クローズアップ現代「谷崎潤一郎の恋文〜文豪が貫いた意志〜」 2015.01.07


お伝えしていますように、強い冬型の気圧配置の影響で、北日本では雪を伴って非常に強い風が吹き、所によって猛吹雪となっています。
雨も上がったしお花見しようやないの。
日本の近代文学を代表する作品の一つ、「細雪」。
何度も映画や舞台になっています。
その原作者、谷崎潤一郎と物語のモデルとなった妻、松子が交わした大量の手紙が見つかりました。
その数およそ200通。
出会ってから谷崎の晩年まで30年以上に及ぶ恋文です。
谷崎夫妻の知られざる一面が明らかになりました。
戦時下、「細雪」が公表中止に追い込まれる中夫婦で作品を守ろうとしていたのです。
谷崎作品を愛読する著名人たちは、手紙を読んで2人の覚悟を感じたといいます。
新たに見つかった手紙から時代の荒波にあらがおうとした文豪と妻の心に迫ります。
こんばんは。
「クローズアップ現代」です。
日本の近代文学を代表する作家谷崎潤一郎。
作品は世界各国で翻訳されノーベル文学賞の候補になるなど国内外で高い評価を得ています。
昭和40年、79歳で亡くなるまで意欲的に創作を続けた谷崎。
3度結婚していますが創作活動に大きな影響を及ぼしたのが3番目の妻・松子です。
谷崎の代表作の「細雪」のモデルとなった女性です。
小説「細雪」は戦争の暗い影が忍び寄る時代裕福な家庭の四姉妹の平穏で美しい日常を淡々と描いた長編小説です。
関西地方に残る伝統美や風習など当時の人々の生活をそのまま描こうとしたこの作品は太平洋戦争が勃発した翌年の昭和17年に執筆がスタート。
6年かけて書き上げられました。
戦争中、時局に合わないという理由で連載が中止されたこの小説。
谷崎は自由な創作活動が封じられる圧迫の中で書き「細雪」は戦争と平和の間に生まれたと語っています。
文豪はどんな思いで「細雪」の創作に当たっていたのか。
妻・松子は、どのような影響を作品に与えたのか。
先頃、谷崎と妻・松子。
そして松子の妹・重子との間に交わされた手紙が公開されました。
専門家が特に注目しているのが松子との間で交わされた200通近い手紙です。
文豪とその妻手紙から浮かび上がってきたのは2人が代表作「細雪」を懸命に守ろうとしていた姿です。
激動の時代に創作を続けた谷崎と松子の歩みを見つめます。
谷崎の代表作、「細雪」。
妻・松子と、その姉妹がモデルとなった物語です。
四季折々の行事や上方文化の華やかな世界。
次女・幸子として描かれているのが、松子です。
大阪の裕福な家に生まれた松子。
谷崎と出会ったのは昭和2年24歳のとき。
関西随一の豪商に嫁ぎ御寮人様と呼ばれていました。
谷崎は当時40歳。
大阪に講演に来ていたときに松子と知り合い次第に、引かれ合っていきます。
以来、2人が交わした大量の手紙。
遺族が大切に保管していました。
谷崎研究の第一人者も松子が谷崎に宛てた手紙を目にするのは初めてだといいます。
出会って翌年の松子の手紙。
谷崎への思いがつづられています。
2人が出会う前九州の炭鉱王の妻・白蓮が学生と駆け落ちした事件が世間を騒がせていました。
豪商の若妻の道ならぬ恋も決して、許されるものではありませんでした。
谷崎にも当時妻・丁未子がいました。
しかし華やかで気品のある松子に、ひかれる思いを止めることはできませんでした。
ジャーナリストの田原総一朗さん。
学生のころから谷崎文学を愛読しています。
自分の思いを貫き通そうとする谷崎の生き方がそのまま手紙に表れているといいます。
一方、谷崎文学を熱心に読んでいるという壇蜜さん。
松子は谷崎に、危うい魅力を感じていたのではないかといいます。
当時、谷崎と松子を取り巻く環境は大きく変わろうとしていました。
昭和4年に始まった世界恐慌。
松子の夫の事業も急速に傾いていきます。
松子の醸し出す気品や華やかさもいずれ消えてしまうのではないか。
谷崎は作品の中にその美しさをとどめたいと思うようになっていきます。
さらに、自分の愛は永遠で松子にすべてをささげるという誓約書まで書いていました。
「御寮人様の忠僕としてもちろん、私の生命、身体家族、兄弟の収入などすべて御寮人様のご所有となしおそばにお仕えさせていただきたくお願い申し上げます」。
谷崎が理想とする愛の形は作品に反映されます。
「春琴抄」です。
美しき盲目の琴の師匠・春琴と弟子の佐助。
顔に大やけどを負った春琴は佐助に顔を見られることを嫌がります。
佐助は、みずから両目を針で刺し愛する人に一生をささげることを誓います。
谷崎の作品の中で最も「春琴抄」が好きだというタレントの太田光さん、光代さん夫妻です。
谷崎が追い求める美意識に改めて魅せられたといいます。
「春琴抄」の発表から2年後2人はついに結婚。
しかし谷崎は、創作のためには普通の夫婦のようにいつも一緒にはいられないと松子と離れて暮らすことが少なくありませんでした。
そんな2人を時代の荒波が襲います。
昭和16年12月太平洋戦争が勃発。
松子は谷崎に手紙を頻繁に送り日常のさまざまな出来事や変わりゆく生活について細かく伝えました。
こうした毎日の小さな営みの中に意味を見いだした谷崎。
作風が大きく変わっていきます。
「細雪」に描かれた四姉妹の日常生活。
こそばいやないの。
そうやった。
私、ヴィ、足らんやねん。
注射器消毒するように言うて。
うん。
ビタミン不足を注射で補う姉妹。
花見のために着飾って季節の味覚を味わう一家。
作品の中には旧家の暮らしぶりが細部に至るまで描かれています。
谷崎は、戦時下で消えゆくこうした世界をみずからの作品の中で、永遠に生き続けさせようとしたのです。
しかし「細雪」が発表されるまでにはいくつもの試練がありました。
昭和18年雑誌で連載を始めたところ作品の華やかな内容が時局に合わないと掲載中止に追い込まれたのです。
当時の心境を谷崎は後につづっています。
「自由な創作活動がある権威によって強制的に封ぜられこれを是認しないまでも深く怪しみもしないという一般の風潮が強く私を壓迫
(あっぱく)した」。
それでも谷崎は執筆を続け親しい人たちに私家版として配りました。
それが当局を刺激し刑事の来訪を受けたといいます。
…脅かしたという。
このとき松子が必死に「細雪」を守ろうとしていたことが今回見つかった手紙から初めて明らかになりました。
谷崎は空襲のたびに「細雪」の原稿を抱えて逃げたといいます。
そして、終戦の翌年。
「細雪」はようやく刊行。
日本の近代文学を代表する傑作となりました。
晩年、老いに直面した谷崎は松子と共に暮らす時間が増えていきます。
右手が不自由になりながらも口述筆記で老いの境地を描き続けました。
命が消える最後まで、僕は小説を書かなくてはならないと病床から起き上がろうとしたといいます。
そして、海の見えるこの家で松子に見守られながら79年の生涯を閉じました。
現在80歳の田原総一朗さん。
谷崎と松子の手紙にみずからの人生を重ね合わせています。
今夜は作家で、明治学院大学教授の、高橋源一郎さんをお迎えしています。
2人の手紙が公開されたことによって、「細雪」が生まれた状況が、より深く分かるようになったわけですけれども、それにしても、戦時下という状況、書かれた状況と、そして作品に描かれている、あの美しくて平穏な日常のこのギャップの大きさ、非常にびっくりするんですけれども。
そうですね。
たくさんの手紙が残されていて、よく言うんですけど、小説とそれからそれを支えた現実とか人間関係、あまり主張をさせないほうがいいと言われているんですけど、谷崎の小説の場合には、明らかにモデルもありますし、そういうことにしても構わないと思うんですけれども、やっぱりあの時代に、ああいう小説が、ある日、突然変異のように生まれてきたっていうのは、いわゆる、驚きですね。
僕もその時代のことはいろいろ調べてみたんですけど、昭和16年に太平洋戦争が始まります。
それから4年ぐらい終戦までの間に、ほとんど、実は作家は作品を書けなかったんですね。
大家と言われた人たちもほとんど沈黙をしていて。
めぼしい作品といえば、太宰治かこの谷崎の「細雪」のみと。
しかも太宰は短編なんかもよかったんですけれども、この900ページになんなんとする超大作っていうのは、ちょっと美しい作品であると同時に、その時代にふさわしくない巨大なものが、美しいものとして存在しているということで、ちょっと、極めてまれなものだと思いますね。
しかも、出版する当てがない。
連載が中止されてとなると、これ、本当に自分を鼓舞するのは大変だったのではないかと思うんですけれども。
まあね、このへんも想像するしかないんですけれども、あれだけの大作を、しかも出版のあてもなく、書こうと思うと、よほど自分の中に強いモチベーション、モチーフがあったか、そうでなければ怒り、何かもう、表現できない怒りか、そういうものがないかぎり、あの状況の中で、あれほどの大作を書くことはできなかったと思いますね。
もしかすると、両方あったのかなという気もしますけど。
気品だとか華やかさ、消えゆくあなた様のようなものを伝えていきたいというようなことを書いているわけですけれども、高橋さんから見て、彼は何を怒りにしていたのか、あるいは何を伝えようとしてたのかと見てらっしゃいますか。
まあ、最も難しい答え、問いだと思うんですけれども、「細雪」は関西の、今、紹介されましたように、大きな商家の娘たちの華やかな生活を描いていますね。
当時は戦争のさなかにあって、そういう豪奢な生活を一体なんで描く必要があったのか。
もしそれは、谷崎が関西に暮らすようになったんですが、これは恐らく僕の想像なんですけれども、彼は震災のあと、関西に移住します。
そこで大阪、あるいは関西という土地と場所を見つけるんですね。
そこの文化を探っていきますね。
それは彼も書いていますけれども、大阪弁、関西弁に象徴されるような、特に女性の優しい、まろやかなことば遣い。
それを探っていくうちに、なんか彼にとっての日本文化の源流みたいなものにぶつかったんじゃないかと思うんですね。
ご存じのように、都はもともと京都にありました。
西のほうの文化の中心で、東に移ったのは、家康から数えると400年ぐらいですし、明治維新からだと100年ぐらいですよね。
それまではずっと、西側の文化でした。
しかもその宮廷文化というのは、女性的なものです。
この「細雪」の前に彼は源氏物語を翻訳しています。
ご存じのように源氏物語というのは、源氏という高貴な方と、帝を中心とした朝廷のお話なんですけれども、そこはでも主人公は女性たちなんですね。
その華やかな文化の中で生きていく女性たちの話だった。
そこからある意味、「細雪」まではまっすぐ、ここがいってみれば、日本の文化の根本で、今、当時、谷崎たちの周りにあった戦争であるとか、東の国のまともなことばというのは、これはちょっと違うんじゃないかっていうのが、たぶんこの作品の中に、僕は書き込まれているような気がするんですね。
でも何に、連載が中止になったわけですけれども、何を恐れたんですか?
ここはね、さっきの紹介にもありましたけども、このような戦時に、豪奢なしゃしな生活を書くなどということは、もってのほかと。
これは表面的な理由ではなかったかと思います。
一体何が当時の権力にとって見逃せなかったかというと、いろいろあったと思いますね。
つまり、ここには女性たちのことば、女性たちの生活ということで、なんでしょうか、ある種の自由さ、それからもう一つは今言った西の国ですね。
もともとあった日本の古い文化、そういったものが本来の文化であって、今、その当時周りにあった、野蛮なというか、軍国主義的なものというのは、これは本当に正当な文化なのかっていう、そういう疑いがこれを読む読者の中に起こることが、一番怖かったんじゃないかなと思います。
手紙も読んでいただきまして、改めてこの2人の関係っていうのは、どういうものだったというふうにご覧になりますか?
特にこの恋文がそうなんですけれども、非常に表現も大げさですよね。
でも、彼の作品、それから実際にこの2人の関係、それから彼の作品というのは、どれも似ているし、同じ構図をもって、助け合っている。
ですから、この松子と谷崎の関係自体が、一つの作品のもののようなんです。
だから、僕はものすごく強かったんだろうと思うんですね。
彼ら自身の関係が、そもそも社会に対する一つの作品になっていったっていうのが、この「細雪」を含める、谷崎のある時期以降の作品の本質だったように思います。
2015/01/07(水) 19:30〜19:56
NHK総合1・神戸
クローズアップ現代「谷崎潤一郎の恋文〜文豪が貫いた意志〜」[字]

日本の近代文学を代表する作家・谷崎潤一郎が亡くなって今年で50年。その知られざる素顔を語る大量の手紙が見つかった。現代にも通ずる夫婦の愛情や悲喜劇とは…。

詳細情報
番組内容
【ゲスト】作家…高橋源一郎,【キャスター】国谷裕子
出演者
【ゲスト】作家…高橋源一郎,【キャスター】国谷裕子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ニュース/報道 – 特集・ドキュメント
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

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