弁財天と水神の祭り
春の彼岸が近づくと各地より桜の開花の報せが届くようになる。
ただ三月は、旧暦ではまだ二月(卯)であり、本来の「上巳の節供(雛祭)」は、旧暦の三月(辰月)に行われるため、水がぬるみ、歌にあるような桃の花の咲く「桃の節供」と呼ぶには旧暦の三月のほうがふさわしい気候だ。
関連行事として、田植え前の予祝行事や、川遊びや山での「水」に纏(まつ)わるものが多い。
佐賀県、神崎市の仁比山神社の「御田祭」は、13年毎の申年の四月、初申の日から、次の申の日までの13日間に渡って行われる。
「仁比山神社」は山王さんといわれ農業神としての大山咋神が祀られていますが、他にもこの季節には背振山や他の小高い山で水神としての「弁財天」を祭ってそこで飲食をしたり土をもらってきて田圃に供えたりします。
13日間という日数と「申」との関わりを考えると、三月は寅・卯・辰の春の終わり(季春)であり、五行では木気の終わりでもある。辰月は、春の土用を含んで四時巡行、季節の転換を動かす大切な月です。
「辰」は、水が温み二枚貝の口を開けた解字であり、農耕に大切な雨や水にかかわるもので、十二支の三合では「申子辰」はどれも「水」となっていて水庫でもある。
流し雛や、川遊びなど水辺にかかわる祭りが多いのも頷ける。申は水の始まりのために、申年の申の日はまさに水の祀りを行うにはふさわしい日程のようだ。
また四月の四と開催日数の13は、何れも金気の数であり、五行では金生水となり、「水」を生む数となる。
この季節に弁財天を祀っているのは、今では琵琶を抱えた姿から妙音や芸事の神様とされていますが、元来は、サンスクリットではサラスバティ(河川の神)のことであり、インド神話では太陽女神ともいわれた。
こうして農耕、特に田植えにとっては水や日照は大切なものとして弁財天を「水神」として祀るのは合理的なことだ。
また水は、風水に於いても「蔵風得水」というように「財」を意味することから、財産や商売、豊穣の象徴としての霊験に繋がるものでした。
何れにしてもこの辰月の神事は、「水」と「農事」にかかわる祭りが多いことが分かります。
申子辰は水の三合であり且つ4、9、13は、どれも金気の数であるために「金生水」の水の祖神としての弁財天を河川の神として農事の祭りに取りいれた。
次に「辰月」は、古代科学の筆頭であった「易」の卦において「沢天夬(たくてんかい)」とあり、高いところより水が溢れて下のものに恵みをもたらす象となっている。旧暦3月のことである。
これにより小高い山に弁財天を祀ること、そしてその山に水をもとめて神事を行うことは理に適っているように見える。
また辰月が「沢天夬」の卦であるなら、沢(兌)卦はそのまま少女、悦び、言語(弁)を表すために、「沢天」=「弁天」そのものであり、祭日が巳の日となるのは、巳は金気のため五行相生の「金生水」に由来するものだろう。
今日、何気なく古い習俗として忘れ去られようとしているものにも、本来は暮らしの科学として五穀豊穣を願う周到な理による伝承も多い。
ただ三月は、旧暦ではまだ二月(卯)であり、本来の「上巳の節供(雛祭)」は、旧暦の三月(辰月)に行われるため、水がぬるみ、歌にあるような桃の花の咲く「桃の節供」と呼ぶには旧暦の三月のほうがふさわしい気候だ。
関連行事として、田植え前の予祝行事や、川遊びや山での「水」に纏(まつ)わるものが多い。
佐賀県、神崎市の仁比山神社の「御田祭」は、13年毎の申年の四月、初申の日から、次の申の日までの13日間に渡って行われる。
「仁比山神社」は山王さんといわれ農業神としての大山咋神が祀られていますが、他にもこの季節には背振山や他の小高い山で水神としての「弁財天」を祭ってそこで飲食をしたり土をもらってきて田圃に供えたりします。
13日間という日数と「申」との関わりを考えると、三月は寅・卯・辰の春の終わり(季春)であり、五行では木気の終わりでもある。辰月は、春の土用を含んで四時巡行、季節の転換を動かす大切な月です。
「辰」は、水が温み二枚貝の口を開けた解字であり、農耕に大切な雨や水にかかわるもので、十二支の三合では「申子辰」はどれも「水」となっていて水庫でもある。
流し雛や、川遊びなど水辺にかかわる祭りが多いのも頷ける。申は水の始まりのために、申年の申の日はまさに水の祀りを行うにはふさわしい日程のようだ。
また四月の四と開催日数の13は、何れも金気の数であり、五行では金生水となり、「水」を生む数となる。
この季節に弁財天を祀っているのは、今では琵琶を抱えた姿から妙音や芸事の神様とされていますが、元来は、サンスクリットではサラスバティ(河川の神)のことであり、インド神話では太陽女神ともいわれた。
こうして農耕、特に田植えにとっては水や日照は大切なものとして弁財天を「水神」として祀るのは合理的なことだ。
また水は、風水に於いても「蔵風得水」というように「財」を意味することから、財産や商売、豊穣の象徴としての霊験に繋がるものでした。
何れにしてもこの辰月の神事は、「水」と「農事」にかかわる祭りが多いことが分かります。
申子辰は水の三合であり且つ4、9、13は、どれも金気の数であるために「金生水」の水の祖神としての弁財天を河川の神として農事の祭りに取りいれた。
次に「辰月」は、古代科学の筆頭であった「易」の卦において「沢天夬(たくてんかい)」とあり、高いところより水が溢れて下のものに恵みをもたらす象となっている。旧暦3月のことである。
これにより小高い山に弁財天を祀ること、そしてその山に水をもとめて神事を行うことは理に適っているように見える。
また辰月が「沢天夬」の卦であるなら、沢(兌)卦はそのまま少女、悦び、言語(弁)を表すために、「沢天」=「弁天」そのものであり、祭日が巳の日となるのは、巳は金気のため五行相生の「金生水」に由来するものだろう。
今日、何気なく古い習俗として忘れ去られようとしているものにも、本来は暮らしの科学として五穀豊穣を願う周到な理による伝承も多い。