ファミリーヒストリー「山本寛斎〜逆境が力に 母との別れの真実〜」 2015.01.09


既成概念にとらわれない斬新なファッションで多くの人を魅了してきました。
やった〜!最近ではトルコでファッションショーを開催。
今も第一線で活躍しています。
ファッションの枠にとどまらない壮大なイベントにも挑んできました。
寛斎さんはこれまで自らのルーツを知る機会がほとんどありませんでした。
背景には複雑な生い立ちが関係しています。
幼い頃両親が離婚。
父に引き取られた寛斎さん。
しかし父は結婚と離婚を繰り返し家族を顧みませんでした。
身勝手な父に振り回された記憶。
ずっと胸の奥にしまい込んできました。
寛斎さんは今年70歳。
子供や孫のためにもルーツを知っておきたいと思うようになりました。
番組では寛斎さんのルーツに迫りました。
大正時代製紙業で成功を収めた祖父。
明らかになった意外な発明。
天才と言われたその腕。
その一方で父が見せた暴力的な一面。
そして90歳の母が初めて語る…この日寛斎さんは知られざる家族の歴史と向き合う事になります。
寛斎さんは父方山本家のルーツについて詳しい事を知りません。
父一男さんは高知出身。
しかし高知に住む親戚とのつきあいはほとんどないといいます。
手がかりにしたのは寛斎さんに関わる古い戸籍。
5代前の先祖虎八の本籍地は…香宗村は現在の香南市野市町に当たります。
親戚はいないか山本姓のお宅を中心に尋ね歩きました。
(取材者)何軒かありますね。
こんにちは〜。
すると関係があると思われる一軒が見つかりました。
自宅に家系図があるというので見せてもらいました。
あっ。
そこには寛斎さんの曽祖父をはじめ歴代の先祖の名前が記されていました。
更に祖父男寛や父一男の名前もありました。
亡くなった誠司さんの父が書き足したのではないかといいます。
誠司さんの7代前の直八が寛斎さんと共通する先祖でした。
寛斎さんが知りたかったルーツ。
中でも気になっていたのは祖父男寛の事。
寛斎さんが幼い時に亡くなったため写真でしか知りません。
明治の中頃この男寛の代で山本家は時代の波に乗り大きく変貌していきます。
山本家の本籍は男寛の代で高岡郡高石村現在の土佐市に移っています。
近くを流れているのが全国有数の清流として知られる仁淀川。
この仁淀川周辺では土佐和紙作りが古くから盛んで今もその技術が受け継がれています。
あどうもこんにちは〜。
男寛の事を唯一伝え聞いているのが高知に住む男寛の孫。
それぐらいですよ。
祖父男寛が携わっていたという製紙業。
明治の末高知では全国に先駆けて和紙の機械すきが始まっていました。
男寛はその機械すきの技術者でした。
男寛は21歳の時地元出身の女性政巳と結婚。
翌年長女冨士恵が誕生します。
しかしその後の男寛の事を伝え聞いている人はなく足取りは謎に包まれていました。
そこで手がかりにしたのが戸籍に書かれていた長女の出生地。
…と記されていました。
なぜ男寛は高知から静岡に移り住んだのか。
そのヒントが東京王子にある紙の博物館にありました。
これは「日本紙業大観」と言います。
明治以降の製紙会社の一覧が記された…長女の出生地と全く同じ番地に賤機製紙という会社があったのです。
賤機製紙があった…駿府城公園の外堀沿いに広がる住宅地の一画です。
賤機製紙を知っている人がいないか尋ね歩きました。
ご存じですか?あっ本当ですか。
自宅の向かいに戦前まで賤機製紙があったといいます。
この場所に工場があり50人以上の従業員が働いていたそうです。
当時の賤機製紙の商品見本を手に入れる事ができました。
主力製品は紙テープ。
主に船が出港する際の見送りに使われていました。
男寛は技術者として紙テープの生産に携わっていたと思われます。
しかし結婚から僅か2年後男寛が23歳の時妻政巳が病死します。
失意の男寛は新たな土地へ旅立ちました。
戸籍に書かれていた住所は…この藤田村には南海紙業という製紙会社がありました。
当時の社長は「瀬戸健三」。
ごめんください。
取材を進めるとその孫に当たる人物に会う事ができました。
(瀬戸)これは私の祖父が…。
瀬戸さんは親からこんな話を聞いた事があります。
南海紙業は現在大手化学メーカーに引き継がれています。
何か手がかりがないか調べてもらいました。
すると南海紙業の社史が見つかりました。
あこのページですね。
「昭和3年の1月19日当時の工場長の山本氏」と。
この記述がございまして。
男寛は南海紙業に招かれ工場長として働いていたのです。
更に男寛は紙の製造装置を考案し実用新案に登録されていました。
これは特許庁に残されていた記録です。
装置の名前は…「抄紙機」とは紙をすく機械の事。
それまでの抄紙機でできる紙の繊維の層は1層でした。
男寛はスクリューを使って2層目を作り出す事で紙の強度を上げようとしたのです。
それまでの既成概念にとらわれない発想でした。
製紙技術の専門家…仕事で大きな成功を収めた男寛。
このころ高知出身の8歳年下の女性友喜と再婚しています。
そして…男寛が特許で築いた財産で一家は豊かな生活を送りました。
こんにちは〜。
当時南海紙業の近くで暮らしていた人が山本家の事を覚えていました。
一家が暮らした家の跡地は現在駐車場になっています。
山本家には珍しいものがあると近所で評判でした。
男寛はラジオ放送が始まって間もなくラジオを手に入れています。
更にドイツ原産の珍しい猟犬ポインターも飼っていました。
男寛は一男をはじめとする子供たちにも何不自由ない生活をさせました。
一男の姉の子供悌子さんがその暮らしぶりを伝え聞いています。
昭和11年男寛は故郷高知の製紙工場で働く事になり一家は高知に戻ります。
一男は男寛の勧めで地元の名門中学に進学します。
軍人養成のための厳しい教育で知られていました。
どうもわざわざご苦労さんです。
硬派な雰囲気の学校の中で一男は異色の存在だったといいます。
しかし時代の波が一男の運命を大きく変えます。
紙の生産統制で父男寛の仕事は行き詰まります。
男寛は仕事を探すため一家で上京する事を決めました。
移り住んだ先は横浜。
しばらくして一男は軍需工場で働き始めます。
肺に異常が見つかったため兵役を免除されたからです。
そんなある日仕事を終えて電車に乗り込んだ時の事でした。
一人の女性に目を奪われます。
かわいらしい洋服に愛くるしい瞳。
津吹甲子18歳。
後に寛斎の母となる女性でした。
(取材者)まずVTRここまでなんですけれども…寛斎さんにとってもう一つの大切なルーツ。
いらっしゃいませ。
甲子さんは現在90歳です。
見せてくれたのは一枚の家族写真。
父光次は海軍出身で横浜刑務所の刑務官。
母フサは若い頃小学校の代用教員でした。
甲子は7人きょうだいの長女。
幼い頃から家の手伝いときょうだいの世話に明け暮れていました。
その妹柚井美代さん。
甲子はとにかく手先が器用だったといいます。
家の手伝いに追われた毎日。
そんな中でも甲子は勉強熱心でした。
(取材者)こんにちは〜。
甲子は地元の女学校に進学します。
唯一の楽しみは自分の服を作る事でした。
ある日電車の中で見知らぬ男性から声をかけられます。
「はじめまして。
お名前はなんとおっしゃるのですか?」。
それが山本一男でした。
戦時中にもかかわらず印象的な服装でした。
一男のとっぴな行動に戸惑いその日は無視して帰りました。
ところが翌日から一男から熱心にデートに誘われます。
甲子は断り続けました。
それでも諦めない一男から今度はラブレターを渡されます。
そして…二人は結婚します。
この時一男21歳甲子は19歳でした。
翌年には元気な男の子が誕生し「寛斎」と名付けます。
それが山本寛斎です。
それから間もなく一家は高知に疎開しました。
そして…一男は親戚を頼ってある仕事を始めます。
それは紳士服を仕立てるテーラーの仕事でした。
こんにちは〜。
今回の取材で一男が働いていたテーラーが見つかりました。
(取材者)これが一男さんなんです。
ある?本当ですか?父です。
お父様。
戦前満州でテーラーをしていた寛さんに弟子入りしたのです。
一男は一人前のテーラーを目指し仕事にまい進しました。
そんな中昭和21年には次男その2年後には三男が生まれます。
しかしその直後一男の父男寛が亡くなります。
このころから一男の態度が次第に横暴になり甲子に激しい暴力を振るうようになります。
一家の長になった一男を誰も止める事はできませんでした。
姉を訪ねた時に一男の暴力を目の当たりにします。
更に一男は愛人を作ります。
昭和26年一男は甲子に一方的に離婚を突きつけ愛人と再婚してしまいました。
甲子は子供たちを連れて家を出ました。
そして実家のあった横浜上大岡に戻ります。
ところが間もなくして一男が押しかけてきたのです。
そしてこう言い放ちます。
一男は激しい剣幕で甲子に迫りました。
甲子はあまりの恐怖に震えました。
悩み抜いた末甲子は子供たちを一男に引き渡す覚悟を決めます。
別れの前日甲子は子供たちを連れて出かけました。
向かった先は上大岡駅の前にあった…「最後に親子で写真を撮りたい」。
そう考えたからでした。
離れ離れになっても…そして一枚の写真を撮りました。
(シャッターを切る音)翌日。
寛斎たちは高知に引き取られていきました。
甲子は子供たちと撮った写真を見つめるしかありませんでした。
高知に引き取られた寛斎たち幼い兄弟。
しかし思いがけない試練が待ち受けていました。
一男が子供たちを育てる事を放棄したのです。
そして児童養護施設に預け姿を消してしまいました。
まだ7歳だった寛斎が幼い弟たちの面倒を見るしかありませんでした。
当時の寛斎の様子を知る…1年後。
突然一男が寛斎たちを引き取りにきます。
そして今度は岐阜に引っ越しました。
当時岐阜には一男の母友喜が暮らしていました。
寛斎たちの世話を友喜に任せたのです。
一家が暮らした家が今も残っています。
一男は岐阜でも酒や女性に溺れるすさんだ生活を送っていました。
しかしその一方でテーラーとしての腕は確かでした。
一男にスーツを仕立ててもらった…その出来栄えに驚いたといいます。
かっこよかったというか…こいつはね…やがて一男はその腕を見込まれ地元の紳士服メーカーの工場長にスカウトされます。
そこで作ったスーツをコンクールに出品したところ高く評価されました。
一男をスカウトした会社の社長の娘…コンクールで表彰された時の賞状を保管していました。
昭和33年一男が中心になって出品したスーツは最優秀に認定され…そんな中多感な少年時代を過ごした寛斎。
父と離れ家を出たいと思うようになります。
そして…寛斎は東京の大学に進学するため上京します。
真っ先にある場所に向かいました。
それは母の実家がある…7歳で引き裂かれた母に会いたい。
その一心でした。
そして…。
ごめんください。
目の前に現れた母。
11年ぶりの再会でした。
母甲子は我が目を疑います。
会いたいと願い続けた息子が目の前にいたのです。
甲子は再婚せず独りでいればいつかまた子供たちと暮らせるかもしれないと思っていました。
この日以来寛斎は甲子のもとに足しげく通うようになります。
当時甲子は自宅で洋裁教室を開いていました。
独りで生きていくために専門の学校で技術を学んだのです。
もともとファッションに興味があった寛斎。
母の家にあった雑誌でデザイナーの登竜門「装苑賞」の存在を知ります。
「自分もデザイナーになりたい」。
寛斎は決心します。
そしてあるデザイナーに弟子入りしたのです。
それが…寛斎は弟子の中でも異色の存在だったといいます。
そういう何しろ…う〜んなんて言うんだろう…そして3年後寛斎は23歳で念願の装苑賞を受賞します。
自分にしか生み出せないデザインを追求した寛斎。
そのエネルギーは周囲を圧倒していきます。
おはようございます!おはようございます。
これは寛斎が原宿に自分の店を初めて構えた時の映像です。
「山本さんは29歳。
6年前一人で始めた仕事は今では社員40人の企業になりました。
山本さんのところでは既に冬物の展示会を開いていました」。
斬新なデザインは海外でも注目を集めロンドンでは日本人デザイナーとして初めてファッションショーを成功させました。
寛斎の服はその後世界のトップスターたちからも支持されていきます。
寛斎は逆境を乗り越え大きな成功を手にしたのです。
OK!OK!この番組は参ったなという感じですね。
もっと言えば…寛斎さんの父…50代の半ばまで結婚と離婚を繰り返しました。
一男さんは仕事を辞めた後中学時代の同級生を訪ね歩いています。
おはようございます。
同級生の一人…中学時代一男さんとそれほど親しくなかった福永さん。
ある日突然訪ねてきた事に驚いたといいます。
一男さんはかつての恩師のもとも訪ねていました。
大手学習教室の創設者…実は公文さんは戦前一男さんが通っていた海南中学校の数学教師でした。
自伝には「思い出深い教え子」と題して一男さんが訪ねてきた時の事が書かれています。
「山本一男君という生徒がいましたが去年でしたか電話をくれた。
五十年ぶりのことです」。
一男さんは寛斎さんの活躍ぶりを語っていたといいます。
平成6年一男さんは71年の生涯を閉じました。
そして寛斎さんの母甲子さん。
寛斎さんの弟の家族と共に穏やかな生活を送っています。
今年2月甲子さんの90歳の誕生日を祝うため寛斎さんたち兄弟の家族が一堂に会しました。
孫の未來さんも駆けつけました。
甲子さんにとって大切な一日になりました。
今回甲子さんがこれまで誰にも見せた事のない大切なものがあると教えてくれました。
それはぼろぼろになった一枚の写真。
写真の裏には甲子さんがこう記していました。
「昭和二十六年七月子供達と別れる前日に写す」。
それは子供たちを手放す事になった甲子さんが親子で撮ったあの写真でした。
我が子と離れ離れになって以来繰り返し見ては心の支えにしてきた宝物でした。
山本寛斎さんの「ファミリーヒストリー」。
そこには数々の苦難を乗り越えてたくましく生きた家族の歳月がありました。
生字幕放送でお伝えします2015/01/09(金) 16:05〜16:55
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「山本寛斎〜逆境が力に 母との別れの真実〜」[字][再]

寛斎さんは、7歳の時に両親が離婚。辛い記憶から昔を振りかえることを避けてきた。今回明らかになる技術者だった祖父の足跡。そして、90歳の母が語る真実に涙をこぼす。

詳細情報
番組内容
山本寛斎さんは、7歳の時に両親が離婚。父に引き取られるが、その後、児童養護施設に預けられた。辛い記憶だったので、昔を振り返ることを遠ざけてきた。今回、祖父や両親の人生が明らかに。祖父は高知で、和紙を機械ですく技術者だった。謎だった祖父の足跡が判明する。そして、母が寛斎と別れざるをえなかった理由。90歳の母が初めて語る真実。そして、誰にもみせたことがなかった一枚の写真。寛斎さんは涙が止まらなかった。
出演者
【ゲスト】山本寛斎,【語り】余貴美子,大江戸よし々

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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