皆さ〜ん!ご飯ですよ!いよいよ始まる大河ドラマ「花燃ゆ」。
(砲撃音)舞台はおよそ160年前幕末動乱の長州藩。
明治維新を切り開いた若者たちの奮闘と彼らを支えた家族の物語が描かれます。
でも…。
そんな方も多いのでは?実は日本を飛び出せばその答えが見えてくるんです。
(渡邊)大きいですね!世界には幕末長州が刻んだ足跡がたくさん!そして見えてきた長州とスコットランドの知られざる絆とは?芸能界きっての幕末ファンも予想外の発見に大興奮!「世界へGO!」。
こよいあなたの知らない幕末長州の姿をまるわかりして頂きま〜す!「世界へGO!」。
旅の始まりはUSA。
アメリカの首都ワシントンに来ています。
こちらこの町のシンボル…いや〜こうやって見ると見上げちゃいますよね。
今日青空に映えてとってもきれいです。
1884年初代合衆国大統領ジョージ・ワシントンの業績を記念して建てられました。
実はこの塔と幕末の日本には深い関係があるって皆さんご存じですか?なんとこの巨大な塔の中に幕末ニッポンの動乱を目撃したあるものが眠っているんです。
いざ塔の中へ。
それではいよいよ下りていきます。
塔の中は空洞になっていて地上まで階段でつながっています。
その先を進むと何やら不思議な石が…。
これらの石はおよそ170年前塔の建設が始まった時にアメリカ全土そして世界中から記念として贈られたものなんです。
外からじゃほんと分からないですよね。
こうやって入ってくると石の博物館のように各地から集められたものが見られます。
地上65mまで下りてきた時お目当てのものを発見。
あっ…。
Isthis?
(マイク)これが日本の石です。
あ〜ありました。
日本から来た石。
ちょっと読んでみますと…あっ。
…とありますね。
この石下田から来たっていう事ですね。
石に刻まれた文字は「伊豆の国下田」。
現在の静岡県下田市です。
(松村)すごいね。
この石が切り出された年は嘉永甲寅。
それは1854年の事。
下田の石を運んだペリーとはアメリカ海軍の提督です。
黒船艦隊を率いて幕末の日本に遠征。
200年以上続いていたいわゆる鎖国政策を大転換させました。
その時下田の港を開港させたのです。
ちなみにこの日案内してくれたマイクさんなんとペリーの5代目の子孫だとか。
(デーモン)へえ〜似てる。
(優香)似てる。
(松村)5代たっても似てるんだね。
似てる!ワシントンにあるアメリカ国立公文書館。
近年下田に関するペリーの新たな記録が見つかりました。
ペリーが乗り込んでいたポウハタン号の航海日誌。
そこに日米関係を揺るがしたある大事件の詳細が記されていたのです。
ここに「25」と書いてありますがこれ4月25日の事ですね。
「下田」とあります。
「1854年4月25日下田」。
「午前2時45分2人の日本人が小さなボートでやって来た」。
「滞在時間は1/4時間。
すなわち45分間であった」。
浮かび上がるのはまだ夜が明けぬ暗闇の中ペリーの黒船に密かに乗り込んだ日本人の姿です。
その人物こそ…
(発砲音)おぉっ!?大河ドラマでは伊勢谷友介さんが演じる幕末長州のカリスマです。
今までの学問じゃもう日本国は守れん!そして松陰が黒船で過ごした僅か45分という時間がこのあと長州と日本の運命を大きく変えてゆく事になるのです。
(拍手)
(2人)あけましておめでとうございます。
いや〜すごいものがありますねアメリカにはやっぱり。
早くも知られざる歴史の一部分が見えた気がしますね。
そして冒頭にもありましたがいよいよ明日からNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が放送始まります。
(拍手)
(鈴木)優香さんも「花燃ゆ」に出演されてるんですね。
主人公文のお姉さんですね。
杉寿役です。
(鈴木)どういう役なんですか?家族は割とみんな松陰さんの…お兄さんのやる事を「いいよいいよ」って温かく見守るんですけども…地元のね僕ふるさと大使でもあるんでねやっぱまた…実はビビるさん!そうなんです私もですねこの吉田松陰先生の盟友宮部鼎蔵役をやる事になりました。
(拍手)ありがとうございます皆さん。
それはやはり僕松陰先生好きでずっと生きてきてこうなったわけですからうれしい限りですよ今日は。
閣下はなんか全部詳しそうなね。
そうだね。
今はちなみに10万おいくつなんですか?という事はもうペリー来航の時生きてらっしゃったという事で。
心配なのが私…あっ知らない?「どうしよう」と思ってて。
でもねその目線があった方がいいんです今日の番組は。
そういう方に分かって頂きたいんですよ。
(鈴木)では早速まるわかりしていきましょう。
まずは吉田松陰が黒船に乗っていた45分の間に一体何があったんでしょうか?その手がかりを求めて行く先がこちらです。
アメリカ東海岸コネティカット州のニューヘイブンです。
それではいざ「世界へGO!」。
新たに浮かび上がってきた45分間の謎。
これを解く鍵が名門イェール大学で見つかりました
ありがとうございます。
後にこの大学の教授となるペリーの通訳が残したものです。
なんと松陰がペリーに宛てた直筆の手紙です。
そこで訴えているのは海外密航への思い
一文字ずつフリガナまで付けた松陰。
必ず読んでもらいたいという強い思いがうかがえます。
更に…
しかし乗船から45分がたった午前3時30分。
松陰に非情な命令が下されます。
必死の願いもむなしくペリーの命によって船を降ろされてしまったのです。
その後松陰は幕府に捕えられてしまいました。
海外への密航は死罪になる可能性がありました。
そんな危険な行動に松陰を駆り立てたものは一体何だったのか?その背景には黒船によって浮き彫りにされた日本の無力さがあります。
それを如実に物語るのがペリーが作成した江戸湾の測量図。
海の深さが事細かに調べられています。
これさえあればペリーは巨大な黒船を座礁させずに江戸湾の奥まで侵入させる事ができます。
実はこうした外国の脅威に備え幕府はあらかじめ「うち沈め線」という防衛ラインを定めていました。
それより先に侵入する外国船を打ち払うためです。
しかしペリーはやすやすとその防衛ラインを突破。
機密情報である江戸湾の地形を丸裸にしてしまいました。
幕府の大砲が火を噴く事はなかったのです。
強大な外国勢力に日本が対抗するにはその技術を学ぶしかない。
それが松陰が命懸けで黒船に乗り込んだ理由でした。
そんな密航の夢破れて半年。
松陰に裁きの日が訪れます。
最悪なら死罪。
ところが…。
なんと松陰は死罪ではなく自宅謹慎という軽い処分で済んだのです。
幕府はなぜか松陰に同情的でした。
この疑問を解く手がかりがペリーの言葉にあります。
意外にもペリーは松陰を助けるため幕府に圧力をかけていました。
この不可解なペリーの動きの裏に一体何があったのか?関西大学の陶徳民さんは松陰がある言葉でペリーを揺さぶっていたとみています。
陶さんが注目しているのはイェール大学に残る松陰のもう一通の手紙。
松陰が強調した「仁厚愛物」とは今でいう「人道主義」。
自分が死ねばアメリカの人道主義も傷つくというのです。
実は人道主義はペリーにとっても幕府に開国を迫るキーワードでした。
こう主張しアメリカの漂流民を保護してこなかった鎖国政策を批判していたのです。
軍事的圧力だけでなく人道主義を押し立てて開国を迫るアメリカ。
松陰はそこを逆手にとって人道主義を唱えたためペリーは命を救うよう動かざるをえなかったのではないか。
なるほど。
再びアメリカイェール大学です。
日本近代史を研究する学生たちに松陰の手紙を見てもらいました。
(男性)「世界見物いたしたく」。
wannaseetheworld.こうして黒船45分間の駆け引きによって命を長らえた吉田松陰はふるさとに戻りやがて長州に爆発的なエネルギーを与えていくのです。
さあという事で直筆の手紙がイェール大学にあると。
(松村)知らなかったですね〜。
名もなき若者の手紙をちゃんと持ち帰って保存してたというのまたうれしいですよね。
軍事力と人道主義を背景に外交を行うっていうのはね。
150年たって全く同じやり方。
確かに。
川崎さんどうでした?
(川崎)ずっと鎖国してた割にはアメリカがどうやったら心を揺さぶられるかとか…まあ出島があったんでね。
出島はご存じかな?ご存じじゃないです。
ご存じじゃない。
長崎。
長崎知ってます。
そりゃそうでしょ!松陰先生もこう長崎も行ったりしてますんでいろんな情報は入ってたと思いますけども。
(鈴木)さあではここで突然ですが「幕末長州まるわかりクイズ」です。
おっクイズ!最も正解が多かった方には豪華賞品がありますので皆さん全問正解目指して頑張って下さい。
では第1問。
こちらです。
(鈴木)しかしすぐに大変な事に気が付きます。
まあつまり舟を進める事ができないと。
さて松陰たちは一体どうしたんでしょうか?次の3つの中から選んで下さい。
さあどれでしょうか?先ほどペリーの日記にもあったように午前2時45分って書いてありましたからね。
(デーモン)何月だっけ?4月ですね。
(川崎)あ〜寒いかな?まだ海水は冷たかったでしょうね。
(鈴木)さあ皆さん書きましたかね。
それではお答えを一斉にどうぞ。
ダダーンと。
さあ優香ちゃんからまいりましょうか。
2番。
「ふんどしを脱いで櫓を舟に縛りつけた」。
これはなぜ?
(笑い声)「これしかない」と。
直感ですか?もう。
(優香)いや…そうですね。
川崎さんが3番の「交代で泳いで後ろから舟を押した」。
バタバタバタってバタ足で。
でかいですかね?あれ見たら2人しか乗れなそうだったんでいけるかなと思ったんですけど。
違うのかな。
怪しくなってきた。
閣下が同じく2番の「ふんどし」ですか。
3択が出る前に自分だったらどうしようかと思ってふんどしを思い描いたの。
そしたら3択に入ってたから。
正解はこちらです。
(鈴木)という事で優香さん松村さんデーモンさん正解です。
ふんどしを使いました。
(鈴木)そうなんです。
実はこれ松陰自身が書き残している事なんですけどふんどしを脱いで櫓を船に固定したと。
それでも…まあつまり黒船に2人が到着した時には…
(鈴木)次に訪れる場所はですねこちらです。
イギリスのロンドンです。
実はここに開国したあとの日本社会の変化が分かるある重要なものがあるんです。
それでは「世界へGO!」。
膨大なコレクションの中に長州の運命を変えてしまったあるものが残されています。
幕末日本で造られた…
なんとそれまでの小判の僅か1/3の重さしかありません
どうしてこんな小判が出来たのか?この謎を解いていくとその後の長州の動きが見えてくるのです
松陰のふるさと山口県萩市。
密航の罪で実家に謹慎する事になった松陰は長州の将来を担う若者たちと向き合うようになります。
それが松下村塾です。
あの黒船に乗り込んだ松陰に教えを受けたいと志を持った若者たちが集うようになりました。
この辺りのお話は大河ドラマでたっぷりお楽しみ頂けるはず。
久坂。
ナポレオンと豊臣秀吉が戦うたらどっちが勝ったと思う?武器も時代も違う。
比べられん。
僕はナポレオンじゃと思う。
何故じゃ?後に長州のリーダーとなる高杉晋作や久坂玄瑞伊藤博文などの人材が育っていきます。
お前はどう思う?そりゃナポレオンですよ。
しかし平穏な日々のさなか再び日本を揺るがす外交的衝撃が発生します。
安政五か国条約。
日本が欧米の強国と結んだ条約で本格的に貿易を行う事を定めています。
この経済を巡る問題がやがて長州を追い詰めていく事に。
こちらの錦絵をご覧下さい。
お正月の凧揚げを描いた絵と思いきやよく見ると…。
実はこれ生活必需品の値段がどんどん上がっている事を「凧揚げ」に掛けて風刺しているんです。
長州の庶民たちもこう訴えます。
でも外国船が来るとどうして物価が上がるのでしょう?実はこんなからくりが。
開国直後外国に比べ…「これは儲かる」と外国人たちが大量の小判を海外に持ち出してしまったのです。
そこで幕府が急きょ造ったのがあの小さな万延小判。
それまでの小判には6.4gの金が含まれていましたが万延小判は僅か1.9g。
小判そのものを小さくする事で金の海外流出をストップさせようとしたのです。
ところが小判は小さくなっても幕府はこれまでどおり同じ「1両」として流通させました。
これでお金の信用がガタ落ち。
物価高を招いてしまったんです。
条約締結による混乱が広がるさなか吉田松陰が幕府によって処刑されます。
条約を結んだ幕府首脳の暗殺を企てた事が処刑の理由でした。
享年30。
松陰の死後長州では外国人に対する怒りが充満していきました。
ある藩士が身につけていた布には「もはや戦しかない」。
そんな思いが書きつけられています。
(古城)つまり戦って後に国を開くのかそれとも閉ざすのかを論じるべきだと。
…という事でやっぱりここも戦ってから勝ち負けを考えるべきだと。
長州藩では来るべき外国との戦いに備えて下関の海峡の全域に砲台を築き上げていきました。
そして…長州の怒りが爆発します。
(砲撃音)外国船と見るや海峡を通過する船を手当たりしだいに砲撃。
外国人を追い払う実力行使に出たのです。
(砲撃音)ところがその翌年。
下関にイギリスフランスアメリカオランダの4か国の大艦隊が押し寄せてきました。
報復のためです。
さあ長州がちょっとね過激にカッとなってしまいましたけどもね。
あとやっぱり日本って最初は貿易に全く慣れていなかったからあんなふうにいわゆる…やっぱいくら出島があってもその辺はうまくいかなかったんですね情報が。
(松村)ず〜っと鎖国してたから他が見えてなかったんですかね。
(鈴木)ではここで「幕末長州まるわかりクイズ」第2問いきます。
こちらです。
ここ萩でも海岸に…土で出来た砦土塁が築かれます。
藩士たちは砲撃をするために下関に行っていたので…このためにこの土塁は「女台場」とも呼ばれているんです。
さてこの時に工事に携わった人々の…
(鈴木)それは何でしょうか?ああ〜いいですね〜。
分かんないな〜。
知らないな。
優香ちゃんはでももう萩は何度も行ってんじゃないですか?行ってますけどこれは分からないですね。
分からないですか?女台場。
(鈴木)皆さん結構悩んでらっしゃいますね。
(優香)なんかどれもありそうな感じもする。
では答えを一斉にお願いします。
どうぞ。
ババーンと。
ババーン。
さあ優香さんからいきますか。
優香ちゃんが2番の高級和菓子。
はい。
これやっぱり士気があがりますか?やっぱ食べ物ですよね。
やっぱ都のお菓子と。
さあそして松村さんが3番のぜいたくな着物。
いやこれやっぱり2番かも分かんないですね。
もらえるなら?もらえるなら和菓子ですね。
正解はこちら!
(鈴木)という事で松村さん単独正解です!松村さん口では「2番」ってさっき言いましたんでどうしようかなと思いますけど。
あっやっぱりねぜいたくな着物をね着ます!いいですか?分かりました。
じゃあ正解です。
ぜいたくな着物を着ないと!
(デーモン)どこで着たの?この女台場の工事の様子を描いた屏風があるんです。
それがこちらで。
ちょっとアップにしてもらえますか?あら!着てるね。
この辺り。
派手な鮮やかな着物を着ているの分かりますかね。
…とも伝えられているんですね。
でも3だと思ってたんですけど。
どっちなんですか。
「和菓子」って言ったじゃないの。
やっぱお召し物ですってレディーは。
そうです。
花より団子ですよ。
さてどんどん過激化する長州藩ですが一体どんな事態が待ち受けていたんでしょうか。
(砲撃音)下関に押し寄せた4か国の連合艦隊は長州の砲台に対し一斉に艦砲射撃を行いました。
連合国は更に上陸部隊を繰り出し下関の砲台を完全に制圧。
こうして僅か数日で長州は屈服させられたのです。
(デーモン)上陸しちゃったんだ。
(川崎)すごい。
連合国が見せた恐るべき実力。
その秘密を探るためにイギリス南部のポーツマスを訪れました
港は今もイギリス海軍の拠点。
その一角に下関戦争の4年前1860年に建造された巨大な船が浮かんでいました
当時世界最大にして最強ともいうべき軍艦です。
船内に入ると長州を打ち砕いた兵器が現れました
当時世界最新鋭の…
(デーモン)これがアームストロング砲なんだ。
1850年代に開発されたこの大砲はそれまでの大砲を無力化するほどの威力を持っていました
5倍も遠く飛んだという事なんですね。
へぇ〜。
大砲の性能を飛躍的に向上させた秘密は砲身の中に隠されています
美しいらせん状の溝が正確に刻まれています
この技術は従来の大砲にはない革新的なものでした。
その仕組みはこうです。
砲弾が砲身に密着しているため爆発のエネルギーが逃げる事なく推進力になります。
そしてらせん状の溝によって砲弾に回転軸が生まれます。
これで軌道が安定し正確な砲撃が可能になったのです
下関戦争における連合艦隊の位置を示す図がイギリスに残されていました。
艦隊は長州の砲台からおよそ1.6kmの距離で一列に並んでいます。
これは長州からの砲弾の被害を受けずに一方的に打撃を与える事ができる距離でした
ロンドンの…下関戦争の時長州がどのような大砲でアームストロング砲と対決していたのかを見る事ができます。
これが長州砲です。
その砲身をのぞくとらせんの溝…どうしてアームストロング砲のまねをしなかったのでしょう?この疑問を探っていきます。
長州砲が生まれた萩
長州藩はここで大砲を製造していた事が近年の調査で明らかになってきました。
大砲の材料に使った金属は銅とスズからなる青銅。
いくつかの炉で材料の青銅を溶かしそれを鋳型に流し込んで大砲を形づくるというものです。
これはお寺の鐘を作る方法とほとんど変わらない技術。
そんな青銅製の大砲に長州藩の命運が握られていたのです。
産業技術の歴史に詳しい…青銅の大砲にライフリングを施す事は技術的に難しかったとみています。
一方アームストロング砲の砲身には当時最新の科学技術で作られた素材が使われていました。
鋼鉄は巨大な爆発力にも耐える強靱さを持ちます。
それを垣間見る事ができるのが…高さ600mを超える巨大な建造物ですが見た目はとってもスリムですよね。
強靱な鋼鉄を使っているからこそこの形が可能なんです。
しかし鋼鉄を作るには不純物を取り除くためおよそ1,500度という高温が必要でした。
青銅の700度よりはるかに高い温度です。
更に鉄に含まれる炭素の割合をおよそ0.2〜2%の間にコントロールする必要があります。
そんな高度な鋼鉄作りのシステムをイギリスはまさにこの時代に確立し文明史を塗り替えます。
そしてその…近年イギリスで見つかった新資料によって下関戦争の意外な真相が見えてきました。
それはなんとイギリスが長州だけでなく幕府との全面戦争も想定していた…そんな驚くべき作戦計画です。
このイギリスの強硬姿勢は何を意味しているのか。
手がかりは当時イギリスが幕府に送りつけた書簡にありました。
実はそのころ幕府は開港した横浜港を閉鎖する方針を示していました。
外国人に反発する国内世論に配慮したためです。
しかしイギリスにとっては貿易の拠点を失う事になります。
そこで宣戦布告同然であると態度を硬化させました。
ここから導き出される下関戦争の真相とは?長州に対する報復と言われてきた下関戦争。
しかし実は自由貿易体制を日本に求める強烈な手段だった事が浮かび上がってきたのです。
さあというわけで松村さん。
はい。
これはさすがにやはり長州藩も勝てないと。
勝てない。
もう力の差が歴然としてましたけどね。
写真もすごかったですねイギリスのね。
上陸したあとのね。
(川崎)普通陸にいる方が有利なのかなと思っちゃうんですけどみんなやっぱ撤退しちゃうんですね。
撤退して上陸されて写真ですよ。
(鈴木)余裕ですね。
余裕ですよ。
よく考えてみりゃあさ山口県一個と英国と戦って勝てるわけないじゃないねぇ!今思えば。
なかなか勝てませんもんね。
さて世界との技術の差を思い知った長州そのあとどうしたんでしょうか。
それが分かる次の場所がこちらです。
再びイギリスのロンドンそしてスコットランドのアバディーンです。
イギリスと長州の深い結び付きが明らかになります。
それでは「世界へGO!」。
ロンドン郊外にある…ここに一人の長州藩士が眠っています。
密航留学生の…長州からはるか離れた異郷の地で22歳という若さで亡くなっています。
(優香)若い…。
それはあの下関戦争から2年後1866年の事。
科学技術を獲得する必要性を痛感した長州のサムライたちは産業革命の中心イギリスにひそかに渡っていたのです。
密航留学生の足取りはイギリス北部の町にまで。
アバディーン。
スコットランド第三の都市です。
彼らがやって来た1860年代この町は造船業でイギリスの産業革命を支える一大工業都市でした。
密航留学生がこの町を目指した背景には幕末に重要な役割を担ったある人物の存在があります。
アバディーンの一角に長州藩士がホームステイした場所があります
「グラバー」。
スコットランド人…
グラバーとはアバディーンから幕末の日本に渡った若きビジネスマン
今は長崎の観光スポットになっている「グラバー邸」を拠点に貿易業を展開。
長州藩はそのお客でした
グラバーは取り引きで関係を強めつつある長州藩士を実家で引き受けたのです
入ってみましょう。
ハロー。
あ〜!Nicetomeetyou.Nicetoseeyou.
スコットランドと幕末の日本の交流を研究する…
玄関を入るとそこは…
グラバーの実家は当時としては中流の家ですが異国のおしゃれな内装は長州のサムライたちを驚かせた事でしょう
そして彼らが寝泊まりした部屋は…
あ〜!え〜大体広さとしては…暖炉がありますね!小ちゃな暖炉。
部屋は共同で使われベッドは3つほどあったそうです。
寒さの厳しい冬場は暖炉の火をともして勉強したと伝わっています
アバディーンの海洋博物館にも長州藩の足跡が残されていました
これはアバディーンで造られた長州の軍艦の設計図です
長州が発注した船のエンジンの設計図
書き込まれているのは複雑な形をした部品の数々。
細かく記された数字からは素材を寸分たがわず加工する高度な技術が注ぎ込まれていた事が分かります
長州の近代化にスコットランドは欠く事のできない存在でした。
両者の意外な絆お分かり頂けましたか?
更に近年の研究では密航留学生たちの政治的な動きも明らかになりつつあります。
密航留学生の先駆け「長州ファイブ」と言われる5人組。
後に明治新政府のリーダーとなる伊藤博文や井上馨たちです。
これはそのうちの3人がイギリスの外務省関係者と接触していた事を示す記録です。
幕府を倒し日本の政治体制を覆す企てをイギリス政府に伝えていたのです。
密航留学生の訴えがイギリス政府を動かした。
その事を示す記録はありません。
それでも命懸けで世界に渡った長州藩士たちの奮闘がこのあと日本を新たな時代に導く力になるのです。
さあ…というね。
あのグラバーさんの実家にいたわけですよね長州の若者が。
すごい事ですけど。
すごいですね勉強して。
さあ川崎さん海外留学の経験があるという…。
そうなんですよ。
私カナダとイギリスにホームステイしてた事があるんですが留学するとそこの例えば…そういうのも思って帰ったんだなと思いますね。
300年続いた徳川幕府倒した人たちがね。
(デーモン)しかし面白いねあの長州ファイブで…そうですね確かに。
(鈴木)ではここで「幕末長州まるわかりクイズ」第3問はこちらです。
さあ今もありました長州ファイブです。
実は彼らは…
(鈴木)さあそれは一体何でしょうか?さあどれでしょうか?
(松村)伊藤博文はしゃべれた…。
(デーモン)伊藤博文は行ったからしゃべれたんでしょ。
(鈴木)そうですね。
最初のうちはまだ英語が話せなかったと。
ではいきましょう。
お出し下さい。
どうぞ!松村さんが3番の「番号で呼ばれた」。
(松村)長州ファイブでしょ。
なるほど。
(川崎)分かりやすい。
さあそして優香ちゃんが1番の「水夫」。
はい私も一番大変だったっていうのは番号で呼ばれちゃっても大変ではないかなって。
お互いにね「まあいいか」っていうね。
一番やっぱり嫌なのは「こきつかわれた」というのかなと。
そうか。
なんかじゃあこう…勘違いされてんのかなみたいな…。
刀持ってるのにね。
(鈴木)正解はこちらです。
という事で優香さんとデーモンさん正解です。
こきつかわれましたか。
(鈴木)この背景なんですけどイギリスに何をしに行くのかと聞かれた時に海軍「Navy」と言おうとして航海術という意味の「Navigation」と答えてしまったためにじゃそれなら水夫の実地訓練をしようという事でこきつかわれたそうなんですね。
世界に学んだ長州がいよいよ幕府を倒そうと動きだした時に重要な役割を果たした場所があります。
それがこちら。
(鈴木)上海です。
それでは「世界へGO!」。
躍進する中国。
その巨大都市上海
上海の発展のきっかけとなったのが今からおよそ170年前アヘン戦争に敗北した中国がここ上海を自由貿易の拠点としてイギリスやフランスアメリカなど欧米各国に開いた事にありました。
上海の町には今も当時の面影が。
「上海バンド」と呼ばれる観光客に人気のエリアは貿易のため税関や各国の領事館が建てられた所です。
れんが造りの異国情緒漂うエリアはかつてのフランス租界。
上海では外国人の自治も認められていました。
19世紀の上海は西洋人の手によって東アジア最大の貿易都市に成長。
さまざまな商品であふれる町となったのです
そんな上海に目をつけたのが日本の長州藩です。
彼らはこの地にひそかに乗り込みます。
そのねらいとは一体何だったのでしょうか?上海での長州の動き。
それが分かる幕府の報告書があります。
ひそかに長州の動向を探っていたのです。
長州が危険を冒して武器を調達していたのは幕府との戦に備えるためでした。
下関戦争後長州は日本を近代国家につくり上げるため幕府打倒を目指すようになっていたのです。
幕府の報告書には上海で暗躍したある長州藩士の名が記されていました。
後に明治新政府に入り近代的軍隊の基礎を築いた大村益次郎の事です。
その大村の遺品の中から幕末上海から密輸した武器のリストと見られる書きつけが見つかりました。
(原)これが「カラベイン」と書いているんですけどもこれも鉄砲の種類になるんですけども「四十九挺買ったよ」という内容になっています。
全部合わせて四百挺買った。
更に意外な人物からも長州に武器が流されていました。
イギリスケンブリッジ大学にその記録を見る事ができます。
ジャーディン・マセソン商会という武器を取り扱う会社への注文書です。
「長州からの武器の注文をお送りいたします」。
差出人の名はトーマス・ブレイク・グラバー。
あのスコットランド人グラバーの取り引きでした。
当時イギリス政府は長州との密貿易を認めていません。
しかしグラバーはあえてリスクを冒していたのです。
こうして長州には世界の最新兵器が大量に運び込まれていたのです。
でも「まるわかり」はこれで終わりじゃありませんよ。
幕府を倒すため兵士たちが装備したのが密輸で手に入れたミニエー銃です。
この銃にもアームストロング砲と同様にらせんが刻まれています。
そのため命中率がアップし射程もそれまでの数倍の数百mにまで伸びました。
この事が長州に画期的な戦術をもたらします。
それまでの銃は命中率が低いため大勢の兵が一斉に撃たなければなりませんでした。
それがミニエー銃では一人一人の兵士が物陰に隠れて撃つ事が可能になります。
つまり味方が少なくても多数の敵にダメージを与える事ができたのです。
これが「散兵戦術」と言われる最新の戦い方でした。
実は下関戦争で上陸した外国部隊もこの戦術を採用し長州兵を圧倒していました。
しかしこの戦術には弱点があります。
兵士一人一人の戦意や行動が戦局を左右するおそれがあるのです。
この弱点を補うため長州藩内で30万部も配られたという冊子があります。
そこにあるのは兵士の戦意を高めるための言葉。
そして1866年慶応2年6月。
上海での密貿易を口実にいよいよ幕府軍が長州に押し寄せてきます。
しかし軍事改革をいち早く成し遂げた長州軍は各地で幕府軍を圧倒。
2年後の1868年明治の世が開けました。
新しい日本の船出。
それは海外との出会いによって苦しみそして海外に学んだ長州の若者たちによって成し遂げられたのです。
では最後の問題いきます。
有名なのが…。
(松村)ふぐ!
(鈴木)そうです。
ふぐは毒がありますから江戸時代から何度も…
(鈴木)それは次のうち誰でしょうか?さあみんな今日出てきた人たちですね。
一体誰でしょうか?
(デーモン)濁っちゃいけないんだよね。
では皆さんお答えをお願いします。
もう全然分からなかったので…お兄ちゃんに期待すると。
お兄ちゃん解禁しててくれと。
やっぱ初代総理大臣ですからね。
あのあといろいろと…。
そのあとの以降の政治の部分でも下関と非常に関わりがあるので。
川崎さんが大村益次郎。
…かなぁと思って。
外国から来てる人は商人はない。
ペリーは開国させたけどすぐ帰っちゃったし吉田松陰若くして死んでるから右側の3人のうちどれかだろうと。
高杉晋作と大村益次郎は軍事的な面で率いた人たちだよね。
軍隊指揮してる人がふぐの話解禁しねぇだろうと。
では正解いきます。
こちらです!「伊藤博文」でした!松村さんとデーモンさん正解です。
これあくまで有力な説という話なんですが明治20年に初代内閣総理大臣を務めていた伊藤博文が…海がしけで…翌年…さあ…となりましたんで賞品はですね山口県下関市の特産品。
もうそうだと。
それ以外…。
(松村)ありがとうございます!ではなくてではなくてのこちら。
かわいらしい…
(松村)これもいいね。
ふぐ提灯いいですね。
(拍手)すごい勉強になりました。
知らない事だらけで。
海外とこんなに交流してるの知らなかったので。
長州って結構ハイファッションというか最先端いってるなみたいな。
おしゃれだなと思いました。
長州の藩士ってほんとにこう芯を持ってというか行動力もあるし。
だからグラバーさんも乗っかってくるという。
なんかやっぱもうほんと心なんだなっていうのをすごい感じましたね。
単に歴史の勉強というのではなくやっぱりこの長州藩が歩んできたいろんな失敗とか試練がその後生かしていってどういうふうにこう最先端に躍り出るのかっていうそこの…やっぱり何でも世の中そのチャンスってのを逃しちゃいけないんだなっていう事を非常に学んだね。
やっぱこの長州のね長州藩士の若者をいっぱい知ってもらえる一年になるといいなと思いますよ。
こういう番組きっかけに大河ドラマもありますのでね。
(鈴木)どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
皆さんにとって今年が良い一年になりますように!
(鈴木大木)ありがとうございました。
(拍手)2015/01/03(土) 22:15〜23:30
NHK総合1・神戸
世界へGO! まるわかり幕末長州[字]
2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となる幕末長州。なぜ長州藩は明治維新の立役者になれたのか?世界各地に残る幕末長州の足跡をたどり、歴史の流れを読み解いていく。
詳細情報
番組内容
2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台となる幕末長州。しかし、幕末という時代は人や思想が入り乱れ、わかりにくいという印象を持つ人も多い。そこで、当時の長州の姿を大づかみで「わかった!」と納得してもらおうというのがこの番組だ。日本が世界とぶつかった幕末という時代、長州藩の苦闘の痕跡はいまも世界各地に残されている。アメリカ、イギリス、そして上海からのリポートを交え、幕末長州の姿を「まるわかり」していく。
出演者
【出演】松村邦洋,優香,デーモン小暮,川崎希,【司会】ビビる大木,鈴木奈穂子,【リポーター】渡辺佐和子,【語り】天野ひろゆき
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
バラエティ – クイズ
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz
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