あさがた日記

不定期更新なのに、日記と言えるだろーか。

浄土信仰と鬼剣舞

2007年04月25日 | 読書
出典引用は「わが鬼剣舞の里」(門屋光昭著 トリョーコム)より。2


「反閉の呪術的性格と念仏によって衆生済度する浄土信仰的性格とが結合したものが剣舞であると思う。」P235。


と、門屋先生は述べている。



そして、その浄土信仰的色彩が、より濃いものが大念仏剣舞であり、反閉の呪術的性格がより強くでているものが、この鬼剣舞なんだそーだ。




たしかに、仏道に帰依した鬼だの、里修験(村に定着した修験者)が伝えただの、いろいろなものが混在しているのが、それがいわゆる”民俗芸能”たる鬼剣舞の本質なのだろう。




いずれにしても、かくし念仏の土地柄なので、浄土信仰との密接なつながりも、当然あったのだろう。



その村人が、剣舞を踊り伝えたのだから・・・・。





私ら剣舞の衣装も古いものから新しいものへと、まったく違う時代背景のものが混在していると聞いたことがある。


もっとも、いくつもの世代を超えて伝えられた、たいていの伝統芸能ってのは、そーゆーもんだろうけど。






神様なのか、仏様なのか踊り組のなかには、ヘイソク(神官が御祓いなどにもちいる)を持って踊るところもあり、明治の廃仏毀釈以前の神仏習合の時代のなごりが、垣間見えるとも言われている。



もちろん私たちも、神社に奉納し、お寺の本堂で念仏を唱える。


普通に聞けば、どれもお経だ。


だが、これまでお勉強してきたとおり、菩提寺である曹洞宗の教義と剣舞の念仏回向とは、似ているようで違うのがわかった・・・よーな気がする。(笑)


たとえば、曹洞宗では「南無釈迦牟尼仏」と唱えるが、剣舞のごしゃらくは「南無阿弥陀仏」なのだナー。




剣舞の秘伝書「念仏剣舞伝」には、大同3年(808)羽黒山の法印が、悪魔退散・衆生済度の念仏踊りを老僧から教えられたのが始まりとしている。



羽黒山は山伏で有名なところ。



山伏(修験者)は、いままでお勉強してきたように、密教系の系譜を持っている。



そのままで十分、”即身成仏”(笑)なのだ。




「鬼剣舞は、古くは西磐井地方に多く踊られ、(中略)確実な文献資料があまりにも少ないのである。」P236、と門屋先生も嘆いておられる。





宗教的な関連は、なにもわからない。


また、そのほうがいいとも思う。



剣舞は剣舞で存在して欲しい・・・みたいな。






今回いろいろ見てきて、趣味としての日本史が、おんもしれ〜くなってきたのは事実だが。







ちなみに、「巫女舞は優雅に鈴を振りながら神に祈る”舞”。”踊り”とは違い、決して足を上げたり、跳び上がったりはしないものだった。」だそーだ。(月刊 さんさん 2007年4月号)引用。


もっとも、私らは巫女ではないが。(笑)



ひるがえって、鬼剣舞を踊る・・・ということ。



舞と踊り。


う〜ん。




これって!?

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