暫く振りに『オリエント急行殺人事件』を観た。この映画を初めて観た時はさほど面白いとは思わなかった。原作は世界的な推理作家アガサ・クリスティの最高傑作との呼び声も高く、当然ながら先に小説を読んだミステリー・ファンも多いだろう。斯く言うボクもその一人で、真犯人が誰であるかの奇抜なアイディアに驚嘆したものだ。
処がいざ映画となると本来、主題である筈の物語の概要や謎解き部分が判っているだけに興味が半減してしまう。増してや「オリエント急行の殺人」は推理小説ファンの間では有名なトリックである。制作者は映画化の際、真犯人が誰であるかを既に知っている人々を前提に、如何に映像的に惹き込ませるかということに腐心したと思う。だからこその豪華俳優陣なのだ。だが当時のボクは映画観察眼が未熟で、型をなぞった物語を盛り上げる演出の巧みさや俳優陣の心理描写を堪能する器量を持ち合わせていなかったのである。
アガサ・クリスティの「オリエント急行の殺人」の真相は凡人には発想し得ない大胆極まりないトリックだ。こんな偶然は有り得ないと思う。しかし推理小説の中の偶然とは緻密な計画と何が何でも遂行しようとする執念によって可能となる。殊にクリスティが生んだ名探偵エルキュール・ポワロの“小さな灰色の脳細胞”は、彼女の壮大なる虚構を弁証法的な手法で理知的に具現化していく面白味がある。それでもボクには些か合点のつかない点もあるのだが...。
中でも本作は大陸横断国際列車オリエント急行の車中で殺された被害者と同じ一等寝台車に乗り合わせた乗客全員が犯人という現実世界では到底起こり得ない設定にし、ドラマ的要素を高めている。つまり如何にして善良なる人々が殺人に至ったかを、殺人現場と回想シーンを巡らせて丁寧に説明しているのだ。そして容疑者と思しき12名の役者が、忘れ難き悲しい想い出と被害者(殺害理由となった最初の事件の犯人)への憎しみを込めて其々の立場で滔々と演じている。
映画の冒頭は黄色く朽ちた色彩で1930年のアメリカ東部ロングアイランドの豪華な邸宅を映す。大富豪アームストロング家で3歳になる一人娘デイジーの誘拐事件が発生し、20万ドルの身代金を要求される。当主であるアームストロング大佐は身代金の支払いに応じたにも拘らず、哀れ幼女は死体となって発見されたという悲劇的な事件である。
しかもデイジーは誘拐直後に殺されていたことが判明した。失意に暮れた妻はショックで流産し、胎児と共に亡くなってしまう。また一時犯人グループの一味と疑いをかけられたメイドのポーレットも飛び降り自殺を図り、終いには決して逆境に屈しない性格で知られたアームストロングも拳銃自殺で潰えてしまった。
実に誘拐事件発生後、5人の人間が不幸な死に見舞われたのだ。残った血縁者、友人知人、恋人、或いはアームストロング家に仕えていた者とその家族、更にはアームストロング夫妻を慕った人々は大勢いたであろう...。
事件から半年経ち、犯人の一人が警官と撃合いの末、射殺された。この犯人はもう一人の男と組んでは幾つものの幼児誘拐事件を起こしていたのだ。もう一人の男は要領よくその場を抜け出し、国外に逃亡を図り罪を逃れた。以来、消息は不明である。しかしこの男はこの時点で「ならばこの手で犯人を...。」と動機のある人々が、後に自分を殺める機会を設定するとは露ほども思っていなかった...。
それから5年の月日が流れた。イランの首都イスタンブール駅では大陸横断国際列車オリエント急行が、様々な乗客を乗せてパリ経由でカレーに向けて発車しようとしていた。
シリアに駐留していたイギリス軍部隊内での事件を解決したポアロは、数日間イスタンブールで休暇を過ごす予定であったが、ホテルに電報が届いており、急遽イギリスに帰国することになった。つまり偶然にもポワロも乗客の一人となったのであるが、この季節には珍しいことに一等寝台個室は全て予約で塞がっていた。そこへ友人で国際寝台車会社の重役ビアンキが通りかかり、彼の世話で二等に乗車することが出来た。こうしてイギリスまで3日間の旅が始まる。
途中停車したベオグラード駅ではビアンキが連結されたアテネからの寝台車に乗り換えてくれたので、ポワロはそれまでビアンキが使っていたコンパートメントに移る。
2日目の深夜、線路は前夜からの雪の吹き溜まりに埋まり、突っ込んだ列車はバルカン半島のとある場所で立往生してしまった。ポワロは静寂の中、隣室で人が呻く声を聞いたような気がして目が覚めた。彼の嫌な予感通り、隣室のアメリカ人実業家ラチェット・ロバーツ氏が刃物で身体中を刺されて死んでいるのが発見された。
早速ポアロがビアンキに呼び出され、事を荒立てたくない彼に意向でこの事件の解明を引き受けた。実はポアロはその前日に食堂車でラチェット氏から身辺警護を依頼されていたのだが、あまりにラチェットの雰囲気が胡散臭いので断っていたのである。
ポワロは車両に乗り合わせていたギリシャ人医師コンスタンティンとフランス人車掌ピエール・ミシェルらと共に捜査に乗り出した。医師の検視の結果、死因は刺殺による出血多量とされた。刺し傷は骨に達するほど深いものから、ほんのかすり傷程度のものまで全部で12個所もあり、どれが直接の死因かは判断が付かなかった。
一方、ポワロがラチェット氏のコンパートメントを調べると、グラスの飲みの残しから睡眠薬で眠らされたことが判った。部屋からHの文字が刺繍された夫人物の高級ハンカチやパイプクリーナーが見つかり、ラチェットの懐中時計が1時15分で停止していたことから犯行時刻を推察する。更に個室から灰になった紙切れが見つかった。ポアロは昔ベルギーの警察にいた頃の手法で、燃やされた紙切れに書かれていた文字を読むことに成功する。それは何故か5年前のアームストロング家の幼女誘拐事件に関連する文面だった。ポアロはその文面からラチェット氏は偽名で本名はカセッティ...例の幼女デイジー誘拐事件を起こし、国外逃亡したもう一人の男であったことを突き止める。
列車は雪の壁に阻まれて立ち往生しており、乗り降り出来る筈もなく、また一等寝台車の片側通路は固く施錠されており、他の車両にも行けない。もう片方の通路の前には車掌が陣取っていた。雪の線路にも足跡がないことから犯人は一等車の中にいると疑念を抱いたポアロはビアンキとコンスタンティン博士と共に食堂車を臨時の捜査本部にし、国籍も身分も異なる同じ一等寝台の車掌と12人の乗客全ての尋問を始めた。
ここで尋問されたのは以下の12名
・ラチェット氏の秘書兼通訳でアメリカ人のヘクター・マックイーン
・ラチェット氏の執事でイギリス人のエドワード・ベドウズ
・インドから母国イギリスに帰国の途であった軍人アーバスノット大佐
・バグダットで家庭教師をしていたイギリス人のメアリー・デベナム
・ロシア元貴族の老婦人ナタリア・ドラゴミノフ公爵夫人
・ドラゴミノフ公爵夫人の召使ヒルデガード・シュミット
・中年でお喋りなアメリカ人ハリエッタ・ベリンダ・ハッバード夫人
・中年のスウェーデン宣教師グレタ・オルソン
・フランスへ向かう途中のハンガリーの外交官ルドルフ・アンドレイニ伯爵
・アンドレイニ伯爵の妻エレナ・アンドレイニ夫人
・スカウトマンと称していたが、実はピンカートン社の私立探偵と判明したサイラス・ハードマン
・自動車販売のセールスマンでイタリア人のジーノ・フォスカレッリ
整理してみるとラチェット氏の秘書や召使、軍人とその許婚、ロシア公爵夫人、宣教師に外交官夫妻、自動車のセールスマンと多士済々だが、ポワロは尋問と過去の経歴から私立探偵のハードマンを外した。思考を巡らした末、ポワロは一見何の脈絡も無い残りの11名が実は全員がアームストロング家と血縁、若しくは主従関係にあったことを見抜いた。おそらくこの11名は私立探偵のハードマンに依頼してラチェット氏の居所を突き止め、デイジー及びアームストロング家の敵を取ろうと綿密な策を練ったと思う。その計画は主にハッバード夫人(後にデイジーの実の祖母と判明)が立て、段取りをフランス人車掌ミシェルが用意したのだ。彼はアームストロング家で働いていたメイドのポーレットの実父であり、これで12名となる。
何と!ラチェット氏殺害は一等寝台車を関係者で占拠したアームストロング家所縁の人々が巧妙に仕組んだ計画殺人だったのだ。毒薬を飲まされ、昏睡状態に陥ったラチェット氏を12名は其々の思いでナイフを突き立てたのである...。
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さてアガサ・クリスティが『オリエント急行殺人事件』の中で綴るアームストロング幼児誘拐事件は、明らかに1932年に実際に起こったリンドバーグ愛児誘拐事件をモチーフにしたと思う! その証拠にアガサは推理小説「オリエント急行の殺人」を1934年に発表している。まだ人々にリンドバーグ愛児誘拐事件の痛々しい記憶が残っている頃だ。
歴史にその名を刻むチャールズ・リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行の偉業は、名匠ビリー・ワイルダーによって映画化された。『翼よ!あれが巴里の灯だ』がそれである。1927年5月21日、リンドバーグがパリのル・ブルジェ空港に降り立った時、実に15万人もの市民が出迎えた。それなりの規模の都市の人口に匹敵する観衆である。帰国後、ニューヨークで行われた祝賀パレードでは天を覆い尽くすほどの紙吹雪が舞ったのである。
憂いのある上品な顔立ちと謙虚で真摯な立ち振る舞い。更には190cmを越える長身で、人々はこの完璧な青年に異常な関心を寄せた。間違いなく、この時点でリンドバーグは20世紀最大の英雄に上り詰めたのである。
当時、マス・メディアの中心は新聞であった。各新聞社は激しい読者獲得合戦を繰り広げていた。中でも新聞王ウイリアム・ハーストは恥知らずな手法で悪名を轟かせていた。大衆が飛びつきそうなゴシップ記事作成の為には、時には法律を犯してまでも取材に奔走した。信憑性の有る無しはお構いなく、でっち上げも少なくなかったと思う。所謂“イエロー・ジャーナリズム”の原型は既にこの時代っから存在したのだ。
そんな中、リンドバーグは新聞社の格好の餌食になった。勝手に家に侵入しては覗きや盗聴、果てはゴミ箱漁りまでする始末。欲に駆られたハーストは更なる金儲けを目論む。何と、リンドバーグに50万ドルを積み上げ、映画出演を申し込んだのである。だが清廉なリンドバーグは傲慢不遜で利益追求の為には形振り構わぬハーストとは相性が合わず、結局、この話は破談になる。このように絶えずリンドバーグは私生活まで大衆と新聞社に晒されていたのだ。
しかしその影響が良い方向に進む場合もある。1929年、世界は未曾有の大恐慌に突入したのだが、不況がリンドバーグの許には複数の会社からの顧問料に加え、講演料まで入ったのである。
この年、リンドバーグはアン・モロー嬢と結婚した。アンはパイロットとしての技術を身につけ、リンドバーグと共に空を飛んだ。さすがに空までは騒々しい記者達も追って来れまいと思ったのだろうか...。
1932年3月1日、アメリカの国民的英雄の飛行家チャールズ・リンドバーグ家に突然不幸が襲う。雨の晩、ニュージャージー州の自宅から、1歳7ヶ月になる赤ん坊チャールズ・リンドバーグ2世が誘拐されるという大事件が発生したのである。ベビールームの窓には「子供を返して欲しくば、5万ドルを用意しろ!」の紙切れが残っていたのだが、その脅迫状には初歩的なスペルミスが見つかった。このことから犯人が英語に不慣れな移民と推定された。また窓下には手製の稚拙な造りの梯子と犯人らしき者の足跡があった。
犯人からは第三者の医師を通して接触があった。その後、犯人から証拠の寝間着が送られてきた。同時に身代金は7万ドルに引上げられていた。
発生から約1ヵ月後、リンドバーグは連絡係となった医師に同行して身代金を渡した。犯人は引換えに赤ん坊の場所を教えた。「マサチューセッツ海岸沿いのボートの中にいる。」と...。リンドバーグは急行した。しかし赤ん坊はおろか、ボートなども無かった。
その約1ヵ月後、自宅近くの森の中で不自然な土の盛り上がりが発見され、ほんの浅く埋められた赤ん坊の腐乱死体が見つかった。予期してはならぬ最悪の結末...それはリンドバーグ2世だった。検視の結果、誘拐直後の夜に頭を強打されて殺されたものと判明した。リンドバーグは怒り悲しみ、国中が同じ状態となった。
それでも強欲なマス・メディアは大衆を惹きつける格好の材料と見做した。あろうことかリンドバーグと妻アンの悲しみを謡ったレコードまで発売されたのだ。ハーストの新聞社も攻勢に出た。リンドバーグの怒りを買ってまで、息子チャーリーの腐乱した死体を撮影したのである。この一連の社会現象は利益優先主義の歪んだ実態を暴露している。悲惨な誘拐事件も金儲けの材料にしかならず、またそれを許すのが商業主義なのだ。
一方、身代金はリンドバーグが知らぬ間に全て番号の控えが取られていた。これが犯人逮捕のきっかけとなった。忌まわしき誘拐事件から2年半が過ぎた1934年9月19日、元ドイツ軍兵士上がりの大工リヒャルト・ブルーノ・ハウプトマンが、身代金の番号と一致したお札をガソリンスタンドで使ったことにより、新たな展開を見せる。
警察はすぐハウプトマンを逮捕し、家宅捜査を行った。そして彼のガレージから約1万ドルの身代金そのものが発見されたのであった。更にハウプトマンの戸棚の裏には身代金の連絡係となった医師の電話番号が書かれてあった。考えてみれば、大工ならば梯子も簡単に造れる...。怪し過ぎる!
だがハウプトマンは無実を主張した。「大量の金は詐欺師から取り返したものだ。」と弁明するのだ。しかしその証言には信憑性も説得力もなく、彼の状況は日に日に悪化していった。ハウプトマンは不法入国者であり、犯罪歴もあったのだ。
このような経緯の上で1935年1月、リンドバーグ愛児誘拐事件の裁判が始まったのだが、有罪は初めから決まっていた。何故ならアメリカがそれを望んでいたからである。ここで40もの新聞社を所有するハーストが恐ろしい陰謀を企てた。被告人ハウプトマンの妻アンナに弁護士費用を出す見返りに、独占取材を申し出たのである。だがハーストが雇った弁護士は、およそ勝つ見込みのないアルコール中毒者だった。ハーストの目的はハウプトマンを確実に有罪に持ち込み、大衆を喜ばせては自社の新聞を買わせることだけだったのである。
同年2月、裁判はハウプトマンの無罪主張が詳しく再検討されることもなく結審した。誰もが期待し、予想した通り、ハウプトマンは第一級殺人で有罪となる。翌36年4月、彼は電気椅子で処刑された。こうしてリンドバーグ愛児誘拐事件は一件落着したかのように見えた...。
処がその後、ハウプトマンは冤罪だったのではないかという噂が流れた。冤罪説を主張する本も多数出版されたほどだ。
今でもハウプトマン冤罪説は根強い。証拠が出来過ぎているのだ。ベビールームの下で発見された足跡とハウプトマンの足のサイズは一致しない。またハウプトマンの指紋は現場からは一切発見されていない。手製の梯子は粗悪な造りだったが、仮にも大工なら、もっと上手に造れるのではないだろうか?
その後、ハウプトマンの話した詐欺師は実在し、彼が騙されていたことも事実と証明された。更にハウプトマンは成功者であり、金には一切困っていなかったことも判明した。戸棚の裏の医師の電話番号に関しても、わざわざそんな所にメモする者は常識的にいないだろうし、第一、ハウプトマンの家には電話が無かったのだ。不自然な点がどんどん出てくる...。
真相の解明、或いは真犯人の究明はともかく、この誘拐事件は思わぬ副産物を生んだ。管轄が幾つかの州に跨っている誘拐犯行は連邦犯罪としてFBIの介入を許可する、所謂「リンドバーグ法」が制定されたのである。誘拐された者に危害が加えられた場合には、犯人はほぼ死刑の適用、身代金要求の手紙を送っただけで最高20年の禁固刑となり、誘拐の罪は一挙に重くなった。しかしいくら刑罰が重くなろうとも、誘拐犯は怯まず犯行が根絶するとは到底思えない...。
そうとは言え、リンドバーグ夫妻にしてみれば忸怩たる思いがあっただろう。それに大衆から浴びせられる好奇の視線や言動はマス・メディアを潤すだけだった。リンドバーグ夫妻には落ち着く居場所が無かった。こうしてリンドバーグと妻アンの二人は失意のうち、アメリカを去っていく...。
再び話を映画『オリエント急行殺人事件』に戻す。“灰色の脳細胞”で見事に殺人事件を推理したポワロであったが、確証となる証拠は無かった。しかし復讐の鬼と化した12名は犯行を認めたのである。本来なら自主を勧めるのが青銅であるが、復讐者12名の意を汲んだポワロは2つの推理案を提唱し、後始末を盟友ビアンキに依頼した。ビアンキはもう一つの案、即ち殺人者は外に出て逃亡したという推理を選んだ。ポワロに異存はなかった。12名は互いに抱擁し、ワインで乾杯した。
この映画でアカデミー賞助演女優賞を受賞したイングリッド・バーグマンの役柄はスウェーデン出身の宣教師である。前述したが、ミステリー映画の魅力は謎解きにある。しかし『オリエント急行殺人事件』のトリックはあまりにも有名過ぎて、ミステリー・ファンなら誰もが知ってる。ならば何処に主題を置くべきか?
映画の最後に「法による正義の実現が叶えられない時、自力救済は是か非か」という命題が顔を出す。この場合、キリスト教で言う“赦しを請う”ことが妥当であるかどうかに対して、ポワロが回答を出す。陰々滅々とした殺人事件なのに心が洗われたようだ。怨恨の果ての計画的犯行...そこに人間としての当然の感情が存在することに罪悪感はなく、殺人は起こるべくして起こったという納得がいく展開に、妙な安堵を覚える。
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