6434人の命を奪った阪神・淡路大震災から今日で20年。

 この間、町は生まれ変わり、神戸市の人口は震災前を上回った。かつてのにぎわいが戻らない地域もあるが、人々の営みは息を吹き返したようにみえる。

 だが、記憶が遠くなるにつれ、少しずつ「慢心」が忍び寄ってはいないだろうか。

■風化を防ぐ

 神戸市では、震災後に誕生・転入した人が、住民の4割を超えた。兵庫県民2200人を対象にした昨年の県の調査によると、住んでいる地域が「安全」だと思う人は7割近くに達し、約65%が「地域の防災訓練に参加したことがない」と答えた。

 東日本大震災を経てもなお、「阪神」の被災地でさえ、災害への構えが緩みつつある。

 風化を防ぐにはどうすればいいのか。ヒントになりそうな地域が神戸市にある。

 東灘区魚崎地区。昔ながらの人情が残るところだ。

 先週土曜日、寒風が吹きつけるなか、200人近い住民が小学校の運動場に集まった。Tシャツや毛布で作った簡易担架でけが人に見立てた人を運んだり、消防署の職員から消火器の使い方を学んだり。

 魚崎地区では震災の2年後から、ほぼ2カ月に1度、こうした訓練を重ねている。なぜ息長く続けられるのだろう。

 地区のリーダー役、清原孝重さん(65)の答えは明快だ。

 「次の災害への危機感です」

■土手の花見

 兵庫県の想定では、南海トラフ巨大地震があれば、魚崎地区のある東灘区には最短110分で最大3・3メートルの津波が到達するとされる。具体的な災害が迫っているという意識の共有が防災活動の原動力だというのだ。

 「阪神」では、がれきの中から助けられた人の約8割が家族や近所の人によるものだった。消防は同時多発する火災や救助要請で大混乱し、道路も寸断されて身動きがとれなかった。「公助」の限界である。

 清原さん自身、全壊した家の下敷きになり、近くの人に救われた。「結局、頼りになるのは『ご近所力』」。経験に裏打ちされた清原さんの言葉は重い。

 とはいえ、災害に備え続けるのは容易ではない。ならば普段の生活や地域活動の中に防災を組み入れてはどうだろう。

 「土手の花見の防災」という言葉がある。こんな逸話がもとになっている。

 ――むかしあるところに、決壊を繰り返す川があった。いくら工事の必要性を訴えても村人は集まらない。そこで、知恵者が土手にたくさんの桜を植えた。春になり、大勢の花見客が土手を踏み固めることで、堤防の強化につながった……。

 魚崎地区では、訓練のたびに炊き出しをして交流を深めてきた。毎年2月には餅つきをし、体の不自由な人やお年寄りの家を回って餅を配る。その際「お変わりありませんか」と声をかけ、「要援護者リスト」を更新している。町おこしを防災につなげている好例といえよう。

■学校の役割

 日本は世界でもまれな災害大国である。

 文部科学省の地震調査研究推進本部によると、今後30年以内にマグニチュード(M)8~9級の南海トラフ地震が発生する確率は約70%。首都圏に甚大な被害をもたらす恐れのあるM8級の相模トラフ沿いの地震も、今後30年以内に最大で5%、M7程度なら約70%の確率で起きると予測されている。

 地震だけではない。噴火、台風、土砂崩れ。災害はいつ、どこで起きてもおかしくない。

 ハードで守るには限界がある。それは「想定外」の津波が堤防を乗り越え、町をのみ込んでいった東日本大震災の例を見ても明らかだ。

 やはり「防災力」を高めるしかあるまい。

 重要なのは、学校の役割だ。

 大津波に襲われた岩手県釜石市の小中学生は率先して高台に逃げ、約3千人のほとんどが助かった。「釜石の奇跡」と呼ばれるこの結果は、「被害想定を過信するな」という事前学習のたまものだった。

 防災は、社会や理科などで触れるよう学習指導要領で定められている。だが、何をどう教えるか、中身は体系的に整理されているとは言いがたい。

 「命を守る」を原点に、住んでいる地域が経験した災害の歴史やリスクに触れてみる。すべての子がこうしたことを学べば、家庭で話題になり、共に考えるきっかけにもなる。

 地域の拠点として、学校を機能させることも大切だ。

 少子化がすすみ、空き教室を抱える学校は多い。たとえばこうした場を活用し、普段から学校が地域の「たまり場」になれば、人と人とのつながりも生まれやすくなるだろう。

 災害に強い国にするために、準備を急ぎたい。被害をゼロにはできない。しかし「減災」ならすぐにでも始められる。