中島 滋隆
ナカジマ シゲタカ認知症を知る6 介護に入る前に
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絶対に叱らないで
前回まで見てきたように、認知症は、誰が発症してもおかしくありません。そして発症してしまったら、ほとんどの場合、医療に期待できることは、知的機能低下の進行を緩やかにしたり、行動・心理症状(BPSD)を緩和して社会との軋轢を減らすということが主体になります。
言葉を換えると、医療に「お任せ」するだけでは問題が解決しないので、介護する人の考え方と行動が極めて重要ということです。
ところが、本人のためを思って一生懸命努力する家族ほど、良い介護者になりづらく、問題をややこしくすることも多い、と言われます。
なぜでしょう。
感情は元のまま
それは、認知症の人を叱ってしまいがちだからです。
なまじ発症する前の状態を知っているだけに、「こんな人ではないはず。何とか元の状態に戻ってほしい」と思い、また家族の中で何とかしなければという気持ちもあり、ついつい声や態度が荒々しくなってしまうのです。特に、男性が介護する場合には、不慣れなことも影響して暴力や虐待につながりやすく、要注意です。
認知症では、知的機能は衰えても、感情は保たれていることが多いのです。つまり、何を叱られているのかは分からないけれど、叱られていることは分ります。自分にはどうにもならないことで、しかも愛する家族に叱られたら、どんな気持ちになるか分かりますよね?
そして認知症の人に強く接すると、強い反応が返ってくる傾向があります。いわば鏡に映すように、介護する側の気持ちや状態が、認知症の人にそのまま現れるのです。
さらに、叱られたエピソード自体は忘れてしまいますが、家族に叱られて悲しかったという感情は残ります。結果として家族を信頼できなくなり、妄想や行動異常が悪化するという悪循環に陥ってしまうのです。
絶対に叱らない、これが鉄則です。
では、どうやったら叱らず済ませることができるのか、考えていきましょう。
「世界」を理解する 不安に寄り添う
認知症の人の行動は、傍から見ていると理解し難いことが多々あり、意思疎通もうまくいかないがゆえ、介護する人はいら立ちます。
しかし、本人に見えている「世界」や、保持している記憶に照らすと、きちんと行動に説明のつく場合も少なくありません。「認知症だから」で済ませるのでなく、何か理由があるのでないかと考えるクセをつけることが大切です。
認知症の人の「世界」は、こんな風になっています。
アンビバレント
介護する人を困惑させるのは、最も身近な頼るべき人に「物を盗られた」という妄想が起こることです。
これは、頼りたいのだけれど、頼るのはイヤという両価的(アンビバレント)感情の現れと理解することができます。つまり、典型的な事例の姑と嫁のように、妄想の出る前から2人の間に両価感情的なわだかまりが存在し、それが認知症を契機に現れたに過ぎないのです。
同様に、人物誤認は、叱られた後に起きやすいことが知られており、叱る相手を知らない誰かにしたいという心理状態が働いているのでないかと推察されています。
昔を「現在」と認識
過去の号でも既に説明しましたが、認知症では、新しい記憶から段々に失われていきます。ある時点からの記憶が一切なくなると、本人にとっては、最も新しい記憶の時点が「現在」となります。
働いていた時が「現在」となれば出勤しようとするでしょうし、子どもの成人する前が「現在」になれば、介護してくれる子どもを他人と思ってしまうかもしれません。結婚前が「現在」となれば、配偶者すら他人です。
攻撃と感じる
介護する側がよかれと思ってやっていることでも、本人がそう受け取っていないということは多々あります。
攻撃されているように受け取れば、抵抗するのが自然なことですし、その気持ちを言葉で上手に伝えられなければ暴力に及ぶかもしれません。