NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像「プロローグ」 2015.01.02


明けまして…。
(2人)おめでとうございます。
いや〜大みそかに続いてタモリさんと一緒っていうのが不思議な感じですけど。
2日連続違う番組っていうのはこれ珍しいです。
いや初めてですよ私。
新年お正月はタモリさんでNHKスタートするっていう。
これちょっと前なら考えられなかったですね。
明けましておめでとうございます。
(2人)おめでとうございます。
「紅白」の話題はそれぐらいにしてこの時間からは「NHKスペシャル」という。
そうなんですよ。
タモリさん今年70歳。
今年70です。
生年月日が?昭和20年の8月22日っていうのは終戦後1週間なんですよね。
これねちょっとね生年月日僕は言いたくないんですよ。
えっどうして?だって昭和20年8月22日生まれでしょ。
という事は昭和19年の秋敗色濃い日本で僕の両親は一体何を考えてんだという事になりますから。
お正月ですしねおめでたいじゃないですか。
こんな感じで新年の「NHKスペシャル」始まるんですが実はでも今おっしゃったタモリさんの生まれた年それから70年という事が深く関係するんです。
さて皆さん
今から70年前私たち日本人は焼け野原の中にいました。
NHKの映像にはそこからはい上がろうとする人々の姿が映し出されています
時に笑い時に涙しながら生きてきた私たち
明日は今日よりもよくなる。
そう信じて時代を積み重ねてきました
私たち日本人はどう生きてきたのか
そしてこれからどう生きていくのか
2015年。
戦後70年を迎えた最初の夜です
今日はさまざまな年代の超豪華ゲストの皆さんにお越し頂いてます。
どうぞよろしくお願いします。
何かこのメンバーで日本人の生きざまを考えるっていうワクワクするようなドキドキするような感じがしますけれども。
まずはタモリさん。
まさに戦後史イコールタモリさんの70年という事なんですけども。
ちょうど70年なんですけども。
あの時代一番よかったという一番よかった時代っていうのは?そう言われても困るんですが強いて言えばバブル崩壊以後ですね。
意味が分からないです。
バブル崩壊以後ですよね?バブル崩壊以後非常に飲み屋バーが楽しい時代だったんです。
本当に面白い話題がその人それぞれの持ち場で持ち味で個性が生かされてぐるぐるぐるぐる回ってるのが至福の時なんですけどもそれが初めて味わったのがやっぱりバブル崩壊以後なんですよ。
それまでのちょっと硬くて重いものが高級だというような志向がバブルによってちょっと吹き飛ばされた感じがあって軽くなるんですよねそのあとね。
なるほど。
何年生まれだっけ?僕は73年ですね。
両親とタモリさん同じぐらいです。
同じぐらい。
はい。
今のお話聞いてどうですか?堺さん。
僕もでも上京したのがバブル以後なので。
もしその前に僕お芝居やってたら多分やめてたと思います。
周りの方のエネルギーに負けて。
バブル以後すごく何て言うんですかね気圧がちょうどいい具合になって何か落ち着いた感じっていうのはすごく性に合ってる気がします。
なるほど。
NHKには貴重な映像や音がたくさん残っております。
それをもとに皆さんにタイムマシンに乗って頂いて日本人の来し方行く末を考えていけないかというふうに思っております。
その中から最初はですね70年前タモリさんの生まれた年終戦の頃に戻ってまいります。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」。
あの暑い夏の日玉音放送を聴いた日本人。
戦後の始まりです
突然の終戦。
ある作家の日記です
戦争で命を落とした人はおよそ310万人
ある学生の手記です
タモリさんのふるさと福岡もご覧の焼け野原
これいつ?生まれた頃の映像です。
タモリさんが生まれた8月22日平和の訪れを象徴する出来事がありました
天気予報の再開です。
戦時中は軍事機密として禁止されていたんですね
この日福岡は晴れ。
最高気温は34度4分
暑い。
すごい。
そうですね。
確かに。
このころ深刻だったのが食糧難
この映像何だか分かりますか?何拾ってるの?
(堺)ゴミ拾い?トラックの荷台から落ちたトウモロコシを拾ってるんです。
はあ〜。
すごいですね。
こちらは闇市。
アメリカ軍が撮影したカラー映像が残されていました
食料品の中には値段が通常の数十倍のものもありました
こんな映像も。
色鮮やかな着物姿の女性たち。
戦後初めて迎える正月の映像と見られています
中園さん当時の人たちの姿いかがですか?びっくりしました。
何かずっと桐のタンスに隠してたものを今だと思って出して着たいような気持ちだったんじゃないんですか。
女性たちは。
戦後日本人に大きな衝撃を与えたこの写真
昭和天皇と対等に並ぶのが連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーです
日本の非軍事化と民主化を進める占領政策が始まりました
進駐軍を受け入れる事を余儀なくされた日本人
英会話の本が300万部を超える戦後最初の大ベストセラーとなりました。
かつての敵国アメリカに対する姿勢が変化していきます
こちらは台湾から引き揚げてきた人たちの映像です
記録したのはアメリカの撮影隊です。
一人の少年が突然帽子をとって深々とおじぎをします。
すると後ろの人たちも次々と
面白いですね。
これ何だか分かりますか?終戦翌年の11月3日新憲法公布の祝賀行事です。
各地で行われました
岐阜県では新憲法を祝ってなぜか大運動会が開かれました
こちらは昭和天皇。
新憲法で国民の象徴となりました
戦前では考えられなかった市民との対話の様子が記録されています
戦後登場したのが天才少女歌手美空ひばりさん。
国民的なヒット曲が次々と生まれ人々は活気を取り戻し始めました
歌といえばラジオで始まった「のど自慢素人音楽会」
(笑い声)
横にいるのは番組のスタッフでしょうか
あれ傷つくな。
傷つくよこれ。
「もう結構です」。
当時の結婚情報誌が企画した集団見合い大会です
空前の結婚ブーム
続いてベビーブーム。
1年間に生まれた赤ちゃんはおよそ260万人
こちらは赤ちゃんコンクールの様子です
「赤ちゃんのコンクールが行われました」。
この子どもたちが後に団塊の世代として戦後日本の成長を支えていくのです
ちょっとねこれ衝撃的なものを初めて見たんですけども。
その前に変な事思い出したんですけども。
(一同)え〜!?赤ちゃんコンクールで?優勝して…。
(堺)当時から非凡な才能を…。
基準何だったんですか?基準何だったんでしょうね。
(中園)栄養状態のいい子じゃないと選ばれないですよね。
(堺)発育だ。
発育だったんでしょうかね。
その割には身長伸びなかったんですけど。
何十年ぶりかに思い出しましたよ。
「あっ俺優勝した事あるんだ」。
そんな事はまあいいんですけど。
俺この疑問今日は半藤さんに聞きたいんですけど。
この戦後の疑問が解ければあとの歴史はどうだっていいんで僕にとっては。
これ不思議なのは終戦って言いますけど敗戦ですよね。
まあ正確に言えば敗戦ですね。
…で終戦と言う訳ですよね。
あれは占領軍ですよね。
(半藤)ええそうです。
でも進駐軍と言いますよね。
進駐軍と言いましたね。
マッカーサーは敵国から乗り込んできたのに帰る時はみんなで涙流しておやじ呼ばわりの感じがあるんですよ。
それをどうやって…。
負けたのに敵国なのにすごい味方に変えていくのは日本人の一体どういう才能なのか。
それが一つとそれから親が子どもにそういうふうにしたのかと思ったらさっきの映像見たら子どもが自発的にやってますよね。
おじぎしてましたね。
あれ印象的でしたね。
これ謎なんですけどどうなんですか?日本は何かアメリカとはものすごい昔から仇敵な間柄に日本人は思ってますが昭和16年の戦争が起きた時にはアメリカ映画は日本の中で山ほど放映されてたんですよ。
ですからね日本の国の歴史戦前を見ますと対米というのがそんなに憎しみ合ってないんです。
鬼畜米英なんていうような言葉が言われますがあれを言われだしたのは日本が負けだしてきておかしくなってから敵がい心をあおるために日本の政治家が国民にですね鬼畜米英鬼畜米英と教え込んだんであって昭和18年の終わりぐらいまであんな言葉ないですから。
(堺)今のちょっとびっくりしましたね。
2つの時間というか2つの感情が同時にあるんですね。
日本人のアメリカが好きだっていう感情とそれでもアメリカは敵なんだっていう感情と2つの感情が同時にあったんだなと思って…。
(半藤)今もあるんじゃないですか日本人の中に。
アメリカが好きっていう感情とアメリカけしからんと思う人たちの間の…。
さっき涙したって内田さんが…作家の方が涙したと言いますけど。
俺違う…星新一さんに話を聞いたんですけども8月15日に皇居前を通ったら人がいなかったそうですね。
普通どおりに車通ってたし。
新聞に泣き崩れる写真がありますけどもあれやらせだという話もあるぐらい…。
まあそれはともかくとして普通だったらしいですね。
私は泣きませんでしたよ。
15歳でしたけど。
変な事言われてましたから。
負けたらみんな日本人は奴隷になるんだと男は。
じゃあ人生の今のうちに面白い事やっとこうじゃねえかというんで天皇の放送を聴いて1時間もたたないうちに防空壕の中に入ってたばこ吸いましたよ。
本当に泣き崩れなかったんですか?私そういうふうにドラマだと書いてしまうんですけれど。
そうなんですね?何て事ない淡々と。
淡々とああ終わったんだという。
そうですか。
歌人と俳人は泣いてます。
文学者もかなり泣いてますが一般の国民はそれほど泣いてないんじゃないかと思いますね。
何でですか?意外とみんな聞くとそうなんです普通の人は。
感情ってこう…答えがあるとそこに向かって泣いたり笑ったりするけどあまりにも大きい事があるとボ〜ッとしちゃうのかもしれないですね。
感情の持っていき場がない時って感情が形にならないのかもしれないですね。
そして食べていくのもものすごく…。
それまではとにかく日本人は一応戦争中ですから配給制度がちゃんとなってましたから曲がりなりにも食べ物はあったんですね。
ところが負けて22年ぐらいから23年ぐらいは本当に腹減って腹減って…。
私も夜寝ながら腹が減り過ぎて涙がボロボロ出た事が何べんもあります。
今日は俺のうちのおつゆの中にタニシが入ってるって思ったらよく見たら自分の目玉だったっていうのが…。
腹が減って涙が出るほどの終戦して数年後の厳しい時代。
しかしですねそこからちょっとたった1950年代大きく事情が変わってまいります。
転機は終戦から5年目
朝鮮戦争による特需景気です
作っているのは砲弾などの軍需物資。
アメリカ軍が大量に買い付けました
その恩恵は幅広い業種に及び日本は一気に復興を遂げます
日本人にとって戦後の再出発となった日本の主権回復。
同時に日米安全保障条約が結ばれます
占領が終わってもアメリカの文化が残りました
これねジャズじゃないんですよね。
ウエスタンなんですよ。
外国から入ってくる音楽を総称してジャズって言ってたんです。
「まるでジャズに取りつかれています」。
このころ日本人が夢中になった街頭テレビ。
人々を熱狂させた力道山。
空手チョップがさく裂します
これ見ましたね。
見ました見ました。
うん。
新橋では街頭テレビに集まったおよそ1万人が歓声を上げました
え〜?
(堺)見えるんですか?1万人もいて。
このころ東京タワーが完成。
エッフェル塔を抜いて当時高さは世界一。
僅か1年半で造り上げました。
小学生だった男性の手記です
翌年日本人を更に熱狂させる出来事がありました。
当時皇太子だった今の天皇陛下と民間出身の美智子さまとのご成婚です
ミッチーブームが起こり沿道は53万人で埋め尽くされました
しかし全く違う熱狂も日本人を包んでいました。
安保闘争です。
日米安保条約の改定を巡り政府与党は強行採決。
空前のデモは1か月に及び多い日には10万人以上が国会周辺を取り囲みました
しかし安保条約は自然承認。
戦後最大のデモはあっけなく幕を閉じました
タモリさんちょうど中学3年生ぐらいまでの時代ですけど。
そうですね。
朝鮮戦争出てきましたね。
あれで一挙に景気よくなるんですよね。
(半藤)よくなりましたね。
福岡にいましたんで板付から朝鮮に向けて軍用機がどんどん飛び立つのを見てあれは一体何なんだろうっていって親に聞いたところあれは朝鮮戦争だというのを…。
周りの方々の…戦争によって豊かになるっていうのはちょっと複雑な思いがするんじゃないのか…。
それはもう非常に複雑な思いだったと思いますが。
なにも爆弾作ってただけじゃないんですよね。
いろんな…それこそ電池一つあるいは電球一つ作るのにも全部特需なんですよ。
タモリさん暮らしがどんどん変わっていく感じって…。
ありましたねそれは。
例えば…?周りが…その極貧の人たちもやっぱり引き揚げ者の中にいたんですが何となく職が見つかったり…。
(半藤)そうですね。
着てるものがよくなったりとかいうのは覚えてますね。
だから相当な景気の急激な回復だったんだと思う。
朝鮮戦争が終わってアメリカ軍が戦って壊れた戦車なんか全部日本に持ってきてそれで東京タワーが出来たんですよ。
そうなんですか。
まあ全部じゃないですけどね。
戦後復興の象徴なんですね僕らの世代にとっては。
東京タワーというのは。
しかもあそこは関東でも最大級の古墳なんですね。
だから東京のあの辺は中心だったはずなんですよ。
そこにまた中心に東京タワーが建つという。
内藤多仲という人がタワーの名人なんですけども設計するんですけどもあのこのこれね。
これがこう頑張ってるって感じがするでしょ?ふんばってるなっていう感じがするので。
しかも東京の中心にあれが建つという事は我々の世代にとっては東京タワーはちょっと感激するものなんです。
スカイツリーは?全く興味ないです。
興味ない…。
何澄ましてんだこの野郎って。
東京タワーから放送の電波出たんですけれどもそこで一躍注目されたのが当時の皇太子さまの…。
ご成婚ですね。
私もうさっき美智子さまの映像にご成婚の映像にくぎづけになりましたけど子どもの頃から本当に憧れてましたから。
私の周りもみんな美智子さまごっことかやっていて。
美智子さまごっこってどんなごっこですか?お帽子をちょっと紙でまねして作ったり本当にファッションもおっしゃる事も子育ての方法も全て子ども心にもアイドルなのかな?スターでしたね。
だからそんな高いテレビでも買ってやっぱり美智子さまのご成婚が見たいと思ったんですよね。
先ほどの涙が出るほど食べられない時代から非常に大事なのは半藤さん独立をしてるんですね日本は。
それまでは日本の空は「この空は我が空ならず秋の空」というどなたの俳句か分かりませんけど日本の飛行機が飛んでませんから。
よそのアメリカの空なんですね。
それが27年に独立した時から「この空は日本の空ぞ秋の空」というふうに変えて詠んだという話もあるくらいに私たちは本当に独立したんだと。
ものすごく強く思いましたね。
うちの一家じいさんおやじから独立したという事は言われましたね。
(半藤)ああそうですか。
印象に残ってましたからね。
それであまりにも強く言われたんで学校に行って「今日は何の日ですか?」と言われて答えられたのは俺だけだったんですけどね。
(笑い声)うちの一家は大喜びしてましたよ。
何でですかね?新憲法の発布の時に皆さんものすごい喜んでらっしゃるじゃないですか。
運動会やったらパン食い競争とかやってましたね。
何の関係があるのか分からない。
でもそれもうれしかったんですかね?それほど喜んでたのに今憲法改正しようとしてますからね。
その時の誕生の時見るとまたちょっと違う思いで今の憲法を見ちゃいますよ。
そういう独立の喜びもあってそのあと右肩上がりの時代に入ってまいります。
高度成長期。
さあ日本人はどう変わっていくのでしょうか?
安保闘争から一転日本人の目が経済に向くのがこの時。
池田内閣の所得倍増計画です
日本人は目標を前倒しで達成。
高度経済成長の道を突き進みます
集団就職で東京に向かう若者です。
多くの日本人が農村から都市を目指しました
好景気で人手が足りず若者たちは「金の卵」と呼ばれました
大都市では人口が一気に増え通勤ラッシュが始まりました。
押し屋と呼ばれる人たちも登場
日本人の心を一つにしたのが目前に迫った東京オリンピック。
映像にはまだ舗装されていない東京の道路が映ってます
こうだったんですよね。
相当凸凹ですよね。
相当だよね。
東京ですもんね。
世界に日本の姿をアピールしようと日夜突貫工事が行われました
タモリさんこれ。
新幹線ですね。
さすが…。
0系ですね。
そう。
夢の超特急新幹線です。
目指したのは世界最高のスピード。
国の威信を懸けたプロジェクトでした。
開業したのはなんとオリンピックの9日前
ギリギリ…ギリギリだったんだ。
歌も作られてたんですね。
「はしれちょうとっきゅう」。
一番列車に乗った人が撮影した映像です。
それまで7時間近くかかっていた東京と大阪の間を4時間で結びました
はあ〜当時4時間。
今2時間半。
満を持してのオリンピック開会式。
アジア初の大会を人々が見守る中…
真っ青に晴れ渡った空に浮かんだのは…
私あれ見たんです。
アパートの窓から。
東京中から見えたらしいですね。
どこの窓も全部。
全員顔出して見てました。
五輪の輪を描いたのは航空自衛隊きってのエリート部隊ブルーインパルス
当時20代だったパイロットたちは練習を繰り返しましたが一年かけても成功していませんでした。
迎えた本番。
失敗は許されないと日本人の意地に懸けて臨みました
パイロットの一人は世界が注目するこの場で新しい日本を見せたいと思っていました
再び戦争をしない平和国家の日本です
「見てくれ!これを見てくれ!」。
日本人が込めた復興と平和への思い。
オリンピックをきっかけに人々は自信を取り戻しました
タモリさんもテレビの前で「や〜!」なんて言って…。
見ましたね。
あっへえ〜。
その当時暇だったのは俺とじいさんだけだったんで。
暇だったんですか?暇だったんです。
じいさんと俺はず〜っと見てましたね。
特に一番印象に残ってる…。
これは閉会式です。
え…?何で?閉会式各国乱れてバラバラに入ってきましたよね。
あれは東京オリンピックが最初なんです。
今もそうですよね。
もうみんな一緒にグチャグチャっと…。
今あれどこでもグチャグチャってなりますけど…。
(堺)東京から始まったんですか?始まったんです。
(半藤)そういえばそうですよね。
それまでは整然として入ってくるんですよね。
開会式も閉会式も整然と入ってきたんだよ。
それで各国の選手団が喜んだんですよね。
へえ〜いい伝統が作られたんだ。
それを見てたじいさんがひと言言ったのが今でも覚えてますけどね。
「戦争なんかしちゃ駄目だね」つってたんですよね。
(半藤)あれを見てね。
そうですか。
それがじゃあ一番印象に。
だから相当意味深いし。
まあ東京も全部変わりましたしね。
(半藤)変わりましたね。
変わりました。
ちょっと鉄道ファンでひと言言いたい。
(笑い声)あの新幹線が国家的な事業と言ってましたがそれは確かにそうなんですけどもあれ当時の十河総裁がいてそれで各有力な大臣の家の前に朝行ってお願いするんですよね。
それで何となくやりましょうオリンピックもあるからやりましょうというような事になったんですけども予算を調べさしたらまあものすごい額のお金がかかるんですよ。
その総裁はどうしたかというと半分の予算を国会に提出するんですよね。
それじゃあできないですよね。
ええ。
できない分かってるんですよ。
でも総裁の案は一旦着手してしまえば国会は追加予算を通すだろうという事だった。
はあ〜。
それでやっちゃえという事になって追加するんですよ。
やっぱ通るんですよ。
すごいんですね政治力は。
出ましたあの押し屋っていうのありますよね。
あれも十河さんなんですよね。
あっそうなんですか。
あれも見切り発車というのはいかんと。
見切り発車なんていうのは危ないと。
だからみんなして入れようととにかくみんなして押し込めというふうに。
俺の友達やってましたよ。
押し屋を。
押し屋をやってて途中から無理だと分かって今度ははがし屋っていうのを。
はがし屋っていうのは?もう諦めなさい。
もう駄目よやめてやめて。
諦めなさいってはがす。
押し屋は押し専門はがし屋ははがし専門で。
押し屋ばっかりだったんですけどももう押し屋が全部はがし屋に転向ですよ。
訳が分からない。
今見てちょっと不思議だったんですけどほかの国並みにっていうんじゃなくて夢の超特急もそうだし東京タワーもそうだけど世界一を作りたいっていうその志の高さというのはどういうところから来たんですかね?やっぱりいい日本をつくりたいという思いじゃないですか?本当にいい日本をつくりたいという思いだと思いますよ。
それでつくれちゃったんですもんね。
まあでも日本の国は突然こうなった訳ではなくて昭和30年ぐらいからかなり日本は高度成長ってのはおかしいですけど成長してたんですね。
ですから池田内閣が月給2倍論っていうのを言ったけどみんな私なんかもね「おい月給2倍になるって本当かな」なんて言って「そんな事できるはずねえじゃねえかバカ」なんて言ってたんですがでもまんざらできないんでもないんじゃないかという思いはありましたね。
空論だという声はあんまりなかった。
あんまりなかったですね。
高度経済成長まっしぐらの日本。
戦後最大の好景気に突入。
更に加速していきます。
当時話題となったのがこのテレビコマーシャル
「100ダッシュ」。
「オー・モーレツ!」。
このころモーレツ社員という言葉がちまたで聞かれるようになりました
「社員の精神修養の場としていた」。
ある企業の社員研修の様子です
会社何の会社なんですかね?普通の会社だった…。
普通の会社がこんな素振りやってる。
「ああ〜!」。
ボヤボヤするな!
終戦から23年ついに日本は資本主義諸国の中でアメリカに次ぐ経済大国になります。
年間の総労働時間はおよそ2,300時間。
今より500時間も長かったんです
ほほう〜。
突っ走る日本。
輸出拡大を巡りアメリカとの貿易摩擦が深刻になっていました。
当時の官僚佐橋滋氏の言葉です
官民挙げての経済戦争とも言うべき事態に突き進んでいきます
・「こんにちはこんにちは西の」
日本の技術力の高さを世界に知らしめたのが大阪万博です
史上最多の世界77か国が参加。
入場者数は半年間で6,400万人を超えました
この時話題になった一つがこちらなんですけれど。
これ何ですか?これ。
人間洗濯機。
はあ〜。
この人はずっとこれずっと…。
デモンストレーションでずっと入ってらっしゃる。
カサカサになるんだよ。
洗浄から乾燥まで全自動でやってくれる。
乾燥まで!現在ね介護用のお風呂として実用化されているんですって。
へえ〜!
しかしこちら。
公害です。
工場廃水や大気汚染。
ひたすら経済成長を優先させてきたひずみが生じていました
多摩川ってあんな感じだったですね。
一時期。
えっ多摩川がですか?合成洗剤がちょうど出てくるんですね。
それを含んだ水が下水が一挙に多摩川に全部流れて。
このころ新宿駅西口ではベトナム戦争反対を訴える大規模な集会が毎週行われていました

若者たちを中心にフォークソングを歌っては熱い議論を交わすこの集会フォークゲリラと呼ばれましたよね
これ私見に行ったんですよ父と。
見に行くものなんですか?いや警察がいてそのうちぶつかり合いが始まってそしたら父がさすがにもう危ないから帰るぞって。
こんなショーはもうないですよ。
歌ってライブを見る訳でしょ。
そのあと警官隊とぶつかるんですからね。
こんなライブは…ないですよ。
これ両方見れるんですよこれ。
このころ日本は高度成長から一転曲がり角を迎えます。
オイルショックでトイレットペーパーを買い占めようとする長い行列が出来るなど市民はパニックに陥りました。
こうした時代人気を呼んだのが…
「おそ松カラ松十四松一松チョロ松トド松さあみんなそろった!」。
「シェー!」。
このナンセンスギャグが一世をふうびします
子どもはカメラ向けられると全員「シェー!」をやってました。
(半藤)やっていましたかね。
うちのアルバムも「シェー!」だらけ。
今で言うピースサインみたいなもんですよね。
(堺)なるほど。
皇太子さまもやってるんですね。
このナンセンスギャグの生みの親赤塚不二夫さん
赤塚さんに才能を見いだされお茶の間に登場したのが…この人です
「な…何ですか?…え?NHK?俺撮ってんの?えっ?本当!?」。
わざとらしいなこいつは本当に。
これカットしてほしいんだよね。
どうしてですか?いや…テレビに映ってる僕嫌いなんですよ。
だから自分の番組一切見ないんですよ。
最も嫌いな時代なんですよ。
(笑い声)わざとらしいねもう本当に。
乗りに乗ってらっしゃる時ですけど。
今あのちょうどタモリさんでいうと大学に入学するために上京してサラリーマンになって結婚もされてという時代なんですけども。
あのねこのモーレツ社員っていうのがいましてそれで社員研修っていうのが普通の会社なんですけども泊まり込みで行われるんですね。
夜通し歩かせるとかね。
それから横断歩道橋で突然歌うとか。
研修で?ええ研修で。
何を研修するんですか?分からなかったですね。
僕はそのころから日本国に対して少し距離を置くようになりましたね。
日本国に対して?
(笑い声)何…どういう?社会に対して距離を置くようになりましたね。
でも一方で堺さん当時の官僚の人たちとかあるいは会社員とか一生懸命頑張ってものすごい頑張りをしたという事はありますよね。
そこのところはどう見ていらっしゃいますか?佐橋滋さんのお名前あったけど基にした「官僚たちの夏」というドラマやらせてもらった時に本当にセリフの最後は全部ビックリマークで終わってるんですよ。
どのセリフ言うのも全部ビックリマークがついてるんですよ。
どなり散らすようなシーンでその熱さはどこから来てるんだろうってずっと不思議だったんですけど焼け野原を見てこの人たちは働いているんだっていうのが分かってからその熱の正体がちょっと分かったような気が…。
つまり何か戦争がまだある意味続いているというか。
うんうんそうだね。
自分たちで働いてる事によって経済戦争っていう形のアメリカになんとか追いつきたい追い越したいっていう気持ちががむしゃらにモーレツに働く人たちの勤労意欲だったんじゃないかっていうのを何となく思って随分演じてから時間たってから思った事だったんですけど。
それがあのビックリマークだったんじゃないかな。
この時代の官僚の方っていうのは国家というものをせっかく戦後成長を遂げてきたけどもぶつかり合った訳ですね。
外国の新しい資本とかいろんな事ぶつかり合う訳ですからこれでもう一遍ペシャンコにされたらかなうもんかというんでそれでですから本気になってこの国家をもう一遍守り抜こうという強いあれがあったんじゃないでしょうか。
一方でこのフォークゲリラとあるんですが後で聞いたんですけども実際歌ってたあるフォーク歌手に反戦の意味を込めて歌ってんのかっていうとほとんどなかったですね。
周りが何か言うと「うわ〜!」っとこう反戦ムードになるんで調子よく歌っていたんですが途中から怖くなったって言ってました。
(笑い声)当時その大学生として反戦っていう意識を持たないとアホじゃねえかというような風潮もあったんですよ。
はあ〜。
反体制をやってないと。
そういう空気の中で公害などが出てきましたね。
成長のゆがみみたいなものができているんですが…。
この公害が出てきてかなり社会が変わるんですよね。
突き進んだ一つの心理としてはもうその時から矛盾はかなり出てきてたんだと思うんですけどね。
それはかなり分かってたと思いますよ。
企業の方もそれから政府の方もみんな分かってたと思うんですけどとにかくモーレツで進まなきゃいけないんですよね。
そうなんですよ。
というのは仕事をしているそれをやめると自分の事を考えなきゃいけないという恐怖があったんじゃないかと思うんですけどね。
えっどういう事ですか?いや自分との対話って一番人間にとってつらいものですから。
それやめて仕事に外に向いとけば何となく格好つくし仕事してるやつに向かって誰も非難できない訳ですからね。
タモリさんは赤塚さんと親しくしてらっしゃいましたよね。
一度是非聞きたいと思ってたんですが「シェー!」というのはどういう意味なんですか?これ。
いや…意味ないんじゃないですかね。
全く…。
この時代っていうのはタモリさんどういうふうにテレビの世界あるいは笑いと向き合ってらっしゃったんですか?僕あの…この堺君とかほかの方たちとは違ってあるものを言葉を全部信用してませんからそれを解体したいんですね。
コミュニケーションも解体したいんですよ。
え?どういう事ですか?そのいわゆる言葉っていうのは意味ですから意味の連鎖が社会の秩序とか価値になってる訳です。
それを解体すれば何も意味がなくなってくる訳ですよね。
意味の連鎖というのは非常に重いものです。
人間にとって。
なぜその解体したいんですか?みんな秩序があった方が動きやすいし生きやすい。
僕らの上の世代の重苦しい文化の雰囲気でしょうね。
重いものがいい暗いものがいい言葉には意味があるとかいうのの反発でしたね。
ですから赤塚不二夫もその反発じゃなかったと思うんですけどね。
ああいうひたすら…ひたすら意味がないですよね。
(半藤)確かに…。
さてちょっと興味深い結果が出ていますのでここでご覧頂こうと思います。
今回番組を放送するにあたって全国の20代から70代以上の方3,600人に世論調査を行いました。
社会に大きな影響を与えるなどした戦後を象徴する人物を1人挙げて頂いたら上位10人こちらになりました。
ジャン。
1位が田中角栄さんだったんですよね。
どうですか?タモリさん。
マッカーサーが入ってるというのがすごいですね。
(半藤)すごいですね。
敵国が入ってるっていう。
堺さんは何か印象的な…。
吉田茂よりも田中角栄が上だっていうのが面白いですね。
ほとんどの世代でそうなんです。
ああそうなんですかやっぱり。
いかがです?そこのところは。
(中園)私田中角栄ファンなんですごくうれしいです。
ファンですか?ファンなんですよ。
たたき上げの男が好きなんで。
(笑い声)繁栄を追い求めてきた日本人。
1980年代その極みに達します。
・「お昼休みはウキウキWatching」また俺出てくるんじゃない?嫌なんだよな。
タモリさんがお昼の顔となった80年代。
日本はバブルの時代に突入します
大体司会者が出てきていきなり歌うというのはおかしいでしょう。
世界的に見ても。
「今日から始まりました『笑っていいとも!』」。
バブルのきっかけはプラザ合意。
アメリカの意向を受けて円高が一気に加速。
これが引き金となり大量のマネーが土地や株式に流れ込みます
株価や地価はうなぎ登り。
バブルが日本人の心を変えていきます
金がブームとなり登場したのがこちら…
そして金の巻きずし
1億円の金塊が町のシンボルになった時代です
20代の女性の手記
アメリカのテレビ局が伝えたのは海外の不動産を我先に買いあさる日本人の姿です
終戦から44年。
昭和天皇が崩御
時代は昭和から平成へと移り変わります
ヨ〜オ!
(三三七拍子)
この年の暮れ株価は史上最高値を記録します
誰もがこの繁栄がいつまでも続くと信じていました
しかしその後バブルが崩壊。
最悪の不況が訪れます
そして戦後50年の年。
バブル崩壊に追い打ちをかけるような出来事が相次いで起きます
「ばあちゃん!」。
「外出て!外外外!危ないガス出てるから!」。
作家司馬遼太郎さんは亡くなる前日本人に向かってこう語っています
この時期は本当に異常だったですね。
同級生とかそういうのをつてを頼って銀行が会いたいという話来るんですよ。
そしたら「ビルを買いませんか?」って。
タモリさん個人に持ち掛け?「ビルを買いませんかっていくらなんですか?」と言ったら20億って言うんですよ。
「20億といったって僕はそんな金はないですよ」。
「いやもうお金は結構なんです。
買って頂いたらそれを担保にして頂けたらこちらが20億融資します」って。
「返済はどうなんですか?」って。
「返済は今んとここれだけありますんでこうやってこうやっていけば何年後かに返済できます。
一銭もお金は要らなくてそれで返済できますからそしたらあとは自分のもので」。
「じゃあ途中で駄目になった場合どうするんですか?」と言ったら「お売りになればいいじゃないですか。
元取るどころか利益が出ますよ」って。
さすがの俺もこれちょっと話おかしいって。
断ったんですよ。
そしたらその銀行業界の中でその担当者がうわさを流して。
タモリってバカだとあいつは。
計算ができないんだよという。
え〜!それでたまたまバブルがはじけてそのビルが売りに出てたんですよ20億ってビルが。
いくらだと思います?3億ぐらいだったですよ。
うわ〜!買ってたらどうなります?買ってたら。
バブルがはじけるかもしれないみたいな危惧みたいなものはなかったんですか?
(半藤)全くなかったんですね。
もう少しは続くだろうってみんな思ってたんですよ。
もう少しは続くだろうと。
やっぱり自分に対話すんの嫌だったんでしょうね。
自分と対話するのが嫌だったんですよ。
もしかしたらもしかするんじゃないかと自分で自分に考えるのが嫌なんですよね。
この時代はその自己との対話?おかしいんじゃないかと問いかける事がなかったとともにもう一つ目を海外に向けるといろんな出来事が起きてるんです。
例えばベルリンの壁がですね崩壊して東西ドイツが1つになるとかですね。
それからアフガニスタンからソ連軍がこてんぱんに負けて退却していくとかですね。
天安門広場で中国がね。
みんな同じ年ですよ。
同じ年にそういう事がどんどん世界で起きてるのに日本じゃまだ大丈夫よといって株価の最高値をつけたのが同じ年なんですよね。
オウムの事件なんですがやっぱりバブルの時はずっとその仕事とか事故とか対話がなく過ごしてきて。
それでも仕事があったからいいようなもんなんですがそれもなくなった時に自分を忘れさせてくれるものがなくなったんですね。
そこの隙にオウムが入ってきたような感じがするんですよね。
僕はでもオウムのその事件の時にちょうど僕も劇団に入っていてある意味一生懸命お芝居をしようと思っていた時期だったのでひょっとしたら根っこは同じかもしれないと思った記憶があります。
同じだと思いますね。
たださっきのお話じゃないけど自分と向き合うにも何と言うのかな作法というか向き合ってる自分を笑うもう一人の自分がいないとすごく危ない事になるんだろうなというのは思ってたんですよね。
中園さんはその辺どんなふうに…?私トレンディードラマというものを書いて脚本家になったんですけれどだんだんやっぱりそういうものが視聴率が取れなくなってきたりしてやっぱりみんな…それでもまだバブル崩壊したあともありえないようないいマンションに住んでる女の子とかそういうのがドラマで夢として出てきて。
まだそういう事があったんですがそれも本当に…。
あれ?トレンディードラマ作れば全部当たったものがあれ?当たんなくなってきたぞというような感触はありましたね。
OLさんが奮闘してるものだとかお仕事物にちょっと自分自身も移行し始めたような気がしますね。
実はこのころ日本人というのはこの国は安心で安全な国であるという自信は持っていたんですよね。
(半藤)持ってたんですよね。
持っていたんですよね。
ところがそうじゃないんだという事がこのオウム事件で本当に見せつけられたんですね。
阪神・淡路大震災でも…。
(半藤)そうですね。
高速道路がひっくり返るって…。
ありえないと思ってた事ですからね。
日本の技術というのは本当にすごいとこまであるんだというふうに。
これも神話ですけどね。
それがもろくも崩れるというのが目の前に見せつけられた訳ですから。
それまで私たちが信じてたものは何だったんですかねそうすると。
私たち日本人は何を大事にしたかというと言葉は近代化という言葉になるんでしょうけどもある程度技術とか知力とかそういうのを全部集合した日本人の力を結集する事によって繁栄に向かって生きるんだという事で私たちは本当に本気で信じた訳ですよね。
どうもね私たち何か大事なものを戦後になって復興と繁栄のためにスト〜ンと切り落としてきちゃって代わりに何か別なもんで埋めなきゃいけなかったんです本当はね。
江戸から明治になった時にも起きてるんです。
江戸のものは全部否定したんですね。
仏像も否定するしそれから絵画なんかも否定するし。
今では世界的なものになってる浮世絵を海外の陶器を送る包み紙にしてた。
包み紙だったんですよね。
簡単に日本は前のものを捨て去るんですよね。
つまりリセットしてゼロの所から何となく始めたがる傾向が我々にはあるんじゃないかと思って。
でも本当は生き残った人たちの歴史だから時間は続いてる訳だし終戦の日もごはん食べる人もいる訳だし普通に生活してる人もいるから。
そういうリセットできない何かがずっと脈々と続いてる何かがあってそれは文化かもしれないし心意気かもしれないし礼儀かもしれないしっていう…何かが続いてるってリセット簡単にしちゃ駄目だというか。
私たちは自分たちが大事にしなければならないものは何なのかそれを見いだせているのかどうかここでご覧頂きます。
日本人に再び衝撃が走りました
未曽有の自然災害と原発事故です
(泣き声)
自らも被災した作家の言葉
戦後最悪の犠牲者を出し日本人が築いてきた土台が大きく揺らいでいます。
そんな中で迎えた戦後70年。
私たちはどう生きてきたのか。
これからどう生きていけばいいのか
70年をひたむきに歩んできたこの方を訪ねました
昨年ノーベル賞を受賞した赤勇さん85歳です。
革命的な省エネの光青色LEDを開発しました
赤さんの研究の原点は暗い戦争体験にありました
70年前学徒動員から帰った時目の当たりにした焼け野原となったふるさと。
多くの友人も奪われました。
生き残った者としてここから再出発するしかない。
そんな思いがわき上がってきました
そう思うというのはどういうお気持ちで?
東京オリンピックの年家電メーカーの研究部門で働き始めた赤さん。
取り組んだのは究極の光青色LEDの研究です
光にこだわったのは終戦直後暗闇の中かぼそいランプでしのいだ体験があったからでした
しかし研究は周りから不可能と言われ続け50歳を過ぎても成果を出す事はできませんでした
おはようございま〜す。
そんな時に研究室に新たに加わったのが当時大学生だった天野浩さんでした
高度経済成長期に生まれた天野さん。
何度失敗しても諦めない赤さんの姿勢に驚いたと言います
赤さんの影響を受けひたすら実験に没頭する天野さん。
実験回数は1,500回を超えました。
数え切れないほどの失敗を重ねた末ついに青色LEDにつながる大きな成果を生み出しました。
赤さんと天野さん。
世代を超えて受け継がれたどりついた日本人の光です
こんな事タモリさんもご存じないでしょうけど「男なら男なら戦に負けて何でへたるんだ」と。
「女房娘息子のために元の日本にして返す」っていう当時歌がはやったんですよ戦後…戦争直後にね。
必ず元の日本にして返すという。
私もね子ども心にねそう思って必ず元の日本いい日本にそういう国にしてやるんだと戦後すぐ思った事を今赤さんのお話伺いながら思いましたけどね。
ひょっとしたら今日のVTRなんか見てたらちょっと過去の人を調べてみようかなと思いましたね。
とても勇気づけられるんじゃないか力づけられるんじゃないか。
本当日本人って強いんだっていう事を改めて思いました。
天野さんのあのお言葉がすごく響きましたね。
その上の世代の方の気持ちを引き継ぐっていうのも大事な仕事だし。
いろんな方のいろんな思いっていうのを引き継げるんだっていうのはすごく僕にとっては希望の言葉ですね。
今私たちに一番問われている事は何だと…?これはね司馬遼太郎という作家が亡くなる1年前に私長い事話しましてねその時司馬さんね「日本人がみんなして…1億2,000万の人間が全員という事はいかないだろうけどそのうちの7割か8割の人は合意できる事があるはずだ」と。
「みんなして考えてその合意できる事だけでもやるという事に国民が意志を統合すればですねこの国はよくなるよ」と。
「そんな事あるんですか?何やりゃいいんですか?」と言ったら司馬さんが言うのは「自然をこれ以上もう壊さない。
欲望をガンガンガンガン外へ広げるなんて事を考えないでもっと優しい日本に戻る。
自然を美しいものに元へ戻すという事を合意すればこの国の明日はあるんだ」というのが司馬さんの言葉でしたけどね。
今の言葉ちょっとなるほどと思ったんですけどまあ経済学者でも何でもないですからどでかい事をぶちかましてよろしいですか?
(笑い声)どでかい事!どうぞ。
謹んで。
謹んで。
これ日本だけじゃなくて各国資本主義というのが行き詰まってますよ綻びもあるし。
かといって共産主義は全部もう駄目だというのが分かった訳ですよ。
でこの…じゃあ資本主義っていうものを全く違うものにするのかこれもちょっと考えにくい。
そうするとこの資本主義に何か手を加えてよりいいものにしなきゃいかんと思うんですよね。
でそれが果たして何なのか。
俺ちょっとボランティアの方向にも興味があるんですけどもその手だてになるんじゃないかと思うんですが。
やっぱり大多数がそれを合意できるような何か手を加えて違う…ちょっと違う新たな資本主義が出来るのが日本の勤勉さと従順さ秩序さそれを持ってる国民の日本じゃないとひょっとしたらできないんじゃないかと思うんですよね。
それを世界に先駆けてやれるっていうのは日本ぐらいじゃないかと思ってるんですよ。
(半藤)いいですね〜。
日本人の70年って何だったと?一人の人物として捉えるとこんなに面白い70歳はいないですね。
何か本当にゼロから始まって必死な時代があってちょっと浮かれてた時代もあってでも今しっかりもう一回立とうとしてるというこの70歳本当にすてきな70歳だと思います。
さっき半藤さんがおっしゃった日本の自然が嫌いな日本人って絶対にいないですよね。
何かそこが糸口になったらいいなって…。
やっぱり私自然を最も壊すのは戦争だと思うんで。
そこの時代には絶対に戻りたくないですね。
タモリさん今日お正月の夜から皆さんちょっと一杯引っ掛けた方も「NHKスペシャル」見て下さってると思うので最後何かありがたいメッセージとか今年一年がよりよく生きられるメッセージみたいな…。
あっ私ですか?ええ。
おこがましい事…。
今年一年よろしくお願いします。
(笑い声)よろしくお願いします。
終戦直後初めて平和の中で新たな年を迎える日本人の姿
恋人と語らいそして新しい命の誕生を喜び合ってきた私たち
ささやかな幸せを願い歯を食いしばり困難にも立ち向かってきました
戦後70年。
それは私たち一人一人が積み重ねてきた記録です
今年また新たな1ページが始まります
2015/01/02(金) 08:35〜09:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル 戦後70年 ニッポンの肖像「プロローグ」[字][再]

戦後70年の節目を迎える2015年。日本人の生き様やこれからの日本について、豊富な映像とタモリや堺雅人など豪華ゲストのトークをともに伝える。

詳細情報
番組内容
戦後70年の節目の年を迎える2015年。これから日本や日本人に何が必要なのかを考えるために戦後日本人の70年間の歩みを振り返る。1945年8月、終戦1週間後に生まれ今年70歳になるタモリさん、高度成長期に生まれた堺雅人さんなど各世代を代表するゲストをスタジオに招き、戦後復興から高度成長、バブル崩壊そして現在に至るまで、NHKの豊富な映像や全国3600人に行った世論調査をもとに日本人の生きざまを語る
出演者
【ゲスト】タモリ,堺雅人,中園ミホ,半藤一利,【司会】三宅民夫,有働由美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ニュース/報道 – 報道特番

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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