(テーマ音楽)
(鹿賀丈史)山に掘られた無数の坑道。
世界遺産石見銀山はアジアで初めて登録された産業遺産です。
山あいの街道沿いに銀で栄えたころの面影が残っています。
島根県大田市大森町。
世界にその名を知られた石見銀山のふもとの町です。
この山で銀の鉱脈が発見されたのは1526年のことでした。
流源寺間歩。
間歩とは坑道のことです。
のみや土を使って掘り進んだ跡。
一日に30cmほど。
すべて手作業です。
狭い間歩は大勢の人々が行き交って活気にあふれていました。
掘られた間歩は600本。
石見は世界的にも銀の大生産地となりました。
遺跡の発掘調査です。
発掘された道具などからここでは灰吹法と呼ばれる精錬技術が使われていたことが分かりました。
灰吹法は当時最先端の技術でした。
灰吹法を描いた絵です。
炉に向かってふいごで風を送っています。
灰吹法ではまず銀鉱石に鉛を加れて溶かし銀と鉛の合金を造ります。
その合金を更に灰の上で加熱すると鉛が灰に吸収されて純銀だけが残ります。
灰吹法の登場で石見は宝の山になりました。
純度の高い銀を大量に生み出す石見銀山を巡って戦国大名たちは激しく争いました。
銀の争奪戦に決着をつけたのは毛利元就。
これは毛利家が豊臣秀吉の朝鮮出兵の戦費として供出した銀貨です。
秀吉への献上はおよそ5,000枚に上ったといわれます。
これは毛利家が天皇に献上したものです。
毛利が属する西軍は関ヶ原で徳川家康に敗れます。
戦いの10日後には家康は素早い行動にでます。
石見銀山を天領としたのです。
ふもとの大森町は繁栄し最盛期には人口20万を数えました。
徳川幕府の下でさまざまな学問も発達し優れた知識や技術が銀山の開発を支えました。
当時の絵には間歩に溜まった水を手動のポンプでくみ出す様子が生き生きと描かれています。
精錬された銀は街道を通り港へと運ばれました。
日本海に面した入り江には当時の積み出し港の跡があります。
船の縄をくくり付けるために加工された…。
銀はここから長崎へ運ばれ海外にも輸出されていきます。
しかし17世紀後半には産出量が激減し石見のシルバーラッシュは幕を閉じるのです。
生字幕放送でお伝えします2015/01/08(木) 16:50〜16:55
NHK総合1・神戸
シリーズ世界遺産100「石見銀山遺跡とその文化的景観〜日本・島根県〜」[字]
富を生む山 ▽文化遺産 【語り】鹿賀丈史 【テーマ音楽】久石譲
詳細情報
番組内容
富を生む山 ▽文化遺産 【語り】鹿賀丈史 【テーマ音楽】久石譲
出演者
【語り】鹿賀丈史
音楽
【テーマ音楽】久石譲
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 自然・動物・環境
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