情報ネットワーク INFACT  発刊

            松重 正 
 百済王と天皇家をむすぶ『石城山』の謎

                目 次 一 覧

1 ま え が き 
2 第 一 章
石城山遺跡は「長門の城」であったか 楊井水道は古代長門水道であった
 神域説の根拠になったのは  
 七世紀の東アジアの情勢
 柳井水道は古代長門水道であった
 防長二国は全国的にも類例の少ない国名の変更が行われた
 長門の城(石城山)と周芳総令府
 その後の周芳国と古代長門水道
 その後の麻里府(鎮守府)の変遷
 往古の日良府附近図紀元1500年
 慶長以前大島郡図
 慶長以前「大島の国」図
 古代周防鳥乃海之図T
 古代周防鳥乃海之図U
 古代周防鳥乃海之図V
3 第 二 章
敏達天皇の「勅額」と石城山の名称について
 現行『日本書紀』が出来るまでの経緯
 六世紀の朝鮮半島の情勢
 聖徳太子の創作と百済・倭国の歴史
 古代・石城山城が百済の旧都扶余の近郊にあった
 達率・答本春初が周芳総令として「石城山」と名付けたか
 忠清南道図
4 第 三 章
皇座山系の古代遺跡に関連して 柳井市郷談会への少しの提言
 一、皇座屋山はかつて安羅(蘇我王朝)の「高天原」であったか
 二、麻里府の水軍基地及び石城山とのかかわり
 三、延暦年間の南北朝の戦いと桓武による歴史捏造の影響
 四、インドから来た源平武士団の由来
 五、承平・天慶の乱/実は渤海難民(製鉄族)の渡来
 六、源平合戦と平家の行方
 七、伊保庄の安城寺は「安羅城」であったか
 八、国東半島の縄文製鉄遺跡と柳井湾の古代製鉄遺跡
 九、「神武さま」遺跡について
 十、おわりに
5 第 四 章
とてもよく似ていた石城山城     韓国石城山を訪ねて
石城山城のナゾを解くような
   百済王家が皇室の先祖という平成天皇発言の余波
百済王氏の辺境支配とその後の繁栄
敬福→光仁→桓武三代の謎
秦始皇帝の焚書による東洋史の抹殺
シルクロードから来た彩陶文化
高令とは何か
失われた朝鮮と日本の歴史
『日本書紀』は謀略偽書である。
北倭と南倭
『三国遺事』と『三国史記』も信用できない
日韓合併と歴史の偽造
明治政府の歴史破壊
『桓壇古記』の出現


    特別付録
『韓国と日本の歴史』 序章 ・ 歴史を失った日本人

6 昭和天皇と難波大助
摂政を撃ったという「虎ノ門事件」の真相
       実は一若いエリート同士の「恋のさやあて」であった
 虎ノ門事件
 大助の親友たちの証言
 男の意地を貫くため「一家一門の名誉」を賭けた難波大助
 難波家の家系
 明治維新と難波家
 吉田松陰の南朝革命
 大室天皇家の由来
 大室寅之祐と薩長同盟
 初めて明かす「王政復古」前夜の真相
 坂本竜馬は誰が殺したか
 王政復古(南朝革命)と東京遷都
 「玉」のため殺された世良修蔵
 明治天皇は伊藤博文のパペットであったか
 「虎ノ門事件」は若者裕仁と、若武者大助の決闘だった
平成天皇の日韓友好
 「天皇家は百済から来た」という平成天皇の発言
 桓武天皇はE・Tのような高野姫から生れたのか?
 百済王統譜と『記紀』皇統譜の対比一
 白村江後の『記紀』皇統譜(のち道鏡・桓武が改竄したもの)
 系図
日本人とアイヌ人のルーツ
 アイヌ人と?婁は先住民族
 北方型新モンゴロイド(オロチョン)の進化
 日本人と蒙古人の共通の祖先は「北倭」
 扶余人の侵略をゴマカスために『記紀』がつくられた
 『記紀』によって日本太古史(縄文、弥生、古墳時代)は抹殺された
 万世一系の虚構
7 その他の著書及び推薦書 等
8 『韓国と日本の歴史』について

もくじは、再編集の都合上、変更がある場合もあります。

もくじの頭へ

インファクトHOMEへ
     松重 正TOPへ  

メール  松重先生に情報・お便りなどが
      ありましたらお寄せください。
          ただし、冷かしなどはお断りします。

大室寅之祐、田布施、明治天皇、幕末、明治維新、鹿島昇