特集 小さな旅 手紙シリーズ 総集編「忘れ得ぬ山河」 2014.12.30


(テーマ音楽)誰にでも忘れられない風景があります。
大切な人と歩いた思い出の場所。
心に刻まれた旅の記憶をたどります。
「小さな旅」では視聴者の皆さんから毎年旅の思い出をつづったお便りを頂いております。
今年は全国から350通の手紙とメールを頂きました。
ありがとうございました。
家族との掛けがえのない時間。
旅先での思いがけない出会い。
青春のみずみずしい記憶。
私たちはわくわくしながら時には切ない気持ちでお手紙を読ませて頂きました。
まずは新鮮な喜びにあふれる旅の思い出です。
「私は八十歳になって終活を始めました」。
「遺言を書き残そうとか身辺整理をしようというのではありません。
長い間思いながら果たせなかった所へ行くというものです」。
茨城県水戸市にお住まいの…年を重ね旅に出られるのも残り僅かだと考えるようになりました。
そこで今年の夏念願だった釧路川でのカヌーに挑戦する事にしたのです。
「カヌーに乗るための注意を受けいよいよスタート」。
「流れに慣れてくると左右の景色に目を奪われました」。
「最初に頭上に現れたのは尾白鷲です」。
「エゾシカの家族そのほほえましいこと」。
「釧路のスター丹頂の優雅な姿。
ああやっぱりここを選んでよかったと思わず感嘆の声を上げてしまいました」。
ゆったりとした川の流れ。
皆川さんは自らの人生に思いをはせました。
小学校の教員だった皆川さん。
子育てに介護。
長年忙しい日々を過ごしてきました。
「かつての私は学校でも家でも『早くしなさい』が口から出てしまう慌ただしい生活でした」。
「八十一年の人生をふりかえりこんな至福の時を得たことに胸を熱くしました」。
またどっか行きたいなとかまだまだ旅を終わりにしたくないという気持ちになりましたね。
好奇心がまだ残っていたし勇気も湧いてきたなって思いました。
初夏ミズバショウに彩られる尾瀬。
続いてはこの尾瀬にまつわる思い出をつづったお手紙です。
「尾瀬を新婚旅行に選んだ理由は友人と何度か登った事がありいつか大切な人にも見せてあげたい気持ちがあったからです」。
岩法夫さんです。
31年前の4月妻の芳子さんと尾瀬に向かいました。
春の尾瀬は岩さんが知る夏の姿とは大きく異なっていました。
「深い雪に覆われた木道。
尾根には霧が立ちこめ何度も登った事のある道を見失うほどでした」。
「尾瀬沼に到着した時は安堵の気持ちとなりました。
妻と2人助け合って歩む事を尾瀬の山に誓ったように覚えています」。
再び尾瀬を訪れたのは20年後。
大学生高校生小学生となった3人の息子と一緒でした。
「霧に悩まされた1回目と異なりその日は青空」。
「眼下に尾瀬沼が見えた時子供たちは元気よく雪の斜面を走ってゆきました」。
「妻と手を取り合って歩み3人の子供と共に訪れた幸せを胸いっぱいに感じました」。
1度目は主人に手を引かれたのが今度は息子に手を引かれて上がれて尾瀬沼を見た時の感動というのは今考えるとちょっとグンときますよね。
「そして3回目は去年の6月。
結婚30周年の妻へのプレゼントでした」。
「私たちは幾多の山や谷を乗り越え笑顔を尾瀬の山に見せる事ができました」。
人生の節目に訪れ家族の絆を深めてきた尾瀬。
岩さんは将来孫と3代で訪れる日を楽しみにしています。
「ある日突然届いた彼女からの手紙。
『結婚することになりました』と。
後を追うように彼女のお父様からの招待状。
驚くと同時に感激でいっぱいになりました」。
千葉県いすみ市にお住まいの鈴木ひろ子さんからのお便りです。
旅先での出会いから生まれたもう一人の家族。
心通わせ続けた日々です。
「今から25年ほど前。
長年の仕事を勤め上げた私たち夫婦はこれからは自由を満喫しようと旅に出ました。
訪れたのは行った事のなかった飯田線の湯谷温泉。
ひなびた雰囲気のとてもいい温泉でした」。
夫婦水入らずのひとときを楽しんだ鈴木さん夫妻。
翌朝帰りの電車の中でちょっとした出会いがありました。
「『お二人で旅行ですか?』と声をかけてきた女子高生。
なんと人懐っこい純粋な女の子なんだろうと驚きました」。
「更に『私も勤めるようになったら両親を旅行に連れていってあげたい』と。
今どきの子には珍しいと驚きました」。
列車の中のふとした会話。
鈴木さんとその高校生は打ち解け会話が弾みます。
「『私の夢は高校を卒業したら大きな病院の検査技師になる事。
そのために勉強してるんです』と夢を語ってくれました」。
「勉強に行くという彼女は先に降りていきましたが別れ際にお互いの連絡先を交換しました」。
時間にしてほんの45分ほどの事でした。
偶然の出会いは手紙によって引き継がれ再会につながります。
「翌年高校を卒業した彼女は私たちの住む千葉・外房に遊びに来てくれました。
うちに泊まり話をする中で彼女が大事に育てられてきた事が分かりました。
車中で言葉を交わしただけの私のもとへ一人娘を旅立たせてくれたご両親に対し感謝の気持ちでいっぱいでした」。
その後も年賀状や季節の挨拶など手紙のやり取りが続きました。
ただ実際に会ったのは2回だけ。
10年が過ぎたある日一通の手紙が届きました。
結婚式への招待状でした。
「結婚式は浜名湖を見下ろすすばらしいホテル。
さんさんと降り注ぐ太陽の下彼女の花嫁姿に接しました。
これがあの日の女子高生?初めて会ったあの日を思い出し感無量。
披露宴では身内の席に入れて頂き彼女の家族の一員になれたようで夢のようでした」。
あの日車内で夢を語った高校生今泉千波さん。
夢をかなえ今臨床検査技師として働いています。
当時多分高校3年生で受験で進路を考えて臨床検査技師になるっていう事で学校を決めて勉強に励んでいた頃だと思いますので私の頭の中がそういう事で多分いっぱいでもしかしたら一方的に話したのかもしれないんですけど。
何か遠くにいるんですけどいろんな事をお知らせしておかないとあれも言ってなかったとかって思うような感じで。
また手紙を最近書いてないなとか思って…するような何かほんとに親戚のおばさんのようなそんな感じですね。
来年千波さんは2人の子供を連れて鈴木さんのもとへ遊びに来る予定です。
出会ったあの日から24年。
千波さんに会うのは結婚式以来です。
「2人のお子さんは私の事を『千葉のおばさん』と呼んでいるそう。
初めて会う日を楽しみにしています」。
「車中で交わしたあの日の言葉は今私の掛けがえのない宝となっています」。
「『生きるってつらいなあ』と妻に愚痴っていました。
『お父さん気分転換に静かな遠くへ旅してみません?』と妻が言いました。
気持ちが動かされました」。
続いてのお手紙は東京・飾区にお住まいの梅原明さんからのものです。
結婚して50年余り2人はたくさんの苦労を共にしてきました。
40歳の時に会社が倒産。
やっと見つけた職場でがむしゃらに働く中病に倒れた梅原さん。
一時は生死の境をさまよいました。
支えてくれた妻の亨枝さんも肺炎で3か月入院。
2人は長年病と闘ってきました。
そんな時ふと思い立った旅でした。
「行こう!そして何とか元気になろうと私たち夫婦は遠い旅路を決めたのです。
14年前70歳の時でした。
向かったのはあの純愛の物語を生んだ神島でした」。
神島は伊勢湾の入り口にある周囲4キロほどの小さな島。
三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となりました。
「渥美半島の伊良湖岬から小型の高速船に乗り15分ほどで神島に着きました」。
「西も東も分からず歩いていると海辺の集落には昔ながらの人の肌のぬくもりがありました」。
「網の修理をしていた漁師さんたちも路地で会う人もみんな笑顔で挨拶してくれ『よく訪ねてくれたね』と声をかけてくれました。
生きている幸せがほのぼのと心を温めてくれました」。
入り組んだ細い路地。
梅原さん夫妻はここで一人の漁師と出会います。
「挨拶を交わすと『東京からよく来たね。
お茶でもどうかね』と声をかけてくれました」。
「家に入ると奥さんも喜んで迎えてくれました。
ご主人は漁師で奥さんは海女さんとの事でした。
『おらが取ってきた海藻のアラメやけど』と煮つけをごちそうになりました」。
「素朴な笑顔にじ〜んと心がぬくもりいいなぁとしみじみ感謝しました」。
漁師の家を後にした梅原さんたちは島一番の眺めの場所に向かいました。
「古里の浜は巨岩がそびえ立ち夢誘う絵のような景観です」。
「妻と岩場をよじ登り大海原に見とれている時でした。
妻が海に向かってこう語り始めました。
『すばらしい景色。
昔が思い出されるわねぇ。
私あなたを尊敬していたのよ。
16歳で上京して苦学したあなたを見てこの人しかいないと恋い焦がれたの』と」。
「『俺も会社でいつもひたむきに尽くしてくれるお前に心底惚れたんだ。
小学校の時死なれた母さんの優しさをお前に見つけたんだな』と私も話しました」。
「二人きりこの世界に二人きりの小島の浜でもう何十年も昔の初恋を語り合ったのです。
何か希望が生きる力が込み上げてくる思いで2人の出会いを感謝したのでした」。
「念願した遠い静かな旅はかないました。
大自然の恵みと島人の人情が生きる希望をよみがえらせてくれました。
助け合って長生きしようよと誓い合った神島の旅でした」。
「青年は未来に生き老人は回想に生きるといいます。
私は今まさに回想の中に生きています」。
埼玉県川越市の小川安子さんから頂いたお便りです。
戦後間もない女学生時代。
恩師と共にたどった東北への旅の思い出です。
「戦争中私の学校には軍隊が常駐していた事もあり校舎は荒れていました。
図書は廊下に。
しかもあるのは辞書辞典の類いで読むものといったら「漱石全集」くらい。
活字に飢えていた私はそれでも貪るように読んでいました。
そこへ栗原先生が戦場から復員され図書係となりました。
先生は生徒たちに本を読ませてあげたいと毎週読書会を開いてくれたのです。
ガリ版刷りで読ませてくれた宮沢賢治。
珠玉の童話の数々まぶしい言葉のリズム。
私は夢中になりました」。
宮沢賢治の世界に魅了された小川さん。
そんな時東北への旅の話が持ち上がります。
先生がみんなで賢治の生家を訪ねようと言うのです。
戦争が終わってまだ4年。
気軽に旅行など行けなかった時代に夢のような話でした。
「私たちは賢治に思いをはせわくわくしながら上野を後にしました。
仙台一関北上を経て花巻に」。
「朝の澄んだ空気があぁ賢治のふるさと花巻に来たのだなぁとの思いを深くさせました。
透明な空気赤松林。
眼下には北上川が美しく光っていました」。
「そして宮沢賢治の生家へ。
『宮沢』の表札がなぜか懐かしく胸の高鳴りを必死で抑えたのを今でもよく覚えています」。
「賢治の弟の宮沢清六氏が現れ居間に通されました。
そして直筆の原稿などを見せて頂きました」。
「手あかのつかぬよう息をのむようにして感激しながら読みました」。
賢治の心に触れた小川さんたち。
喜びで満たされ更に北へ向かいます。
「小岩井農場の雄大な草原を歩き羊やヤギと戯れました。
そこここに寝転び賢治の詩に再び思いをはせました」。
日が傾き小川さんたちはその日の宿を探し始めます。
しかし初めての東北。
道に迷います。
「歩けども歩けども辺り一面は草に覆われ暗く人影は全くありません。
もう駄目だとどっかり草原に腰を下ろし水筒の水を回し飲みして時計を見ると8時を回っていました。
今夜はここで野宿か…。
そんな事を考えながらしばし星空を眺めていました。
とその時でした。
静けさの中から川の音が。
音を頼りに歩くと川の対岸とおぼしき方に明かりがちらちらと点在するのが見えました」。
「温泉郷のようでした。
太鼓を鳴らし古代を思わせる踊りを舞っていました」。
(太鼓)「まるで異次元の世界に迷い込んだような錯覚を覚え目を疑ったものでした」。
(小川)「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ」。
あの日から60年余り。
小川さんはずっとこの旅の思い出を心の支えに生きてきました。
恩師栗原先生のようになりたいと教師になった小川さん。
今再びの東北の旅です。
「老いてなお生きる喜びに浸れる人生を孫たちに民話童謡の世界を語る喜びの人生を与えて下さった先生に心より感謝しております」。
「振り向けば涙いで来ぬみちのくの淡く愉しき青春の旅」。
お便りの中で多かったのが家族との旅の思い出です。
一部をご紹介します。
「戦争で父を亡くした私たち親子3人。
母と兄そして私にとって上野駅広小路口はいつまでも心に残る場所です。
戦後間もない頃横浜から信州に向かう途中上野駅に立ち寄りました。
バナナを売っている店があったのですが高いので『買って』とは言えませんでした。
ところが母がバナナを買って食べさせてくれたのです。
これから3人で生きていくという母の決意がそこに込められていたように思えるのです」。
「昭和29年。
朝から夜遅くまで働きづめの母が私を石川県の山中温泉へ連れていってくれました。
実はこの年私は男の子を産んだのですが一晩で亡くなったのです。
母は私を元気づけようと旅行に連れていってくれたのだと思います。
母さんありがとう」。
続いては家族と見た掛けがえのない風景です。
「もう五十代も終盤の私にとって忘れ得ぬ場所があります。
福島県の背戸峨廊。
それは私にとって特別な場所でもあるのです」。
お手紙を下さった後藤守さんです。
40年前福島県郡山市の高校に通っていました。
病気で父親を亡くし家計を支えるためアルバイトに明け暮れる毎日でした。
「思春期でもあった私は今まで以上に不安定になっていく自分を止める事はできませんでした」。
「将来の夢も諦めざるをえずこの感情を何にぶつけたらいいのか苦もんし反抗的な日々を送っていました」。
「この状況を抜け出すきっかけが高校を無断欠席して背戸峨廊に一人で行った事です」。
「当時電車賃も無くて自転車でいつしかこの場所に向かっていたのです」。
4時間かけてたどりついたのはいわき市にある渓谷背戸峨廊。
父親が亡くなる1年前に連れてきてくれた場所です。
「背戸峨廊では何事もなかったかのように清流が流れ鳥たちがさえずっていました」。
「鎖場を抜け一歩間違うと足を滑らせて川に落ちるような場所を着実に進むしかありません」。
「息を切らし立ち止まりながら先へ先へと進んだのです。
当然誰も助けてはくれないし泣き言を言ってもゴールは見えない」。
険しい山道を歩くうちに父親との旅の思い出がよみがえってきました。
父の盛治さんは勤めていたホテルが火災で全焼。
大やけどを負い職も失いました。
そんな時息子を背戸峨廊に誘ったのです。
「父が足を止め傍らに座るとつぶやくように私に話しかけてきたのです。
『この場所は私にとって大切な場所だ。
苦しい時八方塞がりな状況の時私は必ずここに一人で来ていた』」。
「『大切な事は人を頼らずに苦難を乗り越えるすべを身につける事。
それが自信となって生きてくる』」。
たどりついた美しい滝。
後藤さんの胸を一つの思いがよぎりました。
「確かにここまで苦労しながらも一人で来た。
その一方で日頃の自分は何もしないでただ不平不満や身勝手な事ばかり。
お前は何様かと天を仰いだのでした」。
「ふと涙があふれて泣きながら残りの道を進みました」。
後藤守さんです。
高校卒業後県外で就職。
建設会社などで長年働いてきました。
リストラや母親の介護。
困難に直面する度背戸峨廊を訪れてきました。
東日本大震災などで一時完全に通れなくなっていました。
後藤さんが訪れるのは4年ぶりです。
何となくねほんとに帰ってきたよって。
ふるさとに。
それで懐かしい人に会った時の全くず〜っと会えなくてほんとに「やっと会えた〜」みたいな。
そんな感じですね。
父親がいるんじゃないですか。
どっかに。
続いてのお手紙は星野雅子さんから頂きました。
夫の太門さんと町工場を切り盛りしてきた星野さん。
時間を見つけては家族でキャンプに行くのが何よりの楽しみでした。
「8年前の夏長野県の北部にある雨飾高原を目指して出発しましたが通行止めで行く事ができない事が分かりました」。
行き先に困った星野さん夫婦。
近くにある白馬村のキャンプ場に向かいます。
「真っ青な空を背景にそびえ立つ白馬岳杓子岳白馬鑓ヶ岳。
このキャンプ場にして正解でした」。
「翌朝私がまだテントの中で眠っていると主人は『早く起きて見ろ!早く!早く!』と大変興奮した様子」。
「白馬岳が朝日に照らされ真っ赤に神々しく輝いているではありませんか。
どう表現していいか分からないぐらいの感動でした」。
「それ以来私たちは一年に数回真っ赤に輝く白馬岳に会いたくて足を運びました」。
2年前の秋。
星野さん夫婦に転機が訪れます。
雅子さんは医師から太門さんががんで余命半年だと告げられたのです。
雅子さんはこの事を打ち明ける事ができませんでした。
1か月後の10月下旬。
雅子さんはまだ容体が安定していた太門さんを誘い白馬に向かいました。
「夕方5時半過ぎ夏のにぎわいは全くない静かなキャンプ場に着きました」。
「主人の一番の楽しみはたき火をする事です」。
「うちわでパタパタするとあっという間に火がつきます。
それが自慢でとてもうれしそうでした」。
「主人は『これがいいよな〜』と言いながらパチパチと火の粉が飛ぶのをじっと見つめています。
私も黙って炎と主人の楽しそうな顔を眺めていました」。
翌朝白馬連峰は雲がかかり朝焼けを見る事はできませんでした。
2人はかまどの残り火で食パンを焼いて朝食。
太門さんはとてもおいしそうに食べていました。
「しばらくすると主人は『さあ帰ろう』とキャンプ道具を片づけ始めました。
しかし私はまだ山を見ていました。
『いつまでいてもきりがないから帰ろう』主人は荷物を車に積み込んでしまいます」。
「それでも私は動きませんでした」。
「もう二度と主人とこのキャンプ場に来る事ができないと知っていたからです」。
「すると小雨が降り始めてきたのです。
もう帰りなさいと催促されているのだと思いました」。
「車に乗り『お世話になりました。
思い出をいっぱいありがとうございました』と一礼。
悲しいとか寂しい気持ちより感謝の気持ちでした」。
翌年6月。
「主人は『俺は幸せ者だった。
またあのキャンプ場でパンを焼いて食べたかったなあ』と語りました」。
「『また行きたかったね』と私が言うと『今度家族と行け』と。
私は返事ができませんでした。
『違う違うあなたと一緒に行きたいんだよ』と心の中でつぶやいていたのです。
その2日後主人は62年の生涯を閉じました」。
「3人の子供たちがそれぞれ家庭を持ちいつかみんなであのキャンプ場へ行って朝焼けの白馬連峰が見られたらと思っています」。
「母が『今日は穏やかな天気なので鴨川へ1泊でドライブしてみない?』と言うので急いで朝食を済ませ一路南へと車を走らせました」。
最後のお手紙は押本理一さんから頂きました。
女手一つで育ててくれた母親のかさんを今年84歳でみとりました。
今は母から受け継いだ店を一人で守っています。
30年余り前のある日かさんから祖父のふるさと千葉県の鴨川への旅に誘われました。
病弱だった母との生涯たった一度の1泊旅行でした。
「私にとって初めての鴨川への旅。
山に囲まれた道をどれくらい走ったでしょう。
海が見え潮の香りがしてきました」。
鴨川に着いた2人が向かったのは船で10分ほどの小さな島仁右衛門島です。
「母が『お前のおじいさんも子供の頃に泳いでこの島に渡ったもんだ』と言いました」。
「自分が思っていたより意外と広くごつごつしていると思いました」。
「優しく包み込むような穏やかな浜風と潮の香り。
母は『海のいい匂いだ』と言いました」。
この日泊まったのは海辺にあるホテル。
明け方うつらうつらしていた押本さんはかさんから声をかけられました。
「『あれ見てみろ』母は窓の外を指して私を呼びました」。
「何だろうと思って見ると朝もやの中漁船が暖をとるための火をたきながら出航していくところでした」。
「幻想的な雰囲気に圧倒され私たちは体がジーンとしびれた感じがしました。
姿が見えなくなるまで見とれていました」。
「やがて朝もやに隠れていた太陽が黄金に輝きだしたのです」。
・「ためいきつき通り過ぎる景色ばかり」「帰りに車の中で聞こえてきたのは石川さゆりさんの『能登半島』。
母は能登半島を房総半島に替えて歌っていました」。
・「あなたあなたたずねて行く旅は」・「夏から秋への能登半島」「母の横顔をちらちら見ていると海を見ながらうれしそう。
やっぱり鴨川に連れてきてよかったなあ。
少しは親孝行のまね事はできたかなと思いました」。
あの日の風景は今を生きる人の胸に輝き続けます。
2014/12/30(火) 14:00〜15:00
NHK総合1・神戸
特集 小さな旅 手紙シリーズ 総集編「忘れ得ぬ山河」[字]

旅の思い出をつづる、手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」の総集編。人生の節目に訪れる尾瀬、老後の生きる希望を得た釧路湿原など、心に刻まれた各地の風景と旅の記憶

詳細情報
番組内容
みなさまからいただいた旅の思い出でつづる、手紙シリーズ「忘れられないわたしの旅」の総集編。今年度は、350通のお手紙やメールをいただきました。人生の節目に訪れる尾瀬。老後の生きる希望を得た釧路湿原。飯田線で偶然出会った女子高生との交流。女学生時代、恩師とたどった宮沢賢治の生家と東北への旅。病と闘った夫と、最後の旅で出会った白馬の山々。父との思い出の場所、福島県・背戸峨廊など、心に刻まれた旅の物語。
出演者
【語り】国井雅比古,山田敦子

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
サンプリングレート : 48kHz

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