フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」の関係者ら17人が犠牲になった連続テロから、1週間が過ぎた。

 パリでの100万人を超す大行進など、暴力に屈しない決意を内外に示した国民の姿は、国際的に共感を呼んだ。

 ただ、その後のオランド政権の対応には、やや過剰な面があるように見える。不穏な空気を心配せざるを得ない。

 たとえば、バルス首相は国会演説で、フランスは「テロ、聖戦主義者、イスラム過激派との戦争状態にある」と宣言した。さらにオランド大統領は、空母「シャルル・ドゴール」を中東の過激派組織に対する空爆作戦に向かわせる、と表明した。

 無抵抗の人々をテロで失ったことに対するフランス人の悲しみと怒りは理解できる。

 しかし、テロ犯罪に対抗して政府首脳が「戦争」という言葉で民心を駆り立て、国外での軍事力行使に即時直結させる行動が、いまのフランスに求められる賢明な対応だろうか。

 オランド政権は事件前まで、10%台という低い支持率に悩んできた。これを機に国内の支持を高めようとする意図が潜んでいるのではないか、と分析する専門家もいるほどだ。

 世界中の市民が「わたしはシャルリー」の合言葉を掲げて、フランス国民との連帯を示したのは、この事件が「言論の自由」という理念を脅かすと感じ取ったからに他ならない。

 この普遍的な理念を守るという姿勢は大切だが、それをフランスの国防全般と置き換えたり、狭量な愛国心をあおったりするような政治利用はあってはなるまい。

 テロに屈しない姿勢とともに、テロに直面しても落ち着きを失わない態度も、世界の市民はフランスに期待している。

 さらに気になるのは、事件以降、テロの擁護とも受け取れる発言をした人たちが、「テロ礼賛」容疑などで司法当局に相次いで摘発されていることだ。フィガロ紙によると、その数は54件にのぼるという。

 その中には、実際にテロ組織とつながっている例がないとは言い切れないが、多くの場合は冗談や悪態だ。

 事件を機に、自由な発言への取り締まりが強まり、市民生活への制限が高まるようなことがあれば、それは守るべき価値を自ら損ね、テロリストの狙いどおりの効果を生んでしまう。

 事件の解明と再発防止は急がねばならない。ただ、あくまで節度を保ちつつ、自由社会の原則を尊ぶ筋道で進めてほしい。