ファミリーヒストリー「今田耕司〜南洋パラオ 運命を変えた手違い〜」 2015.01.02


太平洋パラオ諸島の近海。
日本に引き揚げる民間人を乗せた輸送船団があった。
その船団を一隻のアメリカ軍の潜水艦が捉えた。
輸送船に次々と魚雷が命中。
船には一組の母と娘が乗り込んでいた。
娘は後にある有名タレントの母親となる。
そのタレントとは…。
ダイオウイカカモン!うわ〜!ありがとう!今田さんは10年ほど前母の口から出た外国の地名に驚いた。
幼い頃母良子さんはパラオで暮らしていた。
しかしそのころの記憶はあまり定かではない。
以来今田さんはパラオの事が気になっていた。
番組では今田さんに代わり家族の歴史に迫った。
太平洋の楽園…引き揚げの際…そして二人の赤ちゃんが写った一枚の写真。
母の出生に関わる思わぬ秘密が隠されていた。
更に…これまで手がかりがなかった父方のルーツも明らかになった。
当た〜り〜。
今田耕司さんは自らの家族の歴史を初めて知る事になる。
日本から南へ3,000km。
200以上の小さな島々からなるパラオ共和国。
今から70年ほど前今田耕司さんの母と祖父母が暮らしていた場所です。
当時ここには2万5,000人もの日本人が暮らしていました。
今でも町の至る所に日本人の痕跡が残っています。
現在のパラオ最高裁判所やパラオ短期大学の建物も当時建てられました。
お年寄りが集まる社交場です。
今でも多くの日本語が生活の中に溶け込んでいます。
第一次世界大戦でドイツが敗北すると南洋群島は日本の委任統治領になります。
将来の可能性を求めて多くの日本人が南洋群島に移り住みました。
一人の男がパラオへ向かおうとしていました。
今田耕司さんの祖父三好正文です。
正文は宮崎県高鍋町にある茶屋の次男でした。
家を出て自立しようと考えていたやさき南洋に渡った幼なじみから一通の手紙が届きます。
手紙を送ったのは岩切幸吉さん。
はじめまして。
岩切さんの長男…父が正文を南洋に誘った訳を聞いています。
正文は将来を新天地に懸ける決心をします。
そしてパラオにあった南洋庁の職員に採用されます。
南洋庁とは日本が委任統治を行うための官庁。
正文の配属先は郵便局でした。
この時正文既に27歳。
新天地での生活を早く軌道に乗せようと必死で働きました。
今回正文さんの遺品を整理していたところ履歴書が見つかりました。
正文はパラオサイパンアンガウルテニアンなど転勤を繰り返していました。
そして終戦前には郵便局長にまで上り詰めています。
南洋群島の郵便史を研究する…履歴書から正文の頑張りが見て取れるそうです。
南洋に渡って5年目の…32歳になった正文に結婚話が持ち上がります。
相手は鹿児島の網元の娘フサでした。
上司が日本に帰国した折話をまとめてきた相手でした。
結婚式で初めて顔を合わせた二人は郵便局の官舎で暮らし始めます。
当時南洋群島は急速に発展していました。
日本人のための商店や病院学校などが次々と建設されます。
フサが実家に送った手紙が残されていました。
文面からはその順調な暮らしぶりがうかがえます。
結婚して8年が過ぎました。
しかし正文とフサは子供に恵まれませんでした。
悩んだ末鹿児島で暮らすフサの兄夫婦から養子をもらう事にしたのです。
二人は日本に一時帰国。
(赤ん坊の泣き声)兄夫婦に生まれた双子の女の子の一人良子を養女に迎えます。
これがその時の写真です。
おなかを痛めて生んだ我が子を譲ってくれた兄嫁にフサは感謝の気持ちでいっぱいでした。
そして心に誓います。
パラオで家族3人の新しい暮らしが始まりました。
フサは良子が病気にならないよう水や食べ物などに細心の注意を払いました。
かすかに覚えている当時の記憶があります。
両親の愛情に包まれ成長していく良子。
島の写真館で節目ごとに記念写真を撮りました。
正月母の手作りの着物を着て。
小学校入学真新しいランドセルを背負って。
親子3人笑顔が絶えない幸せな日々でした。
しかし穏やかな南洋の島にも戦争の足音が迫っていたのです。
いやいや…。
今田耕司さんのもう一つのルーツ。
父方の家族にも実は多くの謎があります。
大阪道善寺の住職を務めています。
由緒ある寺の住職ですが宏昌さんは父方のルーツについてほとんど知らないといいます。
というのも宏昌さんの父清次さんは東京からやって来た養子だったからです。
今田耕司さんの祖父清次のもともとの姓は藤田。
本籍は東京市…現在の地図と照らし合わせると台東区元浅草4丁目。
東京スカイツリーから西に2kmほどの下町の一角です。
これが今の浅草通りになるんです。
南松山町会の元会長高橋健三さんの協力を得て取材を開始しました。
まず地元の寺を訪ねました。
しかしこの辺りの古くからの住民は戦争でちりぢりになっているといいます。
取材を続けるうちある手がかりにたどりつきました。
畳屋を営む…戦前この近所に藤田という子供がいた事を覚えています。
その後の取材で藤田家の関係者が愛知県で暮らしている事が分かりました。
よろしくお願いいたします。
大杉和子さんです。
今田耕司さんの父のいとこに当たります。
そして藤田家の波乱万丈の歴史が明らかになりました。
今から110年ほど前の…今田耕司さんの父方の曽祖父藤田清吉は大阪で炭屋を営んでいました。
真面目な働き者でした。
家族は妻と3人の子供たち。
その次男が耕司さんの祖父清次です。
ある日清吉は思わぬ苦境に立たされます。
大口の取引先が潰れ炭の代金を回収できなくなったのです。
清吉の店は潰れてしまいました。
大阪での信用を失った清吉は一人東京で出直す覚悟を決めます。
金がたまったら家族を呼び寄せる事にしたのです。
清吉は東京有数の繁華街だった浅草に落ち着きます。
朝は納豆売り夜はおでん屋をしながら懸命に働きました。
3年後ようやく生活が軌道に乗ると家族を呼び寄せました。
清吉の孫の和子さんによるとそのころ藤田家にある幸運が舞い込んだといいます。
清吉が買いに行かせた富くじとは江戸時代に流行した現在の宝くじのようなもの。
当た〜り〜!明治になり法律で禁止されましたが民間ではひそかに行われていました。
思わぬ大金を手にした清吉は浅草に土地を借りアパート経営を始めます。
暮らしは豊かになり子供も10人に増えました。
そんなある日大阪で暮らす姉から手紙が届きました。
今田恵長。
幼い時に尼寺に養子に出され住職になっていました。
手紙には「跡継ぎにする養子が欲しい」と書かれていました。
そこで清吉は清次の妹ユキヱを養子に出すと伝えます。
ところが恵長から思わぬ提案が返ってきたのです。
その結果耕司さんの祖父である清次が養子に入り今田姓を名乗る事になりました。
住職となった清次は27歳で結婚。
7人の子供をもうけます。
寺は宏昌さんが受け継ぎました。
一方東京の藤田家。
昭和4年清吉が亡くなると三味線職人だった長男の千太郎が家督を継ぎます。
しかし昭和20年3月の東京大空襲で浅草は焼かれ藤田家は全ての財産を失いました。
戦後は生きる事に必死で大阪にいる清次との連絡は次第に途絶えていきました。
実は藤田家の人たちは今田耕司さんが親戚だという事をつい最近まで知らなかったそうです。
大阪人の血は入ったんですね。
3代。
ね?もしいてたら。
はあ何かすごいですね。
とりあえずあしたというか…今田耕司さんの母良子さん。
幼い頃引き揚げ船でパラオから帰国しました。
その時の記憶が今も忘れられないといいます。
南洋パラオ。
今田耕司さんの母良子さんは7歳になっていました。
自分が養子だという事を知らぬままパラオでの生活を送っていました。
しかし戦火は迫っていました。
マーシャル諸島次いでトラック諸島の日本軍はアメリカ軍による攻撃で壊滅的な打撃を受けます。
日本軍は満州の兵力をパラオとサイパンに送り込み決戦に備えます。
日本政府から南洋で暮らす日本人にある通達が出されます。
「南洋群島戦時措置要綱」。
「老人と婦女子は日本本土へ引き揚げ南洋庁職員は軍属としてパラオにとどまるように」というものでした。
この通達でフサと良子は日本に帰国し正文はパラオに残る事になったのです。
戦時中の南洋群島の状況に詳しいオーストラリア国立大学の樋口和佳子さん。
当時南洋の海域はアメリカ軍に掌握されつつありました。
数多くの潜水艦が展開し日本の輸送船に照準を合わせていました。
・フサのもとに連絡が入ります。
4時間後に引き揚げ船が出港するというのです。
急きょ荷物をまとめ港に向かいました。
そこに待っていたのは4隻の引き揚げ船。
フサと良子が乗船する事になっていたのは最も大きな船客船三池丸でした。
大型の船の方が敵の攻撃に遭った時安全だといわれていました。
ところが三池丸は既に満員だというのです。
フサは猛烈に抗議します。
「この子と一緒に三池丸に乗る事になっているはずです」。
しかし聞き入れられませんでした。
しかたなく東山丸という貨物船に乗らざるをえなくなったのです。
見送りに来た正文にフサは言いました。
これが父との別れになるかもしれない。
良子は不安でなりませんでした。
4隻の引き揚げ船を4隻の護衛艦で守る合計8隻の船団が組まれました。
出港から8時間後…フサと良子は眠りについていました。
その時…。
一隻のアメリカの潜水艦がひそかに船団に近づいていました。
潜水艦の名はトリガー。
艦長は…真珠湾攻撃の時日本軍に沈められた戦艦アリゾナの元乗組員でした。
ハーフィンガーは攻撃を命じます。
「魚雷発射!」。
激しい攻撃が始まりました。
(爆発音)突然の爆発音にフサは飛び起きました。
近くの船に魚雷が命中したのです。
「良子起きなさい」。
フサは良子を連れ甲板へ走りました。
そこで信じられない光景を目の当たりにします。
2人が乗るはずだった三池丸が炎に包まれていたのです。
その時…そして三池丸は沈没。
新居さんは海に飛び込み漂流しているところを奇跡的に救助されました。
なおも潜水艦トリガーの攻撃は続きます。
良子さんはその光景を甲板からぼう然と眺めていました。
そしてついに乗っていた東山丸にも重い衝撃が走ります。
機関室被弾!フサはとっさに良子を抱き締め衝撃から守りました。
東山丸を襲った魚雷は機関室の一部を破損させました。
しかし不発弾だったため爆発には至りませんでした。
東山丸はすぐさまパラオに引き返します。
島陰に船体を隠し敵の攻撃を逃れたのです。
しかし時間の猶予はありません。
一刻も早くこの海域から脱出しなければ再び攻撃に遭う事は明らかでした。
東山丸は危険を覚悟で出港しました。
そして度重なる魚雷攻撃をかわしながら1週間後横浜港にたどりついたのです。
「この子を絶対死なせない」。
母フサの思いが天に届いたのです。
実は東山丸この2か月後フィリピン沖で撃沈されています。
一方パラオに残った正文はアメリカ軍の攻撃を避けジャングルに身を潜めていました。
しかし食料は底をつき飢えと栄養失調に苦しめられました。
「フサと良子に必ず会ってみせる。
また3人で暮らしたい」。
正文はその一念で耐え続けました。
パラオはアメリカ軍に占領されます。
(ナレーター)「2月2日南洋諸島パラオサイパン方面からの引揚同胞350名浦賀に帰る」。
昭和21年正文はようやく日本の土を踏む事ができました。
すぐにフサの実家がある鹿児島に向かいます。
2年ぶりの親子3人の再会。
家族は生き抜いたのです。
う〜んすごいですね。
今田耕司さんの母良子さんは戦後家族と一緒に鹿児島で暮らしました。
そこで同じ年のいとこの存在を知ります。
なぜか顔がそっくりでした。
ある日うわさ話を耳にします。
「良子ちゃんはフサさんの実の子供じゃない」。
良子さんはフサさんに尋ねました。
フサさんは怒ったように言い放ちました。
それ以来フサさんに尋ねる事をしませんでした。
良子さんは高校を卒業すると大阪に就職します。
昭和35年道善寺の住職今田宏昌さんと知り合い結婚。
3人の子供に恵まれます。
その次男が今田耕司さんです。
結婚して5年ほどたったある日。
良子さんのいとこが遊びに来ました。
そしてこう漏らしたのです。
「あのうわさは本当だったんだ」。
良子さんは自分が養子である事を初めて告げられたのです。
その後も養子である事を話そうとしなかった母。
それは我が子として育てるという母の覚悟だったと良子さんは思いました。
昭和61年三好正文さんその翌年フサさんが亡くなります。
波乱に満ちた生涯を閉じました。
今回の取材で正文さんとフサさんの遺品からあるものが見つかりました。
それは貴重品を納めた仏壇の引き出しに大切にしまわれていました。
戦前パラオで出版された写真集です。
パラオの穏やかな生活が写し出されていました。
そして…古い地図を頼りにかつて良子さんが暮らした場所を探してみました。
良子さんの記憶では町から続く一本道を進み小高い丘を登った所だったといいます。
今も当時の防空ごうと雨水をためるための水槽が残されていました。
遠く日本から海を渡り南洋で過ごした家族の日々。
時代の波に翻弄されながらも生き抜いた強さ。
それが今田耕司さんのファミリーヒストリーです。
ちょっと今実家に帰って早く会いたいですね。
後輩連れて旅行行ってる場合じゃなかったです。
夏休み。
2015/01/02(金) 00:50〜01:40
NHK総合1・神戸
ファミリーヒストリー「今田耕司〜南洋パラオ 運命を変えた手違い〜」[字][再]

今田は最近、母がパラオからの引き揚げだと知った。一体、なぜパラオに渡ったのか。取材で明らかになる新事実の数々。引き揚げの際、ある手違いが運命を変えることになる。

詳細情報
番組内容
今田耕司は最近、母がパラオからの引き揚げてきた事実を知った。なぜパラオに渡ったのか。取材で新事実が次々に明らかになる。祖父は、パラオで郵便局員として働いていた。戦争が激化する中で、日本への引き揚げ船に乗る。そこで起きたある手違いで運命が大きく変わる。さらに、これまで分からなかった父方のルーツが判明。そこには、今田家と東京・浅草との意外な関係があった。初めて知る事実に今田は驚きの声をあげる。
出演者
【出演】今田耕司,【語り】余貴美子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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