2010年02月24日
肥前国府へ続く道
日本の歴史の中で、しっかりと「道」として記録されて
残されている「古代官道」は、吉野ヶ里の北墳丘墓の
北を通り、河岸段丘を削って”ここ”に出ます。
ここは「神埼郡衙跡」、奈良時代の神埼郡の役所があった
遺跡です。
今は、整備された田んぼですが、以前の発掘調査で執務を行う
郡庁や、役人たちの館、食料担当の厨、租税を納める正倉などの
跡が多数出ている地です。
そして、ここに真っ直ぐ西へ延びる官道が通っていたのです。
このまま西へ進むと、ずーっと先に見える次の丘の向こうに
ある風景がここです。
右手の大きな茂みと、左の1本の枯れた木立の間が・・官道なんです。
神埼郡衙から一直線につながる官道は、さらに西へ・・・
現在の佐賀市久保泉町から金立町を進み、そして大和町にあった
「肥前国府」に続いて行くのです・・・
駅鈴を響かせて、役人が乗った駅馬がゆったりと歩を進める様が
見えるような・・・時空を超えて静かな時が流れる空間です。
残されている「古代官道」は、吉野ヶ里の北墳丘墓の
北を通り、河岸段丘を削って”ここ”に出ます。
ここは「神埼郡衙跡」、奈良時代の神埼郡の役所があった
遺跡です。
今は、整備された田んぼですが、以前の発掘調査で執務を行う
郡庁や、役人たちの館、食料担当の厨、租税を納める正倉などの
跡が多数出ている地です。
そして、ここに真っ直ぐ西へ延びる官道が通っていたのです。
このまま西へ進むと、ずーっと先に見える次の丘の向こうに
ある風景がここです。
右手の大きな茂みと、左の1本の枯れた木立の間が・・官道なんです。
神埼郡衙から一直線につながる官道は、さらに西へ・・・
現在の佐賀市久保泉町から金立町を進み、そして大和町にあった
「肥前国府」に続いて行くのです・・・
駅鈴を響かせて、役人が乗った駅馬がゆったりと歩を進める様が
見えるような・・・時空を超えて静かな時が流れる空間です。
Posted by しぎょうさん
at 21:44
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