美の巨人たち 上村松園『楊貴妃』 2014.12.27


年の瀬の京都。
観光シーズンの賑わいもようやく落ち着き町は静けさを取り戻しています。
飾らない日常の京都もいいもんですね。
でも蓄積された千年の都の伝統を味わうならやはり夏の祗園祭ではないでしょうか。
商家の店先になにやら人だかりが。
見物客たちのお目当ては店先に並んだ秘蔵の屏風の数々。
先祖代々受け継がれてきた大事な家宝を祭りの間だけ特別に公開するのです。
祗園祭は別名屏風祭りとも言われています。
およそ140年前のことです。
屏風を写させてほしいと1人の少女が現れました。
やがて絵の道に突き進んだ少女は画壇という男社会の荒波にもまれそのたびにずたずたに傷つき世間の冷たい目に耐えながらもひたすら己に鞭打つのです。
理想とする日本の女性の美を描くために。
画家の名は生涯第一線で活躍し続けた日本画家です。
しかし人生で一度だけ絵筆をとれなくなった時期がありました。
4年間も。
その長い沈黙を破ったのが今日ご紹介するこの屏風。
なんと女性の裸体なのです。
いったいこの作品で孤高の画家はどう自分にキリをつけたのか?その屏風は奈良市郊外にある美術館に収められています。
今日の一枚…。
言わずと知れた中国唐の時代の絶世の美女です。
紗を張った薄い障子の向こうで召し使いの少女が楊貴妃の身支度を整えています。
肌が透けるほどに薄く描かれた青い衣。
そこからのぞく豊かな胸元がほんのりと赤く染まっています。
今湯浴みを終えたばかりなのです。
うっすらと紅がひかれた口元。
実はこれから愛する玄宗皇帝と初めての一夜を迎えるのです。
火照った心と体にひんやりとした風が流れているようです。
そよぐすだれとさらさらと音を立てる笹の葉。
紗の障子越しに描かれた室内を見ると螺鈿の細工が施されたイス敷き布の更紗の艶やかな文様が丹念に描き込まれています。
更に人物の背後にあるすだれを見るとなんとその奥の景色まで描き込まれているのです。
画家は極端に薄塗りの絵の具を何層にも重ね奥行きのある空間を驚異のテクニックで見事に描き分けていたのです。
松園とはどちらかといえば口数の少ない内気な人だったといいます。
画室は神聖なる道場。
そこへ立ち入ることはたとえ親であっても我が子であっても画家は決して許しませんでした。
でもなかにはこんな例外が。
よしと…。
先生お疲れさまです。
ああお疲れ。
この人が上村松園さんですか?うん。
ところで先生どうやって松園さんの画室に入れてもらえたんですか?たしか家族だって入室禁止のはずでしょ。
うん…最初は当然のように断られたよ。
でも何度もしぶとく通っているうちにしぶしぶ折れてくれたというかね…。
いやぁ東京と京都を何度も往復した甲斐があったよ。
フフフ!あら?え?なんだい?一枚もないんですね笑顔で写ってる松園さんが。
そうなんだよ…。
表情が全然変わらないというか内面を明かさないというかね…。
ミステリアスですね。
そういえば松園さんここ最近ずっとスランプだと聞いてましたけどもう脱出したんですか?さあどうかな?明治40年国家主催の展覧会通称文展が始まります。
第1回から松園は受賞を重ね日本女性の美しさを見事に描き上げる画家としてゆるぎない地位を確立します。
ところが大正7年それまでとは明らかに異質な作品を発表したのです。
光源氏の正室葵の上に嫉妬した六条御息所が生霊となって彼女を呪い殺すという『源氏物語』をヒントに画家は女性の嫉妬の凄まじさを描き上げたのです。
しかし…。
このあと松園は描く喜びも生きる気力さえも失ってしまったのです。
そこから再び絵筆をとるきっかけとなったのが実は『楊貴妃』でした。
この絵に隠された松園復活の秘密とはいったい?上村松園が描いた『楊貴妃』とは悲劇の運命を背負った女性です。
あまりの美しさに玄宗皇帝は溺れ政がおろそかになりとうとう国が滅ぶことに。
そんな楊貴妃を描くために松園は当初4つの構図を用意していました。
そのうち2つは画面中央に立ち姿の楊貴妃を周りに侍女たちを配しました。
今度は楊貴妃だけを座ったポーズで。
最終的に選んだのがこの横幅を広くした構図。
それを二曲一隻の屏風に仕立てました。
松柏美術館には詳細な下図も残されています。
そこには何度も推こうを重ねたあとが。
画家は人生最大のスランプと懸命に闘っていたのです。
松園には生まれたときから父親がいません。
京都の町なかで葉茶屋を営む母仲子が女手一つで育てました。
10代の頃の自画像です。
親戚中の猛反対を受けながらも松園が画学校に入学できたのは気丈な母のおかげでした。
幼い頃から夢中になったのが人物を描くこと。
それゆえ花鳥画が中心の学校の授業に松園は落胆します。
それを理解してくれたのが教師の鈴木松年でした。
結局画学校を退学し松年の画塾に弟子入りします。
そしてイギリスの王子に買い上げられたことで評判になったのが15歳で描いた『四季美人図』。
これはその2年後のものですが同じ画題で松園のもとに次々依頼が。
画風の幅を広げようと新たな師匠のもとに弟子入りし24歳で『人生の花』を描きます。
母親に付き添われ婚礼の場に向かう花嫁の恥じらいと初々しさ。
その3年後のことです…。
松園が身ごもったのは。
幸せな花嫁を描いた画家は27歳で父親のない子を産むのです。
騒がしい世間をよそに母となった松園は一枚の作品を描き上げます。
実在の女性をモデルにしました。
異国の客をとることを拒み自害した遊女。
そんな画家がなぜか43歳にして描けなくなってしまったのです。
4年間もの長い苦しみ。
その果てに松園がようやく絵筆をとったのがこの『楊貴妃』でした。
世間のバッシングにもめげず堂々と未婚の母として生きてきた松園さんがなんで40代にしてスランプになったんですか?う〜ん…。
実はね妙な評判がたってたんだよ。
妙な評判?どんな?松園さんの絵はもう時代遅れだって。
時代遅れ?うん。
おそらく本人の耳にも入ってたんだろうね。
この苦しそうな表情から察しがつくよ。
その頃描いたのがこの『焔』でした。
画家は時代の荒波にさらされていたのです。
明治の末以降西洋の美術が日本に盛んに紹介され画家たちは大いに刺激を受けます。
日本画家土田麦僊が描いた江戸時代の風俗。
豊満な女性はどこかルノワールの裸婦を思わせます。
この頃日本画全般に西洋のエロティシズムそしてデカダンスという退廃的な美が横行しはじめていたのです。
当時松園の評価も変わりつつあったと松園研究の第一人者加藤類子さんは言います。
更にはこんな批判も…。
画壇の風潮に反発しながら実は松園自身も怨霊というグロテスクな女性を描いてしまったのです。
しかし描いた直後から画家は深い自責の念にかられるのです。
『焔』を描いた後悔からやがて深刻なスランプに。
4年間闇をさまよっていた松園にひと筋の光を与えたのは10代の頃から学んできた漢詩の世界でした。
絶望の淵にいた画家の心にとりわけ響いたのが『長恨歌』に詠われた悲劇の人。
その姿に己の技術のすべてを松園は注ぐべく挑んだのです。
初めて愛を受け入れる期待と喜び。
偉大なる皇帝の愛を独り占めする女としての誇り。
楊貴妃が動くたびにさらさらと音を立てる繊細な装飾品。
その一つひとつが淡い色調で精緻に描かれています。
『焔』のような激しい感情表現は一切ありません。
苦悩の時代がようやく終わりを告げようとしていました。
その裏にいったい何があったのか?松園さんの代わりにお母さんが息子さんを育てたんですよね?うん。
息子さんはお母さんのお乳を飲まずに育ったそうだ。
え〜っ!?お乳といえばこの絵って女性の裸体ですよね?うん。
それをこんなふうにはっきり描くなんて松園さんにしては珍しくないですか?そうなんだよ。
そういえばこの『楊貴妃』を描いてた頃誰かもうひとり松園さんの画室にいたはずなんだよな。
えっ誰なんです?いったい。
現在確認されている松園の裸体画はわずか数点。
しかもこれほどはっきりと描いた作品はありません。
実はそこにスランプ脱出のカギが。
そして誰もいないはずの画室にいたもうひとりの人物とはいったい?今日の一枚『楊貴妃』はスランプに苦しんでいた40代の上村松園が4年ぶりに帝展に出品した作品です。
松園の孫で日本画家の淳之さん。
実は上村家は松園息子の松篁そして淳之さんと三代揃っての日本画家なのです。
この絵の中に淳之さんは松園と父松篁との意外な秘密を見つけたと言います。
なんとすだれの奥に見える笹を描いたのは松園ではなく息子だったのです。
ではなぜ松篁が笹を描いたのか?スランプに苦しんでいた母はなかなか絵のイメージがまとまらず息子に助けを求めたというのです。
そこまでして『楊貴妃』を帝展に出品したかった理由…。
息子にはそれがわかっていました。
実は『楊貴妃』発表の前年松篁は帝展に初入選し画家として本格的に活動を始めていました。
そんな息子に母は背中を押されたのです。
己も負けてはいられないという画家としての自負。
ではなぜ裸体画を選んだのか。
それはかつて西洋画に流された自分と決別するには己の手で裸体を日本画本来の様式で描くしかないと松園は考えたのでしょう。
そしてそれを示すには帝展しかなかったのです。
すなわち松園は裸体の生々しさを安易に想像させないために漢詩にうたわれた楊貴妃を題材にしたのです。
周囲に描かれたすだれ障子調度品によって画家は見る側の視線を巧妙に裸体からそらせています。
だからこそ胸をはだけるという大胆なポーズながらも肉体の露骨な生々しさを感じさせないのです。
日本画の伝統に軸足をしっかりと据え画壇に向かって己の裸体画を高らかにうたいあげた松園。
画家はこの絵で『焔』を描き苦しんだ過去の自分にキリをつけたのです。
4年間のスランプは松園さんにとって必要不可欠だったのかもしれませんね。
うんそうだね。
裸体画にチャレンジしたり画家として一人前になった息子と絆が深まったわけだしね。
本当に逞しい女性ですね松園さんは。
この小さな体にどれだけのエネルギーが詰まってるんだ!っていう感じだよな。
本当ですね。
(笑い声)時代の波に翻弄された画家は一度は己の道を失いかけました。
しかし裸体という新たなテーマに果敢に挑み己を鍛え上げ更なる高みへと到達したのです。
上村松園作『楊貴妃』。
人生最大のスランプから生まれた清らかな世界。
ポーランド西部に位置する古都ポズナン。
2014/12/27(土) 22:58〜23:28
テレビ大阪1
美の巨人たち 上村松園『楊貴妃』[字]

毎回一つの作品にスポットを当て、そこに秘められたドラマや謎を探る美術エンターテインメント番組。今日は、生涯第一線で活躍した女流日本画家、上村松園の『楊貴妃』。

詳細情報
番組内容
今日の作品は、1948年、女性として初めて文化勲章を受章、生涯第一線で活躍した女流日本画家、上村松園作『楊貴妃』。二曲一隻の屏風です。言わずと知れた中国の絶世の美女が、湯あみを終えたばかりの一場面。絵の具を何層にも重ね、奥行きのある空間を見事に描き分けています。
番組内容の続き
そんな松園が人生で一度だけ絵筆をとれなくなった時期がありました。4年間続いたスランプの末、再び描くきっかけとなったのが今日の作品、『楊貴妃』。この作品で自分の制作に対しキリをつけたというのです。絵に隠された松園復活の秘密とは一体…?
ナレーター
小林薫
音楽
<オープニング・テーマ曲>
「The Beauty of The Earth」
作曲:陳光榮(チャン・クォン・ウィン)
唄:ジョエル・タン

<エンディング・テーマ曲>
「India Goose」
中島みゆき
ホームページ

http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/

ジャンル :
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化

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