昨年夏に放送した「ファミリーヒストリー浅野忠信」。
数多くの再放送希望が寄せられました。
これはやばい。
あれから1年浅野さんに改めて番組の反響を尋ねました。
この出演をきっかけに浅野さんは気持ちに大きな変化が起きたといいます。
浅野さんの母順子さんもまた番組出演をきっかけに新たな気持ちで過ごせるようになったそうです。
やっぱり心のどこかで…それでは「アンコール浅野忠信」をお送りします。
浅野忠信には一度も会った事のないアメリカ人の祖父がいる。
生まれた時から金髪だった浅野。
髪の色でよくいじめられた。
自分に流れるアメリカの血を考えずにはいられなかった。
祖父の名はウィラード・オバリング。
56年前妻と幼い娘と別れアメリカへ帰った。
浅野はこれまで祖父の事が知りたいと自分で調べてきた。
すると祖父は既に亡くなっている事が分かった。
知りたかった。
番組では浅野に代わり浅野の祖父そして知られざる家族の歴史について取材した。
浮かび上がってきたのは…そして祖父が日本に残した家族を思い続けた姿だった。
そして取材の結果を伝える時が来た。
ハリウッドの映画撮影のため浅野はロンドンにいた。
この日…おじいちゃんの事に関しては本当に写真を見ただけであとはさっぱり分かんなかったですよね。
すごく楽しみですね。
浅野忠信さんのルーツを探る取材はこの人を訪ねる事から始まりました。
よろしくお願いします。
忠信さんの母順子さん60歳です。
順子さんが4歳の時父はアメリカに帰国。
以来一度も会う事はありませんでした。
大切に保管されていた順子さんの両親の結婚写真。
父ウィラードは戦後進駐軍の一員として来日し母浅野イチ子と出会いました。
15歳年の離れたカップルでした。
結婚生活は僅か6年。
その後イチ子は亡くなるまでウィラードの事をほとんど話さなかったといいます。
順子さんが僅かに覚えている父にまつわる話。
母から…浅野忠信の祖父ウィラード・オバリングとはどんな人物だったのでしょうか。
ヒントを求めたのはアメリカで運営されている家族の歴史を調べるサイト。
移民の国アメリカでは自分のルーツをたどりたいという人が多くネット上のサービスも充実しています。
名前で検索すると1930年当時住んでいた町と家族構成が分かりました。
両親と5人のきょうだいは既に亡くなっていました。
手がかりを求めて向かったのはウィラードの出身地。
ミシシッピ川に面したミネソタ州ウィノナ。
この町はアメリカの人気女優ウィノナ・ライダーの生まれ故郷でもあります。
ビルオバリング?地元でウィラードの親戚がいないか探し始めました。
そこで思わぬ発見がありました。
電話帳に載っていたオバリングの中に肉親だという人がいたのです。
Welcome.Howareyou?1930年以降ウィラードのきょうだいは2人増えていたのです。
ウィラードは13歳年上の兄。
ゴードンさんが幼い時にウィラードは家を出ました。
戦後は遠く離れて暮らしほとんど会う事はなかったといいます。
ウィラードとイチ子の結婚写真を見てもらいました。
ウィラードは口数が少なく何事にもきちょうめんだったといいます。
そして先住民とのつながりも尋ねました。
ただこの町は先住民と深い関わりがありました。
この土地にはもともと先住民ダコタ族が暮らしていました。
ウィノナは彼らの言葉で…ウィラードとイチ子は片言の英語で会話をしていました。
どこかで誤解が生じてしまったのかもしれません。
そして見せてくれた一枚の写真。
90年ほど前に撮られたウィラードの両親浅野忠信にとっては曽祖父母の写真です。
もともとオバリング家がアメリカにやって来たのは19世紀後半。
当時アメリカでは未開拓の土地を無償で払い下げる法律が作られヨーロッパから多くの移民を受け入れていました。
一家は小麦や大豆などを作り生計を立てます。
しかし1929年ウィラードが3歳の時世界恐慌が始まります。
更にアメリカ中西部で干ばつと大規模な砂嵐が発生。
一家の生活は困窮しました。
ウィラードは高校に進学する事もできませんでした。
兄ジョンの2人の娘が当時の苦しい生活を伝え聞いています。
ここにはウィラードの両親の結婚式の写真が残されていました。
そして1941年12月ウィラード15歳の時。
太平洋戦争が始まります。
その3年後ウィラードは18歳で陸軍に入隊しました。
当時の新聞が地元の史料館に残されています。
軍に入隊する若者をたたえる新聞記事。
その中にウィラードが写真と名前入りで掲載されていました。
ウィラードの人生はここから歴史の渦に巻き込まれていきます。
1944年ケンタッキー州フォートノックス基地に配属されます。
国立公文書館から手に入れた記録によるとウィラードは料理兵となっていました。
戦地で兵士に食糧を補給する任務です。
この5年後日本で運命の女性と出会うとは知る由もありませんでした。
すごいなこれは。
いやあびっくりですね。
アメリカ人の血が入ってるっていう考えでしかなかったですよね。
でもオランダ人の血が入ってるとかそういうなんかはっきりと自分のルーツになるものが分かったっていうのは…。
オランダって友達ももちろんいるんだけど映画祭も行った事あるんですけど全くそんなつもりでは行ってなかったですし全くその何ですかねそういうつもりで見た事がなかったんで身近に感じていいところがあるんだなっていう。
はい。
いや〜すごいなこれは。
すごいドキドキしますね。
(取材者)よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
本当に分からなかった事が本当にいろいろ今もう見てびっくりしてます。
インディアンの血が全く入ってないっていう事は今まで何だったの。
私何となく風情がインディアンっぽいのはそのせいなのかなと思ってたのが全く覆されちゃって。
ただどの写真を見てもやはり何か優しい顔の父なので穏やかな人だったのかなって思うしあんなに苦労して頑張って生きてきた人の血が私の中にも流れてるし息子の中にも流れてるっていう事もとても感謝です。
(取材者)ゴードンさんの家で見つかった…。
そういうところ生き抜いた血が自分にも入ってるわけですよね。
それがやっぱすっごい不思議なんですよ。
もしこれからずうずうしい考えを持てばアメリカの映画をやる上で世界恐慌の話が来た時に僕にとっては遠い事じゃない気ができるというかねするというか。
そういう考えを持ってそういう作品に取り組めるんじゃないかと思うとがぜんやる気が出てきましたしその力強さみたいなものを自分も持ててるような気がしてそれは非常にありがたいですね。
うん。
後にウィラードと出会う事になる浅野イチ子。
イチ子もまた戦争に翻弄されながら壮絶な人生を歩んでいました。
イチ子は今から100年前明治44年に広島に生まれ生後間もなく両親と共に旧満州に渡りました。
暮らしていたのは13万人の日本人が住む大連。
父親は芸者の置屋を営んでいました。
子供の頃から親しんだ華やかな世界。
イチ子も芸者の道を選びました。
実はイチ子は満州で一度結婚していました。
イチ子の戸籍に書かれた婚姻の文字。
昭和10年イチ子24歳の時でした。
相手は満鉄の社員で福岡出身の廣松定。
満鉄が当時の最高水準の技術でつくった特急列車あじあ号。
定はその食堂車の給仕長として働いていました。
当時満鉄は待遇の良さで知られ2人は高価な犬を飼い何不自由ない生活を送りました。
イチ子と初めて会ったのは親族の葬式だったといいます。
芸者の世界から嫁いだイチ子。
常に明るく振る舞いてきぱき仕事をこなしていました。
しかし幸せな生活は長くは続きませんでした。
結婚して8年が過ぎた頃定と離婚したのです。
キミ子さんは2人の離婚を突然知ったといいます。
当時イチ子の父は既に他界し母は再婚して新しい家庭を持っていました。
イチ子に戻る家はありませんでした。
そして1945年8月ソ連軍が国境を越え満州に侵攻。
イチ子も命からがら満州を後にしました。
たどりついたのは生まれ故郷広島。
しかしその姿は原爆で変わり果てていました。
イチ子は途方に暮れるしかありませんでした。
そのころウィラードは戦地に向かう事なくアメリカの基地で訓練を続けていました。
そしてついに新たな任務が命じられます。
進駐軍の一員として日本に行く事でした。
ウィラードは町の中心にあった司令部の勤務になりました。
そこで料理兵として働き始めます。
横浜には数多くの進駐軍の兵士がいました。
日本人女性と恋に落ちる兵士も少なくありませんでした。
日本に来て間もなくウィラードに運命の出会いが訪れます。
友人から紹介された一人の日本人女性に心を奪われたのです。
女性は仕事を探しに広島から来たと話していました。
その女性こそ浅野忠信の祖母イチ子でした。
この時ウィラード23歳イチ子は15歳年上の38歳。
やがて2人はデートを重ねるようになりました。
芸者時代に社交ダンスを覚えたイチ子。
2人はダンスホールによく通いました。
慣れない日本語で必死に愛情を表現しようとするウィラード。
イチ子はその誠実さに次第にひかれていきます。
イチ子は手料理でもてなしました。
ウィラードを喜ばせようと作ったのはアメリカ風の食事。
やがてウィラードはイチ子のために一軒の家を買います。
当時進駐軍の兵士が日本人の恋人のために家を買う事は珍しくありませんでした。
そして…。
ウィラードとイチ子は結婚を決めます。
近所の友人を招いてのささやかな結婚式。
晴れ姿を残すためにカメラマンを呼んで写真を撮りました。
慣れない正座をしたウィラードの横でほほ笑むイチ子。
これがその時の写真です。
アメリカと満州遠く離れて暮らしていた2人。
戦争が手繰り寄せた巡り合わせでした。
近所にあった杉山神社。
ここで結婚証書を作りました。
「2人の結婚を証明します」。
更にうれしい出来事が2人を待っていました。
イチ子が妊娠したのです。
しかしその半年後の事でした。
1950年6月北朝鮮が突然38度線を越え韓国に侵攻。
朝鮮戦争が勃発。
急きょウィラードに出動命令が下ります。
イチ子は出産を目前に控えていました。
生まれてくる子供のためにも無事を祈るしかありませんでした。
ウィラードが戦地に旅立って2か月が過ぎた9月23日。
イチ子は元気な女の子を出産しました。
後に浅野忠信の母となる順子です。
そして戦争勃発の翌年休戦交渉が始まります。
ウィラードは1年ぶりに戦地から日本に戻りました。
10か月になった我が子に初めて対面します。
ウィラードは順子の写真にこんな文章を書き込んでいます。
「私の名前はジューン・オバリング。
生まれて10か月です。
かわいいでしょう?」。
暇さえあれば順子の写真を撮るウィラード。
お気に入りの写真を大事に持ち歩いていました。
当時順子は4歳。
父親との忘れられない思い出があります。
ある晩ウィラードが大きなもみの木を持って帰り一緒に飾りつけをしたのです。
そんな家族に運命の時が迫ります。
このころ既に進駐軍の撤退が進んでいました。
ある日ウィラードはイチ子に打ち明けました。
「もうすぐ日本を去る事になる。
3人で一緒にアメリカに行こう」。
うれしい反面戸惑いもありました。
当時イチ子は44歳。
英語を話す事もできず文化の違うアメリカで子育てができるか自信はありませんでした。
アメリカに行っても15歳年の離れたウィラードがいつか心変わりするかもしれない。
不安が募っていきました。
イチ子は決断がつかぬまま渡米の手続きを始めます。
そしてアメリカ行きが間近に迫ったある日。
悩んだ末の決心をウィラードに告げました。
「アメリカには行けません」。
ウィラードは説得しましたがイチ子の気持ちは変わりませんでした。
当時近所に住んでいた…亡くなった母からイチ子の事を聞かされていました。
妻と最愛の娘との別れ。
ウィラードは一人アメリカへ帰っていきました。
それからしばらくしてイチ子は一枚の写真を取り出します。
それは大切にしてきた結婚写真。
イチ子は決意します。
「私はここで順子と生きていく」。
そして…。
イチ子はウィラードと自分の間にはさみを入れました。
その後2人が会う事は二度とありませんでした。
自分のおばあちゃんながら本当にドラマチックな人だなというかおじいちゃんももちろんドラマチックなんだけどおばあちゃんが何しろドラマチックな人だなっていうような。
それにしてもそんなきれいにまっすぐはさみ入れちゃったんだっていう。
捨ててないのがいいよね。
切ったのに捨ててないというのが。
ただそれを残したというのはやっぱり憎んで別れたわけではないんだな…。
逆にそうですよね…おじいちゃんの気持ちは気持ちで複雑な気持ちがあっただろうな。
だから私がまだその時に生まれてなかったら一緒に行ってたのかなぁ…とも思うしね。
また行ってたら行ってたでまた全然変わってたでしょうしね。
忠信も生まれてなかっただろうし。
ほんとすばらしいです。
一人アメリカに帰国したウィラードはその後どんな人生を送ったのでしょうか。
ウィラードはかつて勤務したフォートノックス基地に再び配属されます。
日本を去って4年後地元で知り合った女性と結婚しました。
ウィラードの家族がいると聞き訪ねる事にしました。
Hello.Howareyoutoday?Pleasecomehere.Greatnicetomeetyou.ウィラードが結婚したのは4歳年上のジーン・ウィートさんでした。
当時ジーンさんには2人の連れ子がいました。
その一人がジェームズさんです。
ウィラードはこの小さな家で家族4人の新たな生活を始めます。
育ち盛りの子供たちを養うためウィラードは仕事に打ち込みました。
毎朝5時に家を出て60km離れた職場に通います。
当時3万人の兵士がいた基地の食堂。
ウィラードはその給仕長でした。
まじめな働きぶりを示す資料が見つかりました。
基地で発行されていた新聞。
基地の司令部が優秀な給仕長に与える賞でした。
毎日夜遅くまで働き続ける日々。
どんなに疲れていても息子たちとの時間を大切にしました。
そんなウィラードが過去について話すのをジェームズさんは一度だけ聞いた事があります。
ウィラードは38歳で軍を除隊20年の軍隊生活でした。
その後レストランや工場で働きながら必死で家族を支えました。
肺の病気が原因でウィラードは65歳でこの世を去りました。
ウィラードはここに眠っています。
一方ウィラードと別れたイチ子。
その後苦労して順子を育て上げました。
孫の忠信が生まれた時喜ぶイチ子はこう言ったといいます。
「目元がおじいちゃんに似ている」。
胸の奥にしまっていたウィラードの姿を忠信に見たのかもしれません。
2004年イチ子は93歳の生涯を閉じました。
ウィラードが亡くなって今年で19年。
今回の取材のために家族が遺品を整理した時の事でした。
一つの使い古した財布が見つかりました。
それは亡くなる直前まで持ち歩いていたもの。
ぼろぼろになった一枚の写真が入っていました。
それは幼い順子の写真。
誰にも言わず肌身離さず持っていたのです。
ウィラードが生涯忘れる事のなかった娘順子。
それは彼にとってただ一人血のつながった我が子でした。
これはやばい。
これはやばいわ。
すごい。
うれしい。
感動した。
本当に大きななんかこう…愛を感じたというかね。
そうですね…。
う〜ん…何だろ。
う〜ん…。
きっとおじいちゃんはうちのお母さんの事を忘れた日は絶対ないというふうに思いたかったしそう思ってたしそれが本当に事実として今分かったんでなんか感じた事のない…本当愛ですよね愛を感じたというか。
本当にあの写真をずっと肌身離さずもうなんか…ぼろぼろになりかけなのに最後まで持っていてくれたというのは本当に私にとっては本当に…一緒には暮らせなかったけど父の愛情をものすごく強く感じました。
そうやって愛を持ってまじめに生きてたっていうのが分かると本当になんか自分の中で新しい気持ちがどんどんどんどん芽生えてくるというか非常に前向きな生きる力というかそういうものがすごく芽生えてくるのを映像を見てて感じたんですね自分の中に。
いやあ…まあよく分かっただろうと。
安心していいんだよと。
君は僕の孫だし。
アメリカで何かやる上では俺は協力するわけではないけど見てる事は確かだというのを感じたんでそれを感じられるのは僕にとっては非常に大きな事なんでおじいちゃんと共に笑顔でこれからもアメリカの仕事を続けていければいいなと思いましたね。
(取材者)お二人に今日お会いしたいって言ってる方がいらっしゃってあの…来て頂いてるんですが…。
あ〜…。
Hello.IamJerry.Howareyou?Thankyou.Comecome.
(順子)ありがとう。
おじいちゃんのお財布。
Thankyou.うれしいこれほんとに。
でもお兄さんって呼んでいいの?
(順子)お兄さんだ。
私はきょうだいがいないので2人も兄ができてうれしいです。
おじいちゃんという存在で一つの絆に結ばれてる気がするのでなんかその関係があるっていうもう一つの家族がここで生まれたというかそういう事がとても本当にうれしいですね。
感動しております。
こういう充実した一日というのは生まれて初めて過ごしたからいや〜…なんかすごいドキドキまだしてますしなんかそうですね…何かが始まったという感じもすごくしてますしいや不思議な一日ですね。
まだまだ僕も経験してない事がいっぱいあるんだなというのがよく分かりましたしすごい希望に満ちあふれた一日ですね。
はい。
2015/01/02(金) 01:40〜02:30
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー▽アンコール 浅野忠信〜祖父はなぜ、アメリカに帰ったのか[字][再]
反響を呼んだ番組をアンコール放送。俳優・浅野忠信には、会ったことがないアメリカ人の祖父がいた。一体なぜ、祖父は幼い母を残して帰ったのか。その真実に、浅野は号泣。
詳細情報
番組内容
反響を呼んだ番組をアンコール放送。浅野忠信には、会ったことがないアメリカ人の祖父がいた。終戦後、進駐軍兵士として日本に来た。しかし、朝鮮戦争後、祖父は家族を置いてアメリカに帰国してしまった。その理由が取材で明らかになる。さらに、19世紀後半にまでさかのぼる祖父のルーツが判明。ヨーロッパとの関わりも分かった。番組の最後、驚きの展開になる。浅野は真実にふるえ、涙が止まらなかった。
出演者
【出演】浅野忠信,【語り】余貴美子,大江戸よし々
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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