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法隆寺創建の謎
法隆寺は現存する世界最古の木造建築と言われていますが建立年は不明となっています。
先般の各新聞社のニュース(2001.2.21)では「法隆寺五重塔の心柱は年輪年代法で測定して、伐採されたのは594年と確定できた」と報道されていましたが、それから十数年で建立されたと思うのは、ごくごく自然な理解と思いますが(建立するためにこそ伐採されたはずですから)その法隆寺創建の謎を語ります。
日本書紀に「天智九年(670年)夏四月三十日、暁に法隆寺に出火があった、一舎も残らずに焼けた」との記述があります。五重塔も金堂も中門も回廊も、数々の仏像も燃失したと思われます。・・・が、「釈迦三尊像」はこの際に、運び出され災禍にあわずに済んだとされています。
ですが、「本当に一舎も無く焼け尽きていまう程の暁の火災に、あの金銅仏でもある釈迦三尊像は持ち出せたのか?」という疑問が生じます。
そして、法隆寺西院南東に若草伽藍といわれている礎石のみを残す遺跡に今にその痕跡を残しています。その遺跡の一角に乗っかる形で再建されて世界最古の木造建築である、現法隆寺伽藍が建っています。
ところが、2001.2.21に「法隆寺五重塔の心柱は年輪年代法で測定して、伐採されたのは594年と確定できた」と各新聞社を通じて発表されました。
その結果、従来から言われてきた法隆寺焼失(670)後再建説は成立不可となり、その説に代えて「法隆寺は移築された」とならざるを得ません。ここに、7世紀初頭に創建されたであろう現法隆寺の移築元はどこからか?との疑問も又生じるわけです。
日本の歴史書である「日本書紀」に、国家プロジェクトともいえる、この法隆寺の創建の記載がありません。日本書紀編者が創建の事実を知らなかったり、書き忘れたとも思われませんから、書いてないことに何らかの意味があるかもしれません。
推古元年(593)
①春一月十五日仏舎利を法興寺の仏塔の心礎の中に安置した。十六日塔の心柱を建てた。
②この年、はじめて四天王寺を難波の荒陵に造りはじめた。・・・・・とあるように寺院建立の記載があるにもかかわらず、法隆寺出火(670)の記事があって、法隆寺建立の記載がない。不思議なことです。
これに先立つこと『日本書紀』祟峻天皇元年(588)
A:「百済が使いに合わせて、僧恵総・令斤・恵□らを使わせて仏舎利を献上した。
B:百済国は恩率首信・徳率蓋文・那率福富味身らを使わせて調を献上し、同時に仏舎利と僧の聆照律師・令威・恵衆・恵宿・道厳・令開らと寺院建築工太良未太・文賈古子、露盤博士の将徳白味淳、瓦博士の麻奈文奴・陽貴文・崚貴文・昔麻帯弥、画工白加を奉った。」との記述がありますが仏師の記載がない。又、仏舎利献上は重複した記事となっています。
この重複記事は百済から倭国(九州王朝B)へのルートと百済から日本国(大和王朝A)に渡来したグループがあったとする別々の原資料があったのではないか、それを日本書紀編纂者はその際、百済王の名前を伏せて(年代を伏せる意味で)、祟峻天皇元年(588)に一括挿入して記していると推定することが出来ます。
・・・なぜか?日本書紀の完成が急がれたから、と言うか遅れを取り戻そうとしたからでしょう。
百済王○○が△△を使わせて××を献上(奉る)した。
○○:王の名前
△△:使者の名前
××:目的物等
このようになっていることが本来の文構成だと思います。
例えば「欽明12年(552年)冬10月、百済の聖明王は西部姫氏達率怒[口利]斯致契らを遣わして釈迦仏の金銅像一躯・幡蓋若干・経論若干巻を奉った」という風に。
日本書紀では、上のAやBのように、外交交渉上の相手国の「王名」が書かれていない(名前を伏せて)ケースがままあります。この様なケースは注意が必要です。
いずれにせよ、隋による南朝の陳滅亡(589)を受けて、仏舎利を入手して、五重塔の建立計画が着々と進んでいく様子が覗えます。
法隆寺の本尊でもある、釈迦三尊像には光背銘があり、その解読にあっては本ブログでは「多利思北孤は上宮法皇」に記しています。
すなわち、
多利思北孤≠聖徳太子
聖徳太子≠上宮法皇
多利思北孤=上宮法皇
であり、移築前の法隆寺は「聖徳太子」の寺とするものではありません。
上の立場と言うか見解からすれば釈迦三尊像に年号の法興元とあるように、法隆寺の創建時の寺名は法興寺ではなかったか?とも思えますが法隆寺心柱の伐採年と創建記事に一年のズレがあり、推古四年(597)冬十一月法興寺が落成していることからも一致しません。
・・・本稿のテーマは594年に伐採された心柱を持つ五重塔は法隆寺焼失後から平城京遷都までの間に「釈迦三尊像」と共に九州王朝領域から移築されたとするものです。
更に云えば多利思北孤の都した筑紫にこの原法隆寺は建立されていたってことです。
そこを探す事が今後の課題です。
続く・・・
参考文献
『法隆寺の中の九州王朝』古田武彦著:朝日新聞社
『法隆寺は移築された』米田良三薯:新泉社
『日本の歴史 2 古代国家の成立』直木孝次郎 中公文庫