ショパンが作曲した夜想曲「ノクターン」。
こうした音楽にロンドンテムズ川の夜景を重ねた一枚の絵があります。
タイトルは…描いたのは…こんな言葉を残しています。
ホイッスラーが活躍した19世紀西洋絵画に変革の波が押し寄せていました。
ホイッスラーはさまざまな国の芸術に学ぶ中で日本の美術に傾倒。
実験を重ね古い伝統を打ち破ろうとしました。
追い求めたのは色や形がハーモニーのように調和する世界。
絵画を新たな芸術へと解き放とうとした一人の画家の物語です。
「日曜美術館」です。
今日はイギリスで人気の画家19世紀後半に活躍したジェームズ・マクニール・ホイッスラー。
ゲストは作曲家の千住明さんです。
(一同)よろしくお願いします。
「お帰りなさいませ」と言うべきか…。
懐かしいですねこのスタジオ。
ちょうど1年半ぐらいですかねバトンタッチして。
今日はゲストとしてお話を伺いたい。
(一同)よろしくお願いします。
まず音楽家のまなざしから見てホイッスラーの絵の魅力っていうのはどのように感じますか?例えばですねこういうふうに美術の人たちは音楽を感じてたのかって事が分かる気がします。
美術は目で見る事ができるし触る事だってできますよね。
ただ音楽は目で見る事ができないし触る事ができない。
その美術と音楽の相いれない部分が同じ芸術家として感じ合ってるんだなと思うと非常に斬新でむしろ僕もすごく刺激になりますね。
今日はその魅力を存分に堪能していきたいと思います。
今回は絵のバックに流れる音楽を千住さんに選曲をして頂きました。
その音楽と一緒にホイッスラーの世界を見ていきましょう。
今日本で27年ぶりとなるホイッスラーの展覧会が開かれています。
目に留まるのはクラシック音楽のようなタイトルが付けられた作品の数々。
19世紀中頃からロンドンとパリを舞台に活躍したホイッスラー。
ダンディで情熱的な人物でした。
20代成功を夢見てパリで絵を学びます。
しかしその時代大きな壁が立ちはだかっていました。
当時画壇で評価されたのは宗教や神話などの物語を描いた絵画でした。
写実を極めたリアルな表現。
ルネサンス以来脈々と受け継がれてきた西洋絵画の伝統でした。
厚い壁に挑むためにホイッスラーは独自の哲学で絵画を捉えようとします。
その鍵としたのが音楽です。
19世紀ヨーロッパではベートーベンやワーグナーなど革新的な音楽家が生まれ大きな変化が起きていました。
そして描いたのがこの作品。
アザレアの白い花。
ソファも女性がまとうドレスも白。
ホイッスラーはタイトルに初めて音楽の用語を使いました。
ホイッスラーを研究するパトリシア・ド・モントフォールトさん。
こうしたタイトルに重要なねらいがあると考えています。
ホイッスラーは見る人を絵が投げかける物語や主題から遠ざけようとしました。
ただ素直に絵の持つ美しさを感じてもらいたかったのです。
タイトルによって色彩や構図といった絵画ならではの要素に注目させようとしたのだと思います。
絵画に音楽のような調和をもたらす。
その大きな糸口にしたのが日本の美術「ジャポニスム」です。
19世紀半ば日本の開国を機に大量の美術品がヨーロッパに渡り一大ブームとなります。
中でも浮世絵は多くの画家たちを魅了しました。
ホイッスラーが強く引かれたのは歌川広重。
大胆な構図や色使いは西洋絵画の常識を覆す未知なる世界でした。
ホイッスラーは常にさまざまな表現を探し求め一つの事を学ぶと自分なりの表現に変えていきました。
それまで学んできた古典的な西洋の伝統と対象をシンプルに捉える日本の芸術を融合させようと考えたのです。
東洋への深い関心を反映した初期の作品です。
中国や日本の美術品に囲まれつぼに絵付けをする女性。
絵の中の品々はホイッスラー自身のコレクションです。
ジャポニスム研究の第一人者馬渕明子さん。
ホイッスラーは浮世絵の特徴を丹念に探っていたと言います。
まず注目したのはホイッスラーの銅版画。
テムズ川に男が舟を出そうとしている場面です。
だからなんかこれ二つ…広重の浮世絵と見比べると構図がよく似ています。
奥には人々が小さく描かれ手前の大きな舟は画面に収まらず途中で切れています。
この構図がホイッスラーを引きつけました。
そこに人物が立っている。
「白のシンフォニーNo.3」にもその影響が見て取れます。
画面の隅に咲く花。
途中で切れた構図が画面の外に広がる空間を想像させます。
テムズ川に面したバルコニーで宴に興じる女性たち。
馬渕さんはこの絵に浮世絵のもう一つの影響がかいま見えると言います。
その限られた色数の中でどういうものを表現するかという…白い花。
白いソファ。
そして白いドレス。
色彩の調和が奏でるホイッスラーのシンフォニーです。
僕はこの作品を展覧会場で実際に見てきたんですけどもこうやって音楽が乗るともうまた作品の世界が全く違うというか広がり方がまた違うなというふうに感じました。
千住さんはなぜこのベートーベンの曲を?まずホイッスラー自身がね一体どんなシンフォニーを聴いてただろうという事で今回選びました。
このホイッスラーという方はですねベートーベンが亡くなってから7年後ぐらいに生まれた方でね。
そうするとやはり何と言ってもシンフォニーのほんとに究極まで突き詰めたベートーベン。
当時にしても大変な斬新な事をやってですね我先にプロフェッショナルとして民衆の中に溶け込んでった作曲家なんですねベートーベンという人は。
この人のシンフォニーは必ずや聴いているだろうと思うんですね。
特にこの絵画から見て「4番」という非常に柔らかい「乙女」と言われる言い方もされてるぐらい静かなしかし沈黙はあるんだがすごい力強さを隠し持っている交響曲でもあるんですね。
多分シンフォニーのベートーベンの中ではこの「4番」がこの何とも観念的にもですね優しさをイメージするのがこの白のイメージに合うんじゃないかと思って選びました。
実際こう絵の中にタイトルを描き込むってなかなかない…。
そもそもそうですよね。
むしろこの絵画の中心はあの下のタイトルにあるのかもしれませんね。
これが例えば「休息する女」とかそういうタイトルだったらまた受ける感じも違いますけど。
特にこの絵画ホイッスラーのものはどれもすごく静かな沈黙というか力強さっていうかそういうものを感じますよね。
それまでの絵画の見方で言えば女性の正面を向いてる顔の位置であるとか構図的な事であるとかきっといろんな事言われたと思うんですね。
ただ彼が描こうとしたのはそこではない。
そこではない。
「これはシンフォニーなんです」と「この絵を聴いて下さい」というそういうつもりできっと描いたんじゃないかと思うんです。
音楽のように描きたいという思いがある中でではなぜホイッスラーは浮世絵だったんでしょうか?浮世絵の影響をところどころに見せるところによって少しでも新しい事をこの時代の人たちはほんとに無我夢中で探した何か新しい事ができないだろうかって事を探した時代だと思うんですね。
それはどうしてかというと芸術が民衆のものになっていくちょうどその過渡期ですよね。
だから個性あるものをどうやって作るかをずっとこの方は考えたんだと思うんです。
でその最初に「シンフォニー」というタイトルで彼にとってみればものすごい斬新な気持ちでこれは作ったと思うし。
だからこの時代はほんと試行錯誤してるところで非常に痛いように分かりますね。
こうしてまさに美術絵を革新していこうと挑戦を続けたホイッスラーですがその模索の幅を感じさせるような大作があるんです。
ここにアジア美術の殿堂フリーア美術館があります。
19世紀実業家チャールズ・フリーアが収集した珠玉の美術品。
全てが門外不出です。
その中でひときわ異彩を放つのが…部屋全体がホイッスラーの作品です。
ホイッスラーはこの作品でその名を広く世に知らしめました。
しかしここに至るには長い道のりがあったのです。
9歳の時鉄道技師の父の転勤でロシアサンクトペテルブルグへ移住。
そこはロシア芸術の中心。
帝国美術アカデミーで絵を学びます。
父親は彼が芸術家になる事に関心がなく将来は多分技師になると考えていました。
ホイッスラーはそれに反発し操られるような道から逃げ出したいと思っていたのです。
その父はホイッスラーが14歳の時に他界します。
ずっと画家になる夢を持ち続け21歳で単身芸術の都パリへとやって来ました。
フランス語も堪能で社交的。
マネや詩人のボードレールなどさまざまな芸術家と交流し絵画の革新を追い求めます。
20代半ばリアリズムに傾倒し近所の男性を描いた作品。
パレットナイフで絵の具を盛り上げるようにして描いた老人の肌。
しかしホイッスラーの絵はパリではなかなか評価されませんでした。
そして新たな環境を求めてロンドンに移住します。
やがて転機が訪れます。
パトロンとなった富豪レイランドからある依頼を受けるのです。
それが「ピーコック・ルーム」。
もとは別の建築家に晩餐会用の部屋のデザインを全て任せたものでした。
ホイッスラーは完成間近になってから鎧戸などのデザインに少し手を加えるよう依頼されただけでした。
しかしレイランドが仕事でロンドンを離れている間にとんでもない事を思いつきます。
ほとんど完成していた内装を自分のデザインで大幅に作り替えようと考えたのです。
ホイッスラーは自分の作品に共鳴する空間を作りたかったのです。
彼の絵は静かなものが多いので展覧会で他の画家の絵がひしめき合うような場所では鑑賞者がじっくりと見る事ができないからです。
ホイッスラーはレイランドの留守中に独断で改装を始めます。
壁には当初アンティークの赤い革が張られていましたがピーコック・ブルーに塗り替えました。
そこに金で東洋的な模様を描きます。
焼き物は中国や朝鮮半島などから伝わったもの。
天井の模様は日本の伝統的な波にクジャクの羽のイメージを重ねて描きました。
新聞では絶賛されましたがレイランドは激怒しけんか別れとなりました。
「ピーコック・ルーム」はこの時期の集大成です。
レイランドとけんかしなければこの「ピーコック・ルーム」はなかったでしょうし新しい芸術人生が花開く事もなかったでしょう。
「ピーコック・ルーム」すごいですね。
もうここまでやるのかというぐらい埋め尽くされている美の空間じゃないですか。
ホイッスラーの「やってやるぞ」というやる気や思いというものをすごく強く感じますね。
ですね。
この作品というか部屋ですけどもこの部屋にはストラビンスキーの曲だと思われたのはどうしてですか?ストラビンスキーのこの曲はですね非常にホイッスラーと重なるところが多かったんです。
同じロシアの出身であるという事それから金色の使い方というのがやはりロシアの感性だと僕は思うんですね。
そういう中でやっぱり生きざまとしてですねストラビンスキーが「火の鳥」を書いて初めてパリデビューなんですよ。
そうですか。
ロシアのバレエ団のためにピンチヒッターで作曲するんですね。
それも偶然たまたま…。
偶然ですね。
でそれでこれが大絶賛されて世界にデビューしたストラビンスキーの音楽が「火の鳥」のように羽ばたいていった音楽がホイッスラーのこの「ピーコック・ルーム」には合うんじゃないかと思いまして選びました。
ストラビンスキーにとってもこう転機となった曲でまさにこの「ピーコック・ルーム」もホイッスラーにとっては転機の一つとなった。
作品ですもんね。
そうですね。
ホイッスラー自身はこの曲聴いてないわけですけれどもまあ感覚というかですね感情というかですね心というかそれは同じだったと思います。
まさに重なり合って。
この部屋の中でまた響く感じを想像するともうゾクゾクするような。
ゾクゾクしますね。
この「ピーコック・ルーム」はよく見てると決してジャポニスムだけではなくてさまざまな要素が折り重なっているなと思うんですけれどもこの感性というのは一体どこからくるものだと思いますか?アメリカに生まれてロシアでそれも多感な10代をロシアで過ごしてロシアの感覚がないと言ったらうそだと思うんですね。
それと共に今度はパリで国際化を夢見てですね東洋のものに触れてそれが全てここで出してやろうという気持ち集大成というかですね自分のある意味で感覚の全て趣味の全てをここでさらけ出したいと思ったんじゃないでしょうか。
それは彼のインターナショナルな感覚だったんじゃないかなと思います。
一つ一つ見ていくと本当にあらゆるものが凝縮されてでももちろん統一感もあり。
けんかしてでも貫きたいと思うその創作者としての魂というかそういうものが火が付いて。
情熱というか。
しかも自分が育ってきた全ての要素を入れていて。
そうさせたんじゃないかと思いますね。
ホイッスラーは30代中頃からあるシリーズの作品に取り組みました。
きっかけは南米チリへの旅でした。
バルパライソという港町に半年近く滞在。
そこで海辺の光景に心を奪われます。
一瞬の光の移ろいを捉えようとそれまでにない素早いタッチで描きました。
そして生まれたのが夜景を描いた「ノクターン・シリーズ」。
代表作…テムズ川に架かる古い橋。
対岸にほのかな街の明かり。
空には花火が上がっています。
東京藝術大学で油絵を研究している秋本貴透さん。
この絵の不思議な魅力には二つの秘密があると言います。
一つは塔のように高く伸びる橋脚です。
右はホイッスラーが同じ橋を忠実に描いたもの。
実際はもっと低い事が分かります。
もう一つ着目したのがぼんやりとした夜の空気。
絵の具の使い方に独自の工夫があります。
油絵では絵の具に油を混ぜる事で粘りが出ます。
通常の油の量だと一筆でしっかり色が乗ります。
それに対してホイッスラーは複数の油や樹脂を調合し絵の具を極端に薄くしました。
ホイッスラーが残した資料を元に調合しその手法を再現します。
何度も筆を重ね繊細なニュアンスを生み出せる事が分かります。
シリーズの中で最も抽象的な作品…川沿いの遊園地で打ち上げられた花火です。
この絵を見てある人物が激怒しました。
当時のイギリスを代表する…ラスキンが高く評価していたのは…その代表作「オフィーリア」はハムレットに登場する少女が死にゆく場面。
徹底して細密に描いた傑作。
ラスキンにとってホイッスラーの作品は理解し難いものでした。
ホイッスラーも黙っていません。
名誉毀損でラスキンを訴え双方の言い分が法廷で争われる事になりました。
ラスキンの弁護士とホイッスラー自身が交わしたやりとりが残されています。
結果はホイッスラーが勝訴。
長年にわたる模索が認められた瞬間でした。
この「ノクターン:青と金色」じっと見ていると僕には江戸時代に隅田川に架かる両国橋のようにも見えてきてこう賑やかな声が聞こえてきたりとかしてくるんですけれども。
そうですよね。
この作品にはショパンの「ノクターン」を選ばれました。
やはりホイッスラーがショパンは聴いたであろうと。
ショパンが「ノクターン」という形式というかジャンルというかそれをより自由によりロマンティックに作り上げたと言っても過言ではないんですね。
この非常にロマンティックな感覚をやはり聴いてこれこそここに流れてる時間を描いたというかそういう意味では確かにこれを知ってる人たちが見たらきっとものすごい郷愁とかそういう感覚的なそれぞれの人生に寄り添えるような絵が出来上がっていって「あっこれだ」と思ったんじゃないでしょうかね。
「ノクターン」でいうともう一つ「黒と金色のノクターン」もこちらですねありますけども同じ「ノクターン」でも聞こえてくる音楽は違ったりしますか?ホイッスラーより少し先輩であるショパン。
パリで切り開いたロマン派の音楽というものですか。
そういうものはですねその場その場の雰囲気に合わせて弾くような事もしたんですね。
つまり即興演奏が中心になっているんですよ。
まさに彼がここでやろうとした事は演奏家になる事パフォーマンスをする事だと思うんですね。
それをやる事によってそこに勢いが出てきたりとかあるいは何とも言えない景色が現れたりとかですね。
そういう即興性によって感覚を表わしたという意味では斬新。
だからこそみんな驚いたと思うんですね。
改めてホイッスラーが音楽と共にというか寄り添いながら追い求めてきた革新というのは千住さんはどう今お感じになってますか?この人は最後まで最後まで探し求めて探し求めてそしてまあいくつもの道を通って自分の答えを出した出せた芸術家だと思います。
そういう意味ではきっとこの人たちから学ぶべき事は今を生きるアーティストの人たちももう一回ホイッスラーがこの時代にしようとした事を思い出して僕らの時代にも何かこういう事があるはずだと改めて気付かされるそういうアーティストだと思いますね。
2015/01/11(日) 09:00〜09:45
NHKEテレ1大阪
日曜美術館「色と形が奏でる“ハーモニー” 革新の画家・ホイッスラー」[字]
「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」と語り、絵画をより自由な芸術へと解き放とうとしたジェームズ・マクニール・ホイッスラー。革新を求めた軌跡をたどる
詳細情報
番組内容
「白のシンフォニーNo.3」、「ノクターン:青と金色」…クラシックの曲名ではない。ある画家が名付けた絵画のタイトルだ。19世紀、ロンドンやパリを拠点に活躍したジェームズ・マクニール・ホイッスラー。「音楽が音の詩であるように、絵画は視覚の詩である」と語り、絵画をより自由な芸術へと解き放とうとした。27年振りに日本で展覧会が開かれるのを機に、傑作の数々を紹介しながら、革新的な世界の魅力に迫る。
出演者
【司会】井浦新,伊東敏恵
ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
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