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 奈良県明日香(あすか)村の小山田(こやまだ)遺跡から現れた未知の巨大遺構。50メートル以上の石張りの掘割は、舒明(じょめい)天皇が最初に葬られた墓(初葬地)の一部なのか。ただ被葬者像には当時の権力者、蘇我蝦夷(えみし)の名前も挙がり、識者の見立ては様々だ。

 奈良県立橿原(かしはら)考古学研究所(橿考研)によると、奈良県東部産の「榛原(はいばら)石(いし)」で墳丘を覆う古墳が造られたのは、7世紀中ごろに限られる。この時期に没し、蘇我馬子(うまこ)の墓とされる石舞台古墳(一辺約50メートル)を上回る墓を築ける人物として、舒明天皇(641年没)の名前が浮上したという。

 日本書紀によると、舒明の遺体は642年12月に「滑谷岡(なめはざまのおか)」に葬られ、その9カ月後に「押坂陵(おしさかのみささぎ)」に改葬された。押坂陵は、宮内庁が舒明天皇陵に指定する段ノ塚古墳(奈良県桜井市)が確実視されている。古墳は天皇家の墓に特有な八角形墳で、段ノ塚古墳がその最初。一方、滑谷岡は明日香村東南部の山中とされるが、該当する古墳は不明だった。