(阿川)おはようございます。
今日のゲストはすごいぞ!日本とアメリカでその国のいちばん人気のある野球チームでなんと4番バッターを務めたという私が説明するまでもないんですけれども通称「ゴジラ」さん。
松井秀喜さんにおいでいただいております。
すみません…。
どうもありがとうございます。
はいよろしくお願いします。
(一同)あははっ!180…。
187です。
187センチ?今私「ゴジラ」なんて申し上げましたけどあだ名はいつ付いたんですか?実は高校3年生のときの春の選抜大会でホームランを打ったときに次の日の新聞でそういう見出しが出たんですよね。
おお〜。
それ初めて見たときはご自分はどう思ったんですか?ゴジラって呼ばれてるみたいな記事が出てたんですけど。
チームメイトとか。
はいはい。
誰も呼んでないのにゴジラって書かれてたんでまああの〜新聞って怖いなと思いました。
(一同)あははっ!
(ナレーション)今日のゲストは去年恩師である長嶋茂雄さんとともに高校生の頃から全国に名を馳せプロ入り後ホームランを量産し日本を代表するバッターに。
28歳のときメジャーリーグ屈指の名門…。
35歳で出場したワールドシリーズでは優勝に大きく貢献しMVPを獲得。
ゴジラの名を世界にとどろかせました。
2012年20年の現役生活に別れを告げた松井さん。
今思うと思いますよね。
(一同)あははっ!今日は松井さんが今だからこそ語れるさまざまな想いをサワコに打ち明けます!今日本とアメリカと…ニューヨーク?はい。
住んでるというとニューヨークなんですか?どちらかというとそちらの方が長いですね。
もう引退されてから…でも2年ってもう2年かと思って。
そうなんですねあっという間でもう2年たちましたね。
で時々日本に帰って来るっていう…。
そうですね。
そうするとあっちでは何をなさって…。
そうですね今はもうこれといって決まったことはなくて。
定職はない?定職はないです。
あははっ!プーちゃん?どちらかというとそうですね。
でこのぽかんと空いた感じがちょっとこうなんていうの?空虚になるっていうか寂しくなるっていうか。
幸いそれがなくてですね。
ないですか?また選手に戻りたいなとかあんまりそういう気持ちにはならなかったですね。
ならないですか?もういいって感じ?
(松井)もういいっていうかある程度自分がやり切ったというかそういう気持ちになれたんでしょうね…はい。
ではまずは今でも記憶に残る一曲という音楽はなんでしょう?はい。
槇原敬之さんの「どんなときも。
」。
いつごろ出会ったんですか?恐らく高校2年生ぐらいだったと思うんですけどちょうどその曲が翌年のその高校3年生のときの選抜大会の入場行進曲だったんですよね。
ああそれじゃあ特別な思い出が。
そうですね。
先ほどそれこそゴジラと付いたあのときの大会です。
付いたあの年。
懐かしい映像も交ざっておりましたが。
あははっ失礼しました。
いえいえ…。
ふてぶてしい顔してましたね。
あははっ!いやぁ〜って…。
でもあのホームランで一躍みんなに注目されて。
そうですねあれでゴジラになっちゃいましたね。
ゴジラになっちゃいました?でその春が終わって夏の甲子園にも出たときにこれがもう歴史に残る5打席敬遠。
そうです。
(阿川・スタジオ)だって5回打席に立って5回ともなんかこんな所に投げられちゃうっていう。
こうやって構えてんのに。
どう思われたんですか?
(松井・スタジオ)3打席目が一塁にランナーいたんですけどそれでも敬遠されたんですよね。
おお〜。
そのときにおっ?と思いましたね。
ここでも敬遠するのかなって。
で4打席目はもう2アウトでランナーもいなかったんですよね。
はい。
それでも敬遠されたんですよ。
ランナーいないのに?いないのに敬遠されたんです。
でそんときはおっ?って…。
そのときはおっ?じゃなくてもうこれは今日どんなケースでももう絶対敬遠なんだろうなって。
はあ〜。
でとうとう5打席目になって…。
はい。
5打席目はもうほんと敬遠のケースだったんですけどね。
あっそうなんですか。
もう1点差で2アウトでランナー三塁でしたので。
これはもう絶対ないだろうなと思ってたらまあ案の定だったんですけど。
ええ。
ムッとしました?んん…ムッとっていうのはなかったですね。
ただもう残念っていうか。
野球ですからねあの〜作戦の一部ですからそれもね。
だからそういう意味ではムッととかそういう怒りの感情は全然なかったですよね。
でもそれが有名になって逆にプロへの道につながったっていうところもあるんですか?もしかしたらあるかもしれない。
あれだけ世の中を…ねえ二分するぐらい賛否両論がね巻き起こってその渦中にいたわけですから。
ほう〜。
今でもその5打席敬遠の経験っていうのはなんかのときによみがえったり…。
今はもうないですけどただその後の自分のプロ野球生活を振り返ってその5打席連続敬遠っていうのが間違いなくプラスになってたと思います。
プラスに?はい。
どこかであの敬遠を…敬遠されたバッターということをねやはり証明しなくちゃいけないというか。
あのあと僕がプロ野球に入ってまったく打てなかったらなんだよ別にそんなバッターじゃなかったじゃんっていう話になると思いますのでだからそういう意味でずっと特に「ジャイアンツ」の若い頃はねそれが大きなエネルギーになってたような気がしますよね。
(夫)《知らなかった》《妻はいつから靴下の重ねばきをしていたんだろう》行ってくるよ。
(妻)気を付けてね。
(ナレーター)そんなニッポンの暮らしに耳を傾けたら新しい家電が見えてきました。
床から暖めれば体に優しい。
今までにない暖かさを足元に届けるエアコンです。
あったかいわね…足元まで。
これからの日々にパナソニック「Jコンセプト」ちっちゃい頃から野球をやっててその頃憧れてた選手とかチームっていうのは…。
僕は子供のときに「阪神タイガース」が好きで。
ああ〜。
なんでよかったんですか?タイガース。
父がなぜかタイガースファンで。
やっぱりお父ちゃんの影響…。
そうなんですよね。
でジャイアンツに入団したというのが長嶋監督が久々というか2回目の監督として。
そうですね戻ってこられたとき…。
戻っていらした初年のドラフト1位として。
ほんとは阪神ファンだったのに。
阪神ファンだったんですけどまあドラフトくじでしたから長嶋さんがくじを引いてくださったんで。
(阿川・スタジオ)それはうれしかったんですか?ほんとのところ。
今だから言える。
(松井・スタジオ)あははっ!タイガースファンでしたからジャイアンツはやっぱり…。
強敵?いつもクソ!と思って見てましたから。
(一同)あははっ!やっぱりね。
で大概やっぱりタイガースが負けるんですよジャイアンツにね。
タイガースファンはね。
うん。
自分がそこにいくんだっていうのはすごい不思議な感じがしました。
ほう〜。
いくら高校野球でスター選手だといってもプロの中に入った途端に…この間ちょっとムネリンに会ったんですけど。
(松井)あっはい。
駄目だこりゃ!って思ってもう泣いてうちに帰りたいぐらいだったって。
ああ〜ほんとですか。
そこらへんの衝撃というかショックというか。
やはりありましたね。
全然打てなかったです。
もう三振ばっかりで。
フッともう…。
ええ球も速かったですけどあとやっぱり変化球がもう見たことない変化球ばっかりで。
へえ〜。
それでそこから長嶋監督がもう僕が育てるみたいな感じだったんでしょ?まあ恐らくそうだったんでしょうね。
まさかねえ…毎日毎日このあと一緒に練習するようなことになるとはそのときは思わなかったですけど。
毎日毎日?はい。
「4番1000日計画」。
4番1000日計画。
4番にするって…。
そうですね。
毎日どんなトレーニングとか練習とか…。
ええ。
長嶋監督との練習は常にもう素振りです。
素振りで二人…。
常に素振り?素振りで。
もう二人きりで素振りです。
二人きり?もう個人レッスンなんですね。
個人レッスンです。
でどういうふうに注意されたりなんかここを大事にしろとか。
監督はやっぱりもうとにかくスイングの音ですよね。
音。
それもブン!って空気を切る音があるんですけど。
やっぱり音がするっていうことは速く振らなきゃいけない。
いやまあ速く…もちろん速くも振らなくちゃいけないんですけどやはりそのボールとバットの当たる瞬間。
瞬間。
だからそこを振ってるときのそのヒュッという音がやっぱり監督さんの中にあるいい音とよくない音っていうのがね。
聞き分けるんですか?そうだと思いますね。
へえ〜。
それは球場とかですか?
(松井)そうですね試合前の球場のちっちゃい部屋とか遠征先だとホテルの部屋とか。
ホテルの部屋で。
はい。
都内でもホテルの部屋でもやりましたし。
休みの日にいきなり電話かかってくるんですよね。
あははっ!突然?こっちは休みだと思ってるから気を抜いてるわけですよそれまで。
そしたらいきなり電話かかってきて「今からここのホテルに来い」ってなるんですよ。
で「バット2本持ってこいよ」って言って。
嫌だとは言えない?言えるわけないじゃないですか!
(一同)あははっ!だって予定があったのに…。
予定があってもだから「ちょっとごめんね」みたいな…。
友達との約束は。
そうですね。
でやっぱ行って。
行って。
2本持って?2本持って。
一応ね僕もやっぱりねジャイアンツの選手ですからばれちゃうわけですよそこら辺にいる方々に。
はい。
一応ジャイアンツの選手がバット2本持って一流ホテル入っていくわけですよ。
ふふふっ。
これねすんごい恥ずかしいんですよ。
あははっ!隠して…。
そうですそうです。
ほんとにもう服の中にこうやって入れて…。
こうやって歩いて。
そうです。
でやっぱり素振りが始まるわけですそこで。
それは1回じゃないんですね?何回もありましたよ。
はい。
突然思い立つんですかね?監督は。
いやたぶんね突然時間できるんだと思いますよ。
あははっ!あちらが。
ちょっとまだ時間あるなぁみたいな。
よし!松井呼ぼう。
呼ぼうかみたいなそういう感覚だと思いますよ。
で「ありがとうございました」って言って帰るんですか。
やめてほしかった?まあ前日に分かってればありがたかったことはありますね。
でもね監督にそれは無理なんですよ。
それはおっしゃったことはあるんですか?監督に。
言えるわけないじゃないですか!
(一同)あははっ!言えないですよそれは。
ああそう。
(ナレーター)年齢を重ねた人にも使いやすい優しい家電が生まれました。
野菜や魚が出し入れしやすい真ん中収納の冷蔵庫。
持ち運びが負担にならない驚きの軽さの掃除機。
今までにない暖かさを足元に届けるエアコン。
誕生パナソニック「Jコンセプト」
(でんきやさん)どうです?新しい掃除機は。
(奥さん)ほ〜んとに軽くてびっくり!ごめんね手伝わせて。
息子さん家出てだいぶ経つけど今もキレイにしてますね。
あれ?何か出てきましたよ?まぁあの子ったら。
アハハ…。
(ナレーター)あなたの暮らしを家族のようにサポートします。
パナソニックの店。
(ナレーター)パナソニックの超高精細4Kはテレビという概念を超えていく。
映像で彩られた街は人々との新しい関係を築いていく。
そう自由自在に。
心を揺さぶる臨場感を。
常識という非常識を変えてしまえ。
それがWonders!「巨人」に入団してそれで10年目でなんか28であっち行くことを決めたと。
その決意はどういうお気持ちだったんですか?やはり…。
野望があったんですか?野望っていうかうん…ちょうどその3〜4年ぐらい前ですかね向こうの試合を見に行ったんですよね。
でちょうどそのときにニューヨークのヤンキー・スタジアムでプレーオフの試合を見たんですけどそのときにやっぱりすっごい感動しましてもう球場の雰囲気とか向こうの球場はやっぱ芝生…土と芝生ですごいきれいで。
で…スタンドがすごい近いんですよ。
だからファンがすごい近くに感じるんですよね。
あとやっぱり選手たちの出してるオーラみたいな。
またあのねストライプのユニフォームが格好よくていやすごいな〜ってもうほんとに憧れの気持ちで。
モヤモヤモヤっとこう…。
そのときはやっぱりね心の中にポッと火がちょっとだけついて。
あの感動はやっぱりちょっと忘れられなかったんでしょうね。
へえ〜。
でもほんとにポンポンと憧れの「ヤンキース」に入ることができていざ海を渡って行きました。
はい。
巨人に入団したときとはまた違う衝撃とかショックとか。
うん…まあでもそれほどの衝撃はなかったですね。
そうなんですか。
はい。
レベルの差は高校とプロよりももっと少なかったと思います。
ふ〜ん。
慣れればなんとかなるかなって。
でも最初日本からすごいゴジラが来たぞっていうのがなかなか打てなかった時代もあったんですよね。
はい。
やっぱ最初はピッチャーに戸惑いましたから。
微妙に動くボールがあるんですよ。
やっぱりね向こうのピッチャーそういうの得意にするんですよね。
例えばストレートだと思ってもちょっと動いてそのね打ったら芯を外れたりとか。
ほう〜。
なんかゴロばっかり出すから「ゴロキング」って呼ばれてたって。
ゴシラゴロキング?ゴロキングと「ニューヨーク・タイムズ」に書かれましたね。
はい。
そうするとあれだけお金払ったのに大して活躍しないじゃないか!みたいな厳しい批判なんですか?そうですねはい。
それどう克服して落ち込まずに。
う〜んまあでもね打つしかないですから。
もう淡々と?もうそうですねそこを目指すしかなかったですけどね。
どういう環境に行ってもあんまりこうなんか感情の起伏っていうのは…。
それは出さないようにしましたね。
あるんですか?もちろん絶対あると思いますよ。
怒るときもあれば悲しいときも感情は絶対あると思いますけど。
特にグラウンドではそれは出さないようにしました僕は。
殴りたくなるとか。
それはいっぱいありましたね。
あったんですか?ありますね。
それはやっぱありますよね。
はい。
でもやっぱりそういう感情はもうなるべくもう常にフラットに。
どうやって抑えるんですか?コントロールしてたんでしょうね恐らく自分の心の中でね。
だいたいなんかちっちゃい頃から人の悪口は言わないことにしているという。
うんそういうふうにあの〜父には言われましたねちっちゃいときにね。
あまりそういうことを言うなって。
子供の頃ですか?
(松井)はい。
まあとにかく野球やるときはどんな人にも敬意を持って接しなさいっていうのはねあの…それは教わりましたよね。
それはお父様の教えなんですか?いや父もそうですけどやはりその指導者の方…ヤンキースのときの最初の監督のトーリ監督も常にそれをおっしゃってました。
まず敬意を持つ。
相手に敬意を持ちなさいって。
リスぺクトしろっていう話なんですか?はい。
でも松井さんはチームが勝つっていうことがいちばん大事だと…。
そうですね。
それはもうずっと小さいときから思ってましたね。
だから僕は自分だけ目立つのがすごい嫌でしたね。
ええ〜うれしくないですか?おっみんな俺を待ってたのかい?なんていう。
それがね駄目でしたね。
もともと好きじゃないんですか。
(松井)好きじゃないですね。
好きな人もいますよね?いますね。
(一同)あははっ!いるのも事実ですけど僕はだからそれは分からないんですよね。
じゃあ特にメジャーに行くと日本のマスコミはもうみんな松井選手をカシャカシャカシャカシャって撮ろうとすると。
ああいうのはやっぱりどちらかっていうと避けたかったですよね。
へえ〜。
そんなこといったってあっちのメジャーでだってMVP取ったんですよね?そうですねワールドシリーズですけどね。
最後の頃ですか?ヤンキースの最後の年ですね。
ヤンキースの最後の年。
はい。
あの日から…。
はい。
間違いなくニューヨークでの扱いは変わりましたね。
えっ!そういうもんなんですか?
(松井)はい。
もう全然違いましたよ。
あの直後とかレストラン行くと入ったらほかのお客さん食事してるのにわあ〜って拍手されて。
スタンディングオベーションみたいなの始まっちゃうの?街でもすれ違ってももう…。
歩きながら拍手になっちゃうの?それうれしいよりも恥ずかしい?いやでもうれしいですよやっぱりね。
冷静に考えるとすごいことだなと思って日本人がニューヨークでわあ〜って言われるっていうのが。
そうですよ。
でもそのそれがヤンキースの最後の年でMVPになってそれだけの活躍したのにヤンキースをやめちゃう。
やめちゃうっていうかもう年齢もちょうど35のときでしたしまあその前年ですかね膝をちょっと痛めてちょっと試合に出られなかった時期もあったので。
やっぱりその球団からしたらねちょっと高齢になってきてなおかつちょっと守れないっていうふうにね思われてる選手はもういいかなみたいな感じだったんだと思いますけどね。
そのあと3チームですか?
(松井)はいそうですね。
ええ〜っと…。
「エンジェルス」「アスレチックス」「レイズ」ですはい。
でその引退しようという決意を固めたっていうのはこれは一流選手としてやっていけないって思ったんですか?そうですね。
やはりもうチームの力にもうなれないかなっていうか。
衰えを感じたんですか?まあ衰えも多少はやっぱりあったんでしょうね。
でもやっぱり結果として出なかったですから。
特に最後の年はもう結果が出なかったですから。
それは今スランプだとか…。
いやそういう感じではなかったんですよね。
やっぱりなんかちょっと出口が見えないかなっていう…そう初めて感じましたね。
野球人生の中で初めて?
(松井)初めてです。
それまではまあなんとかなるなって常に思ってやってましたけどあのときはちょっと…ちょっと厳しいなと思いましたね。
チラっとそういうふうに感じてからやっぱり引退するしかないって思われるまでにはどれぐらいの期間があったんですか?その年はもう7月いっぱいぐらいでええ〜っとプレーできなくなりましたんでそっからまあ4〜5か月ぐらいたってうん…もうやっぱりチームの…自分はやってもそこまでチームの力になれないなというふうに思いましたのでこれはもうやめるしかないかなと思いました。
そういうときは監督とかコーチとか相談するっていうことはなさらなかったんですか?しなかったですねほとんど。
一人で考えたんですか?そうですね。
どちらかというともうほぼ一人で考えましたね。
選手としての未練っていうのはじゃあ…。
いやないですそんなに。
はい。
まあなぜかっていうとやっぱり自分の中ではねえヤンキースの選手になりたいと思って…なって。
でそこでね割とチャンピオンになりたいと思ってなって。
MVP取って。
それはまあラッキーだっただけですけどあの〜これ以上のことはもうないなっていうふうに思いましたので今思うとほんとに…自分が7年間もヤンキースにいたのかなって今思うと思いますよね。
あっという間?あっという間でしたしうん…それが日常だった自分がなんか今信じられないような気がして。
いちばん夢見た場所にいたわけですから最高の時間だったんでしょうね恐らくね。
ふ〜ん。
もう一度あの白黒ストライプを着たいっていう気持ちはあるんですか?ユニフォーム?まあやっぱりユニフォームは魅力的ですよね。
じゃあ将来的には例えば日本のチームの監督になるとか解説者になるとかコーチになるとかっていう可能性としてはどれがいちばん確率として高いんですか?あははっ難しいですね。
ふふふっ。
ちょっと今分からないです正直。
ほんとに分からない?あんまりその解説とか魅力を感じないんですよ正直ね。
そうなんですか。
それはなんでですか?やっぱり…野球はやっぱりやるもんだなっていう。
あっ批評してるもんじゃないと。
評論してる場合じゃないと。
そうですよね。
それだったらやっぱりねえ…。
グラウンドに立つ方が。
立ってる方が全然いいと思いますね。
まあちょっと話が飛びますけれども国民栄誉賞を長嶋監督と並んで受賞されることになったってあのときはどういうふうに思われたんですか?えっ…やめてほしいと思いました。
(一同)あははっ!正直。
なんで?そりゃあ長嶋さんはやっぱりねまさしく国民栄誉賞って感じだと思うんですけど僕はねえ年齢もまだ若いですしやっぱり一緒に頂くみたいなそういうのもまた全然違うなって思ったし。
でも実際に受賞されたときは監督ほんとにうれしそうで。
(松井・スタジオ)そうなんですそれがいちばんよかったなと思って。
監督があれだけ喜んでくださってなおかつあれだけ元気なねお姿をたくさんのファンの皆様の前にねあの〜出すことができたっていうのはねすごい監督自身が喜んだと思います。
そうですよね。
ではもう一曲選んでいただいてると思いますけれど今松井さんを元気づけてくれる曲。
フランク・シナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」。
あっこれはやっぱりニューヨークの思い出が?そうですねこれはもう毎試合あの〜試合が終わったあとに流れてましたので球場で。
ヤンキースで?はい。
ワールドシリーズで最後に勝ってこの曲が球場に流れたときに球場の5万人がこの歌を大合唱したんですよ。
あのときはねほんとに震えましたよね。
いやなんか私関係ないのに懐かしい気持ちになっちゃった。
(一同)あははっ!まあでもね10年も行ってらしたんですもんね。
そうですね10年間プレーしてましたね。
だって結婚なさってお子さんもいらっしゃるんですよね?そうですねはい。
育児なんか手伝ったりするんですか?散歩は…。
散歩?もう歩けるんですか?もう歩けます。
あの〜アメリカではよく散歩は一緒に行きますね。
まあ男の子とはいえねどうなるか分かんないですね。
ちょっと分からないですね。
野球選手になるって言いだしたらどうですか?微妙ですね。
微妙?微妙ですね。
やっぱりうれしい気持ちはもちろんあるでしょうね恐らくね。
でもその…やっぱり簡単ではないですからね。
まあどこを目指すかにもよりますけど。
まずそしたらキャッチボールから?キャッチボールしたいですね早くね。
そりゃあ遠くないですね。
うん。
やっぱり自分も子供のときに初めて父とキャッチボールしたときのそのワクワク感っていうか今でも覚えてますから今度は逆の立場になってやりたいなと思いますけどね。
って思って2014/12/27(土) 07:30〜08:00
MBS毎日放送
サワコの朝[字]【松井秀喜/終りなき野球人生!】
ゲスト・松井秀喜/元プロ野球選手▽松井が語る「長嶋監督」と「メジャー」。思い入れある音楽とともに、阿川佐和子がゲストの意外な側面や表情を引き出します
詳細情報
番組内容
ゲストは元プロ野球選手の松井秀喜さん。日米の球団で大活躍し、並外れたパワーでホームランを量産。ニューヨーク・ヤンキースではワールドシリーズ優勝にも大きく貢献した。「ゴジラ」の愛称で多くの人に親しまれた松井さんは、2012年に現役を引退。番組では、松井さんをジャイアンツの四番に育て上げた長嶋茂雄監督との微笑ましいエピソードや、メジャーリーグでプレイしていた当時のお話など、たっぷりとお聞きします。
出演者
【司会】
阿川佐和子
【ゲスト】
松井秀喜(元プロ野球選手)
1974年石川県生まれ。高校は名門・石川県星稜高校に進学。甲子園で活躍し、卒業後、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。
2003年、ニューヨーク・ヤンキースに入団。2009年にヤンキースを9年ぶりのワールドチャンピオンに導き、日本人選手として初となるMVPを獲得。2012年、引退を発表。昨年、長嶋茂雄氏とともに、国民栄誉賞を受賞。
制作
【製作】MBS TBS
【制作協力】TBSビジョン
ジャンル :
バラエティ – トークバラエティ
ドキュメンタリー/教養 – インタビュー・討論
福祉 – 文字(字幕)
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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