ファミリーヒストリー「名取裕子〜幕末の写真 母の形見の真実〜」 2015.01.02


おかしな事を言いやす。
うちは所詮よそもんやし。
驚いたでしょう。
19歳で芸能界にデビューして以来300本を超えるドラマや映画舞台で活躍してきました。
そんな裕子さんには…それは…突然の別れだったため母の幼い頃の事や父とのなれ初めについて聞く事ができませんでした。
番組では裕子さんに代わり家族の歴史を追いました。
幕末に撮られた一枚の写真に偶然写っていた驚きの事実。
生糸で財を成した祖父。
(大砲の音)太平洋戦争末期…そして…ルーツに関わる新事実が次々に明らかになっていきます。
この日裕子さんは知られざる家族の歴史と向き合う事になります。
すごいですね。
幼くして死に別れた母只子さんのルーツ。
小方家の歴史をひもときます。
母の実家があった東京・町田市。
地元の郷土資料館で手がかりが見つかりました。
明治初めの宅地や畑などを記した帳簿です。
ここに小方甚吉さんの名前がありますね。
小方甚吉。
裕子さんの4代前に遡る高祖父です。
広さ三畝十歩。
およそ300平方メートルの畑を所有し農業を細々と営んでいました。
甚吉が暮らしていた頃の町田を写した貴重な写真があります。
幕末の1860年代に日本を訪れたイギリス人写真家ベアトが作った写真集。
海外に日本を紹介するために作られました。
今から150年前民家や商店が立ち並ぶ通りを写した一枚の写真。
実はこの写真調べてみると意外な事実が分かりました。
郷土史家のもとにあった江戸後期の町田の絵地図と写真を照らし合わせてみます。
甚吉さんと書かれていますがこの辺が小方甚吉さんのお宅だと思います。
町田の中心通り沿いにあった小方甚吉の家。
写真は勝楽寺の参道近くから撮られたといいます。
そのすぐ先にあったのが甚吉の家。
つまり写真右側に写っているのが甚吉の家だったのです。
軒下の人またはその前に立つ男性が甚吉なのかもしれません。
幕末から明治にかけてこの通りは大きく変貌していきます。
欧米に向けて輸出される生糸がこの道を通って横浜に運ばれたからです。
当時長野や山梨から町田を通り横浜に生糸を運ぶ街道は「絹の道」と呼ばれにぎわいました。
すると甚吉の息子三之輔の代。
農業をやめ街道を行き交う人々を相手に呉服商を始めています。
更に甚吉の孫二が事業拡大のために打って出たのが製糸業でした。
これは大正元年に発行された…小方製糸場があったのは神奈川県大和村。
現在の大和市です。
地元の人が製糸場の跡地に案内してくれました。
ここです。
ここから向こうまでですね。
二は雑木林を切り開きおよそ300坪の敷地に工場を建てたのです。
当時の貴重な写真が残っています。
明治44年二は22歳で小方製糸場を設立。
地元の若い女性50人ほどを女工として雇います。
給料のいい女工は人気の職業でした。
あっこんにちは。
かつて自分の祖母が小方製糸場で働いていたという人が見つかりました。
うちの祖母は…。
これですね。
すご〜い。
岩本さんの祖母…二の紹介で工場に出入りしていた男性と結婚しています。
結婚したキンさんはその後5人の子供に恵まれ晩年までおしどり夫婦だったそうです。
大正3年第1次世界大戦が始まると生糸の価格が乱高下します。
二は製糸業に見切りをつけ新たな事業に乗り出します。
二の親戚の家で当時の書類が見つかりました。
ちょっとこんなものなんですけどこんな書類で…。
大正8年の事業計画書。
運送会社を立ち上げたと書かれています。
当時国内では鉄道網が広がり横浜線の開通で町田にも原町田駅ができていました。
鉄道で運ばれた荷物を商店や会社に運ぶ需要が生まれます。
間もなく二は駅前に小方倉庫を設立します。
二は子宝にも恵まれます。
大正15年5人目の子供が誕生。
後の裕子の母只子です。
これは只子4歳の時の写真。
大きな庭つきの家で何不自由ない暮らしを送っていました。
こんにちは。
どうぞ。
只子の小学校の同級生…ほら見てみんなこんなよ。
笹本さんは裕福だった只子の事をよく覚えています。
しかし昭和11年父二が肺を患い47歳で亡くなってしまいます。
一家はやむなく事業を畳み蓄えを切り崩す生活になりました。
更に昭和16年太平洋戦争が始まると家を支えていた2人の兄が出征してしまいます。
只子も学業の合間を縫って家事を手伝うようになります。
5歳下の弟の面倒も見なくてはなりませんでした。
只子の女学校の同級生…この人ですね。
弟の登校に付き添う只子の様子を覚えています。
そんな中只子にうれしい出来事がありました。
女学校卒業のお祝いにと母が着物を買ってくれたのです。
家族のために頑張る只子をねぎらおうと貯金をはたいてくれました。
よほどうれしかったのか只子は横顔や後ろ姿などいろいろな角度から写真を撮っています。
着物を着て喜ぶ只子の様子を覚えています。
終戦後も家族を支え続けた只子。
28歳を過ぎても結婚しようとしませんでした。
昭和29年そんな只子を心配した知人の勧めで見合いをする事になります。
お気に入りの着物を着て臨んだ只子。
相手はハンサムな男性でした。
運命の出会いでした。
なんかこんなすごい…。
裕子さんにとってもう一つの大切なルーツ。
父方名取家の歴史。
まず裕子さんの祖父明の代に遡ります。
名取家のルーツは現在の…ごめん下さい。
祖父明が生まれた家を訪ねました。
今も明の兄の孫が暮らしています。
明の写真が残されていました。
明治25年農家の八男として生まれた明は職業軍人を志し二十歳で海軍に入ります。
シベリア出兵では巡洋艦で任務にあたったと言われています。
29歳の時隣村飯野村の娘なおぢと結婚します。
なおぢは美人で評判の娘でした。
おばあちゃんに似てるって事を聞いて。
(泣き声)大正12年明となおぢのもとに2人目の男の子が生まれます。
このころ一家は横須賀海軍基地の近くに移り住んでいます。
9人の子宝に恵まれ大家族で暮らした家が今も残っています。
現在この家には明の次女菊池葉子さんが暮らしています。
軍人だった父から厳しくしつけられました。
そんな父明のもとで育った勲。
幼い頃から生真面目で勉強がよくできました。
15歳になると日産自動車が横浜に設立した技術者養成所に通います。
勲の同級生の遺族が卒業アルバムを大切に保管していました。
あっこれでした。
ねっ。
これがお父さんで名取さんよね。
勲と野口四朗さんは仲の良いクラスメート。
卒業の年は昭和16年。
アメリカとの戦争が迫る中勲は寸暇を惜しんで勉強し友と語り合いました。
卒業記念に勲が書いた寄せ書き。
こちらの「Timeismoney」ですね。
勲はつかの間の青春を「Timeismoney」「時は金なり」と表していました。
その後勲は18歳で日本大学工業学校に入学しています。
更に専門的な技術を学ぶためでした。
これが名取勲さんの成績表です。
これは数学の方で特に…109…ほとんど9以上でとられています。
1年目を終えた勲。
101人中7番という好成績でした。
将来は技術者を目指していた勲。
しかし時代の荒波にのみ込まれていきます。
昭和18年戦況の悪化に伴い学徒出陣が始まり召集を免除されていた大学生などが戦地に送られます。
勲は千葉県にあった野戦重砲兵部隊に配属されました。
野戦重砲兵は大型の大砲を扱う部隊。
勲の任務は「観測」。
大砲の狙いを定めるため距離や方位を計算する仕事でした。
得意の計算能力を生かします。
必死に訓練を重ねた勲。
優秀な成績を収め入隊後1年で上等兵に昇進します。
勲の1年後輩だった…そんな勲との間に清田さんは忘れられない思い出があります。
ある日清田さんは兵舎の見張り当番に寝坊してしまいます。
慌てて駆けつけると待っていたのはその日の主任の勲でした。
しかし勲は意外な言葉をかけます。
軍人として優秀で優しさも兼ね備えていた勲。
しかし思わぬ事故に巻き込まれます。
訓練中大砲を積んだ車と接触。
左足首を複雑骨折する重傷を負ったのです。
陸軍病院で1か月以上の入院を余儀なくされました。
同じ部隊の仲間の多くはソ連との国境警備など最前線に送り込まれていました。
更に2歳年上の兄が南方戦線で戦死した事も知らされます。
「仲間たちが戦地で戦っている時に俺は何をしているんだ」。
勲は自分を責めました。
そのまま終戦。
勲は戦地に行く事なく復員します。
目の前には焼け野原になった街が広がっていました。
物資は不足し鉄道網も寸断され日本中が混乱していました。
勲は電車の車両製造会社に就職します。
少しでも復興に役立ちたいと考えたからでした。
配属されたのは車両の台車や部品の検査課でした。
後輩たちが当時の勲の様子を覚えています。
「自分たちの造った車両が日本の復興に役立つはずだ」。
勲は寝食を忘れて働きました。
そして昭和29年。
30歳になった勲にお見合い話が持ち込まれます。
美しい着物姿の女性に勲は思わず見とれました。
それが…昭和29年お見合いで出会った勲と只子。
2人はすぐに引かれあいます。
只子はよく着物を着て勲と出かけました。
只子の兄の妻…只子の着物姿は魅力的だったといいます。
そんな中勲は只子をある場所へデートに誘います。
電車を乗り継ぎ向かったのは二子玉川。
当時勲の会社が手がけた車両が走っていました。
「少しでも自分の仕事を知ってもらいたい」。
勲はそう考えたのです。
穏やかな陽気の中多摩川沿いを散歩しました。
楽しい時間の記念にと互いに写真を撮りあっています。
これがその時の写真。
はにかみながらもほほ笑む只子。
勲もうれしそうな表情です。
2人は結婚します。
家を借りる余裕もなかったため勲の実家で暮らす事にしました。
勲の両親や兄弟を合わせて8人家族。
只子は家族のためによく尽くしました。
はい。
義理の妹の葉子さんは只子が縫ってくれた浴衣を今も大切に残しています。
ねえ上手に縫ってあるでしょう。
2人が結婚して初めて迎えた新年。
只子はお気に入りの柄の着物で家族と祝います。
うれしい事がありました。
只子の妊娠が分かったのです。
「これからも支え合っていこう」。
2人はそう誓い合いましたそして…この年に長男昭和32年には元気な女の子に恵まれます。
それが名取裕子です。
勲は家族のために一層仕事にまい進します。
時代は高度経済成長期。
車両の需要が急増していました。
「明日の車両を目指して…」。
これはそのころの勲の会社を撮影した映画です。
「我が国におけるオールステンレスカーの…」。
当時日本初のステンレス車両も手がけていました。
このころ勲は検査課の副課長。
部品に欠陥がないかミリ単位の検査をする責任者でした。
仕事の鬼となって懸命に働く勲をたたえた記事が残されていました。
「台車と機械部品社外調達部品の担当だがここにいるのが名取副課長」。
昭和40年勲は座間市に念願のマイホームを建てます。
2人の子供が小学生になったのをきっかけにローンを組んで購入しました。
通勤にそれまでより1時間以上余分にかかりましたが家族4人の暮らしを喜ぶ只子の姿をうれしく思っていました。
当時の一家の様子を近所の人たちが覚えています。
家を建てた頃周りは草むらに覆われていました。
只子は毎朝勲を駅まで見送りました。
朝露でズボンが濡れないように勲に長靴を履かせ駅で革靴に履き替えさせていました。
勲に尽くす只子の様子を裕子の兄勉さんも覚えています。
只子は子供たちにも精いっぱいの愛情を注ぎました。
裕子にはよくこう話していました。
かつて女学校卒業のお祝いに母から着物をもらった只子。
母親として裕子にも同じ事をしたかったのです。
裕子もその日が来るのを楽しみにしていました。
ところが…只子は激しい下痢に悩まされるようになります。
医師は勲にだけ病名を告げました。
末期の直腸がん余命は3か月。
勲は只子には告知せず子供たちにも心配をかけまいと知らせませんでした。
只子が入院すると子供たちのために慣れない料理を作りました。
毎朝みそ汁だけは少し多めに作り病院にいる只子に届けました。
出勤前に電車を乗り継ぎ病院に通ったのです。
「おいしい」。
只子はそう言って喜んでくれました。
このころ中学生だった裕子。
知り合いの勧めで美少女コンテストの番組に出演しています。
ブラウン管に映る裕子の姿を只子は病室でうれしそうに見つめていました。
5か月間の闘病生活の後只子は46歳の若さで息を引き取りました。
自分を支えてくれた妻を失った勲。
職場では妻の死を一切語る事なく仕事の鬼に徹していました。
それから4年後裕子は大学1年生の時にキャンペーンガールコンテストで準優勝。
芸能界にデビューします。
そして連続ドラマの主役に抜てきされました。
その着物姿は親戚中で評判になります。
連続ドラマの撮影を終えた裕子。
ドラマの出演料を握りしめ銀座に向かいました。
亡くなった母の言葉を一時も忘れていませんでした。
裕子が入ったのは老舗の呉服店。
そしてあでやかな振り袖を買いました。
亡くなった母只子にどうしても見せたかった自分の振り袖姿でした。
1年分というかほとんどそうですね。
こうやって父や母やその祖父や祖母や…まさか失敗するとは思わなかったのよ。
裕子さんがデビューを果たしテレビや映画に出始めた頃です。
仕事の鬼として知られた父勲さんが職場で意外な姿を見せていました。
勲さんは2人の子供たちの成長を見届け会社を定年まで勤め上げました。
そして平成8年勲さんはがんで73年の生涯を閉じます。
最愛の妻只子さんが亡くなってから24年の歳月が流れていました。
それからしばらくして裕子さんが勲さんの遺品を整理していた時の事です。
丁寧に畳まれた着物が出てきました。
それは亡くなった母只子さんの着物でした。
その中の一枚。
それは結婚して初めて迎えたお正月只子さんが着ていたものでした。
妊娠が分かり喜びに包まれた勲さんと只子さんの大切な思い出が詰まっていました。
2007年裕子さんはその母の着物を着てドラマの撮影に臨みました。
演じたのは愛情深い母親の役。
女優名取裕子さんの「ファミリーヒストリー」。
そこには強い絆で結ばれた家族の歳月がありました。
ありがとうございました。
恥ずかしいですねこの顔。
母の着物が本当に幸せだった時の着物だったんですね。
はい。
2015/01/02(金) 02:30〜03:20
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「名取裕子〜幕末の写真 母の形見の真実〜」[字][再]

裕子さんが14歳の時に亡くなった母。生い立ちや父との出会いなど、何も知らなかった。明らかになる母の思い。そして、幕末に撮られた一枚の写真にルーツを解く鍵があった

詳細情報
番組内容
名取裕子さんには、14歳の時に死別した母がいた。突然の死で、母の生い立ちや父との出会いなど、聞くことができなかった。裕子さんは、ずっとそれが気がかりでいた。今回、明らかになる、母の裕子さんへの思い。そして、母の形見の着物に隠された事実。さらに、幕末に日本にやってきたイギリス人写真家が、撮った一枚の写真。そこに、裕子さんの先祖と思われる人物が偶然、写っていた。驚きのルーツに裕子さんは涙をこぼす。
出演者
【ゲスト】名取裕子,【語り】谷原章介,大山裕子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

OriginalNetworkID:32080(0x7D50)
TransportStreamID:32080(0x7D50)
ServiceID:43008(0xA800)
EventID:7126(0x1BD6)

カテゴリー: 未分類 | 投稿日: | 投稿者: