中島 滋隆
ナカジマ シゲタカ認知症を知る15 共に暮らせる社会をめざして
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「認知症」は困る
ケガをして、あるいは急に体調が悪くなって救急車に載せられたけれど、「認知症」と分かった瞬間に、多くの病院から入院受け入れや手術を断られる――残念ながら、この日本で現実に日々起きていることです。
こだまクリニック(東京都品川区)の木之下徹医師らが2012年度に厚生労働科学研究として行った認知症の人本人からの聴き取り調査によれば、日常生活や介護を受けている時、医療を受けている時それぞれに、自分の意向や個別性を無視した差別的な扱いを受けたことがあるとの証言が数多く挙がりました=表参照。
つまり、実際の状態やそれまでの生活の様子は人によって千差万別であるにも関わらず、一律に「認知症」というレッテルを貼られて差別的処遇を受けがちな現実があるということです。
このように、診断がついたからといって根治の方法もなく、差別や偏見には確実にさらされるという現実の想像がつけば、本人がどうにもならなくなるまで受診しないというのも、合理的な選択になってしまいます。
また、河野禎之・筑波大学人間系障害科学域特任助教らの2010年の論文によれば、アルツハイマー型認知症の人の14.3%が認知症を原因とする退職を経験していて、その経済的な機会損失は年平均140万円でした。
調査対象となった人たちが高齢であったため、金額自体はそんなに大きくはありませんが、社会との関わり、生き甲斐が減ってしまうことは間違いなさそうです。
この背景にあるのも、認知症への誤解や偏見と考えられます。
家族も困る
社会に偏見があるがゆえに、介護する家族にも負担は重くのしかかります。
河野特任助教らの同じ論文によれば、アルツハイマー型認知症の人を介護している家族のうち12.4%が退職しており、その経済的な機会喪失は平均で年間521万円に上りました。いつか介護が無事に終わったとしても、家族自身の老後は大丈夫なのだろうかと心配になってしまう額です。
一方で働き方の調整を行った人も14.3%いて、その場合の経済的な機会喪失は年平均141万円でした。決して少ない損失ではありませんが、退職に比べれば随分とマシ。退職しなくて済むなら、それに越したことはありません。
そんな働き方を調整する手段の一つとして、家族を介護するため「介護休業」を取ることは、育児休業と並び法で認められている労働者の権利なのですが、その取得率は1%あるかどうかと言われています。休業を経ずに、いきなり退職という例も多いようです。
「中堅どころの社員がいきなり辞めたら企業にとっても損失のはずで、休業を上手に利用してもらって、徐々に後継者を育てていければ、企業にとっても悪い話ではないと思います。でも介護する人にとっては、家族が認知症であるということを職場で堂々と言いづらい雰囲気があるのだろうと思います。制度自体の使い勝手の問題もありますが、社会が認知症に対して偏見を持っていて不寛容であることのひとつの現れでしょう」と河野特任助教は話します。
自分や大切な人がなるかも だから社会を変えよう
社会に蔓延する認知症への誤解や偏見が、本人と家族を苦しめていることを紹介しました。
さて、読者の皆さんの中で、自分には関係のない話だと断言できる方はいらっしゃるでしょうか?
現在のところ、ほとんどの認知症の原因は不明で、確実に防ぐ方法もありません。誰がなってもおかしくないのです。つまり、あなたや家族の身にいつ何時降りかかってくるか分かりません。
そして残念ながら、現段階ではほとんどの認知症を治す(元の元気な状態に戻す)ことができません。症状と折り合いを付け抱えながら生きていくことが求められているのです。
その立場になった時、自分や大切な家族が偏見や差別にさらされたらイヤですよね? イヤだったら、どうすればよいのか。
医療従事者や介護従事者に、もっと頑張れと要求するだけでは、ほとんど解決にならないこと、お気づきと思います。そんな感じで他人任せにしていると、イザ自分がなった時に他人事として扱われても文句は言えません。
そう、自分が認知症になったとしたら、何を望むのか考え、たとえ認知症があっても自分らしく最期まで暮らせるよう、社会のありかた自体を変えるのが、道は険しいかもしれませんが早道なのです。
誰もが嬉しい
今、様々な障害について、「疾患」として医療のみでどうにかしようというのではなく、その人自身に焦点を当て、その人の社会との関わりも含めて支えようという考えが主流となっています(医学的モデルから生物心理社会的モデルへの転換)
社会というと大きな話になってしまいますが、結局は個人個人の集合体ですから、1人ひとりが「自分がそういう立場になった時に困らないよう、自分にできることを変えていこう」と考え、行動を積み重ねていけば、自然と社会も変わります。
「かわいそうな人とレッテルを貼るのでなく、加齢に伴って障害を持つようになった部分も含めて1人の尊厳ある人と捉え、その困難になった部分を支えながらも、その人と共に生きていくという接し方が重要なのだと思います。それは認知症でなくとも、加齢に伴って何らかの支援を必要とするようになる高齢者全体に共通します」と河野特任助教は言います。
つまり、何かできないことがあっても、その部分を含めて1人の人間として包み込んでいく。そんな社会になっていけば、障害者も高齢者も将来の高齢者である現役世代もみんな嬉しいはずです。他の疾患で、同様の差別や偏見に苦しんでいる人たちだって救われることでしょう。