(テーマ音楽)マムシと呼ばれた驚異的な粘り強さで通算63勝をマーク。
50年以上にわたって現役プレーヤーとして日本のゴルフ界をリードしてきました。
杉原さんは昭和12年大阪の農家の三男に生まれました。
ゴルフとの出会いは小学校5年の時。
近所のゴルフ場で始めたキャディーのアルバイトがきっかけでした。
中学卒業と同時にゴルフ場に就職。
定時制高校に通いながら独学で練習に励みました。
二十歳でプロテストに合格。
念願のデビューを果たします。
しかしなかなか勝てません。
指摘されたのは左肘の曲がった変則的なフォーム。
これでは飛距離が出ないというのが大方の見方でした。
苦労して編み出した打ち方を捨てるべきか。
悩んだ杉原さんは大先輩の宮本留吉プロに相談します。
(司会)思い切って聞いてしまおうと?
(司会)左肘の曲がったフォームで?
(司会)ご自分の個性というものを堂々とやれと…。
自信を得た杉原さん。
25歳の時についに初優勝を遂げます。
しかし身長162センチという小柄な杉原さんは飛距離が出ない事に悩まされ続けました。
その解決策として取り入れたのが人より長いクラブを使う事でした。
杉原さんは飛距離を補うための努力を重ねました。
グリーンの魔術師といわれた正確なパット。
誰にも負けない練習量。
杉原さんはトッププロに駆け上がっていきました。
今もファンの目に焼き付いているのは尾崎将司プロとの名勝負。
昭和54年のよみうりオープンです。
試合は2人のプレーオフに持ち込まれました。
18番ロングホール杉原さんの第3打はグリーンを捉えます。
尾崎プロの3打目はピン横2m。
杉原さんより好位置に着けます。
しかし杉原さんはこのピンチをはね返します。
(拍手と歓声)
(実況)すごいのが入るんですね〜。
尾崎プロのパットが外れ杉原さんの勝利です。
ドライバーで飛距離の差がついてもその後正確なショットで自分のペースに持ち込み相手を追い詰める。
それが杉原さんの勝ちパターンです。
そんな杉原さんにもう一つ病との闘いがありました。
前立腺がんです。
60歳の時に告知を受けました。
杉原さんは手術を勧められますがこれを断りがんの進行を抑える投薬治療をしながら競技を続ける決心をしたのです。
(聞き手)ゴルフの事をまず考えて手術をやめてという事ですね。
50歳とか若かったらね手術してまた再起という事もしたいけどせっかく続けてるトレーニングとかストップする事は嫌だし取り返すのには時間かかるだろうしね。
体調等が。
若けりゃ別だけど。
何としても勝ちたい。
衰える体力を挽回するため特別なトレーニングも始めました。
腕や脚に負荷をかけて行う過酷なトレーニングです。
僕の腕がねものすごく細かったんですよ。
こことここのバランスここも細くて風呂入って鏡見たらこんな腕で尾崎に勝てるかいというような感じが情けないのがあったんですよ。
それがちょっと今普通になってるんですよこことここのバランスがね。
(聞き手)モモも太いですよね。
太くなってます。
もう5センチ以上太くなってます。
やれる限りはやり通す。
平成20年71歳の時杉原さんは見事優勝。
63勝目を達成します。
常に現役にこだわりプレーし続けた杉原輝雄さん。
勝利に向かい戦い続けた生涯でした。
(拍手)やっていかないとせっかくこの世に生まれてきたんだからできるだけそうしたいというのは誰でも一緒でしょうけどね。
やらな損です。
2014/12/27(土) 05:40〜05:50
NHK総合1・神戸
NHK映像ファイル あの人に会いたい「アンコール 杉原輝雄(プロゴルファー)」[字]
プロゴルファー・杉原輝雄。スッポンと呼ばれる驚異的な粘り強さで通算63勝という記録を作り日本プロゴルフ界のドンと言われた。
詳細情報
番組内容
プロゴルファー・杉原輝雄。スッポンと呼ばれる驚異的な粘り強さで通算63勝という記録を作り日本プロゴルフ界のドンと言われた。生涯にわたりレギュラーツアーの優勝にこだわり続け、60歳の時、がんの告知を受けながらゴルフができなくなると手術を拒否。薬を飲みながら70歳を過ぎてもツアーに挑戦し続けた。勝つことだけに執念を燃やした勝負師の半生が語られる。
出演者
【出演】プロゴルファー…杉原輝雄
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – スポーツ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
スポーツ – ゴルフ
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