沙弥満誓 さみのまんぜい 生没年未詳 略伝

笠氏の出身。父母等は未詳。俗名は麻呂。
大宝四年(704)正月、正六位下より従五位下に越階昇叙される。慶雲三年(706)七月、美濃守に任ぜられると有能な国司として活躍し、和銅二年(709)には業績を賞され、同四年に正五位上、同六年に従四位下と急速に昇進。同七年閏二月には木曽路を開通させた功により封戸・功田を賜わる。霊亀二年(716)六月、美濃守に尾張守を兼任する。養老元年(717)十二月、元正天皇が美濃国に行幸した際には従四位上に昇叙された。養老三年(719)七月、尾張・参河・信濃の三国を管する按察使を兼ねる。同四年十月、右大弁として中央に復帰するが、翌年五月、元明太上天皇の病を理由に出家入道を請い、勅許された。以後、満誓と号す。養老七年(723)二月、造筑紫観世音寺別当となり、大宰府に下向。翌年大伴旅人が大宰帥として府に赴任すると、いわゆる筑紫歌壇の一員となり、万葉集に七首の短歌を残した。

沙弥満誓、綿を詠む歌一首

しらぬひ筑紫の綿は身に付けていまだは着ねど暖けく見ゆ(万3-336)

【通釈】筑紫の綿はまだ肌身につけて着たことは無いけれども、いかにも暖かそうに見える。

【語釈】◇しらぬひ 筑紫の枕詞◇筑紫(つくし) 九州の古称。また、特に筑前・筑後両国を指す。

【補記】万葉集の排列などから、神亀五年頃、大宰府における小野老着任を祝う宴で詠まれた歌らしい。「筑紫の綿」に筑紫の女を寓意したと見る説がある。

沙弥満誓が歌

世の中を何に(たと)へむ朝開き漕ぎ()にし船の跡なきごとし(万3-351)

【通釈】世の中を何に譬えたらよいだろう。朝早く港を漕ぎ出て行った船の、航跡が残っていないようなものだ。

【補記】世の中のはかなさを、航跡がたちまち消えてゆく様で譬えた。この歌は大伴旅人の讃酒歌十三首のあとに載せられている。

【他出】古今和歌六帖、拾遺集、金玉集、深窓秘抄、新撰髄脳、和漢朗詠集、古来風躰抄、定家八代抄など。
拾遺集には次の形で載る。
世の中を何にたとへん朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡のしら浪

【主な派生歌】
世の中を何にたとへん秋の田をほのかにてらす宵の稲妻(*源順[後拾遺])
世の中を何にたとへん風ふけばゆくへもしらぬ峯のしら雲(〃[続古今])
にほ照るや凪ぎたる朝に見わたせば漕ぎゆく跡の波だにもなし(西行)
跡もなくこぎ行く船のみゆるかなすぎぬる事はこれにたとへん(慈円)
これも又なににたとへむ朝ぼらけ花ふく風のあとのしらなみ(鴨長明)
とほざかる人の心はうなばらの奥行くふねの跡のしら浪(藤原定家)
花さそふ比良の山風吹きにけりこぎゆく舟の跡みゆるまで(*宮内卿[新古今])
朝ぼらけ沖行く舟のほのぼのと霞にのこるあとのしら浪(正徹)
行く舟のあとの白浪かすむ日はこの世の中をなににたとへん(〃)
春のはて花の湊や尋ぬともむなしき舟の跡のしらなみ(心敬)
浪の上をこぎ行く舟の跡もなき人を見ぬめのうらぞ悲しき(賀茂真淵)
何事かおもひのこさん朝びらきこぎゆく舟の真帆のおひかぜ(加納諸平)
世の中は何にたとへむ弥彦にたゆたふ雲の風のまにまに(良寛)

造筑紫観世音寺別当沙弥満誓の歌一首

鳥総(とぶさ)立て足柄山に船木(ふなぎ)伐り木に伐りゆきつあたら船木を(万3-391)

【通釈】鳥総を立てて、足柄山で船材の良木を伐ると言うが、あいつめ、ただの木として容易く伐って行ってしまった、もったいない立派な木だったのに。

【補記】譬喩歌。「鳥総」は木の末や枝葉の茂った先。樹木を切る時、これを切り株の上に立てて山の神を祭る風習があった。「木に伐り」は「船木伐り」に対して「何でもないただの材木として伐り」の意。目をつけていた美女を、別の男がたやすく妻にしてしまったことを譬えている。

満誓沙弥の月の歌一首

見えずとも(たれ)恋ひざらめ山の端にいさよふ月をよそに見てしか(万3-393)

【通釈】見えなくても、誰が恋せずにいられようか。山の端のあたりで出かねている月を、よそながらでも見てみたいものだ。

【補記】譬喩歌。噂に聞く深窓の美女への思いを、月に託して歌った。

大宰帥大伴卿の京に上りし後、沙弥満誓、卿に贈る歌二首

まそかがみ見飽かぬ君に後れてや(あした)夕べに()びつつ居らむ(万4-572)

【通釈】何度お逢いしても見飽きることのない貴方に置いて行かれて、朝も夜もこんなに寂しい思いでいることでしょうか。

【語釈】◇まそかがみ 真澄鏡。「見」にかかる枕詞。

【補記】大納言に任命されて帰京してしまった大伴旅人のもとへ贈った歌。満誓は観世音寺別当として筑紫に残っていた。

ぬばたまの黒髪かはり白けても痛き恋には逢ふ時ありけり(万4-573)

【通釈】黒髪が変わり白くなっても、これ程ひどい恋しさにさいなまれる時があったのですねえ。

【語釈】◇ぬばたまの 「黒」にかかる枕詞。

大宰帥大伴卿の宅の宴の梅の花の歌

青柳(あをやなぎ)梅との花を折り挿頭(かざ)し飲みての後は散りぬともよし(万5-821)

【通釈】青柳と梅の花とを手折って挿頭にして、皆で酒を飲んで遊んだあとには、もう花は散ってもかまわない。

【補記】天平二年(730)一月十三日、旅人邸における梅花宴での作。参席者各人一首、計三十二首が披露された、そのうちの一首である。題詞は目録より補った。


更新日:平成15年10月11日
最終更新日:平成18年12月10日