・すみません。
・やらかくなってきた。
・危なっ。
(ナレーション)
豪雨災害があった兵庫県丹波市でお寺に流れ込んだ土砂をかき出しているのは兵庫県立舞子高校の生徒たちです
・落とし方も気ぃつけてね。
石とか入っとうし…。
舞子高校には日本でただ一つ防災を専門に学ぶ環境防災科があり生徒たちはこうしたボランティア活動にも積極的に参加しています
ふだんからスコップ使い慣れてないのもあるけどなかなか作業うまくいかなくって今ずっとこう前向いてやってるからすごい腰も痛くなってくるしすごい大変だなって思います。
環境防災科は阪神・淡路大震災をきっかけにして生まれた学科です
(スタッフ)阪神とこう…なんかつながってるって感じしますか?こことが。
そうですね…まあ阪神のときは僕生まれてなかったんでなんも知らないんですけど災害っていうところやったらやっぱつながってると思いますし長田の方だったら火災とか…こっちも水害で全然ジャンルとしたら違うかもしれないんですけどやっぱりつながってるとこはあると思うんで。
僕まだそこを見つけれてないんですけど…。
20年前1995年に発生した阪神・淡路大震災では地震による家屋の倒壊や火災の発生などで6434人もの命が奪われました
しかし震災に備え十分防災に取り組んでいたら助かった命も多かったということが今では分かっています
20年がたち今あの震災を知らない世代が災害と向き合いその体験を広く伝えることに取り組んでいます
阪神・淡路大震災から未来へ
戸惑いながらもさまざまなことを学び取っていこうとする高校生たちの姿を見つめました
兵庫県立舞子高校は神戸市の西部にある垂水区の丘の上にあります
兵庫県立舞子高等学校入学式を行います。
2002年に舞子高校に設置された環境防災科に今年度も新たに40人が入学してきました
新入生たちが生まれたのは1998年か99年
阪神・淡路大震災が起きたあとのことです
(スタッフ)阪神大震災のことをね誰からどんなふうに聞いてます?えっと…祖母からたんすが倒れて腰に当たってもうほんま大変やったって聞いてます。
家族が被災してるんで家族から聞きました。
家がそんなに大きく壊れたわけではないんですけどトラックが突っ込んできたみたいな音がして食器棚が倒れたりしたっていうのは聞きました。
(和田さん)人の役に立つことがしたかったから舞子の環境防災を…早い。
(生徒たち)ふふふっ。
(和田さん)舞子の環境防災科を選んだ人!
(和田さん)今の子たちが15歳ですから震災5年後にあの子たち生まれてるんですね。
で中学校1年のときに東日本大震災があってそのときにやはりテレビでもいろいろとボランティアの活躍であるとか専門家の救助隊の活躍であるとかそういうのをいっぱい映してくれましたよね。
あれを見てやはり心動かされたんではないかなと。
自分も何か役に立ちたい。
災害のときに何か人の役に立ちたい。
勉強したい。
そうなって本校の環境防災科を志望した子も多いと思います。
・来い!・ちょっと危ないなと思ったら来い。
ステイ。
こういった捜索とえ〜っと…。
環境防災科のテーマは大きく分けて…
この3つです
ワンワンワン
(生徒たち)はははっ。
1年生の「災害と人間」の授業ではさまざまな外部講師を招いて阪神・淡路大震災がどのような震災でそれ以降どのような対策が取られてきたのかを学んでいきます
(生徒)俺も食いたい。
(生徒)ちょっと食いたいな。
20年前の阪神・淡路大震災では水道をはじめ電気ガスなどのライフラインが止まり復旧までの間生活に大きな支障が出ました
番号と番号を合わしていくと上手に…。
この日は「災害に強い水道づくり」というテーマで神戸市水道局から講師を招きました
災害が起きたときに地下水などをくみ上げ給水できるよう装置の組み立ての指導を受けます
両親や先生からライフラインが止まったりしてすごく苦労したって話を聞きました。
(スタッフ)どんな…具体的にどんな苦労したと?お風呂がなかったから全然入れなくてすごい汚くて気持ち悪いっていうのもあったし水がないことによってトイレとかも流せなかったので近くの湧き水とかをくみに行って周りの人と協力し合って生活していたと聞きました。
そう話す環境防災科1年の新山琴音さん
中学で進路を決める際に舞子高校に環境防災科があるのを知り自分の知らない新しい世界に出会えたらと入学を決めました
神戸市垂水区の生まれですが震災と聞いて思い浮かべるのは阪神・淡路大震災よりむしろ東日本大震災だといいます
(京子さん)1番かい食べるん。
新山さんの家は両親と弟の4人家族です
20年前の阪神・淡路大震災当時両親はまだ結婚前でそれぞれ住んでいた家が一部壊れるなどしました
(スタッフ)ご両親からはね震災体験とかそういうことを琴音さんにはどういうふうにこれまで伝えてこられたかあるいは伝えてこられなかったか。
(京子さん)はははっ…。
(哲也さん)まああんまり詳しくは言ってはないですねそれは。
(京子さん)まあ本人がね環境防災科で勉強してる際にやはり調べなきゃいけないこととかあって聞かれたら答えますけど実際私たちからこんなんやったあんなんやったっていうのはあまり言ってないですね。
震災体験はどちらかといえば記憶にとどめておきたくない出来事でしたが娘が環境防災科に入ったことで思い起こすことも増えました
(京子さん)私ら…なんやろね?三宮の方とかもうすごいことになってたから。
(新山さん)ママ何しとったん?
(哲也さん)当時全然…もう交通がアウトやから車ですら向こうにも行けんかった状態や。
で行こうと思っても…こう今やったら2号線ず〜っと走ったら行けるけど迂回迂回迂回っていう形で…。
(京子さん)高速ひっくり返っとってん。
(哲也さん)道が閉ざされた状態や。
え〜っと東灘行くのに7〜8時間かかったからね。
(新山さん)そんなにかかるん?
(哲也さん)前行けへんねんもん渋滞渋滞で。
(京子さん)そこまで行くのに必死。
リュック背負って行ったような記憶があるんで。
う〜ん…なんかまあ頭巾はかぶってないけど。
防空頭巾みたいなんはかぶってないけど帽子はなんせかぶってマスクしてリュック背負って行ったんですよね確か。
空気悪いからね粉じんとかで。
(スタッフ)環境防災科のおっきなテーマの一つが「語り継ぐ」ですよね。
それどうしたらうまくできそうですか?まあこういうなんか…両親から話を聞いたりとか祖父母も経験してるんで経験した人から話を聞いたりとかあとは本を読んだりテレビとかビデオを見たりとかしてもっと阪神・淡路大震災を知ることが大切だと思います。
(一同)舞子高校のおにいさんおねえさん!
(生徒たち)は〜い。
新山さんはこの日環境防災科の先輩やクラスメートたちと兵庫県西宮市にある特別支援学校を訪れました
ドンドンドン…
(新山さん)危ないから机の下へ逃げよう!
(新山さん)怖いな…。
聴覚に障害がある子供たちに地震や津波が起きたときの防災について伝えるボランティア活動です
ああ〜よかった。
机の下に逃げていたからケガせずに済んだよ。
(生徒)頭を守ろう。
(一同)頭を守ろう。
(生徒)頭を守ろう。
(一同)頭を守ろう。
(生徒)あっ津波だ!津波来た。
来た来た。
災害が起きたときにどのような行動をとればいいのか
子供たちに学んでもらうだけでなくそれをうまく伝えるにはどうすればいいかを生徒たちも学んでいきます
(生徒)あれ?誰もいないなぁ。
(一同・「うさぎとかめ」の替え歌)・もしも地震が起きたなら
新山さんはこれまで人の前に立つのが苦手な性格でしたが環境防災科でさまざまな活動をするようになって自分がだんだん変わってきたと感じています
(生徒)できた人!
(子供たち)はい〜!・ありがとうって。
ありがとう。
ありがとう。
(新山さん)ボランティアに行っても前に立って伝えることってすごい大切だなって思うようになって身振り手振りをしたりとかそういうのができるようにならないととか思うようになりました。
でまたみんながそういう気持ちで頑張って積極的にやるんで自分も負けてられないなっていう感じでなっています。
・「さしてる」よりは「させてます」の方がいいかな。
「させて」…。
県立舞子高校には各学年に1組から7組まであります
どの学年も7組が環境防災科のクラスでそれ以外が普通科のクラスです
・「狐を得るに狐曰く」。
はい。
(生徒たち)「狐を得るに狐曰く」。
・「子敢えて我を」…。
環境防災科ではこうした一般科目が全体の3分の2残り3分の1が防災を専門に学ぶ科目です
3年間クラス替えがないのでクラスメートの結束も強まります
(スタッフ)普通科の子から見て環防ってどんなん?ああ〜地震とかそういうことよう知っててすごいかっこいいと思います。
(スタッフ)かっこいい?校外学習が多い。
(スタッフ)ああ〜。
普通科はあんまりないの?いろいろボランティアに行ったりとかいろんないいことしてるなって思う。
(スタッフ)普通科のあなたから見たらどんなんですか?ああ〜私もボランティアに行ってみたいんで羨ましいなって思います。
(スタッフ)そうですか。
1年生で阪神・淡路大震災についてかなりの知識を得ました。
そしてその子たちが今度は防災という広い視野でいろんな勉強をしていきます。
例えばそれが国際交流であったりそれから町づくりであったり心のケアであったりそういったことを2年生では学んでいきます。
神戸市長田区にあるJR鷹取駅前に集まったのは環境防災科の2年生
校外学習で長田の町を歩き震災で大きな被害を受けた町の復興について学びます
・学んで帰って自分の地域に生かすっていう…。
(河合さん)じゃあいいですか?ええ〜そしたらね集会所でビデオ見ていただくんですけど…。
案内役は地元に住んでいて長年震災復興の町づくりに関わってきた河合節二さんです
(河合さん)ほんとのこの長田区と須磨区の区境で…。
(スタッフ)舞子高校の生徒さんたちにねどういうものを見てもらいたいかっていうこと…。
え〜っとまあ長田南部のいわゆる…震災来年で20年来ますけど長田がどうなってるのか…被害が大きかったエリアが。
我々のところを拠点にしてそこからず〜っとこう新長田の再開発まで見ていただけたら。
それで彼ら彼女らがどう思うのかっていうのを逆に聞いてみたいですね。
(スタッフ)なるほどね。
駅前の通りから路地に入りまず震災後に区画整理された場所を歩きます
(安藤君)こんなんなかったで。
俺めっちゃ感動してるもん今。
出来た。
出来た出来た。
結構ちゃんと公園やん。
(安藤君)そう。
だからここの夏祭りの電気全部うちがやっとってん。
へえ〜。
安藤知貴君
環境防災科の2年生の中でも人一倍この日の町歩きを楽しみにしていました
この地域で祖父が震災前から電器店を経営していて幼い頃よく遊びに来ていた場所だったからです
懐かしい。
懐かしすぎてちょっと感動したわ今。
10年前に祖父の三郎さんは亡くなり経営していた電器店も閉めました
それまでは地区の夏祭りの電気設備を一手に引き受けるなど町にはなくてはならない存在でした
(スタッフ)あの町が大震災でどうなったこうなったっていうのは…そういうのが分かりだしたのはいつごろですかね?小学校に入ったときに阪神・淡路のこととかを勉強する時間があってそのときに長田の町がすごい火事だったっていうのを知ってそのときに家帰ってお母さんにこんな火事があったらしいでって言ったらそこおじいちゃんの店の近くやでっていう話になってそのときに初めてそういうことがあったんだっていうのを知りました。
20年前の1月17日朝地震の大きな揺れによりこの地区では多くの家屋が倒壊し火災も発生しました
東側から迫ってくる火は家々を焼き尽くし地区の中心にある公園でようやく止まりました
安藤君の祖父の電器店は公園の西側だったので火災を免れましたが地区全体で41人が亡くなりました
地区の集会所で当時の映像を見るうち安藤君の表情が変わってきました
阪神・淡路大震災の被害は10市10町に及びました。
駅降りたときはもうまずすごい懐かしい気持ちになってどの辺やったっけって感じでこうやって探したりとかしてて歩きながら最初はただただ懐かしい気持ちしかなくて。
でこう…ビデオ見せてもらったときにふと今の自分に戻って懐かしいとかがなくなってああここはこんなことがあったんだ僕が生まれる前はこんなに大変なことがあったんだっていうのをちゃんと理解して気付いてそっからは環境防災科としての目であったり学んできたことを思い出しながら歩きました。
向こうからね火が出てず〜っと西へ西へこっちの手前の方へ来てまあ結果的にはこの公園のとこで火が止まった。
でねこれもね火であぶられてるんですよ木が。
ここも真っ黒けに焦げててね。
で震災後に樹木医さんまあ木のお医者さんが来られてボランティアで。
でその焦げた所を全部ぎ取って薬を塗ってくれた。
まあそのおかげでこうやって元気に青々となってるっていうそんな状態です。
震災前は木造家屋が密集して建ち消防車が入れない路地が入り組んでいました
震災後区画整理や町並みの整備を通して道幅を広くし防災公園を造るなど1つ1つ住民同士で話し合い時間をかけて災害に強い町づくりを進めてきました
震災から今まででどんなふうに町が変わってあと道路の広さとかもいろいろ変わってると思うんでそういうところを注意して見て…。
えっとへえ〜。
言っとった。
(河合さん)やっぱりね建て替わることによって道が広がる。
あの地震から20年
長田の町は一見普通の町と変わりがありません
しかし路地裏に取り残された空き地やそこだけ狭くなっている道などについて震災を体験した人から話を聞くことで生徒たちは復興の難しさを実感していきます
・はいチーズ。
・カシャ
(シャッター音)・いいですか?・もう一枚いきま〜す。
はいチーズ。
しばらくして河合さんのもとに環境防災科の生徒たちが書いたレポートが届きました
(河合さん)気になったところですねそういうのをこう目印付けて。
(スタッフ)はあ〜。
自分たちが歩いた長田の町がかつては焼け野原だったこと
そして20年かけて災害に強い町に生まれ変わったことが強く印象に残ったようでした
もともとがそういう木造密集でね高齢者しかいないとかね言われてた町なんですよ。
それが震災によってすべてなくなってしまって逆にさら地の状態とかから一からスタートする形になったわけですよね。
当時からやっぱり自分の生まれ育った町を見てみたいというね好奇心それがずっと続けることができたというのがよかったと思ってます。
ちゃんと「祖父の店」って貼ってますね。
レポートの中には安藤君が書いたものもありました
自分も将来地域のリーダーとして災害に強い町づくりを進めていきたいという決意がつづられていました
(スタッフ)どういうふうに自分の中では阪神・淡路大震災っていうのが今ありますか?そうですね高校入るまではすごい自分にとっては遠いことだしなんも関係ないことだって思ってたんですよ。
ただ僕の住んでる所であった。
そこで終わってたんですよ。
でも環境防災科に入ったから阪神・淡路大震災がすごい近い関係になったり実際身内がそういった被害に遭ったりとかそういう被害の大きかった所で店やってたりいたりしたのでそういうことも考えたらすごい…僕にとっては身近なことなんだなと思います。
舞子高校に環境防災科が設置されたのは2002年
すでに10期の卒業生を送り出しています
進路はさまざまですが防災に直接関わる仕事をしている卒業生もいます
(河田さん)阪神・淡路大震災は今日見てもらったらたぶんいっぱい書いてると思うんだけれど6434人の人が亡くなっています。
それでそのうちの…。
環境防災科2期生の河田のどかさん
大学でも防災を専門に学んだあと西宮市にあるNPOさくらネットに就職
現在は神戸市にある人と防災未来センターで防災教育を広めるプログラム作りの仕事を任されています
(河田さん)それを実践する中で…。
この日は母校・舞子高校の環境防災科にも外部講師として赴き後輩たちに仕事への熱意を語りました
(河田さん)自分たちだけが知っていることを伝えたり教えたりするだけだったら防災って広がらへんねやって思いました。
子供たちと直接やるだけでは広がらない。
いずれこう…教育の現場に行く子たちとか今保育士として子供たちに関わってる人とか子供たちを日常ず〜っと守ってくださってる家族とか両親とかそういう人たちにも広〜く伝えていかないと…。
いや〜成長したなって思いましたね。
もともとまあようできる子で高校3年生のときにはほんとに前でしゃべらせても全然恥ずかしくなかったんですね。
高校生離れしてました。
でも今日の話聞いたらねほんとにこなれてる。
優しい。
人間味が出てきてますね。
すごく聞きやすくなってる。
はい。
阪神・淡路大震災は河田さんが小学校2年のときに起きました
祖父母の家が全壊し保育園で世話になった先生が亡くなりました
つらい体験でしたが震災と向き合っていこうと決め舞子高校の環境防災科に入りました
それが今の仕事につながっています
難しいな。
体験してる体験してないに関係なく伝えたい気持ちとかつなげていきたい気持ちがあったら誰にでもできることなのでそれぞれに役割自分で見つけてなんかまあ…やっていってくれというよりも一緒に取り組んでいきたいなと思います。
環境防災科の歩みを語るとき忘れてはならない人物が…
去年3月に舞子高校から転任となり今は県内の別の高校で教えています
諏訪先生は「語り継ぐ」「被災地に行く」「地域で動く」の3つを実践し環境防災科の基礎を築きました
阪神・淡路大震災の継承っていうことで何が起こったのかをきちんと学んでいくっていうこととそれから学んだことを基にして地域に貢献していく部分と。
それから3学年が初めてそろったのが2004年ですけれどもあのときは台風23号の水害それから中越地震2007年の能登半島で2008年の四川2009年の佐用町。
ずっと災害続いてますからやっぱり環境防災科としてはそういう所に出向いていってボランティアをさせていただくっていう活動の部分とが自然に入ってきたのは…やっぱり流れ的にはそうだと思いますね。
(諏訪さん)
東日本大震災が起きた2011年の4月には宮城県石巻市を生徒と共に訪れ学校の清掃や泥かきのボランティアも行いました
(諏訪さん)日本におったら災害に関心持たなあかんねん。
なんでや?さっき誰か温暖化の話してくれたけど温暖化も災害に関わるし自然現象そのものが全部災害と関わる。
地球に住んでたら地球の営みすべて…。
舞子高校から転任したあとも兵庫県内の高校生や中学生を対象に行われる「防災」がテーマの合宿で諏訪先生はメッセージを伝え続けています
(諏訪さん)というふうな話があんねんけどそれもそうやんか。
だから知識とか技能をないがしろにして「なんか体験ばっかりしといたらええやろ。
思考力判断力表現力を磨くことだけやっとったらええやろ」じゃなくってまず知識をいっぱい頭に入れること。
簡単に言うよ。
勉強せぇ。
とにかく勉強せぇ。
兵庫の子供たちは支援者として今災害と向き合ってるんですよね。
で支援者…災害と向き合う高校生中学生っていうのはものすごく周りの大人から評価されていく部分があって。
だけどそれは勘違いかもしれないんですよね。
大したこともできてないのになんか大ごとをやったように勘違いしてこう鼻っ柱…鼻息の荒い生徒にはその鼻っ柱へし折ってあげなきゃならないかもしれないし人を支援するとかそういうことっていうのはやっぱり災害だけじゃなくていろんな勉強…人間としてのいろんな勉強をして知識も技術も身に付けてそのうえで理解力判断力表現力行動力情報収集力を発揮するわけですからそういった勉強をしっかりしないとだめだよというメッセージなんかも一方ではあの子たちに伝えたいな。
だから「君らはすばらしいんだ」という話をしながらもほんとにすばらしい人間になるためにはまだまだ何もないんだよと。
午前7時前舞子高校に生徒たちが集まってきました
環境防災科のメンバーたち30人です
これから東日本大震災の被災地での交流を目的に現地へと向かいます
(和田さん)そこなんか円が切れてるよ。
3日間ですけれども3日間以上の成果を持って帰りたいと思いますのでみんな自主的に…まあいつもどおり自主的に頑張って行動してほしいなというふうに思っています。
これまでボランティア活動に積極的に参加している新山さんも今回のメンバーに加わりました
1年の新山です。
東北初めてで不安でいっぱいなんですけど自分から動いてより多くのことを吸収して帰れたらいいなって思います。
よろしくお願いします。
(拍手)
目的地は東北・宮城県の石巻市
片道12時間の長い旅です
前日の晩石巻に到着したのは夜の9時過ぎ
震災後交流が続いている県立石巻西高校の合宿所に泊まりこの日は朝から被災地を巡ります
石巻市は津波により死者が3500人以上行方不明者も400人以上という東日本で最も大きな被害を受けた場所です
市の中心部だけでなく北部の北上地区でも津波が川をさかのぼって集落を襲い河口から4キロ離れた大川小学校では児童74人教員10人が亡くなりました
防災を専門に学んではきましたが復興した神戸しか知らない生徒たちが目の当たりにする被災地の姿です
・できるだけ前に詰めてください。
(佐藤さん)「ようこそ大川小学校へ」と私はいつも言っています。
え〜っとあの3.11以来まあこのような学校…校舎になりましたけれどもちょっと大きい写真持ってくればよかったかな。
こういう学校だったということです。
語り部の佐藤敏郎さんは中学校の教師です
震災当時大川小学校の6年生だった娘を津波で亡くしました
(佐藤さん)今皆さんがいる辺りは民家です実は。
3月11日のお話をします。
え〜っと2時46分に3分以上の強い揺れが…。
たぶん…私もそうですけども誰も体験したことのないような強い長い揺れがありました。
あの日校庭で何があったのか…
佐藤さんは語り続けます
(佐藤さん)ここに並びました。
並んだのは6年生5年生4年生3年生2年生1年生です。
なのできちんと小さい子供を真ん中にという。
ねっ。
上級生が両脇にというような並び方をしてそれは素早かったそうです。
ここには来ないだろう…海から4キロありますので。
来ないだろうと思ってましたが…。
地震の発生から津波の襲来まで51分
しかし子供たちが校庭から移動を開始したのは最後の1分でした
なぜもっと早く高い場所へ逃げなかったのか
その理由は今も分からないままです
(佐藤さん)授業中に上っています。
例えば子供たちっていうのは逃げたいと思って勝手に走っていくのがいいのか。
子供たちは先生の指示を…大人の指示を待ってじっとここで寒い中待っていた。
それは間違いじゃないと思うんです俺は。
結果的に目指した方向はあの信号の所なんですよ。
川に向かって行ってしまいました。
しかもそこは民家があります。
民家の裏の行き止まりに行きました。
でほとんどの子はそこで押し潰されています。
うちの娘もそこで見つかりました。
話を聞き終えても生徒たちの心は強く揺さぶられていました
判断ミスとかで…まあミスか分からないけどそういう人の判断によってこういうときには多くの命なくしたりそういうこともあるっていうの分かりました。
最初はテレビで見させていただいてここに来ていろいろ学びたいと思ったんですけど実際来たらほんとに僕らここにいていいのかなって思います。
(スタッフ)ひょっとしていちゃいけないかも?はい。
(スタッフ)それはどうして?流された人たちがいるのになんか僕たちここにいていいのかよく分からない。
まだあんまり分からへんけど自分なりには感じれたこともあるし…。
話聞いて初めて分かったこととかもあるしそれを神戸に持って帰ってどうやって伝えていくかをこれから考えようと思います。
(スタッフ)はい。
ありがとう。
バスに戻っても誰もひと言も言葉を発しません
1年生の新山さんがこのときメモ帳にやっとの思いで書いたのはこんな言葉でした
「もし、あの子らが生きていたら、こんなに大きくなっていたのにと肩をぽんとされたとき、心の中でずきっとした。
肩の重みもすごく、」
4年前の3月11日次の日もまたその次の日も生きていたかった命があった
もし救えていれば自分と同じ高校生になっていた命があった
神戸に帰ってからも新山さんはそのことを考え続けました
佐藤先生は実際に娘さんを亡くされててまあたぶんあの場所に行くことがいちばんつらいと思うんですね。
でもそんな中で自分の娘の話も混ぜつつ私たちに伝えてくれたんですごい気持ち的にはどんなんだったんかは…たぶん想像もつかないほどつらいところもあったと思うんですけどなんていうかその気持ちを私たちは無駄にしてはいけないなっていうのがあって…。
その佐藤先生の話とかをクラスで伝えていかなければって思います。
兵庫県丹波市の市島町は去年8月記録的な豪雨に襲われました
市内226か所で土砂災害が発生し大型ダンプ10万台分の土砂が流れ出ました
しかし同じ時期に起きた広島市の土砂災害の方に世間の関心は向いていて復旧もほとんど手付かずのままでした
そこに舞子高校の環境防災科の生徒たちがボランティアとして入りました
・むっちゃ堅いほんまに。
・こっちかなり堅い。
舞子高校がこの日受け持ったのは山裾にあるお寺の泥かきです
人の命に関わる被害はありませんでしたが本堂や住居の中にまで大量の水を含んだ土砂が押し寄せました
室内の泥は重機では取り除けないのでひたすら人力でかき出します
ボランティアに参加した環境防災科2年の安藤君は実際に被災地で活動するのは初めてです
(スタッフ)こういう泥かきやったのは初めてですか?初めてです。
(スタッフ)どうですか?やってみて。
そうですねなんか思ってた…イメージなんですけどなんかこう…もっと少ないとか結構簡単に出せるんじゃないかなって考えてたんですけど実際やってみたらすごい泥も水分含んでて重たいしこういうあの〜家具とか出すのもすごい苦労するし1個1個汚れてるし使えるやつと使えへんやつを分けろって言われたしどこで分けたらいいか分からへんしっていうとこが難しいとこかなっていうのはあります。
もうほんとにひどいっていうのか被害がこんなそのまま置いてあるような大きなところまあ想像してなかったですね。
でもあそこをね見たときに今日はどうにもならんだろうなと思ってたらいつの間にか半分床が見えてきますからやっぱ人の力っていうのは大きいんだなと。
・とりあえず水分。
水分とってくれ。
炎天下の作業で熱中症にならないよう15分に1回休憩を入れ水分補給
そしてまた作業に戻ります
バケツリレーの要領で土の運び出しもはかどってきました
先生たちも一緒にチーム舞子で作業します
これ抜けたらめっちゃやりやすい。
・よっしゃ最後頑張ろう。
(和田さん)はいあと20分やぞ。
ラスト20分頑張ろう!
午後3時までと決められている制限時間の中で舞子高校の生徒たちは建物の中に流れ込んだ土砂をほぼかき出しました
泥だらけになって皆ヘトヘトですがやり遂げた達成感もあります
(安藤君)周りにおった子たちももうちょっとヤバいかもってなってた子とかもたぶんいたと思うんですよ正直なところは。
でもこう周りが頑張ってるからまだへばってられへんなっていう子も…それで頑張れた子もいたと思うんですよ。
みんな周りで励まし合ってるのを見たりとかしてやっぱりなんかこういうので頑張れるんだなっていうふうに思いました。
学校に戻るバスの中
泥のように眠る姿は被災地で一日頑張った証しです
阪神・淡路大震災から20年の節目ということで「防災」をテーマに開かれた大きなフォーラムでも環境防災科の3年生が発表を行いました
(大西さん)これは1年生のときに受ける「災害と人間」という授業です。
「災害と人間」ではたくさんの外部講師の方がお話をしてくださりお話の内容は主に阪神・淡路大震災のことや東日本大震災のことです。
次に消防学校体験入校について説明します。
1年生には初級編2年生には上級編を消防学校で体験させていただきます。
(河田さん)兵庫県は間違いなく防災教育先進県です。
しかも舞子高校の環境防災科高校でこういう趣旨の学科を設けたのは兵庫県が初めてですし現在も全国で唯一の学科になっている。
これは阪神・淡路大震災を経験した兵庫県ならではの防災教育の取り組みの一つだと考えています。
この日環境防災科2年の安藤君は募金のボランティアで街頭に立ちました
皆さんこんにちは。
舞子高校環境防災科です。
ただいま東日本大震災被災地復興支援募金活動を行っております。
皆様の温かいご支援…。
いてつくような寒さの中でも大きな声を出し仲間と共に被災地への支援を呼びかけます
皆さんこんにちは。
舞子高校です。
ただいま東日本大震災被災地支援募金活動を行っております。
まったく知らんやん。
まったく知らんな。
1年生の新山さんたちは地元の小学生と一緒に安全マップ作りをしました
通学エリアのどこに危険な場所があるか1か所1か所確かめていきます
ここもさっきとおんなじ所で緊急車両が止まる所。
・緊急車両…。
書いとく?どこに?ここ?
(新山さん)と…。
う〜んとここかな。
多くの人々の命が奪われ暮らしが打ち砕かれたあの地震から20年
さまざまな思いを震災の体験がない世代が受け継ぎまたその下の世代へと伝えていきます
そしてまた巡り来る1月17日
舞子高校環境防災科で学ぶ彼ら彼女たちはきっとこう言ってくれるに違いありません
大丈夫私たちが未来を守るから…と
阪神・淡路大震災20年を徹底検証する
6434名も亡くなってしまったということについてはほんとにもう悲しい思いをしてるんですが。
地震学やボランティアは今
震災報道特別番組…
2015/01/12(月) 00:55〜01:55
MBS毎日放送
映像’15 未来を守りたい〜舞子高校環境防災科の生徒たち[字]
全国で唯一の「環境防災科」を持つ兵庫県立舞子高校。阪神淡路大震災の体験の継承や被災地との交流、復興ボランティアなどから生徒たちが自ら学び取っていく姿を描く
詳細情報
お知らせ
日本で唯一、「環境防災科」が設置されている兵庫県立舞子高校。
明石海峡を臨む神戸市垂水区の丘陵地帯にある。この学校に「環境防災科」が設置されたのは、今から13年前の2002年だ。1995年に起こった阪神淡路大震災をきっかけに、震災体験と継承と防災の概念を学校教育に取り入れようと、県の肝煎りで始まった。
設置から13年、「環境防災科」は定員割れもなく、倍率1.5倍となっている。
番組内容
これまで阪神淡路大震災の体験の継承や東日本大震災後の被災地との交流、豪雨災害地区の復興ボランティアなどさまざまな活動を行なってきた。
「語り継ぐ」「被災地に行く」「地域で動く」の3つをテーマに、さまざまな取り組みを続ける舞子高校環境防災科の授業に密着。阪神淡路大震災から20年を迎えるにあたり、リアルな震災体験を持たない生徒たちが、戸惑いながらも課題に挑み、自ら学び取っていく姿を描く。
出演者
【ナレーター】
斉藤とも子
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
福祉 – 文字(字幕)
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