(ラジオ)震度3が山口萩尾鷲伊良湖富山飯田諏訪金沢潮岬松江米子室戸岬松山広島…。
20年前の1月17日午前5時46分
震度7の揺れが兵庫県南部を襲います
6434人もの人が亡くなり町は一瞬にして崩壊しました
家を失ったおよそ31万人の人が長い避難生活を余儀なくされます
神戸市の西の外れに建設された西神第七仮設住宅
甲子園球場のおよそ2倍
被災地最大規模の仮設です
ピーク時には1060世帯およそ1800人が暮らしました
(黒田さん)お変わりないですか?お風邪などひいてませんか?風邪はひいてない今日も血圧高いからね。
あ〜。
病院行って来たからね。
上が180で下が100あった。
え〜!そんなにありますの?お熱が出てたんでしょ?う〜んちょっとね。
ちょっと見さしてもらおうかな思って来たんだけど。
震災直後に看護師を辞めボランティアになった黒田裕子さん
第七仮設に寝泊まりし24時間住民を支えて来ました
(女性)以前はずっとねリハビリ行ってたんやけどね地震からこっち全然リハビリ行ってない。
もっと早く来たかったのに。
会いたかった。
・元気でね・・黒田さん頑張れよ・黒田さ〜ん。
黒田さ〜ん。
・ホント悔しいね・・したいことがいっぱいあったのにね・
休むことなく被災者に寄り添い続けた一人のボランティアが亡くなりました
黒田さんは決していなくなってはいません。
黒田さんの精神性の魂はいまだに私の中であるいは多くの方々の中で生きていると確信しております。
住民の6割は65歳以上の高齢者
その半数が一人暮らしでした
被災者と生活を共にするため黒田さんが借りた仮設の空き部屋
住民一人一人のカルテを作り家族構成や病気の有無などを把握します
仮設の中に集会所を造ろうと最初に声を上げたのも黒田さんでした
「ふれあいセンター」と名付け住民がいつでも集える交流の場を立ち上げます
松本さんの記録に書いとくね。
今日初めてセンターに来たって。
今日は喜ばしい日よ松本さん私達にとっても。
住み慣れた場所から遠く離れた仮の住まい
季節ごとの催しやふれあい喫茶などを通し閉じこもりがちな高齢者をつなぎ合わせます
多くの住民がこの場所で新たな絆をつくりました
これをですね今日は元気ですよというので…。
(女性)出しといたらいいですか?どこかここにでもこう張っといて…。
あ〜そうですか。
今日は元気ですよ…。
黒田さんが最も恐れたのが孤独死
無事を示す黄色い旗を掲げてもらうことで住民の安否確認をしました
仮設暮らしが長引くにつれ認知症の増加やアルコール依存症など被災者が抱える問題は深刻さを増して行きます
黒田さんの見守りも仮設内にとどまりません
清さん。
清さん誰?あんた…。
うん。
これは…。
うん。
…でしたかね。
清さんかわいそうに。
帰って来たよ仮設に。
ねっ帰って来たよ。
忘れないでね顔。
心と心のつながりですね。
人と人とのつながりがなかったらそこには豊かさもないわけですし復興にはならないんじゃないかなっていうふうに私は思いますね。
どうした?えらい顔腫れて。
どうしたの?飲み過ぎ。
ホントにもう〜。
ごはん作ってる?ちょっと。
これ1本空けたん?
(男性)はい。
これ朝から?はい。
一人で…飲み過ぎよ。
飲み過ぎも何も…。
これ朝から飲んでるの?こんだけねぇ。
コップ持って来いや。
コップ持って来んでええよ上島さんないからね。
何でそんなふうに…ひとを誘わないで自分だけにしといたらいいのに。
自分だけ飲んでたら寂しいやん。
んなもんじっとおってみぃや。
そら人の世話焼くからええけどな。
持って帰ろうさようなら。
ほんなら失礼します。
仲良くしとってください。
ちょっとお客さんおんねんから。
お客さんなんかほっといたらいいんです。
第七仮設が解消されるまでの4年3か月で孤独死は3件
大規模仮設住宅では異例の少なさでした
仮設の解体工事が始まる頃多くの学生やボランティアが見学に訪れました
ここはその後の被災地における仮設住宅や支援の在り方についての大きな教訓となります
あそこの「4」っていう数字が書いてあるんですがあれってなかなか分からないでしょ?4軒目…。
夏自分のお家を捜すのに3回回ってもうしんどくなって倒れてしまっちゃって。
何にも書いてないな。
(女性)ありました?ここやここやあったあった。
よかったよかった。
(女性)ここですすいません。
あのね…。
やっぱ頭ちょっとおかしい。
ヘヘヘ…。
これがここの高さ。
おばあちゃん達階段はこうやって手をつきながら上へ上がらなきゃいけないような状況の階段だったんですね。
(女性)助かりました。
(男性)いえいえ。
(男性)大丈夫ですか?
(女性)よいしょ。
(女性)もうこれで…。
ちょうど1か月ここに来て。
(女性)こんな状況の所に埋め込んであるから雨が降ったらもう蒸し蒸ししてるし。
でもう今ゴキブリがすっごいんですよ。
虫が多いしで畳と畳の間からね草が生えてくるんですよ。
すごいでしょこれはすごいでしょ。
(自衛隊員)気仙沼気仙沼上空を飛行中であります。
死者行方不明者1353人
地震と津波で町が壊滅状態となった…
中学校の体育館に設けられた避難所
黒田さんは地震発生の翌日に現地入りしました
3月の下旬からはここに泊まり込み24時間被災者の支援に当たります
旦那さまおかえりなさい。
何もしなくていいから自分自身を大事にすることがね一番やからね。
いつまでも一緒に歩こうねねっ。
はい。
(黒田さんの声)阪神大震災でやって来たことを少しでもこちらの地域の特性に合わせてできたらばというふうに思ってます。
地震から3か月経ち被災者は中学校のグラウンドに建設された仮設住宅へと移って行きます
集会所はどこに造るんですか?あっこれが集会所ですか。
150戸が立ち並ぶ仮設住宅
阪神大震災の時とは違い集会所は誰もが簡単に来られるよう敷地の真ん中に造られました
・こんにちは・こんにちは。
今回も集会所の中にふれあい喫茶を設けいつでも住人が集える場所にしました
高齢者を孤立させないための交流の場です
♪〜
(手拍子)
一つの命も失われないコミュニティーづくり
黒田さんの信念です
おはようございますお変わりございませんか?
仮設住宅では初めてボランティアの看護師が常駐する体制も確立しました
熊谷さんこんにちは。
見守り活動は24時間続きます
(黒田さんの声)今ここで私にできることがあればどんなことでもやりたいと思ってますしこれでもし死んだら私はそれで本望かなと思ってますね。
自分の命は惜しいとは思ってません。
避難所から仮設住宅そしてやっとの思いで手に入れた復興住宅へ
しかし相次ぐ環境の変化は高齢者の心や体をむしばんで行きます
阪神大震災から3年
被災者はようやく長い仮設暮らしから解放されて行きます
兵庫県内265か所に建設された災害復興住宅
安住の地となるはずでした
しかし一人暮らしの高齢者にとっては新たな孤独を生み出す場所になります
(女性)こんにちは。
アハハハ…!
(女性)ご無沙汰!ご無沙汰いたしておりましたよ。
ホントにホントに〜。
あなたのお声は忘れない。
私の声忘れないの?忘れない。
ごめんねいいですか?ちょっと上がろうか。
(女性)いやもうこんな所でねもうホントにねもう…。
景色が良くていいのに…。
景色はいい景色はいいけどね。
せやけどねもう私のこの胸の中いうたらいっぱい思うことがあんの。
思うことが。
あっそうそれはちょっと聞きましょうか。
(黒田さんの声)避難所の中の人達が一緒に転々とされるような仕組みができとったらものすごくいいなと思いますね。
そうすると阪神大震災の教訓が生かせられるのにね。
ここ黒田さんがパソコン…。
ここでメール確認したりとか夜遅くに帰って来て…。
阪神大震災で建設された復興住宅での孤独死は800人を超えています
この復興住宅でも住民の平均年齢は70歳を超えそのうちのおよそ6割が一人暮らし
黒田さん達のボランティアグループが今も支援活動を続けています
集会所で週に3回開かれるお茶会もその一つ
毎回およそ30人の高齢者が集まり世間話に花を咲かせます
被災者同士が支え合う大切な憩いの場です
黒田さんの活動は国境を問いません
トルコ台湾四川ハイチ
大きな災害が発生すると自ら現地に赴き神戸での経験を伝えます
やっぱり神様なのかなと思ったりしますね。
神様みたいなそんな人だよね。
何ていうか神様みたいな方。
できないよねあんなにねホントに。
天使のような人ですよね。
天使のような人だね。
(女の子)黒田さん!あ〜おはようございます!
(女の子)黒田さんおはよう。
おはようございますメリークリスマス。
メリークリスマス。
サンタさん来た?
(女性)これサンタさん来たんだってゆうべ。
あっいいのやね!
黒田さんが神戸から気仙沼の仮設住宅に駆け付けた日数はおよそ3年半の間に合わせて303日にも及びました
その間被災者支援と同じように力を注いだのが災害看護の担い手を育成することです
病気を診るだけでなく暮らしを見る目を養う
ボランティアの看護師や実習で訪れた学生に対して黒田さんは被災地での実践方法だけでなく看護師としての在り方も指導しました
でその…。
ごめんねお口挟んで。
その前に今みんながざ〜っと言ったやないですか。
それでいいですか?指導しなくて。
それで終わらせるんですか?今から帰るんですよ。
これは実習になってない。
(女性)はい。
ホントに真の看護師になってほしいなって…。
うわべだけの看護師じゃなくてね看護を語ってください。
看護を語って看護を成熟させてください。
このコは言えば成長するって思うから余計きつく指導するみたいなことを言われてましたけど。
でもきちっと指導してくださるので「そういう時はこうしなきゃ」っていうふうにお話ししてくださるんで。
それはこう曖昧にしておけないっていうか…。
地元気仙沼市立病院の看護師だった藤田さん
見守り活動の責任者として黒田さんをサポートして来ました
およそ1週間交代で訪れるボランティアの看護師や助産師と一緒に24時間被災者のケアに当たっています
(藤田さん)しばらくですお元気でしたか?
(男性)はい相変わらず。
(藤田さん)相変わらず。
はい元気です。
(藤田さん)こんばんはあら帰って来たの?おめでとうございます幾らでした?
(女性)3066g。
(藤田さん)お〜!
住民に変わったことはなかったか
朝夕2回のミーティングでチェックし安否確認を行います
ここでこうやるから孤独死みたいなのあっちこっちにあるんですけどここはないもんね。
ここは日本一幸せな仮設の団地だ…っていうふうに言ってはばからないんですけどもね。
阪神大震災から20年目を目前にした去年9月のことでした
あ〜。
黒田さんは去年の夏突然体調が悪化
兵庫県西宮市の病院に入院しました
検査の結果は末期の肝臓がん
医師から余命3か月と告げられます
(井戸知事)何をやっとったんやホントにねぇ黒田さん…。
自分のことほっといてひとのことばっかりやってたからや。
会いたかった。
(井戸知事)いやいや…だけどね。
頑張ろうよ頑張ろうよねぇ。
次の災害に備えて最後の要望を伝えました
(井戸知事)黒田さんの遺言としてね早速盛り込みます提言に。
ぜひ。
(井戸知事)ねっ。
この日黒田さんは多くのボランティア仲間に見送られふるさと島根県出雲市の病院に転院しました
亡くなったのはそのわずか6日後のことです
・ホント悔しいね・・したいことがいっぱいあったのにね・
(神崎さん)いるかな?
(神崎さん)お邪魔しま〜す。
失礼します。
黒田さんが亡くなった後も24時間の見守り活動は続いています
今日だっているでしょ?
(男性)いるよ。
おばあちゃんの顔も見ながら夕方来ますね。
(男性)はい。
アハハハ…!
共に学び共に歩む
黒田さんの信念は今も被災地に息づいています
20年前震災で壊滅的な被害を受けた神戸
住民不在の町づくりが復興を大きく阻んでいます
(男性の声)行政が強引にやって来たこと自体が絶対におかしい。
2015/01/12(月) 00:50〜01:20
読売テレビ1
NNNドキュメント「ボランティア 黒田裕子 被災地への遺言」[字]
阪神・淡路大震災から20年。神戸から東北まで休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん(73)。彼女が最後に残したメッセージとは。
詳細情報
番組内容
阪神・淡路大震災から20年。休むことなく被災者に寄り添い続けたボランティアがいる。黒田裕子さん(73)。神戸では仮設住宅に寝泊まりして見守り活動を続け、東日本大震災では24時間看護師が常駐する仮設住宅を実現させた。しかし、20年目を目前にした2014年9月、末期がんを患い息を引き取る。病床でも被災者のことを気遣い続けた黒田さんが最後に残したメッセージとは。
出演者
【ナレーター】
三浦隆志
制作
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ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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