オレが空手の初段をとったとき
中学3年の終わりくらいだったと思う。
初段をとるのに約9ヶ月もかかった。
3回初段を受けて、2度も落とされた。
それは、実力がなくて落とされたのではなくて
邪心が有る という理由だった。
「お前には邪心が有る」
これは、80を超えてもなおも顕在である
館長の言葉。
「お前の拳には殺気が有る。なぜ殺気をこめる。」
初段の審査で基本動作が終わった後
初段を受けている全員の前で、問われた。
「空手は自分の命を守る、武としての存在であり、スポーツではないです。相手がいると仮想敵を造る。ヤワな攻撃では返される。自分を守るためには相手を殺さないといけない。だから拳に殺気をこめるのは当然です。」
中学3年はじめのオレは
確か、こういう返答をしたと思う。
しかし
「お前はこれから、皆の手本にならんといかん。その手本が、殺すじゃなんじゃ、発言して良いのか。
倒すと言いなさい。お前は既に2段くらいの実力はあるが、今のままではいくら技量があっても、初段はやれん」
そのときの審査は
それで落とされ、2回目の審査でも、また落とされた。
そのときに、オレは館長に食ってかかった。
「オラア! ナメとんか!」
中学3年1級の分際で
8段の館長に食って掛かった。
「ヤメとけヤメとけ! ダイナマン、それだけはヤメとけ!」
理事の人が必死で抑えようとしていたのを覚えている。
が、館長は冷静であり
「その意気良し。 けど、心を磨いて来いよ。お前は技量は誰よりもある。
空手は今のままで、2段は通る。 あとは心だけ。それを磨いて、次に受けなさい」
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
それを頭に入れて、中学3年のくせに
団地の外れにある広場の岩場で座禅をくんだ。
空手に対して
色々、考えたね。
「対物に対しても、ちゃんと礼をし、感謝をせよ」
これも、そのときの座禅で改めて思った内容なのよ。