中島 滋隆
ナカジマ シゲタカストレスなぜ悪いのか
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現代の日本はストレス過多だと、よく言われます。ストレスって何でしょう。なぜ、どのように、悪いんでしょう。
生命の本質
私たちは、外から飲食物を取り込みながら、また逆に老廃物を排出しながら、体の組織の分解と再構築を繰り返して、体温や血圧、体液の浸透圧やpHなど、体内をほぼ一定の状態に維持しています。このように生命が、ゆれ動きながらほぼ一定の状態に保たれていることをホメオスタシス(生物の恒常性)と呼びます。
恒常性が保たれるのは、何か状態に変化が起きた時、すかさず元へと戻そうとするフィードバック作用が働くからです。このフィードバック作用を主に司っているのが、脳の視床下部というところで、その指令を全身に行き渡らせているのは自律神経やホルモンです。後で再度ここに戻ってきます。
さて、私たちの状態に変化が起きるのは、どんな時でしょう?
そう、環境が変化した時ですね。この場合の環境とは、必ずしも体の外部だけに限りません。自然環境は常に変化していますし、私たちの心や体も自分ではどうにもならないくらい急激に変化することがあります。
いよいよストレスの出番です。いきなりサラっと定義してしまいますと、環境の変化によって生じた定常状態からのズレを「ストレス状態」、適応しようとする動きを「ストレス反応」と呼んでいます。
抽象的過ぎるので、ゴムボールを例に説明しましょう。踏んづけると抵抗を感じます。足を離すと、歪んだ状態から元の球形へと戻ります。この歪みがストレス状態。戻ろうとする力がストレス反応です。ちなみに、踏んだ力(環境の変化)のことはストレッサーと呼びます。もっとも現在では、この辺りの用語を区別せず「ストレス」と総称するのが一般的ですね。
この例えで、ボールがない時には「ストレス」もないということお気づきでしょうか。また、ゴムボールの代わりに野球ボールがあったら、つぶれないで場合によっては足の下から外れるだろうということも推測できますね。
さあ、ここまで読んで、ストレスの何が悪いのか、分かったでしょうか。
ご安心ください、分かるはずありません。
世界は常に変化していて、一瞬たりとも定常状態になる(停止する)ことはありません。生きている限り環境変化はあり、それに適応しようとする働きがあり、ストレスもあるのです。要するに、ストレスがあるということは、生きているということとほぼ同義で、そこに良いも悪いもないのです。
改めて何が悪いのか。
前述でキツネにつままれた気分になったかもしれません。ストレスが原因で体を壊すとか心を病むとか、そういった情報が世の中に多く流布されています。あれは一体何なんだと思いますよね。
もちろん、そういった情報はウソではありません。ここからは、そのメカニズムを説明していきます。
環境の変化に適応するというのは、きちんと適応できる限り、人生の楽しみと言っても過言ではありません。だって何も変化がない人生を想像してみてください。退屈で仕方ないはずです。
しかし、前項のゴムボールの例えで、足を離さず、ずっと踏んづけっ放しにしたら、どうなるでしょう。変形したまま戻らなくなったり、下手をすると空気が抜けてしぼんでしまいますよね。
これと同様に、私たちも環境変化の程度が耐えられる限界を超えてしまうと、対応しきれなくなり、心身に不調を来たすようになります。
ところで、ストレスを心の問題、気の持ちようの問題と思っていないでしょうか。その認識は間違いではありませんが、すべてでもありません。というのも、ストレスの多い状況に置かれると、体は無意識のうちに、ストレッサーと闘うか逃げ出すかの準備を始めるからです。これは「闘争・逃走反応」と呼ばれます。自律神経が緊張し、あるいはアドレナリンなどのホルモンが分泌され、心拍数、筋肉への血液流入量、呼吸数、血圧、代謝などが増加するのです。免疫の活性も変わります。
文明が発達する以前は、生命の危険も日常的にあったはずで、この反応は極めて重要だったと思われます。しかし現代社会では、攻撃したり逃げ出したりという短絡的な行動は許されません。準備するだけ損です。
しかも、もしストレッサーが慢性的に強く作用しつづけると、これらの反応が持続することとなり、平時の状態に回復する機会を逸しますので、体の各部に器質的あるいは機能的な障害が引き起こされます。このような状態が心身症です。
ストレス状態と心身の不調とが悪循環を引き起こしてしまうこともあります。
どうすればよいのか。
まず大前提として、自分ではどうしようもない苦痛を感じたら、速やかに病院や診療所に受診してください。何か病気の隠れている可能性もありますので、最初は症状の出ている部位の担当科で結構ですし、落ち込みや睡眠障害が自覚されているのであれば、精神科や心療内科からスタートするのが賢明です。
受診の結果、特に疾病はなくストレスだけが問題と分かれば、対処方法は色々あります。医師などからもアドバイスがあるはずなので、まずはそれに従ってください。ただし、ストレスの問題の場合、ストレス反応を起こしているのは自分であって、ストレッサーではありませんので、医師に任せて一件落着ではなく、自分自身を振り返ってみる必要もあります。
まず、ストレスをもたらしている原因を見つけてみます。適応できないほど強いストレスの場合は逃げるというのが、生理学的には正しい対応です。ただ現実問題として簡単ではないでしょうし、逃げないからといって生命身体に危険が及ぶわけでもないでしょうから、自分の方で工夫して適応できないか知恵を使ってみましょう。
冒頭の、ゴムボールと野球ボールの話を思い出してください。同じストレッサーでも、その人の素地によって感じるストレスは異なります。
気分転換したり運動したりして、ストレスへの耐性を下げない(喫煙=次号で特集します=や過度の飲酒は、ストレスへの耐性を大幅に下げます)ことは大事です。
また、ストレッサーをどのように捉えるかという「認知の仕方」も重要です。
この2点の違いによって、ストレスに強い人と弱い人が出てくるのを私たちは日常的に見ています。例えば、目標や期限をバネにして頑張る人のいる一方で、同じ目標や期限を、仕方なく果たさなければならないノルマ、迫り来る締切と感じて苦しむ人もいます。決して能力だけの問題ではありませんよね。
ストレッサーから逃げられないのは現代社会に生きる宿命。でも文明社会ならではの武器もあります。医療のサポートを受けて、向精神薬や漢方薬などを使うというのは、時代に適応した賢い手ではないでしょうか。