明日へ−支えあおう−▽ふるさとの記憶をつむぐ〜失われた街・模型復元プロジェクト 2015.01.04


・「花は花は花は咲くいつか生まれる君に」震災前大勢の海水浴客でにぎわった砂浜に懐かしい風景が戻ってきました。
津波のあと姿が見えなくなりましたが砂の中で生き延び再び顔を出しました。
は〜!ほらこの辺にもあるよね。
海…種こっちの方に流されてきたのかなぁ。
植物ってすごいね生命力ね。
感動した。
あの日から間もなく4年がたつ東日本大震災の被災地。
復興の工事が進む一方で消えようとしている街の面影。
それを模型でつなぎ止めようというプロジェクトが進められています。
震災前の街並みを忠実に再現した模型。
それを前に思い出を語り合い後世に伝えていこうという取り組みです。
よみがえるふるさとの風景。
あふれ出るふるさとの思い出。
宮城県の各地で行われた模型復元プロジェクト。
集まった人々のふるさとへの思いを見つめます。
去年街の復興に向けて土地のかさ上げ工事が始まりました。
クリーニング店を営む宮川安正さんです。
40年近く暮らした自宅の跡は工事区域の真っただ中にあります。
ここだから茶の間が。
部屋からは目の前の公園に咲く桜の花がよく見えました。
花見中の友人が押しかけてくる事も度々でした。
しかし造成工事で自宅の場所に川が移される事になり立ち入る事ができなくなります。
震災前リアス式の美しい湾の奥に広がっていた志津川の街並み。
三陸の豊かな海の幸で生きてきたこの街には8,000を超える人々の営みがありました。
震災から3年余り。
ふるさとの風景が大きく変わろうとしていた去年5月かつての街並みを模型で再現するプロジェクトが開かれました。

(「ラジオ体操第一」)会場となったのは志津川の街から車で40分ほど内陸に入った仮設住宅です。
400人余りが避難生活を送っています。
集会所に真っ白な立体模型が運ばれてきました。
作ったのは建築を学ぶ全国の学生たちです。
港に停泊する船から家の一軒一軒に至るまで震災前の街の姿が詳細に復元されています。
人々はここでどのような生活を送りどのような思い出を紡いできたのか。
7日間にわたるプロジェクトが始まります。
プロジェクト初日。
やって来たのは志津川で60年以上大工をしていた佐藤吉朗さん。
あの日自分で建てた自宅が流されていくのを高台から目の当たりにしました。
津波に流されても形をとどめた自慢の我が家に色を塗ります。
自ら手がけた家々が並ぶ志津川の街。
大工として生きてきた誇りがよみがえりました。
「失われた街」模型復元プロジェクトは2012年建築を学ぶ全国の学生たちが集まり始めました。
これまでに宮城岩手福島20近い街を回りました。
「街は建物だけで出来ているのではない。
人々の記憶の蓄積が街をつくる」。
プロジェクトの趣旨に応え大勢の人々が思い出を語り旗にしたためました。
街の区画整理でもね。
1日目の夕方。
模型の前で何か熱心に作っている子供がいました。
小学校2年生の工藤由祐くんです。
すごい上手。
そっくりこんな感じの…。
由祐くんが作っているのは自宅にあるあすなろの木。
(男性)取れたで。
難しいんだね。
ボンドで付けて。
ボンド…ボンドない。
うまくできませんが諦めません。
出来た?由祐くんにとってあすなろの木はふるさとと自分をつなぐ特別な存在でした。
震災の時4歳だった由祐くんは志津川で暮らした記憶がほとんどありません。
今は隣町から街の小学校に通っています。
放課後迎えが来るまでの遊び場があすなろの木の周りです。
しかしその木もかさ上げ工事によって半年後に切り倒される事が決まっています。
(由祐)多分あそこぐらいだとは思う。
模型に色を付ける作業が始まりました。
ああそうですここは。
一人の女性が自分の家を探しにやって来ました。
うわさをすると…。
今「あったあった」って言ってたところ。
(笑い声)覚えてなかった。
やっぱ旦那の方が詳しい。
3日目4日目。
思い出を記した旗が街を埋め尽くしていきます。
生涯勤めた仕事場をもう一度見たいとやって来た人がいます。
38年前の12月志津川駅に一番列車が乗り入れました。
険しい海岸線に阻まれかつて「陸の孤島」と言われた街にとって長年の悲願でした。
駅前は街の歴史始まって以来の人であふれました。
及川さんは開通の日から33年間街が津波にのみ込まれたあの日まで駅員そして駅長としてホームに立ち続けました。
この街で歩んできた歴史を模型が伝えます。
最終日クリーニング店の宮川安正さんが姿を見せました。
部屋から見えた桜の木が見事よみがえっていました。
宮川さんは更にリクエストを続けます。
いかだがあったんですかここら辺に。
かつて志津川湾を埋め尽くしたワカメやカキの養殖いかだ。
孫が生まれると湾を一望する高台に連れていきこの景色を見せました。
早速宮川さんの要望を受け学生たちがいかだを作ります。
人々の記憶からふるさとの風景が消えないように。
人々の心からふるさとの誇りが失われないように。
(宮川)一本の綱が漁師の人たちには…
(宮川)頼る所がない。
7日間延べ1,400人の思い出でよみがえった南三陸町志津川の記憶の街。
ふるさとの記憶が人々の共同作業で受け継がれていきます。
南三陸町から海岸線を南に下ると平野をとうとうと流れる大きな川が現れます。
旧北上川その河口に開けた港町石巻です。
模型復元プロジェクトは去年7月この街に会場を設けました。
石巻はかつて三陸随一のにぎわいを見せた水運と漁業の街。
江戸時代伊達や南部の領内から大量の米が集まります。
積み荷を満載した千石船が江戸や大坂へと向かいました。
そんな歴史ある街の営みを根こそぎ奪い去った大津波。
会場では繁栄を極めた港町の生き生きとした思い出の数々が飛び出しました。
やって来たのは旧北上川沿いで生まれ育った本川郁子さん79歳です。
当時日本一のカツオの水揚げを誇った石巻。
川岸にひしめくカツオ船は子供たちの格好の遊び場でした。
泳いだよ。
どういう事ですか?うんと思い出あるってば。
潮風をいっぱいに浴び無我夢中で川に飛び込んだ懐かしい日々。
港のおてんば娘の豪快な思い出です。
石巻のにぎわいがピークを迎えたのは昭和30年代から40年代にかけての事。
遠洋漁業の基地として空前の活況を呈し船が着く度に久しぶりに陸に上がった船員たちが街に繰り出しました。
そんな石巻の人たちが口々に思い出を語るある場所があります。
旧北上川に浮かぶ中瀬。
造船所が軒を連ねた港の中心です。
その一角にあったのが岡田劇場。
明治24年開業。
映画や舞台何でもござれの石巻の娯楽の殿堂でした。
300ある席はいつも満員。
話題の映画が東京での封切りと同じ日に見られると人気を呼びました。
(吉田)堂々と手をつないでるから。
(学生)ここまで行くまで手をつないだり近づくわけもなくでも映画館でこっそり手をつなぐみたいな?結構満席?吉田初男さん。
同じ職場の幸子さんに一目ぼれ。
勇気を出して岡田劇場に誘い見事ハートを射止めました。
覚えてないですか?いやいやいやいや…。
まあね最初のデートはそんな感じです。
石巻の人たちに愛されその人生と共に歩んできた岡田劇場。
建物は津波で流され120年続いた劇場の歴史に終止符を打ちました。
模型の中の岡田劇場は人々の記憶の旗であふれ返っています。
震災で最も多い3,000人を超える人たちが犠牲になった石巻。
会場には悲しみを抱えたままの人も数多く訪れました。
自宅は大きな被害を受けた門脇地区にありました。
めっちゃ近いですね。
余裕で。
実家は文房具店。
学校帰りの子供たちでいつも大にぎわいでした。
榊さんはあの日家にいた両親と祖母と高台へ避難しようとしたやさき津波にのまれました。
助かったのは榊さん一人でした。
震災後榊さんは月に一度は自宅の跡を訪ねます。
ここです。
ここからその緑のあそこの所まで。
津波に流され榊さんはそのまま意識を失います。
気付いた時家の裏にある小学校のプールに浮かんでいました。
家族の姿は見当たりませんでした。
見つかっていない父。
自宅の場所に来ると少しでも近づける気がするといいます。
そうそこ。
近所の女性が話しかけてきました。
こんにちは。
こんにちは。
結婚して「佐々木」になったの?あっ違います。
そっちの杉山さんじゃなくてこっちの方です。
この震災で?はい。
ありがとうございます。
「前を向いて歩きだしたい」。
でもその一歩が踏み出せないでいます。
榊さんが模型に見たのは家族4人肩寄せ合って暮らしてきた掛けがえのない日々でした。
懐かしい思い出と癒やされない悲しみと。
模型の上にいくつもの思いが交錯します。
「失われた街」模型復元プロジェクト。
去年10月3つ目の会場となったのが宮城県名取市閖上です。
仙台から車で30分のこの街は朝市や海水浴場で有名な行楽地でした。
風光明媚な海辺の環境を求めて仙台などから多くの人が移り住み昔ながらの漁村とベッドタウン2つの顔を持っていました。
20年前閖上に越してきた高橋久子さん。
自然豊かなこの街が大好きでした。
ハマボウフウとは砂浜に自生するセリの仲間です。
閖上では昔からこのハマボウフウが野菜代わり。
夕方になるとどの家も子供が取りに行きました。
しかし津波のあと消えてなくなってしまいました。
身近にある豊かな自然が住民の自慢だった閖上。
しかし今街は復興をめぐって大きく揺れています。
ここに戻るのか別の場所に移るのか。
住民を二分する議論が続いています。
丹野さんの小さい頃の思い出とか。
ああありすぎますね。
閖上で40年間理髪店を営んでいた丹野正樹さん。
街にはもう戻りたくないと考えています。
40年続けた理髪店。
街の人たちとの思い出がたくさん詰まった閖上を離れ丹野さんは店を移す事に決めました。
一方でふるさとに帰る日を心待ちにしている人もいました。
閖上の漁師小齋力男さん71歳。
自宅は港のすぐ近くにありました。
(学生)ここにずっと住まわれてたんですか?
(丹野)うんずっと。
何とってはったんですか?へ〜日本一赤貝がとれるって事ですか?震災前まで閖上の赤貝は水揚げ量日本一でした。
大ぶりで味も良くほとんどが東京・築地の市場に送られました。
小齋さんは赤貝漁を続けるため街にとどまりたいと願っています。
ふるさとに戻る戻らない。
そのはざまで多くの人が揺れ続けています。
バスの運転手をしていた菊地繁男さんです。
菊地さんもまた閖上に戻るかどうか悩み続けてきました。
そうなんですか。
ええそうなの。
それが一番の思い出さ。
そうだね。
バスを運転して閖上から名取仙台へ。
乗客は大抵顔見知り。
どこで降りるかも知っていました。
震災後も早くみんなでまとまって閖上に戻りたいと考えていました。
どれぐらいこちらにお住まいだったんですか?
(菊地)ここにね…待ち望んでいたふるさとに戻る時。
しかしいつまでたっても進まない復興に気持ちがついていかなくなりました。
新たな街の完成は2年先。
菊地さんは閖上を離れる事に決めました。
自宅の土地も手放しました。
菊地さんは自宅の跡から持ってきたというあるものを見せてくれました。
離れる事を決めても断ち難いふるさとへの思いです。
・「花は花は花は咲く」閖上の海岸を散歩するのが日課だった高橋久子さん。
この日震災以来初めて海岸を訪れました。
この辺に自生してるんだね。
ほんとだこれね。
津波で流されたと聞いていたハマボウフウが顔を出していました。
は〜!ほらこの辺にもあるよね。
海…種こっちの方に流されてきたのかなぁ。
植物ってすごいね生命力ね。
感動した。
砂浜を洗った大津波。
それに耐え抜き生き延びていたハマボウフウ。
人も街もそして自然も一歩ずつ前に進もうとしています。
泣き笑いそして歌い。
数々の思い出が積み重なって作られたふるさとの記憶。
その一つ一つが復興へと歩む人々の宝物です。
模型を前にして皆さんが語るふるさとの光景。
海に浮かぶワカメやカキのいかだといった漁師町としての風景や港町としてのにぎわいだけではなくてありましたよねあの港のおてんば娘の豪快な思い出あるいは映画館の初めてのデートの思い出。
そうした震災前の暮らしの息遣いと言えるものも感じさせますよね。
こうした「ふるさとの記憶」模型復元プロジェクト。
先日各地の復元模型を集めて宮城特別展が開催されました。
会場となった仙台市青年文化センターです。
これまでに作られた石巻市や気仙沼市名取市など宮城県内6か所の地域の模型が展示されました。
地域の人たちによって色が付けられた模型と思い出の札。
見ているお客さんはじっくりと見入っていました。
7日間の期間中におよそ2,300人が訪れました。
南三陸町志津川の模型です。
番組で取材させて頂いた宮川さんの家から見えた東山公園の桜。
きれいに再現されました。
再現された町並みを一目見ようと志津川に住んでいる人も駆けつけました。
家族は仙台で避難生活をしていますが佐藤さんは仕事の都合で志津川に残りました。
津波で流された家の写真を今も大事にしています。
よみがえるのは家族との思い出です。
多くの人が生き生きと語るふるさとの姿。
その街で暮らして大切に育んできた営み。
そしてふるさとへの誇り。
建物の復旧だけではなくてこうした部分まで元に戻って初めて復興と言えるのではないかというふうに感じました。
さあそれでは被災した地域で暮らす皆さんの今の思い。
宮城県東松島市です。
奥松島で遊覧船の船長をしてます。
私は震災前は漁師でした。
ここ嵯峨渓の魅力を伝えるため船長になりました。
震災後の復興の移り変わりも説明いたします。
是非奥松島に来てけらいん!ここディスカバリーセンターは被災した東松島市の子供たちが感動したくさん発見してほしいという願いからオープンいたしました。
日本初の科学地球儀が展示してあります。
東松島市から…東松島でのりの養殖をしていましたが津波で全部流されてしまいました。
何も無くなったけどもう一度仕事がしたくて手探りで仲間が集まって工場を再建しました。
頑張るぞ!
(一同)お〜!2015/01/04(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−▽ふるさとの記憶をつむぐ〜失われた街・模型復元プロジェクト[字]

津波で流された街並みを模型で復元し、住民たちの思い出を記録するプロジェクトが進められている。街の記憶をつむぐ人々の姿を通して、失われたふるさとへの思いをつづる。

詳細情報
番組内容
東日本大震災の津波で流された街並みを模型で復元し、住民たちの思い出を記録するプロジェクトが進められている。集まった人々は、家1軒1軒まで忠実に再現された模型を前にさまざまな思い出を語った。番組では宮城県石巻市・南三陸町・名取市で行われたワークショップに密着。人々が語る思い出話や街の歴史を通して、失われたふるさとへの思いをつづっていく。
出演者
【ゲスト】さとう宗幸,学習院大学教授…赤坂憲雄

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:9024(0x2340)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: