歴史秘話ヒストリア「逃げちゃだめだ〜逃亡者・桂小五郎 明治をひらく」 2015.01.04


実はこの東山に最近注目を集めているスポットがあるんです。
それがこちら京都霊山護国神社の一角です。
こちらに大河ドラマで話題の坂本龍馬のお墓があります。
龍馬のお墓の横は親友中岡慎太郎のお墓。
更に高杉晋作など幕末に活躍した人たちのお墓が集まりその数はなんと400近くにも上ります。
明治維新を目前にして志半ばで命を落とした人々の慰霊のため明治の初めに作られました。
この一角の一番高い所にあるお墓まで上がってまいりました。
このお墓こちらに眠っていらっしゃる方が今日の主人公…端正な顔だちで頭も切れた小五郎はこの霊山に眠る若者たちのアニキ分的存在でした。
いわゆる薩長同盟を実現させるなど明治維新の原動力となります。
今日は幕末に京都で活躍した若者たちと彼らを束ねたリーダー桂小五郎をめぐる秘話の数々をご覧頂きます。
幕末の京都を語るに欠かせないイケメンヒーロー桂小五郎。
しかしこの小五郎には「逃げの小五郎」という不名誉なあだ名がありました。
明治維新の英雄のはずなのにどうしてそんな汚名を着せられたのでしょうか。
関西の名湯城崎温泉。
幕府に追われる逃亡者小五郎が隠れ住んだ所です。
温泉街に花開いた美しき芸妓幾松とのラブロマンスが傷ついた小五郎を再生へと導きます。
幕末のハイライト…三つどもえの薩長同盟。
その直前龍馬との知られざる大げんかが始まります。
小五郎さんそのけんかには勝ったの?負けたの?幕末のリーダー桂小五郎。
甘いマスクに秘められた傷つきやすいガラスのハートに迫ります。
京都市の中心部にぎやかな繁華街の一角に立つこの石碑。
幕末に起こったある事件の場所を示しています。
この有名な事件に深く関わっていたのが桂小五郎です。
小五郎はこの時実はあるとんでもない失敗を犯していました。
本州の西の端日本海に面した山口県萩市。
江戸時代長州藩の城下町として栄えました。
桂小五郎はこの町で生まれます。
実家は武士の家ではなく実はお医者さん。
小さい頃から学問が好きで争い事を好まない穏やかな少年だったと言われます。
その後武士の家に養子に入った小五郎は二十歳の時…入門した道場で小五郎は人生を決定づける自分にぴったりの道場訓に出会いました。
「武」の文字は兵器の「戈」と「止める」の二文字から成り立っている。
武とは兵器を使わないという事であり…この道場訓に強い影響を受けた小五郎は剣の腕ではなく話し合いで仲間の心を束ねる経験を積み…そんな小五郎の人柄を示すエピソードです。
ある日道場で小五郎のお金が紛失する事件が起きます。
小五郎さんのお金をとったのは誰だ?犯人を捜そうと騒ぎだす塾生たち。
すると小五郎はねずみが持っていったのだろうとことを荒だてずその場を丸く収めたといいます。
小五郎の穏やかな性格が伝わってきますね。
そのころ日本を揺るがす大事件が起きます。
黒船が来航し…弱腰の幕府に対し…幕府の要人が暗殺されるなど国内は混乱状態に陥っていきました。
温厚で人をうまくまとめる才能を見込んだからです。
小五郎の人柄に動かされ7つの藩が次々と連合に加わりました。
こうした実績が認められ小五郎は…長州に桂小五郎ありと全国にその名を知らしめる事になりました。
エリートに上り詰めた小五郎の評価を一夜にして台なしにする事件が起こります。
池田屋事件です。
この時小五郎も集会の参加者の一人でした。
この時の様子が書かれた記録が残っています。
小五郎は戦いのさなか窓から脱出して逃げたというのです。
事件の時小五郎は席を外していたという記録もありますが歴史学者の青山忠正さんは襲撃に驚いて逃げ出したと考えています。
長州の藩邸のトップは乃美織江という人ですけれども彼が書いた手記によりますと真っ先に屋根伝いに逃げたという事になっております。
従って例えば池田屋の時でもそうですが…一人生き残った小五郎はその後臆病者の汚名を背負う事になります。
(大砲の音)この事件はやがて取り返しのつかない事態に発展します。
迎え撃つ薩摩藩や会津藩からなる幕府軍数万人と激突しました。
世に言う「禁門の変」です。
小五郎にとって池田屋事件の失点を挽回するチャンス。
ところが…。
すっかり自信を失っていた小五郎。
なんと説得役を断りそのまま一人行方をくらまします。
戦いによってあがった火の手は京都を焼き尽くします。
またも逃げ出してしまった小五郎は強く打ちのめされます。
「雪のようにこの世から消えてしまいたい」。
小五郎が真のリーダーとして目覚め明治維新の英雄として成長するためにはまだ長い試練の時を必要としていました。
桂小五郎が過ごした幕末の京都。
当時の京都で幕府に刃向かった長州藩の小五郎たちはいわばお尋ね者。
新選組などが警戒の目を光らせていて小五郎にとってはとても危険な場所でした。
しかし小五郎はあわやという場面に遭遇すると意外なテクニックを使って逃げ延びる事に成功しています。
例えばこちら。
しかし追ってきた役人に怪しまれます。
そこの。
名を申せ。
万事休す!と思ったその時。
これはこれはお役人様すいません。
何かございましたでしょうか。
持つべきものはやはり友ですね。
更に小五郎はスパイさながらのこんなテクニックも持っていました。
役人が少し離れたその時…これより御免こうむりやす。
後はなりふり構わずいちもくさんに逃げたという事です。
あっと驚く早変わりの技。
こうした才能が「逃げの小五郎」とあだ名された理由の一つだったのかもしれません。
お茶屋が建ち並び華やかな風情が漂う京都。
幕末の京都で評判の美人芸妓がいました。
この幾松とのラブロマンスが小五郎を立ち直らせ新しい時代の扉を開かせる事になります。
その美しさと巧みな舞から一躍評判になります。
二十歳の頃出会ったのが長州藩の外交役として京都に赴任してきた10歳年上の小五郎でした。
幾松は親身になって自分の境遇を案じてくれる誠実な小五郎にひかれ2人は恋に落ちます。
幾松は小五郎を我が身を犠牲にして助けます。
夜ごと潜伏先へ握り飯を届けたり…。
厳しい新選組の追及にも最後まで口を割らなかったといいます。
しかしそこにも小五郎の姿はありません。
長州藩でも彼の行方を探していました。
そんな幾松のもとへある情報がもたらされます。
小五郎はんにもう一度お目にかかりたい。
その旅は過酷なものでした。
長州から出石までは600km。
更に同行する案内人が旅費を博打に使い切り逃亡。
しかし幾松は諦めません。
険しい山道を10日間かけて歩き通しました。
町のあちこちで目につくのは桂小五郎が潜伏していた事を示す碑です。
小五郎は幕府の目が届きにくいこの山あいの地に身を潜ませていました。
長州を出ておよそ1か月。
扉が開くとそこには…一体誰?この時の小五郎の様子を記した文献が残っています。
小五郎は素性がばれないよう姿を変えて荒物屋を開きます。
幾松さんさぞやびっくりしたでしょうね。
幾松は早速長州で預かってきた手紙を小五郎に渡します。
そこで長州藩はかつて他藩と強い関係を築いていた小五郎が帰国し藩を立て直してほしいと望んでいました。
当時の小五郎の心境です。
小五郎は池田屋事件で30人禁門の変で200人以上の仲間を失い…もはや生きる気力すら失いかけていたのです。
出石に行った時でも商人に変装してると言われますけれども…かたくなな小五郎の態度を見た幾松は小五郎と妻・八重子と共に城崎温泉に移り話し合いを続けます。
城崎にはこの時3人が逗留したという宿が今も続いています。
この宿で幾松は1か月にわたって小五郎に長州に帰るよう説得したと言われています。
来られた時分には会津藩が探索が厳しかったり心の中ではおびえておられたような感じだと聞いております。
でだんだん幾松さんと幼い妻と2人がかいがいしくお世話をなさいましてお風呂に入ったりなんかして心が癒やされたと承っております。
幾松を研究している川崎泰市さんは幾松の粘り強い説得により小五郎の心が少しずつ動いていったのではないかと考えています。
長州に帰る気持ちはやはり幾松さんの会った時の話の内容で「あなたはこのような田舎でうずもれてしまう人やない。
もう一度日本のためあるいは長州のために一旗揚げて下さい」とこういうような気持ちに話に小五郎は動かされたんじゃないかこういうふうに思っております。
新たに生まれ変わったという決意を示しました。
幾松は妻・八重子に一緒に行こうと誘います。
しかし八重子は小五郎の決意を知り…幾松の深い愛が小五郎の傷ついた心を癒やし再び歴史の表舞台へと登らせたのです。
幾松は明治維新の後小五郎と正式に結婚します。
結婚後幾松が小五郎に出した甘いラブレターをご紹介しましょう。
こちらは30歳の幾松が明治政府の高官になって欧米視察に出かけた小五郎に宛てた手紙です。
何事についても思い詰めがちな小五郎を思いやる幾松の心情がかいま見えるようです。
こんな献身的な幾松ですが別の一面を見せている手紙もあります。
海外出張中の小五郎にお土産を頼んだものです。
たくさんという意味の「たんと」という言葉を5回も繰り返し少女のようにお土産をおねだりする幾松。
恋人同士の時と変わらず仲むつまじい夫婦だった事がうかがえますね。
列車の旅の楽しみといえばその土地ならではの駅弁ですよね。
小五郎のふるさと山口県ではこんな駅弁が売られています。
山口産の鶏肉を使った照り焼きに鹿児島産の豚肉を使った豚カツそしてその間を埋めるのがタケノコの土佐煮。
実はこれ幕末のハイライト薩摩と長州の連合…しかし実際の薩長同盟は駅弁のように最初からきれいに盛りつけられていたわけではありません。
長州と薩摩が一つになるには長く険しいハードルがありました。
しかし当時の長州は最大の危機に直面していました。
苦悩する小五郎の前に一人の若者が現れます。
土佐の脱藩浪士坂本龍馬です。
小五郎より2歳年下の龍馬は長年平和的な姿勢で各藩の連合を訴えてきた小五郎に深く共感しわざわざ会いに来ました。
龍馬はふるさと宛ての手紙で小五郎を絶賛しています。
今後は各藩との連合による構想を考えその相手を探していたのです。
当時長州藩士はわらじの裏に「薩賊」すなわち薩摩は悪者と書いていました。
これを日々履いて踏みつけるほど薩摩藩を憎んでいたのです。
小五郎は藩士たちを納得させるため長州側からではなく薩摩側から同盟を請うという形で調整を進めていきました。
長州の海の玄関口下関。
薩摩との会談が開かれる事になりました。
待てど暮らせど肝心の西郷が現れません。
西郷は長州との同盟を時期尚早と見たのか土壇場になって会談を取りやめたのです。
やはり薩摩は信用できない。
長州藩士たちは更に同盟反対の声を高め小五郎に詰め寄ります。
小五郎は一計を案じました。
龍馬をパイプ役として使い長州で不足している軍艦や武器を薩摩名義で海外から購入する。
一方薩摩で不足している米を長州が提供する。
小五郎は必要な物資を融通し合う関係を築く事で薩摩と長州の距離を縮めていきました。
その結果…西郷と顔を合わせる事になります。
長州の藩士たちが納得する形で同盟を結ぶには薩摩側から同盟の要請を切り出す事が必要でした。
小五郎は西郷の言葉を待ちます。
ところが薩摩からの同盟申し入れの言葉は一向に出てきません。
西郷は今後の主導権争いをにらんで慎重な態度を崩さなかったのです。
両者は見合ったまま10日ばかり時間だけがむなしく過ぎていきました。
ついにしびれを切らした小五郎。
とその時…。
「桂さん逃げるんですか?」。
交渉の場に遅れて到着した龍馬。
記録によると…龍馬は藩の面目にこだわる小五郎を責め真に日本の事を考えるならば長州の方から頭を下げてもよいではないかと迫りました。
一般にこの龍馬の啖呵が薩長同盟の道筋を開いたと捉えられています。
しかしその記録には続きがありました。
小五郎は龍馬の啖呵にひるむどころかせきを切ったように大反論をぶちまけ大げんかが始まっていたのです。
小五郎の脳裏にあったのはかつて自分一人が逃げ出し見殺しにした仲間たちの存在。
長州の方から頭を下げれば禁門の変で薩摩側に殺された仲間たちに顔向けできない。
そうするくらいなら逆に自分は藩と共に討ち死にしてやると決死の啖呵を切ったのです。
小五郎の背負ってきた過去の重みを龍馬は受け止めます。
龍馬は西郷のもとへと走りました。
そして小五郎の意志の固さを伝え…小五郎は開口一番これまで抱えてきた薩摩へのわだかまりを激しくぶつけます。
それは傍らにいたものが慌てるほどの強い口調だったと伝えられています。
龍馬に向かって言ったのと同じような…小五郎の本音を知った西郷はひと言「ごもっともでございます」と口を開き小五郎の言葉を全て受け止めました。
巨大な反幕府勢力が誕生しました。
260年以上に及ぶ徳川の時代が終わりを告げます。
そして明治の世の始まりを目前に控えていたその時…。
龍馬が京都で暗殺されます。
「痛悼の極みと言うべし」。
訃報を長州で聞いた小五郎は嘆き崩れたといいます。
京都・東山にある龍馬の墓。
この墓を作る事を呼びかけたのは小五郎でした。
自分の心をしっかり受け止めてくれた亡き友への感謝と日本の近代化への固い決意を小五郎はこの墓碑に込めました。
小五郎は明治維新後木戸孝允と名前を改め新政府の要職に就きます。
そして龍馬と約束した日本の近代化例えば身分制度の見直しや廃藩置県などを推し進めました。
一方で小五郎は幕末動乱のさなか志半ばで命を落とした人々の存在も決して忘れる事はありませんでした。
小五郎は…中にはヨーロッパに留学させた子供もいました。
維新後に置かれた会津の人々の厳しい立場を思いやり土地や資金の面倒を見るよう新政府の伊藤博文に働きかけるなど救済に尽力しています。
こうした思いやりあふれる人柄だったからこそたとえ逃げ出す事があってもみんながついてきたんですね。
さて今日の最後は小五郎が心に抱き続けたもう一つの計画についての秘話をご覧頂きましょう。
明治時代1枚の写真が世に出回り飛ぶように売れます。
洋装の男性は木戸孝允こと桂小五郎。
美男子というだけでなく力強いリーダーシップで日本の近代化を推し進めた功績が人気を集めました。
小五郎は明治政府の要職に就いて間もなく心に温めていたある願いを実行に移します。
それは志半ばで亡くなった仲間への祈りの場を建設する事でした。
龍馬の墓を作ったあとその周りに池田屋事件や禁門の変で亡くなった400近い人々の墓碑を一つ一つ建てました。
それが今の霊山の祈りの場の始まりです。
追悼というものに対する彼の優しさもののあわれというものを…さまざまな改革に取り組んでいたさなか小五郎は体調を崩しこの京都の自宅で息を引き取ります。
45年の生涯でした。
「亡骸は京都の東山に埋めてほしい」。
その遺言により自身が整備した霊山の一角に葬られました。
共に戦った同志に囲まれながら小五郎は静かに眠っています。
今平和に戻った京都の町を見守りながら…。
よ〜いはい!2015/01/04(日) 03:15〜04:00
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歴史秘話ヒストリア「逃げちゃだめだ〜逃亡者・桂小五郎 明治をひらく」[解][字][再]

明治維新の立役者・桂小五郎には“土壇場になると逃げ出す”という弱さがあった。その小五郎が「もう逃げない」と決めた時、幕末最大のミッション「薩長同盟」が動き出す。

詳細情報
番組内容
明治維新の立役者で、幕末のヒーロー・桂小五郎。美男子で頭脳明せき、しかも平和主義者で多くの人に慕われた。しかし、史料をもとに実像を探ると、出てくるのは「逃げの小五郎」という汚名。実は“土壇場で逃げ出す”という弱さがあった。それはやがて深刻な悲劇を生む。その深く傷ついた小五郎を再生させたのが、恋人の癒やしや、坂本龍馬の励まし。「もう逃げない」と決めた小五郎は、幕末最大のミッション「薩長同盟」に挑む。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般

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日本語
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