屋島西町の「浦生(うろ)石塁」から7世紀後半とみられる須恵器の破片が出土したと市教委が本年4月13日発表されています。 出土した須恵器片は計13枚。ラッパ状の口がついて水や酒などを入れる容器「平瓶(へいへい)」とみられ、破片から復元すると直径17センチ、高さ15・5センチになる。平瓶は製造時期によって形が違い、今回見つかったのは形の特徴から7世紀後半ごろに造られたと推定されており、このあとの調査研究の結果が地元としても気になるところです。 (各画像はクリックで拡大表示されます)
●出土した須恵器(復元品) 4月25日の現地説明会の際撮影、以下同じ ●出土した須恵器四態(復元品)、カメラの向きを変えて撮ってみました。 ●浦生石塁(城跡の遺構?) 出土した付近の石塁 長さ約100メートルの城壁と見られる石塁の内側から発見されたもので、この石塁は667年に屋島に築かれたと日本書紀に記されている古代山城「屋嶋城」遺構の一部らしいことが更に確認されたことになります。 ●屋島城趾 この地点より約50メートルほど離れた石塁の付近で出土。 4月25日、この場所で市民向けの現地説明会が開催され、200名を超す大勢の方が参加され関心の高さを窺わせました。(各画像はクリックで拡大表示されます) 屋島徘徊記に戻る。 ■
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屋島山上で1300年以上も前に築かれたとされる屋嶋城(やしまのき)跡の発掘調査の現場が一般に公開され3月16日現地見学会が催されました。
屋嶋城は7世紀飛鳥時代に大和政権が大陸からの侵攻に備えて築いたとされる古代の山城です。 高松市は新年度(平成20年)から城門と城壁の復元に向けた取り組みを始める予定。 以下は3月16日 屋島城跡、見学会配付資料より 1 屋嶋城とは 屋嶋城とは、対外防備に備えて古代に造られた山城の一つです。 西暦663年の白村江での大敗により,唐・新羅の連合軍が倭へも侵攻してくるのではないかという懸念から、大和朝廷は対馬・九州から瀬戸内海沿岸にかけて防御用の城を築きました。 さて、屋嶋城については、『日本書紀』天智天皇6年(667年)11月の条に、 このつきに つく やまとのくにたかやすのき きぬきのくにやまだのこおりやしまのき つしまのくにかなたのき 「是月 築_ 虚國高安城.讃岐國山田郡屋嶋城、対馬國金田城」 と見えるのが唯一で,長らくその実態がよくわかりませんでした。近年の高松市教育委員会の確認調査等により,標高270m付近の断崖が途切れる部分に土塁(土段)を中心とする外郭線が存在していることがわかりました。『日本書紀』に記載があり築城年代が判明している屋嶋城の全容解明は,築城年代が不明である他の古代山城の年代決定に非常に重要であると考えられます。 2 城門遺構について ① 谷の奥部に造られており,最も残りの良い石垣は,高さ約6m,低い部分でも高さ約4mの規 模をもち,高い城壁で守られた構造をもっています。城門は,その城壁の北端近くに存在します。 城門床面は傾斜のきつい部分に造られていることから,4段の階段になっています。 ② 城門幅は5.4m,奥行10mあり,国内で確認されている古代山城の城門遺構では最大級の規模 をもち,城門奥は岩盤を露出させ直進できない構造になっています。さらに内側の岩盤上には, 小規模な城壁が存在し(東側土塁跡),このように城門に二重の城壁をもつことを甕城(おうじょう)といい,屋嶋城の城門は内側に城壁をもつことから内甕城であるといえます。 ③ 城門は谷部にあることから,城門床面に上部からの水を排出するための排水溝を設置しています。城内にたまった雨水が城門の床面を洗わないようにするための配慮です。 ④ 南側壁に接した岩盤上で柱穴を2基確認した他,同様に北側壁に接して安山岩で円形に囲む部分があり,この部分にも柱穴があったものと考えられます。これらの柱穴の確認により,上部構造が想定できるようになりました(現在のところ梁行1間,桁行2間の門構造を想定しており,中間部分の柱に接して扉が設置されていたものと想定されます)。 ⑤ 城門前面においても,現存で1.2mの高さで石垣を垂直に積み上げていることがわかりました。城内側へ倒れ込んだ分も復元すると約2mの高さとなり,このように城壁と連続する構造を「懸門(けんもん)」呼んでいます。これにより外からの敵に対して進入を困難にする防御構造を備えています。 さらに石垣前面の南半部において幅約1mの平坦地を確認しました。作業用の通路と考えられ,北半部では認められなかったことから南側から城内に入るように造られていると考えられます。 ⑥ 排水溝のほかに城内から流れてくる雨水から城壁を守るため,城壁の背面側には二重の列石を置き,城壁を保護していることも判明しました。 3、まとめ 屋嶋城の存在を実証した城門遺構は,これまでの調査によって,城門前面石垣を垂直に積上げることや城門内を屈曲させるなどの構造を多用し,外部から容易に侵入できない構造になっていることが判明しました。内部構造では,石垣の裏栗は塊石で充填するなど,雨水による崩壊防止の工夫がなされていることも判明しました。雨水によって城壁が崩れてしまっては,敵が攻めてきた時に,十分な防御ができなくなるからです。 調査成果から,城門は屋嶋城において非常に重要な場所であったことがわかりました。 高松市は新年度(平成20年)から城門と城壁の復元に向けた取り組みを始める予定。 以上は2008年03月16日・高松市教育委員会主催、屋嶋城趾現地説明会資料より引用しました。 参考写真などは 屋嶋城城跡にも ■
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