中島 滋隆
ナカジマ シゲタカ緩和ケア、なぜ大切なのか
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がんはつらく苦しいもの、そのようなイメージをお持ちではないですか? たしかにがんの増大や転移、さらにがんに対する治療は、多かれ少なかれ苦痛を伴うことが否めません。しかし、がん医療はこの数年で患者さんの身体と心に優しい医療へと変貌しつつあります。その中心を担っている柱の一つが、我が国で急速に普及しつつある緩和ケアなのです。
まず、がんの緩和ケアが、なぜ大切なのか、答えを言いましょう。適正な緩和ケアを早くから受けることで、がんが再発・転移しても苦痛少なく長生きできるからです。
WHO(世界保健機関)は、緩和ケアを「生命を脅かすがんなどの病に直面している患者と家族が抱えている身体的、精神的、社会的、スピリチュアルな苦痛を早期に診断し、適正に対応・治療することで、QOL(生活の質)を向上させる医療」と定義しています。
身近な感染症や軽いケガであれば、しばらく我慢して治療を受けていれば、短期間で健康な身体に戻れます。これに対してがんが転移・再発した場合は、決して楽でない道のりが続くことを覚悟しておかなければなりません。がんが転移・再発した場合、人生の仕上げの時期が思いのほか早く訪れるか、長くがんと共生できるか、それは人それぞれです。
いずれにしても、がんに伴う心や身体の苦しさを我慢して日々過ごすより、がんと共生しつつ、可能な限り苦痛なく日常生活を過ごすことに異議のある方はいないと思います。
なお緩和ケアを担当する診療科名には、緩和ケア科、緩和医療科、緩和治療科、ホスピスケア科など、様々な名称がありますが、本質は同じなので、本稿では、緩和ケアで統一したいと思います。
早期から
WHOは、1990年の時点では緩和ケアを「がん治療が効かなくなった患者に対する全人的なケア」と定義していましたが、その後、2002年の声明で、「がん治療の早期から開始すべき積極的な医療」と、がん治療の中心的存在へ位置づけを転換しています。転移・再発と診断された時点から、抗がん剤治療などと同時に開始すべき医療が緩和ケアなのです。
世界のがん医療をリードしている、米国臨床腫瘍学会(ASCO)も1998年に「がん治療医は、単にがんだけを見た抗腫瘍治療に囚われるのではなく、がんに罹患した患者に対しては早期から最期まで継続した緩和医療・ケアを行うべきである」との声明を出しています。
我が国でも、「がん対策基本法」で、がん治療における早期からの緩和ケアの介入と、がん診療に携わるすべての医師が緩和ケアの概念を理解し、緩和ケア研修会を受講して一定レベルの緩和ケア診療技術を習得することが義務づけられました。現在、全国で多くの医師が研修会を受講しており、数年後には、がんのステージや治療の場を問わず、早期から、いつでも、どこでも、切れ目なく、一定レベルの緩和ケアが受けられる国になると期待されています。
その痛み、我慢は禁物です。
転移・再発固形がんでは、発現する時期や強さに個人差はあるものの、ほとんどに痛みが伴います。がんそのものによる痛みの他に、手術、放射線、抗がん剤など抗腫瘍治療による痛みなど原因は様々で、複数の原因で起こっている場合も少なくありません。
日本人は我慢を美徳と考えがちですが、こと痛みに関する限り我慢して良いことはありません。がんの痛みは持続し、段々強くなって行きます。我慢すると脳神経系が痛みを記憶してしまい、鎮痛薬などで痛みの治療を開始しても、すぐに痛みが消えないこともあります。また、痛みは不眠、食欲不振、不安、抑うつなどの原因となり、これらの症状がさらに痛みの感じ方を増強して、「痛みの負のスパイラル」に陥ります。その結果、心身共に衰弱・消耗し、QOLは低下、抗がん剤治療を受ける体力もなくなってしまいます。余命まで短縮する場合もあります。
痛みがコントロールされなければ、患者さんを見守り支えている家族のQOLやメンタル面も下がってしまいます。すなわち家族全員が苦しむことになります。
痛みの取り方
がんの痛みの治療の第一目標は、夜痛みがなく眠れる。第二目標が、日中の安静時に痛みが出ない。そして第三目標が、身体を動かしても痛まない、です。
がんの痛みの世界標準治療は、25年前の1986年に公表された「WHO方式がん疼痛治療法」です。軽い痛みには、非ステロイド消炎鎮痛薬(ロキソプロフェンやアセトアミノフェン)から開始します。これだけで痛みが十分に消えない時はモルヒネなどの医療用麻薬(オピオイド鎮痛薬とも言います)を追加します。
ところが我が国は、単に緩和ケア後進国であるだけでなく、痛みの治療に関しても遅れています。オピオイド鎮痛薬をうまく使いこなせる医師が少なく、国民の間にも、モルヒネに対して、「中毒になる」、「廃人になる」、「気が変になる」、「死を早める」、「死の直前に使用する薬」など、多くの誤解があります。結果として、先進国中医療用麻薬の使用量が最も少ない国になってしまいました。
実際には、適正にモルヒネを使用することは苦痛緩和と延命に寄与する、との複数の研究報告が海外から示されています。
近年ようやくモルヒネ、オキシコドン、フェンタニルという3種類の医療用麻薬、いわゆるオピオイド鎮痛薬が使用できるようになりました。この3種類は、内服薬、貼付薬、座薬、注射製剤など、患者さんの病状や好みで使い分けできます。
医療用麻薬は痛みが和らぐ限り上限はなく、患者さんによって適量は異なります。はやりの「オーダーメイド治療」の元祖とも言えます。
ただ、がんが神経を圧迫したり傷つけた場合は、医療用麻薬だけでは取れない「神経障害性疼痛」が出ます。この痛みに対しては、非ステロイド消炎鎮痛薬、医療用麻薬に加え、鎮痛補助薬を併用します。鎮痛補助薬には、本来は痛み止めではない、抗けいれん(てんかん)薬、抗うつ薬、抗不整脈薬、ステロイド剤などがあります。医師がこれらの薬を処方した際、「てんかんやうつ病ではないのに」と思われるかもしれませんが、あくまでこれらの薬がもつ特殊な作用機序を利用して難治性の痛みに対処しているので誤解しないで下さい。
痛みの原因によっては、放射線治療、神経ブロック(硬膜外神経ブロック、くも膜下神経ブロックなど)、ビスフォスフォネート製剤、インターベンショナルラジオロジー(IVR)、手術なども用いられます。
骨転移に対する放射線治療の奏効率は高く、鎮痛薬を減量したり中止したりできる場合も少なくありません。
また、ビスフォスフォネート製剤は、外来で4週間に1回15分の点滴を受けることで、様々ながんの骨転移の疼痛を和らげたり転移した骨の病的骨折を予防できます。ただ、抜歯などを受けた患者さんなどには、まれに顎骨壊死という重篤な副作用が発現するので、使用前には歯科を受診しましょう。
上手に痛みを伝えよう
痛みは採血などの検査では分かりませんので、自分から訴え出なければ医師に気づいてもらえません。主治医にどんどん遠慮なく伝え、対処してもらいましょう。
どこに、いつから、どんな時に、どのような強さで、どのような感じ方の痛みが、どれぐらいの時間持続するのか、痛み止めが効くのかなど、自覚症状に関する情報は、その原因や画像検査による原因の同定、さらに治療方針の決定などを探る重要な糸口になります。最小限、次の3点はメモなどに書いて外来診療の際などに伝えてください。
●痛みの部位
●痛みの強さ
●痛みの種類、感じ方
痛みの強さを表すには、いろいろな「スケール(ものさし)」が使われます。
NRSでは、これ以上考えられない最悪の痛みを「10」、まったく痛みがない状態を「0」として、現在抱えている痛みの強さがどの程度なのかを評価・診断します。これだとごく弱い痛みも「1」と表せますし、例えば、「今は1ですが、昨夜寝る前はとても痛く、NRSで7の痛みだったので、痛み止めを飲んで寝ました。よく眠れて、起きた時には3まで軽くなっていました」などというように、痛みが出る時間帯や薬の効果も伝えやすいですよね。
ここで大切なことは、鎮痛薬を使用した前と後で痛みの強さがどう変わったかです。
この情報により、医療者は、現在使用している鎮痛薬が適正・適量なのか、または薬を変えたり、量を調整する必要があるのかなどを判断できるのです。
がん疼痛治療は患者と医療者の共同作業であり、両者が良いコミュニケーションを持てるか否かによって、円滑に治療が進行するか否かも決まってくると言えましょう。
対象は痛みだけじゃない。
消化器がん、婦人科がん、泌尿器がんなどが腹膜に転移して、がん性腹膜炎・腹膜播種を起こした場合、胃の出口や十二指腸が周囲のがんやリンパ節転移で狭くなっている場合、さらに、手術、抗がん剤治療、放射線治療などのがん治療や鎮痛薬などの後遺症、副作用などで消化管に障害を来たした場合には、食欲不振、腹痛、吐き気、嘔吐、便秘などの消化器症状が現れて、QOLの低下や栄養障害などの原因になります。
口から、また病態によっては胃瘻(PEG)から食物を食べる、栄養を投与することは、実は免疫力の点でもとても大切なことです。
体内の免疫系で重要な役割を果たすリンパ球の半分は腸の粘膜に存在しており、腸管粘膜を適度に刺激することで免疫力がアップするからです。
便秘を改善すること、食生活を工夫すること、口腔ケアなどは、日頃から心がけて下さい。
消化管閉塞(腸閉塞)を起こすと、ガスや便が出ない、吐き気が続く、食事をした直後に腸をねじられるような腹痛が起こる、などの状態になります。さらに消化管が飲食物や消化液などで満杯になると、吐き続けます。
この場合すぐに絶飲食にして、点滴で水分や栄養を管理しつつ、消化管内に溜まったものを胃管やイレウス管を挿入・留置して外へ出します。さらに薬物療法として、消化管閉塞改善薬のオクトレオチドの持続投与、ステロイド薬の点滴などを開始します。
全身の状態や病態によっては、胃の出口や十二指腸にステントと呼ばれる網状の筒を内視鏡で留置したり、狭窄・閉塞を解除するバイパス手術を行う場合もあります。
腹水が大量に溜まった場合は、外来や入院で適当な間隔で腹部に細い管を入れて排液します。排液しても大量の腹水が短期間で溜まってしまう場合には、腹水濾過濃縮再靜注法(CART)という方法を用いる場合があります。一度に数リットルの腹水を抜いて、フィルターでアルブミン、グロブリンなどの大切な成分だけを濾し数百CCに濃縮したものを点滴で体内に戻します。ちなみにこの治療は保険適用になりました。
また、まだ研究段階ですが、腹腔内と上大静脈を体内でカテーテルを用いてつなぎ、腹水を血管内へ還流させる腹腔静脈シャントという方法もあります。
呼吸困難を和らげる
肺がんやがんが肺に転移したり、がん性胸膜炎・胸膜播種(胸水貯留)により正常の肺組織が機能しない時など前面に出てくる症状が呼吸困難感です。
呼吸困難感治療の第一選択が、先程も説明したモルヒネ投与です。これに、ステロイド剤、抗不安薬の併用投与と適量の酸素吸入、上半身をやや上げた体位などの工夫、部屋の換気をよくするなどで症状を緩和できます。
胸水が胸に溜まった場合は外来で細い管を胸腔内に入れて胸水を排液する方法や、入院して胸腔内に太い管を入れて十分に排液して肺を膨らませた後に免疫賦活剤などを注入する胸膜癒着術と呼ばれる治療法があります。肺を包んでいる膜と肺がうまく癒着されると、胸水が溜まらなくなることもあります。
心を和らげる
患者や家族にとって身体の苦痛を和らげるのと同じくらい重要なのが、心理精神的な面の治療です。多くの患者は不眠、不安障害、適応障害、抑うつ・うつ病など心のダメージを受けます。
心と身体は絶えず対話をしており、心の苦痛が増強すると身体の苦痛も強くなります。身体症状と同様にメモをしておき、外来診察時などに主治医や看護師に言って下さい。
主治医や看護師が専門医の介入を必要と判断した場合は、精神腫瘍科医(腫瘍精神科医)、臨床心理士、心の問題を専門に扱うリエゾン看護師など、心の治療・ケアの専門スタッフを紹介してくれるはずです。
専門スタッフによる心のケアの基本は、不安や落ち込みについて専門家に話す「カウンセリング」です。
薬を併用したほうがよい場合には、症状に応じて、睡眠導入剤、抗不安薬、抗うつ薬などが処方されます。やめられなくなるのでは? とご心配かもしれませんが、医師の指示通りの飲み方を守っていただく限り、医療用麻薬と同様に全く心配ありません。
また、自分の心身を意識的にリラックスさせる「リラクセーション」法を習得することも良いでしょう。不安、緊張感、抑うつ気分を和らげるだけでなく、寝つきをよくしたり、痛みを間接的に軽くするなどの効果も期待できます。
この中には、他の疾患で用いられている呼吸法や軽いダンスなど、最初に練習が必要なものもありますが、一度覚えると、一人でいつでもどこでもできるようになります。
海外では、アロマセラピーマッサージが不安障害やがん倦怠感に有効であること、針治療が吐き気や痛みを緩和することなどが、臨床研究で検証されています。その他、漢方医薬、リハビリテーション医学、栄養療法も緩和ケアにおける治療の一環として導入すべく、研究されています。
どこで受ける? 広がる選択肢
症状が強く、専門性の高い緩和ケアを受ける必要がある場合には、緩和ケアに精通した医師を受診することが大切です。
がん診療連携拠点病院には、緩和ケア外来や緩和ケア病棟がなくても、身体症状を担当する医師、心理精神症状を担当する医師、薬剤師、看護師から構成される「緩和ケアチーム」が存在し、各科の依頼で病棟などへ出向き診療を行っています。
緩和ケア病棟は、いまだに亡くなる直前に入院する病棟、入ったら死ぬまで出られない病棟というイメージを持っている方も多いと思いますが、時代は変わりました。
現在、緩和ケア病棟はPCUと呼ばれ、がんの病期に関わらず、一般病棟では十分に対処できない強い症状がある場合に入り、症状が改善したら、一般病棟に戻ったり、外来通院へ移行するために使用する病棟となっています。術後や重篤な病態管理が必要な時に使用するICUや重篤な心臓疾患治療時に使用するCCUなどと同様の存在なのです。
転移・再発と診断された時点で苦痛が強い場合は、まずPCUで症状を緩和してから、各診療科の病棟や外来で初回の抗がん剤治療を開始したり、抗がん剤治療中でも、苦痛が強まったらいったんPCUへ入院し体調を整えてから再度、抗がん剤治療を再開するということができます。さらに、すべての抗がん剤が効かなくなっても、症状の強さや自宅で看病する家族の休息(レスパイト)を含めて入・退院を繰り返すなど柔軟な対応が可能なのです。
家でも可能
病態が安定していれば、病院へ入院して行っていた経管栄養、中心静脈栄養、酸素療法や症状緩和治療・ケアが自宅でも可能な時代になりました。ベッドなど医療用機器のレンタルも迅速に進むようになっています。
住み慣れた自宅で家族やペットに囲まれ気持ちが穏やかになることで、痛みや苦しみがさらに和らぐことも多いのです。
ただ、在宅緩和ケアは地域格差やスタッフの技術格差が大きい分野です。また、潜在的な需要を含めれば、人材も設備も、まだまだ十分と言うには程遠い地域が多いことも事実です。
それでも在宅緩和ケアの需要の高まりに伴い、在宅医療に力を入れる開業医や訪問看護ステーションは増え、かつては点だったものが線になり、さらには面になった地域も少なくありません。今後のさらなる整備が期待されます。
第5の治療法に
がんに伴う症状を緩和する薬剤や機器の開発、新たな治療・ケアの研究は近年、急速に進歩を遂げており、手術、化学療法、放射線治療、免疫治療の四つの治療法に加え、緩和ケアが第5のがん治療法として仲間入りする日もそう遠くないと思われます。
転移・再発がんに罹患したすべての患者さんが、たとえ治癒できなくても可能な限り長期間、がんと仲良く共生でき、旅立つ直前まで心身共に穏やかな当たり前の毎日を過し、そして尊厳あるソフトランディングをできる時代が一日も早く来るよう、緩和ケアに携わる医療者たちの絶え間ない挑戦は続きます。