陰陽五行と民俗:祭や伝承にみる古のメッセージ・・・
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北辰と伊勢神宮
2010/11/30 12:00
北辰とは天空に輝く「北極星」のことです。古代中国の遊牧や農耕の民は北方の天に不動の輝きを放つ星を
天の中心とし、その周囲を季節により動き奉仕する北斗七星を天の乗り物であり、季節の農事を司る農業神である
と考えました。
そして悠久不動の北極星を「天皇大帝」として地上の王権の不可侵のシンボルとしたようです。
早くから占星天文術の発達した中国大陸の思想が、古代易学としてわが国に導入されたのは大和王権誕生の
時代にまで遡るようだ。
以前は、古代信仰としての精霊信仰や東の海から昇り西に沈んでいく太陽の生滅を神の威徳とした東西の軸を
中心の信仰としていたのだが、倭国大乱を経て統一王権の成立を確かなものにするために、その王権の
神聖化を図る必要に迫られていたようです。
そこに大陸からの北辰信仰である天皇大帝の思想が習合され、大王とよばれていた王権に「天皇」の称号を
冠するようにしたのが「天皇制」の開始であろう。
壬申の大乱をへて天智の大津京より明日香京へ遷都した天武天皇はとくに遁甲術を駆使し、皇祖神を天照大神
であると共に神聖不可侵の星「北辰(太一)」であることを伊勢神宮に祀ったものでしょうか。
画像
神宮の内宮は天照であると同時に秘かに北辰太一であることを習合させています。皇大神宮第一の別宮
である荒祭りの宮は、本宮に続いて直ちに奉祭されるようだ。位置は内宮の北側、款宮にあり天照のミアレの
宮とされている。これが北辰を習合させるシクミとして勧請されているものです。
その一方で天皇大帝に神饌を供する北斗七星と豊受大神を勧請し外宮に祀らせました。
北斗七星の柄杓のカタチは神饌を供するための器であるとしています。そのために天皇大帝への
神饌は、先ずは外宮を通して奉納されます。このようにして大和王権は都の東の地の伊勢を王権の
常世の地として伊勢神宮を、祭りそのなかに皇祖神である天照と神聖な王権のシンボルとしての
北辰(太一)をミアレの宮を勧請することにより見事に習合させたといえます。
このことを吉野弘子氏の「隠された神々・人文書院」をあげて紹介とさせていただきます。
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