ライター、リサーチャー
北野監督の批判と岡田会長の反論
昨年10月のことですが、ビートたけしこと北野武監督がこんな発言をして世の中をざわざわさせました。
日本アカデミー賞とは、日本の映画製作者の投票によって決まる映画賞のこと。映画評論家によって決まるキネマ旬報ベストテンとともに、国内ではもっとも注目を集める映画賞だと言えます。
北野監督がこの日本アカデミー賞を批判するのは、今回がはじめてではありません。私の記憶では、かれこれ20年ほど前から同じ話を各所でしています。こうした発言に対し、先日、日本アカデミー賞協会会長の東映・岡田裕介会長が反論しました。
出来レースだと批判する北野武監督に対し、厳正な投票だと反論する協会側――果たして、このどちらが正しいのでしょうか。
大手偏重の日本アカデミー賞
北野監督の指摘とは、「松竹、東宝、東映、たまに日活以外は、作品賞を獲ったことがほとんどない」ということでした。つまり、大手映画会社がかわりばんこに最優秀賞を採っているという主張です。
映画業界において大手映画会社とは、大きな配給・興行(劇場)網を持つ東宝・東映・松竹のことを指します。この3社とKADOKAWA(大映と日本ヘラルドを吸収)が、日本映画製作者連盟(映連)という業界団体を組織しています。日本アカデミー賞もこの映連が中心となっています。なお、日活は映連のメンバーではありません。
では、この大手3社は日本アカデミー賞でどれほど作品賞を受賞しているのでしょうか。1977年から始まった日本アカデミー賞は、来月2月27日に行われる授賞式が38回目となりますが、過去37回において最優秀作品賞受賞作を配給した映画会社は、以下のような内訳となります。
・東宝……13回(アスミック・エースと共同配給した『雨あがる』を含む)
・松竹……13回
・東映……6回
・他……5回
37回のうち32回は大手3社の作品が受賞しています。86.4%の割合ですから、確かに大手映画会社にかなり偏っていると言えます。しかし、北野監督が指摘した日活は一度も受賞したこともないどころか、ノミネートされたのも一昨年2013年の『凶悪』がはじめてでした。1993年に一度倒産するほど日活は低迷していましたから、それも不思議なことではありません。
日本アカデミー賞が大手偏重なのは、はじまった当初からあまり変わっていません。年に5本のノミネート作の推移を経年的に見てもそれは明らかです。下は、作品賞にノミネートされた作品(最優秀+優秀作品賞)を10年単位で見ていったグラフです。
やはりこのデータからも、大手有利の傾向は見て取れます。1970年代後半から80年代前半にかけてはATG(アート・シアター・ギルド)作品のノミネートが多少目立ちますが、基本的には大手3社が80%ほどを占めています。北野監督が批判したのは、こういう偏りにあるのでしょう。
誰が日本アカデミー賞を決めるのか?
では、日本アカデミー賞の選考とは、誰の投票によって決められているのでしょうか? それは公式のウェブサイトでしっかりと明示されています。
それによると、投票権を持つ日本アカデミー賞協会員は、2014年度で3934名います。そこには俳優や監督、プロデューサー、撮影などのスタッフのほか、興行関係者(興連)なども含まれます。際立つのはやはり大手3社です。この3社だけで全体の17.4%を占める686名の会員がいます。そこに日活・KADOKAWAを加えた旧大手5社では907名になります。ただ、その旧大手5社でも全体の23%ほどに過ぎません。
それよりも協会員の区分でもっとも大きな割合を占めるのは、「賛助法人」の1431名(36.4%)です。これには202社が含まれています。そこには、アスミック・エースやギャガのような独立系映画会社のほか、テレビ局、広告代理店、出版社、制作プロダクションなどが含まれます。ただ、ここにも東宝・東映・松竹がまた別個に含まれており、さらにその関連会社(松竹映像センター、東宝アド等)も加えられています。なお、この「賛助法人」の投票権の内訳はハッキリしません。
さて、ここまでをまとめると、北野監督の主張と岡田会長の反論には両者ともにズレを感じます。
まず北野監督の指摘は、大手が独占しているのは確かなものの、日活は受賞したことがないので誤解も含まれています(※1)。
一方で岡田会長の反論は、「(会員数で)東映、東宝、松竹の占める割合は数%」といった部分が事実と異なります。前述したように、実際は17.4%以上あります。さらに岡田会長は「厳正な投票」を主張しますが、決して「不正な投票」が問題視されているわけでありません。北野監督が指摘しているのは、組織票の問題です。
組織票については、2008年におこなわれた2007年度の作品の授賞式でもやんわり批判されました。女優の樹木希林さんが、『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』で主演女優賞を受賞した際、「この賞が、名実ともに素晴らしい賞になっていくことを願っています」とスピーチしたのです。
こうした組織票疑惑については、日本アカデミー賞協会はいまだに説明しきれているとは言えません。なぜなら前述したように、「賛助法人」における大手3社とその関連会社の投票権の内訳が明示されていないからです。ここをハッキリさせなければ、これからも日本アカデミー賞の選考には疑義が投げかけられることになるでしょう。
キネマ旬報ベストテンの傾向
こうした日本アカデミー賞がしばしば批判される背景には、映画賞においてもうひとつ大きく注目されるキネマ旬報ベストテンとの違いがあります。キネマ旬報ベストテンとは、映画評論家約60名の投票による映画賞です。投票者が多くその詳細も公開されるので、かなり民主的なものでもあります。
もちろん映画評論家の投票であり、最近では評論家の高齢化によって偏りはあるのですが、それはどれほどのものなのでしょうか。日本アカデミー賞と同様、過去38年分の1位から5位に入賞した作品を配給会社別に経年的に見ると、以下のようになります。
そこでは、大手映画会社の作品が50%程度だということが見えてきます。なお2014年は5位以内に入っているのは松竹の『紙の月』のみでした。もちろん『キネマ旬報』という雑誌の特性上、そこでは「芸術性が高い」とされる映画が偏重される傾向があります。また、興行成績に対しての判官贔屓的な力も働く可能性もあるでしょう。
しかしそもそも、キネマ旬報ベストテンとは何なのでしょうか。それは、「映画評論とはなにか?」という問いにも換言できるかもしれません。『キネマ旬報』は、創刊された1919年に、映画批評を以下のように定義しています。
つまり、創り手である製作者側にも受け手である観客にも、評論家は指導するかのような立場にある、というわけです。キネ旬ベストテンもその流れで生じており、同時にこの教条的・啓蒙的なエリート主義が日本の映画評論(批評)の伝統でもあります。
イェール大学のアーロン・ジェローさんは、こうした歴史(批評理論の確立が結局なされなかったこと)を踏まえ、日本の映画評論を「映画文化の受容の役割に対する闘争の場であり、それを統御する勢力と、意味を囲い込むシステムを回避したり、それに抵抗したりする観方を進める推進力としての両方で役割を果たしてきた」とまとめます(※2)。
以上を考えると、キネマ旬報ベストテンが日本アカデミー賞と異なる結果となるのは、当然だと言えるでしょう。映画批評は製作者に対する闘争であり、観客をコントロールすることを目的としていますから(もちろん、現実的にそれが達成されているかどうかは別の話です)。
日本アカデミー賞とキネマ旬報ベストテンとの大きな違い
最後に日本アカデミー賞とキネマ旬報ベストテンがどれほど違うのか、見てみましょう。
まず、これまで日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞した38作品のうち、キネマ旬報ベストテンでも1位になったものには、以下の14作品があります。その割合は36.8%です。
冒頭で、日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞したインディペンデント系作品は5つだけだと書きましたが、そのうち4作はキネマ旬報ベストテンでもトップだったのです。唯一異なるのは、2012年の『桐島、部活やめるってよ』ですが、こちらもキネマ旬報ベストテンでは2位と高く評価されています。
なお、日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品で、キネマ旬報ベストテンで順位が低かったのは、2003年の『壬生義士伝』(キネ旬24位)、2004年の『半落ち』(同22位)、2007年の『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(同19位)あたりです。映画評論家との乖離が強く生じているのは、日本映画産業が復活を遂げた2000年代に集中しているのが特徴です。
次に、ノミネート作まで拡げて見てみましょう。昨年度分も含めた38回の日本アカデミー賞で作品賞にノミネートされた191作品のうち、キネマ旬報ベストテンの5位以内に入ったのは、46.1%の88作品になります。同10位以内に幅を拡げても67.0%の128作品にとどまります。そこからは、やはり評論家と製作者の温度差が感じられます。
また、ノミネート作のなかでキネマ旬報ベストテンで低く評価されているのは、2007年『眉山-びざん-』(キネ旬圏外=0票)、2011年『ステキな金縛り』(同65位)、2012年『のぼうの城』(同47位)、2008年『ザ・マジックアワー』(同45位)と続きます(2014年分は含めず)。これらも2000年代以降に多く、また三谷幸喜監督作品がふたつ入っていることが特徴でしょうか。
最後に、日本アカデミー賞最優秀作品賞ノミネート作とキネマ旬報ベストテン5位までの作品の配給会社を比較したいと思います。
このグラフを見ると一目瞭然ですが、やはり日本アカデミー賞は大手3社に偏っています。一方、キネマ旬報ベストテンは綺麗にメジャー(大手)とインディペンデントが綺麗に分かれました。
映画作品の評価は絶対的なものではないので、日本アカデミー賞とキネマ旬報ベストテンのどちらが正しいということを言うつもりはありません。しかし、この86%と50%という差はあまりにも大きいように思えます。投票者の属性が異なるとはいえ、ともに映画を身近なところで観ている両者がこれほどまでに差が出るというのは、ちょっと異様ではないでしょうか。
証拠がない以上、日本アカデミー賞の投票を組織票だとは決して断言できません。しかし組織票でないならば、日本の映画会社の社員や映画関係のスタッフは、単にインディペンデント系の作品をあまり観ないか、あるいは興行性を強く重視しているということなのでしょう。
ここで振り返っておきたいのは、本家のアカデミー賞についてです。そこでは必ずしもメジャー配給作やヒット作が作品賞を受賞するわけではありません。昨年を例に出せば、9作のノミネート作のうちメジャー配給は5作、メジャーのインディペンデント・レーベルが2作、そしてインディペンデント系が2作という内訳です。過去10年の作品賞受賞作を振り返っても、メジャーが受賞したのは3作にしか過ぎません。ギルド(組合)が強い力を持つハリウッドにおいて、組織票というのは簡単には機能しないのです。もちろんアメリカらしいフェアネスに対する信頼もあるのでしょう。
近年の日本アカデミー賞は、シネカノンの『フラガール』や、興行的には成功しなかったショウゲート配給の『桐島、部活やめるってよ』が最優秀作品賞を受賞するなど、たまに意外な結果を見せるときがあります。しかし、過去を参照して総体的に見ればやはり「映画業界の懇親会」という雰囲気を醸し出す結果を導いていると言えます。こうした閉鎖性は、日本アカデミー賞に限らず日本の映画業界全体からも強く感じます。映連の公式ホームページには、作品名が抜けていたり、作品名が誤っていたり(たとえば1989年のページだけでも4箇所ミスがあります)、世界第3位のマーケットの国の業界団体とは思えないほどひどい出来です。こうしたことが長らく放置されたままになっています。
そもそも映連も、なぜ大手3社とKADOKAWAだけで構成されているままなのでしょう。現在、アスミック・エースやギャガ、ショウゲートなどは外国映画輸入配給協会(外配協)に属していますが、そうしたインディペンデントの映画会社にはなぜか門戸を開きません。日本アカデミー賞だけでなく、慣習化しているこうしたことも含めてひとつずつ見直していくことが、日本映画業界の発展に繋がると思うのですが――。
※1……日本アカデミー賞における北野監督自身の作品は、1991年の『あの夏、いちばん静かな海。』、1998年『HANA-BI』、1999年『菊次郎の夏』、2003年『座頭市』と、4作が最優秀作品賞にノミネートされましたが、いずれも受賞は逃しています。また、1989年の『その男、凶暴につき』と1998年の『HANA-BI』で主演男優賞、1983年の『戦場のメリークリスマス』で助演男優賞にノミネートされましたが、こちらも受賞することはありませんでした(『ご法度』と『血と骨』では、ノミネートされていません)。
つまり、北野武監督と俳優のビートたけしさんは、日本アカデミー賞では無冠なのです。宮崎駿監督や黒沢清監督とともに、現役監督では世界ではもっとも実績があるにもかかわらず、北野監督は日本アカデミー賞から見放されているのです。北野監督が一躍実力を知らしめた『ソナチネ』(松竹配給)や、近年のヒット作『アウトレイジ』(ワーナー配給)も、ノミネートすらされていません。
※2……アーロン・ジェロー(洞ヶ瀬真人訳)「映画の批評的な受容:日本映画評論小史」 藤木秀朗編『観客へのアプローチ』(2011年/森話社)所収。