イギリス南東部の都市…私たちの通うオックスフォード大学の創設は今から900年以上前。
英語圏では最も古い伝統を持つ大学として知られます。
歴代のイギリスの首相やノーベル賞受賞者など卒業生はさまざまな分野で歴史に名を残してきました。
世界を変えるような新たな発想や発見を追い求め僕たちも日々その探究に挑んでいます。
この大学に抜群の知名度でイギリス中に知られる数学者がいます。
「群論」や「数論」など最先端の研究を続けながら数学の魅力を伝える啓蒙活動にも力を入れています。
デュ・ソートイ教授は今回番組のために地元の市民も招いた全4回の特別講義を行いました。
不思議に満ちた数学の世界を身近な例えで分かりやすく解説。
天才数学者たちが挑んだ難解な理論をデュ・ソートイ教授が愉快で刺激あふれるエンターテインメントに変えていきます。
数学が教える「知の限界」が最終回のテーマです。
数学には未知の世界を解き明かすすばらしい力があり私たちは数学を用いて新たな惑星や元素を発見してきました。
ところが数学は私たちが何を知る事ができないかも教えてくれるのです。
例えばカオス理論のような数学が教える「知の限界」について探究してみたいと思います。
(拍手)数学は私たちの身の回りの世界を解き明かす最も有効な言語だと言われている。
私たちがどこから来たのか。
全ての始まりであるビッグバンで何が起きたのか私たちに教えてくれる。
更にすばらしい事に数学は未来に何が起こるのかを私たちに教えてくれる最高の予言者のようだ。
かつてガリレオ・ガリレイは数学についてこのように語った。
科学の歴史をひもとけばこれまでも数学がいくつものブレークスルーを可能にしてきた。
例えば天文学を例にとってみると海王星が初めて望遠鏡で捉えられたのは1846年の事だ。
でもどこを探せばよいかどうして分かったんだろう?実は海王星を最初に見つけたのはいわば天体望遠鏡ではなく数学だった。
その存在はルヴェリエによって予言されていた。
なぜなら他の惑星の動き方を見るとその特定の動き方をするためにはどこかに別の質量があるはずだったからだ。
そこでルヴェリエはある方程式を解き海王星を見つける事のできる方角を割り出したのだ。
フランスの天文学者フランソワ・アラゴは「ルヴェリエはペンを使って惑星を発見した」と表現した。
というわけで海王星の存在を予測し実際に発見できたのも全て数学のおかげだ。
でも今日の講義ではそれとは逆に私たちの知識のある種の限界について探究してみたい。
数学というものは私たちに新しい事を教えてくれるだけでなく人間の「知の限界」も教えてくれるという事だ。
それを知る事のできる3つのテーマを選んだ。
これらの数学を通して「分からない」という事が分かったという不思議な世界に案内しよう。
まずは「無理数」からだ。
数学が私たちの世界を解き明かしてくれる重要な言語だという事に気付いたのは古代ギリシャ人特にピタゴラスだった。
ピタゴラスはいくつもの数学的な発見をし万物の根源は「数」であるという信念を持っていた。
これはピタゴラスの像だ。
彼は長年ギリシャのサモス島に住んでいた。
サモス島には彼にちなんで名付けられた「ピタゴリオン」と呼ばれる町もある。
この銅像は直角三角形の形をとっていて有名な「ピタゴラスの定理」を表している。
ピタゴリオンの港で撮られた写真なんだが私は引退したら是非ここに住んでみたい。
偉大な数学者の名前にちなんだ場所に暮らすのはきっとすてきだろう。
ではピタゴラスの定理を思い出してみよう。
直角三角形の斜辺の長さを「c」とすると他の2辺「a」と「b」との関係はこのように表せる。
1辺の長さが1の正方形から切り出したような三角形を考えると正方形の対角線がこの三角形の斜辺になる。
すると斜辺「c」の長さはだ。
ピタゴラスは自然界のあらゆるものは整数比つまり「整数分の整数」で表せると信じていた。
この正方形の対角線だって何らかの整数比で表せるはずだと考えた。
ところで古くはバビロニア人たちも正方形の対角線を探究していた。
これは紀元前1800年より古いものとも言われる粘土板だ。
小さな点が見えるだろうか。
バビロニア人たちはこうした楔形文字と60進法を使っていた。
そして彼らは正方形の対角線の大体の長さを求める事ができた。
は21,600分の30,547だと見積もったんだ。
これはかなり近い。
この分数を2乗すると2にかなり近い数になる。
でもぴったり2にはならないから正確とはいえない。
だからもう少しぴったりする分数があってそれを発見すればよいと彼らも考えたはずだ。
ところがピタゴラスたちが発見したのはどれだけ頑張ってこの数に近づけようとしても2乗すると2になるような分数は存在しないという事だった。
まず2乗すると2になるような分数があったと仮定する。
この場合「m」「n」の少なくとも片方は奇数となる。
両方偶数なら約分できてしまうからだ。
この分数は2乗すると2になるわけだがこんなふうに証明を進めていくとしまいには偶数と奇数がイコールで結ばれるなんていう矛盾した結論にたどりついてしまう。
つまり2乗すると2になるような分数は存在しないという事だ。
これは大発見だった。
ピタゴラスたちは「どうしよう!この世界には整数比で表せない数もあるんだ!」と驚いた。
ではこの正方形の対角線の長さは何なんだ?それは何なのか?分数で近い数字を求める事はできるがぴったりの数を分数で表す事はできない。
これが「無理数」と呼ばれる数だ。
少数で表そうとすると無限に続く。
しかもその無限に続く少数は何のパターンも持たない。
正方形の対角線なんてとてもシンプルで自然に求められそうなものなのにこの長さを正確に表す手段がないとはどういう事か。
今ではこれを「」と呼びあまり疑問は持たないかもしれないがこの数は一体どういうものなのか?こうしてピタゴラスたちが証明した事はある意味「私たちにできる事の限界」だった。
無理数を数字を使って正確に書き下す事は決してできないんだ。
これはかなり衝撃的な事実だった。
数学が数学自身の限界を知るために使われた例だ。
数として捉える事のできない長さが実際に存在する。
これはピタゴラスたちにとっては深刻な問題だった。
話には続きがあってピタゴラスたちはこれを自分たちだけの秘密にする事に決めた。
人々は知るべきでない。
これはあまりにも衝撃的な新事実だ。
それで全員がこの数字で表す事のできない数については固く口を閉ざす事を誓った。
ところがある時仲間の一人が「書き表す事のできない数を発見したんだぜ!」とついしゃべってしまった。
言い伝えによればその数学者は海に沈められたそうだ。
だから私みたいに数学を人々に広めるのは危険な仕事なんだよ。
面白いのは数学の歴史をひもとくと不可能と思われる挑戦に次々と出くわすという事だ。
しかし数学はそれらの不可能性と不可能性の証明をも学問の中に取り込むようにしたんだ。
数学の古典的な問題の一つに「デロスの問題」と呼ばれるものがある。
その昔古代ギリシャのデロス島の人々はひどい伝染病に苦しめられていた。
どうすれば伝染病から救われるのか。
神のお告げを聞くため預言者に助けを求めたところ預言者の答えはこうだった。
一体何の事だと人々はとまどったがそれはこういう意味だった。
祭壇は完璧な立方体の形だったのでこのお告げは「体積が元の祭壇の2倍の立方体を作りなさい」というものだった。
つまり提示されたのは「立方体の体積を2倍にするために3乗すると2になる1辺の長さを求めよ」という問題だった。
求める立方体の1辺の長さは3乗すると2になるような数だ。
2乗すると2になるような数なら図に描くのは簡単だった。
正方形の対角線を描けばよかったからだ。
でも3乗すると2になる長さを定規とコンパスだけで描く方法はあるのか?言い伝えによればデロス島の人々は挑戦したがついにできなかったという事だ。
ひょっとすると預言者は人々の気をそらそうとしたのかもしれない。
数学に夢中になっていれば病気や戦争だとか周りを気にする余裕がなくなるんじゃないかってね。
でも実際この問題と次に紹介するもう一つの古典的な問題について人々が理解するまでには19世紀の数学を待たなければならなかった。
もう一つの古典的問題というのは「不可能な事」の例えとして辞書にも載っているようなものだ。
それは「円を正方形にする」という問題だ。
「円を正方形にするようなものだ」と言えば「それは無理だ不可能だ」という慣用句だが語源を知っているだろうか?実はそれもギリシャ人たちが挑んだ数学の問題なんだ。
それはある円と同じ面積を持つ正方形を図に描く事ができるかという問題だ。
これは本質的に円周率πの性質が関わる問題だ。
3乗すると2になる数は解く事のできない方程式の解だったが一方πは無理数というだけではなく「超越数」でもある。
この問題を定規とコンパスだけで解く事はできない。
円を正方形にしたり立方体の体積を倍にしたりするための辺の長さを求めようとする人たちが今もいる。
でも数学はそうした事が不可能だという事を示してくれた。
これはむしろ良い事だ。
無理な事に挑戦するのは時間の無駄だからだ。
数学はニュートンの時代からある物理現象がどうなるかを知るのにとても役立った。
ある物理現象のスタートポイントが設定されその後の運動を規定する方程式が分かれば結果を予測する事ができた。
実際ニュートン以降科学者や数学者の間には大きな確信があった。
つまり物事の初期条件が設定され更にその後の動きを決める運動方程式が分かっていれば方程式を利用して全てが予測できると考えられていた。
ところが初期条件と運動方程式が分かっていたとしても実際にはあまり役に立たないという事が20世紀初頭に発見されてしまった。
実際には初期条件がとことん厳密に分からない限りその後の予測が全く変わってしまう場合もある事が分かったんだ。
これがアンリ・ポアンカレが発見した「カオス」という現象だ。
ところがこれは彼が意図的に発見したわけではなかった。
彼が論文の中で犯した間違いがこの発見につながったんだ。
彼は数学好きのスウェーデンの王によって出された問題を解こうとしていた。
それは「私たちの太陽系がずっと安定した存在か否かを証明せよ」という問題だった。
太陽系は太陽とその周りを規則的に回る惑星から成っている。
この回り方は数学で予測可能で海王星が存在する事も計算で求められたくらいだ。
惑星は時計仕掛けのように正確に回っていると考えられた。
でもこれはいつまでも安定したものなのか?星がバラバラに飛んでいってしまう事はないのか?もし太陽系が二つの星だけで構成されていたならニュートン物理学によってその安定性は既に証明されている。
2つの物体は永遠にお互いの周りを楕円運動して軌道が変わる事はない。
ところがポアンカレが発見したのはそこにもう一つの星を加えるとこの太陽系の安定性を予測するのはずっと難しくなるという事だった。
3つの星がある場合でもある周期を何度も繰り返すという単純なパターンを作る事ができる。
でも初期条件をほんの少しだけ変えてみるとどうなるか。
最初は安定しているように見えてもこんな結果になってしまう事もある。
こんな太陽系には誰も住みたくないはずだ。
星が螺旋を描いて軌道を外れ太陽系全体が突然崩壊してしまうんだ。
ポアンカレは当初太陽系についての論文をまとめながら初期条件の些細な違いは問題ではないとして証明を進め見事王からの賞金を手にした。
ところが論文の審査員の一人が言ったんだ。
「なぜその些細な違いは結果に差をもたらさないかも証明してほしい」と。
それでポアンカレは自分の間違いを発見する事になる。
たとえ些細な誤差のような違いでも結果に劇的な変化をもたらす場合があったのだ。
この事を直感的に捉えるならこういう例がいいかもしれない。
ビリヤードの台を思い浮かべてほしい。
君がボールを打つとそれはテーブルの端にぶつかりながらある軌道を描く。
続いてもう一度ボールを同じ場所から同じ方向に打つとする。
それでも最初に打ったのとほぼ同じ軌道をたどらせる事ができるはずだ。
僅かな角度や強さの違いはあるかもしれないがボールはそれほど劇的に軌道を変える事はない。
ところがもしビリヤードのテーブルの形を変え楕円形のように両側が丸まった台にした場合はどうだろうか?そうするとボールを打つ時の初期条件が僅かに違うだけでボールは全然違う場所へと向かっていってしまうんだ。
ポアンカレが発見したのはこのようなカオスの性質についてだった。
別の表現を使えば「バタフライ効果」と呼ばれるものだ。
蝶の羽ばたきのような小さな初期条件の違いが大きな結果の違いを生む場合もあるという事だ。
例えば惑星の軌道においては僅かな変化が劇的な結果を引き起こす事がある。
惑星の軌道のシミュレーションで一番内側の水星の軌道をほんの少し変えるだけで木星の軌道に劇的に影響を与える場合がある。
するとそれは金星の軌道にも影響を与え始める。
場合によっては影響を与えるだけにとどまらず惑星同士の衝突を引き起こし太陽系全体を崩壊させてしまう可能性さえある。
これは大惨事だ。
そうした研究の結果が知られている。
私たちの太陽系での僅かな変化が水星と木星に突然大きな影響を与え合ってしまう場合があるんだ。
でもそれはまだだいぶ先の話なので心配する必要はなさそうだ。
その前に太陽が巨大化して地球をのみ込む方が先らしい。
いずれにせよカオス理論で重要なのはとても単純な仕組みの仕掛けあるいは単純な数式であっても複雑でカオス的な振る舞いになる事があるという事だ。
その例が振り子だ。
振り子はとても規則的であるはずだ。
時を正確に刻む振り子時計なんていうものもあるくらいだからね。
でもここに用意したのは少し変わった振り子だ。
普通の振り子とは違う。
関節のようなものが特徴でこれは「二重振り子」と呼ばれるものだ。
この二重振り子の振る舞いは数学の方程式で表す事ができる。
それでも手を放す時の初期条件をほんの少し変えるだけでその先の動きを予測する事ができなくなるんだ。
例えばある時にはこのように単純に振れる。
でも同じ動きを再現するのは難しい。
その時々で動きはバラバラだ。
この振り子の運動の方程式は複雑なものではないが実際にどう動くのか予測する事や同じ動きを再現する事は困難だ。
振り子の次の動作を予測する事はできない。
ちなみにこれは私のお気に入りのおもちゃでいつまででも遊んでいられるよ。
こんなシンプルなものでさえ予測ができないというのは面白いだろう?そして私の研究室にあるもう一つの面白い振り子がこういう3つの磁石に引っ張られる振り子だ。
振り子から手を放すと磁石の方に引き寄せられてしばらくすると赤か黄色か青い磁石のどこかの上で止まる仕掛けになっている。
実際にコンピューターで3回シミュレーションした結果がこれだ。
毎回右上のある地点から振り子をスタートさせる。
それぞれの初期条件にはごく僅かな差しかない。
それでも毎回完全に異なる結果になった。
最初の実験では青い磁石の上で止まった。
次に初期条件を分からないくらい小さく変えると赤い磁石で止まった。
また試すと今度は黄色い磁石で止まった。
つまり…運動方程式が分かっていても毎回厳密な初期条件の差を考慮に入れるのは困難だ。
これはコンピューターを使って振り子をどの地点で手放すとどの色の磁石の上に最終的に止まるかを図にしたものだ。
この図の中の黄色のエリアから振り子をスタートさせると黄色の磁石で止まるという意味だ。
赤のエリアでスタートさせると最後は赤の磁石の上。
もちろんそれぞれの磁石の近くで手を放せば例えば黄色の近くで手を放せば最後に止まるのは黄色の磁石だ。
ところがどの色に止まるのかとても微妙な領域もある。
例えばこの辺りで振り子をスタートすると何色の磁石で止まるかよく分からない。
ごく僅かなずれで黄色から赤へと結果が変わりうるからだ。
このように細かく色が変化している領域ではどこに振り子が止まるか予測するのがとても難しい。
とても単純な仕掛けなのにそれがどうなるか数学では分からない。
でもそれも数学が持つ力の一つだ。
「分からない」という事を教えてくれる。
実は天気というのもそのようなカオス的な振る舞いをする。
天気をある種の方程式で予測する事は可能だ。
だいぶ先まで正確に予測できる地域というものもある。
例えば私は最近ヨルダンの砂漠に行っていたがそこでは天気予報はかなり正確だ。
さっきの振り子で言えば黄色の磁石の真上で手を放すようなものだ。
黄色で振り子が止まるのは明らかだ。
ヨルダンでは風速の変化などはあまり天気を左右しない。
そのようにいつだって寒いとかいつだって暑いとか予測しやすい地域もある。
でもイギリスの天気のように本当に蝶の羽ばたき程度の風の変化が全体のシステムに影響を与えてしまうくらい繊細な地域もある。
イギリスの気象庁は集められる限りのデータを集め天気予報のシミュレーションを繰り返している。
私も気象庁でそれを見せてもらったんだけど本当に驚くようなものだった。
彼らは1,000種類くらいのシミュレーションを行って5日目くらいまでは大体どのシミュレーションの結果も似通っているんだけど10日後くらいまでいくと結果はぐしゃぐしゃで僅かな変化が結果に大きく作用してしまうようだ。
このようにカオスの数学は私たちがどこまで知る事ができどこから先は分からないかも教えてくれるんだ。
こんな例もある。
天気予報のプログラムを操作していた人の話だ。
彼はある初期条件を入力してプログラムを走らせた。
しばらくして確認のためにもう一度同じ初期条件を入力してプログラムを再度走らせた。
すると全然違う結果が出てしまったんだ。
同じ方程式と同じ数字のデータを使ったにもかかわらずだ。
よく確認してみると2度目にはコンピューターがその内部で勝手に数字の桁数を丸める設定になっていたんだ。
「0.506127」と入力してもコンピューターが勝手に「0.506」と丸めていたんだ。
小数点4桁以下の僅かな違いのせいでプログラムがはじき出す結果が完全に異なってしまったという例だ。
やっかいなのはこうしたカオス的現象は自然界や物理的世界にある時突然顔を出すという事だ。
そうやってカオスが突然影響を及ぼす領域として知られるのが生物の生息数の変化だ。
ではみんなに質問しよう。
これら3つの動物のうち4年に1度崖から飛び降りて集団自殺を図ると言われる動物がいる。
それはどれだろうか?そんな習性を持つ動物はどれか?手を挙げて答えてほしい。
それはマスクラットだろうか?崖から飛び降りるのはマスクラットだと思う人は?3人4人。
ではミズハタネズミだと思う人は?今朝のニュースでイギリスでミズハタネズミが姿を消していると聞いたがそれは崖から飛び降りているからだろうか?何人かいるね。
では集団で飛び降り自殺するのはレミングだと思う人は?みんな周りを見て手を挙げたね。
「隣が挙げたから僕も」って。
それじゃあレミングと一緒だよ。
でもそのとおり。
正解はレミングだ。
レミングの個体数は4年に1度急激な減少をする事が観察されている。
人々はその理由を探った。
一体なぜ4年に1度急にレミングたちがいなくなるのかって。
するとレミングたちは4年に1度断崖絶壁から海へと飛び降り自殺するんだといううわさが立った。
この仮説はある自然ドキュメンタリー映画によって確かなものとして広まった。
そこにはレミングたちが実際に崖から次々と飛び降りる驚くべき姿が映っていたからだ。
ところが数年前このドキュメンタリー映画を撮影したカメラマンが白状したんだ。
これはヤラセだったってね。
実際にはカメラからは見えない所に回転する車輪のようなものがセットされていた。
そして撮影スタッフがその上にレミングを載せて車輪を回し崖の上から次々と飛ばしてたんだ。
レミングたちは無理やり飛ばされていたというわけだ。
でもそうなると数が減る理由は集団自殺ではなかったという事だ。
それに4年ごとに同じ撮影スタッフが通っていたわけでもないし。
理由は何なのだろう?レミングが4年に1度なぜ消えるのか原因を見つけなければならなかった。
そしてレミングたちを苦しめていたのは数学だったという事が分かったんだ。
今多くの学生が「僕と一緒だ」と思った事だろう。
実は数学にはレミングの群れの個体数が毎年どのように変化するかを求める方程式がある。
その方程式がある時はとても安定した結果をもたらすが時としてとてもカオス的な振る舞いをする事をこれからお見せしたい。
では実験をしてみよう。
これがその数式だ。
実際のものよりはいくらか簡略化してある。
この数式を使って実際に試してみよう。
まずレミングはある個体数からスタートする。
翌年にはレミングは繁殖してその数は理論上倍になる。
ところが餌が十分にないので全部が生き残れるわけではない。
この数式は何匹が死んでしまうかを求めるものだ。
つまり前年の数と今年の数を掛けて10で割ったものが死んでしまう数だ。
では実験しよう。
レミングは君たちだ。
いいね?まず2匹から始めよう。
では誰かやってみたい人は?前に来て。
はいそこの男性手が挙がったね。
じゃあ君が1匹目だ。
ありがとう。
はいこっちに来て。
よし。
では2匹目は?数が増えていくためには女性じゃないといけないんだけど。
先に挙げた人がいたから君はこの次ね。
これでレミングの繁殖実験ができる。
大丈夫これは数学の授業だ。
おかしな事は始まらない。
じゃあステージに上がって。
では彼らが第一世代のレミングだ。
2匹が今年子供を2匹生んで4匹になる。
じゃあさっきの女性も前に来て。
他には?そうだ全部で4匹だ。
これで実験が始められる。
いいかい?生き残りを懸けた戦いをこれからしてもらおう。
4匹のレミングでスタートする。
さっきの数式に当てはめると「前年のレミングの数」×「今年のレミングの数」÷10だ。
するとおよそ1匹死んでしまう。
という事でこれから4人で生き残りを懸けたゲームに挑戦してもらおう。
ここに椅子を3つ用意する。
もう分かるよね?でも慌てて転んで血を流すような事はないように。
この教室の絨毯は新しいんだからね。
では椅子取りゲームの始まりだ。
4人で3つの席を争う。
音楽スタート。
さあ生き残るのは3匹だけだ。
あぁ残念!君は生き残れなかった。
じゃあ崖から飛び降りてもらうとしよう。
いいね!なかなかの役者だ。
(拍手)というわけで3匹のレミングが残った。
さあ立って。
ではまた次の年を迎えて倍の6匹に増えよう。
あと3人参加してくれる人は?はい後ろの女性。
よしステージに来て。
もう一人も。
すばらしい。
では次は6匹のレミングで実験だ。
前年は3匹今年が倍の6匹。
掛け合わせて合計18匹を10で割るとおよそ2匹が死んでしまう。
では椅子を増やそう。
6匹のレミングに対して椅子は4つだけ。
これでよし。
生き残れるのは4匹だけだ。
音楽スタート。
そうまた2匹が死んでしまう!今回は激しい争いが起きてたね。
2匹が生き残れなかった。
君たちも崖から飛び降りてもらおう。
1匹2匹飛んでけ〜。
(拍手)こうして徐々に群れが大きくなってきたね。
では生き残った4匹が今年は倍の8匹に増えた。
だからあと4人参加してほしい。
これが最後だ。
最後のチャンスだよ。
そう1人2人。
はい今手を振った方も。
えっ振っていない?いや振りましたよ。
はい来て!では数式に当てはめると前年に4匹今年が8匹掛け合わせると32匹で10で割れば大体3匹だ。
8匹中3匹は死んでしまうというわけだ。
じゃあ椅子を並べよう。
5角形だね。
では音楽スタート!こらズルは禁止だ!もっと楽しそうに!ただ歩いてちゃ駄目だ。
今のターンはいいね!
(拍手)はいじゃあ生き残れなかったレミングは退場して。
残りは5匹だね。
最初からずっと残っている人は?あぁそうだ君はすごいね。
さあじゃあみんな立って。
これからどうなるか教えよう。
この次の年になると5匹が倍になって10匹。
そして5×10は50でそれを10で割ると5匹。
10匹のうち5匹が生き残れないという計算だ。
するとこれまで個体数は増えていたんだがここでその数が一定になってしまうんだ。
どんなに繰り返してもこの場合は毎回5匹だけ生き残り群れの大きさは変わらないんだ。
では残った5匹のレミングに大きな拍手を!どうもありがとう。
(拍手)この場合で面白いのはこのように個体数を2倍にして繰り返すとレミングの群れの個体数は安定するという事だ。
ではレミングの増える割合を変えたらどうなるのか。
実は毎年個体数が3倍になる場合はまた少し違った事が起こる。
繁殖率を変えて式に沿って計算するとこういうグラフになるんだ。
2匹で始めると次の年には3倍の6匹になる。
さっきと同じ式を使うと5匹が生き残る事が分かる。
次の年には8匹が生き残る。
ところが生き残り8匹で計算すると次の年は5匹に戻ってしまう。
つまり増え方を3倍にすると結果は安定ではなく周期的な振る舞いになる。
8匹と5匹を行ったり来たりするんだ。
更に少し割合を増やしてレミングの個体数が毎年3.5倍になる場合4年ごとに個体数が突然劇的に減るような振る舞いになる。
つまり本物のレミングに起きていたのはこういう事だったんだ。
繁殖で増える割合がこの3.5になると特殊なパターンが現れ4年ごとにレミングが急激に減るという現象が起きたのだ。
とはいえまだパターン性は保っている。
ここで更に割合を変えるとどうなるか。
レミングが毎年4倍に増えると仮定するとパターンは突如崩れて結果はカオス的になる。
こうなるととても繊細なバランスになり1,000匹の群れにたった1匹加えただけでもレミングの爆発的増加を見せたりあるいは更にもう一匹足すと今度は個体数の激減につながったりする。
つまりそれまでは数式によって予測が成立する領域だったのに突然そうじゃなくなるという事だ。
増え方が4倍になるとカオスの領域に入りこの先に何が起こるかを知る事ができなくなってしまう。
はい質問があるようだね?カオス理論ではそれまで安定していた状況がいつ突然カオス的になるのかを予測する事はできるのですか?それともそういう予測は不可能なのでしょうか?それはとてもいい質問だ。
実はこれは数学における大きな未解決問題の一つなんだ。
2000年に「ミレニアム問題」と呼ばれる7つの未解決問題が選ばれた。
例えば楕円曲線の方程式を解く事に関するものや「リーマン予想」などだ。
そうした未解決の問題を見事解く事ができれば1つにつき100万ドルの懸賞金が解決者に与えられるというものだ。
その一つが「ナヴィエ・ストークス方程式」に関する問題でこれは乱流に関する方程式だ。
この方程式は例えば飛行機の後ろの気流あるいは流体がパイプを通る時の通り方について説明するものだ。
これらの場合でもカオスへの移行の決定的瞬間がある。
それがいつ起こるか予測する事はとても重要な事だ。
ちなみにこの乱流効果はサッカーの歴史上最もすばらしいフリーキックの一つとも関係しているんだ。
それはブラジル対フランスの試合で起きた。
ボールを蹴ったのはロベルト・カルロスだ。
ボールはゴールから相当離れていてハーフラインの方が近いくらいだった。
フランスのディフェンダーは壁を作っていたが彼が直接ゴールを狙うとは誰も思っていなかったと思う。
そしてロベルト・カルロスはボールを思い切り蹴りそれは空を一直線に飛んでいった。
ゴールから完全に外れ観客席に突っ込むと思われたボールはしかし最後の瞬間突如急カーブを描いてゴールに突き刺さった。
キーパーは一体どこからボールが来たか分からずに呆然としていた。
これはこのように説明できる。
ボールをとても強く蹴るとボールの後ろにカオス的な乱流が起こる。
このカオス的乱流はボールの抵抗を減らす。
だからボールは浮かぶように飛んでいく。
ゴルフボールでも同じ効果を見る事ができる。
ほとんど浮いているかのように空気中を飛んでいく様子だ。
この時ボールのスピンはあまり軌道に影響を与えない。
ところが突然カオスのスイッチが切られて乱流が整然とした気流になる事でボールへの抵抗が増す決定的な瞬間がある。
劇的にスピードが落ちてボールの軌道はキックによって加えられたスピンに支配されるようになる。
それが突如ボールが軌道を変えてゴールネットに向かっていった瞬間だ。
ボールの動きはカオスから非カオスへの変化として説明ができる。
ひょっとするとロベルト・カルロスはナヴィエ・ストークス方程式が解けたのかもしれない。
少なくとも実践はできていたわけだから。
では最後にもう一つ数学が教える「知の限界」と呼べる分野を紹介しよう。
19世紀から20世紀にかけての偉大な数学者ダフィット・ヒルベルトは必ず答えは見つかるという当時の数学者たちの間にあった自信のようなものをうまく語った。
もちろん時間はかかるかもしれないが実際「フェルマーの最終定理」を解くのに数学者は350年もかかった。
でもヒルベルトが語ったのは…これが20世紀に入った頃の数学者たちの感覚だったと思う。
つまり私たちは数についてのどんな命題も証明できるはずだという事だ。
でも1930年代に数学者たちの自信を完全に打ち砕く事件が起きた。
まさにヒルベルトが故郷で名誉市民の称号を授けられていた時の事。
オーストリアの論理学者がある会議で「私たちには知る事のできない事がある」という事を証明していた。
クルト・ゲーデルによる「不完全性定理」だ。
数学の世界では決して証明ができない問題もある事を明らかにしたのだった。
それは…これは真理と証明の間にギャップがある事を示す驚くべき定理だ。
ゲーデルは一種の言葉のパラドックスを使ってこの定理にたどりついたのだった。
彼は言葉のパラドックスを数学的なものに巧みに置き換える事によって数についての論理体系において「正しいもの」と「証明できるもの」との差を明らかにしたのだ。
ゲーデルが利用した言葉のパラドックスはこういうものだ。
君たちも似たような遊びをした事があるかもしれない。
「この命題はウソである」という命題があったとしよう。
これはどういう意味だろう?もしこの命題が真実だとすれば「この命題はウソである」という事が真実になるがこれは矛盾だ。
だからこの命題は真実ではないはずだ。
ところがこの命題が真実でないとすると今度は「この命題はウソではなく真実である」となってしまうのでまた矛盾が起きる。
このように言葉の上ではこうしたパラドックスで意味のない文章を作る事ができる。
これはこれ以上解読したり解釈したりできるものではない。
そこでゲーデルは言う。
「私たちはこの概念を利用して『この命題はウソである』という命題ではなく『この命題は証明不可能である』という命題を立てる事ができる」。
それも言葉遊びだと言うかもしれない。
だが数についての命題は真であるか偽であるかのどちらかでしかないはずだ。
さあ考えてみよう。
もしこれが偽だと仮定するとこれはどういう意味なのか?これは偽だとすると「この命題は証明可能である」という意味になる。
もし命題が証明可能であればそれを証明すればその命題は真であるといえる。
だからこれまた論理の矛盾に陥りこの命題は偽にはなりえない。
もし偽だとすると証明可能であり命題は真であるといえるからだ。
という事はこの命題は真なのか。
いや真であるに違いない。
なぜなら数学の命題の選択肢は真か偽しかないからだ。
とするとこれは「真の命題」だ。
つまり「この命題は証明不可能である」という命題は真だ。
ゲーデルはこんな感じのトリックを使う事で数についての命題について本質的に真だが証明不可能な命題が存在するという事を示した。
そんなのは言葉のまやかしだと疑う人もいるだろう。
でも数についてのさまざまな重要な問題が実はこうした真なのか偽なのか決して分からないとても奇妙な問題だといえるんだ。
この奇妙な現象は「無限」についての数学の中にも現れる。
長年にわたり「無限」というものはその本質からしてうまく捉える事のできないものだった。
ところが19世紀の終わり数学者ゲオルク・カントールのおかげで私たちは無限を深く理解する事ができるようになった。
実はカントールは無限にはいくつもの異なる無限が存在すると言うんだ。
これを部族同士の数の数え方に例えてみよう。
私はある部族の人間でこの世界では所有するニワトリの数で富が決まるとしよう。
だからニワトリを1羽2羽3羽4羽と数える事で富を計る事ができるとしよう。
ここで私はたくさんのニワトリいわば無限のニワトリを持っているとしよう。
一方隣の部族の男は偶数の番号だけがつけられたニワトリを無限に持っていたとしよう。
私は彼に「どうだ僕の方が2倍ものニワトリを持っているよ」と自慢する。
でも彼は「何言ってるんだ2人とも同じ数だ」と反論する。
私たちは無限という数を全て数え上げる事はできないがカントールは無限の大きさを比べる事はできると言うんだ。
そして私と男の無限のニワトリの数を比べて実際は同じ大きさである事を示せるというんだ。
パッと見た時は私のニワトリの方が2倍多いように見えるかもしれないが私のニワトリと彼の偶数のニワトリは全て1対1に対応させる事ができる。
だから私たち2人の無限のニワトリの数は全く同じだと言う事ができるんだ。
ところが次は大量のニワトリを連れたまた別の男に出会う。
そのニワトリには分数が振られている。
「なんて事だ今回は負けた」と私は思うがカントールは「そんな事はない」と反論する。
カントールに言わせれば私の無限のニワトリも彼の無限のニワトリもその数の大きさはやはり同じなんだ。
「いやでも例えば1と2の間には無数の分数が存在するんだから1対1の対応はつけられないじゃないか」と君たちは考えるかもしれない。
しかしカントールは比べる方法はあると言うんだ。
カントールは分数のニワトリを格子状に並べ縦も横も無限に続く列に並ばせた。
そして分母が1のニワトリは1列目に分母が2のニワトリは2列目分母が3は3列目。
この時例えばもも実は同じ数なので繰り返しは排除する。
さあここからがカントールのひらめきだ。
私の持つニワトリと1対1で対応させるにはまず左上のニワトリから始め次は隣に行きそこからは斜めに進んでいく。
こうすれば先頭から順番をつける事ができるから私のニワトリと1対1に対応させる事ができる。
無限に増やす事ができる分数であっても1本の線のように順番をつけられるというわけだ。
これなら100番目の分数が何かも分かる。
だから私の100番目のニワトリと彼の100番目のニワトリを1対1に対応させられるという事だ。
自然数と分数はそれぞれ無限にあるけれど1対1に対応させる事ができるんだ。
すると「結局どんな無限も同じなのではないか」と君たちは思うかもしれない。
でもそうじゃない。
ここで巨大なニワトリたちの登場だ。
この太ったニワトリたちはこの世に存在する全ての無理数で番号がつけられている。
例えば円周率黄金比などだ。
とはいえ今回も同じように私のニワトリと1対1で対応させる事ができれば同じ大きさの無限だといえるだろうと君たちは思うかもしれない。
じゃあやってみよう。
私のニワトリ1は円周率ニワトリ2はに対応させる。
こうやって私のニワトリと全ての無理数のついたニワトリを組み合わせていくとする。
しかしどうやっても1対1に対応させられない無理数のニワトリが出てくるんだ。
たとえどのように私のニワトリと男のニワトリを組み合わせたとしてもご覧のとおりまだ私のニワトリと対応していない無理数のニワトリを作り出す事ができるからだ。
この表のどこにも現れていない無理数のニワトリがいつでも作れるという事だ。
じゃあそれは脇に置いておいて後で対応づければいいじゃないかと考えるだろうか。
でもこれは何度やっても終わらないんだ。
どうしたって私のニワトリと組み合わせられなくなる。
というわけでカントールが証明したのは自然数とは違う無理数のような数の無限の存在だった。
無理数で構成される無限の大きさは自然数が作る無限の大きさよりも大きな無限であるという事だ。
となると新たな問題が浮かんでくる。
あるいは…いわば自然数のニワトリを持つ私よりも多くの富を持ち無理数のニワトリを持つ男よりは貧しい別の人はいるのかという問いだ。
これはまっとうな問いだ。
そのような数の集合はあるのかないのか。
無限についてこんなふうに考えるのは怪しい魔法に取りつかれているようだと思うかもしれない。
でもヒルベルトは言う。
では問題に戻ろう。
実はゲーデルの研究をたどると答えはイエスでもありノーでもあるという奇妙な事になるんだ。
つまりイエスが答えとなるような数学の体系を作る事も可能であるし答えがノーである数学の体系も存在するというのだ。
テストの問題が全部こういう感じだったらいいだろうね。
どっちを選んでも正解なんだから。
でもこれが数学というものが持つ不思議さであり力強さでもある。
数学を用いて数学自身の限界を探究し理解する事ができるんだ。
今日はどんな最新コンピューターをもってしても解決できない論理的不可能性や限界について話をしてきた。
では人間自身の限界というものはどうだろう?人間の脳は有限の神経細胞やその結合から成る有限な物体だ。
だから数学者の中には「ある種の数学は人間の頭脳の限界を超えている」という議論もある。
もしそうなら全く絶望的な話だ。
「こんな問題は全ての人間の限界を超えている。
だから解く事なんてできない」という問題があるという事だ。
そうした「生物学的な限界」もあるし先ほど説明したゲーデルが突きつけた「知の限界」の問題もある。
例えば未解決の「ゴールドバッハ予想」。
もしかしたらこれは私たちには証明できない問題かもしれないという不安がある。
ちなみに「ペトロス伯父と『ゴールドバッハの予想』」という面白い小説がある。
主人公の数学者はゲーデルの「不完全性定理」を知り全く気がおかしくなってしまう。
自分の全人生を懸けて証明しようと挑んできた問題がそもそも証明不可能であるかもしれないと知ってしまう話だ。
では「生物学的な限界」の方に話を戻そう。
私たちの頭脳の能力には本当に限界があるのか?例えばリーマン予想のような問題の証明はひょっとするとあまりにも難解で複雑すぎて人間の頭脳ではとても解決できないような難問なのだろうか。
ただ私が感動を覚えるのはそのように何かが人間の能力を超えているのではないかと思えた時でもそこに問題をうまく単純化する方法や斬新な切り口を数学者たちが見いだしてきたという事だ。
そうする事で私たちの頭脳でも例えばカントールが可能にした無限というような途方もないものを捉える事ができる。
だから私は数学を信じ続けたい。
今後もきっと数学が未来を解き明かす助けになってくれるはずだ。
その一方で本質的に私たちには証明できない事があるという事まで数学は教えてくれるのだ。
今日はどうもありがとう。
(拍手)2014/12/26(金) 23:00〜23:55
NHKEテレ1大阪
白熱教室海外版 オックスフォード白熱教室 第4回「数学が教える“知の限界”」[二][字]
世界を正確に書き表すことを目指す数学。しかし、数学の歴史は逆に「知の限界」を発見する歴史でもあった。無理数、カオス、不完全性定理…。ミステリアスな数学の世界。
詳細情報
番組内容
世界を正確に書き表すことを目指す数学。しかし、数学の歴史は逆に「知の限界」の発見の歴史でもあった。小数点以下無限にランダムな数が並ぶ不思議な「無理数」、未来は決して予言できないことを示した「カオス理論」、そして、この世界には証明できない命題が存在するという、数学者にとっても恐ろしい事実を突きつけた「不完全性定理」。知れば知るほど奇妙なミステリーが展開される数学の世界を、様々な面白エピソードで楽しむ
出演者
【出演】オックスフォード大学教授…マーカス・デュ・ソートイ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
趣味/教育 – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
サンプリングレート : 48kHz
2/0モード(ステレオ)
英語
サンプリングレート : 48kHz
OriginalNetworkID:32721(0x7FD1)
TransportStreamID:32721(0x7FD1)
ServiceID:2056(0x0808)
EventID:1844(0x0734)