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kojitakenの日記

2015-01-12 「私はシャルリー」への違和感

「私はシャルリー」への違和感

シャルリー・エブドへのテロについては何も書いてこなかったが(というより、今年に入ってからあまり活発に記事を書いていない)、ありきたりかもしれないが感想を短く書いておく。

まず、テロは許されないというのは当然。

但し、シャルリー・エブドが載せていたという、イスラム教開祖ムハンマドを『風刺』する(=おちょくる、あるいは冒涜すると書くべきだろう)漫画はどうかと思う。ここで筆というかキーボードを打つ指を滑らすと、数年前のやはり1月にやらかした、「9.11」に関するコメント同様、また叩かれる恐れがあるから、これ以上は書かないが。

もっとも、「教祖をおちょくる(冒涜する)」ことは、私自身日常茶飯事としてやっているのであった。そう、「××信者」たちが崇めるあの教祖様のことだ。

冗談はともかく、「私はシャルリー」というフレーズ(朝日新聞も見出しに使っていた)に違和感を持ち、これには同調できないことをここに意思表示しておく。

シャルリー・エブド左派系の週刊紙だそうだが、やっていることは極右排外主義者の台頭を助けることでしかない。

ところで、シャルリー・エブドの紙名はかつて "Hara-kiri"(フランス語の読みでは「アラキリ」)といい、日本の「腹切り」をおちょくったものだったという。この「アラキリ」という漫画新聞について、かつてどこかで目にした遠い記憶があるのだが、それ以上のことは何も思い出せない。「アラキリ」は1960年創刊で、三島由紀夫切腹自殺より10年前だから、三島の自殺と紙名とは関係ないようだ。

nesskonessko 2015/01/12 12:38 日本のニュースでも大きく取り上げられたデモですが、ル・ペンは空気読んで参加しなかったと聞いて余計不穏なものを感じました。空気読まずに大きな顔で出てくれば、一体化幻想への冷や水になったでしょうに、そうなるのを回避したのですね。

pomme1919pomme1919 2015/01/12 15:57 仏週刊誌ルモンド・ディプロマティークの副編集長アラン・グレシュがアルジャジーラの英文サイトに寄せた“It's going to get worse for French Muslims”(http://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2015/01/it-going-get-worse-french-muslims-2015187810909683.html)によると、シャルリー・エブドは1969年に創刊されましたが、当初は極左でアナーキズム的傾向の雑誌だったようです(おそらくは前年に起きたパリ5月革命の影響で発刊された雑誌だったのでしょう)。当時から批判対象を怒らせる表現がウリだったようで70年にドゴールが死去した時も死者を侮辱するようなヘッドラインを掲げ、内務省により発禁処分とされたほどだったそうです。
しかし、2000年に編集長が替わってから方向転換。特にパレスティナに対する敵視が顕著となっていったようです。2006年のイスラエルによるレバノン侵攻でははっきりとイスラエル支持を表明、更に例のデンマークで出版されてイスラム教徒から抗議されたムハンマドの風刺画を転載するなど反イスラムのキャンペーンを張り続けていたそうです。

Charlie Hebdo was founded in February 1969. It was then politically positioned on the extreme left with anarchist tendencies and a taste for provocation. In November 1970, following the death of General de Gaulle, it published a cover with the headline: "Tragic prom in Colombey [de Gaulle's city of origin], one dead", which resulted in it being banned by the Ministry of Interior.

But since 2000, under its new editor Philippe Val, Charlie Hebdo shifted direction, taking a stand against the Palestinians and supporting the Israeli aggression against Lebanon in 2006... This came during the second Intifada.

The newspaper started to launch Islamophobic campaigns. In 2006, it republished the cartoons of the Prophet Muhammad that were previously published in Denmark. A number of intellectuals then pointed out that while in France we cannot accept censorship; sometimes it can be irresponsible to publish drawings fuelling sectarian tensions in the country.

At the same time, the newspaper started to launch Islamophobic campaigns. In 2006, it republished the cartoons of the Prophet Muhammad that were previously published in Denmark.

シャルリー・エブドは、「左派」「反権力、社会風刺が売り物の気骨あるメディア」と言われていますが、ムスリムがこのメデイアに憎悪をいだくのも理解できます。もちろん、だからといって暴力で応じるというのは絶対に許されないことですが。

pomme1919pomme1919 2015/01/12 17:20 民主主義・人権思想は西欧で発展したとはいえ、そのエッセンスは人類普遍の原理です。しかし、欧米など先進国はその原理を旧植民地はじめ非欧米国民にも適用してきたでしょうか?残念ながら否です。
9.11もこんどの悲劇も向き合わざるをえないのは、西欧ヒューマニズムの欺瞞・ダブルスタンダードでしょう。
犯人がアルジェリア人というのも象徴的に思えます。アルジェリア独立戦争や独立運動に対してフランス政府が行った弾圧は、ヴィシー政権下でのユダヤ人迫害と並ぶフランス近代史の汚点です。
ユダヤ人迫害はかなり明確に断罪されていますが、アルジェリア問題については今もはっきりした謝罪を避けています。悪名高い1961年のパリでのデモ鎮圧事件についても詳細はいまだに明らかにされていません。本国の独立戦争に呼応したアルジェリア系移民のデモに警察が突入し、数十人から数百人を虐殺したとされる事件です。尚、公式に発表された犠牲者はわずかに3人だそうです。

民主国家とは何かも考えさせられます。主権在民や基本的人権の保障が確保されている国であっても、対外的にどうふるまっているかも問題にすべきでしょう。アメリカやイスラエルがいい例です。

bogus-simotukarebogus-simotukare 2015/01/12 23:20 ■産経新聞『【仏紙銃撃テロ】中国新華社「報道の自由に制限必要」仏紙編集方針を問題視』
http://www.sankei.com/world/news/150112/wor1501120061-n1.html
 中国国営通信の新華社は12日までに、フランスの風刺週刊紙銃撃など一連のテロ事件について、テロを非難する一方、シャルリエブド紙の編集方針にも問題があったと指摘し「報道の自由にも制限が必要」と主張する評論記事を配信した。
 記事は11日に配信。世界の宗教や民族には皆精神的なタブーがあり、互いに尊重するべきで「制限や原則のない風刺、侮辱、言論の自由は望ましくない」と強調した。
(引用終わり)

 全く新華社の言うとおりだと思いますね。

axfxzoaxfxzo 2015/01/12 23:33 まあ、なんと正義臭いデモだこと。
デモも表現の自由も、この国の政府やその支持者どもよりは遥かに大切だと思っている私だが、あのニュースを見ていると、何だか高慢ちきなフランス野郎と野次りたくもなる。
暴力もダメとか、そんなことは千も承知だが、じゃああんたら西洋人がその利権のためにどんだけ世界各地の弱者たちを殺したり虐げているのか?
誤爆という事故色で粉飾した大量殺戮とか、どうなんだ?
ようやく日本のメディアも批判的な意見を出し始めた(報ステの同志社大学大学院の先生の声とか)が、やはり宗教が人生に絶対的に影響している人々の…私には理解を越える世界ではあるが…存在意義を冒涜することは、表現の自由とは言えないのだ。
異文化を尊重しようとか学校教育でもまことしめやかに語られる。でも、こんな事件が起きたらそんな話は吹き飛んでしまう。ひたすら悪いイスラム過激派をぶちのめせ!で単純化されてしまう。
わざわざ命懸けのテロをやらせるようなことを仕掛けておいて、何が正義なんだか?
序でにあえて右翼チックなことも言ってみる。
もし、天皇裕仁について過激な批判を西欧のこうしたメディアがやったらどうだろう?奴が下血で理科の観察日記みたいに報道されていたころ、英国かどこかで
絞首刑を免れたことを皮肉っていたところがあった。ムハンマドをおちょくるよりは理にかなった批判だと思うけど。
あの当時は完全にタブー、沈黙という気持ち悪い対応だったが、今ならどうだろう?間違いなく、ネトウヨどもが暴れ出すな(笑)。
テロをやるほどの勇気もないのがネトウヨどもだが、その分、陰湿なことをしでかすことだろう。

pomme1919pomme1919 2015/01/12 23:46 中東問題に詳しいジャーナリスト・土井敏邦氏の論考
「表現の自由」に名を借りた“暴力”(フランス「シャルリー・エブド」襲撃事件)
を読んで、この事件及び抗議運動の拡がりに私が感じた疑念のわけがわかったように思えました。

http://www.doi-toshikuni.net/j/column/20150109.html

一部引用します。

しかしこの事件に関する世界中のメディア、為政者たち、そして「識者」たちの「言論の自由を守れ!」論調の嵐に、私は事件当初からずっと違和感を抱き続けている。それは今回の事件の発端となった新聞社「シャルリー・エブド」の「表現」への疑問である。事件を糾弾する声が世界中で高まる一方、「なぜその『表現』は攻撃されたのか」という疑問を深く分析し考察する報道がほとんど見当たらないからだ。いやあるのかも知れないが、「言論の自由を守れ!」の声にかき消されてしまって聞こえないのだ。「もしかしたら、欧米や日本の報道の中で、それは意図的に避けられているのでは……」といぶかってしまうほどだ。

 言うまでもなく、襲撃犯たちの残忍な殺害は、許せないし糾弾されなければならない。それは大前提だ。その上で、私には、どうしても消せない疑問が残るのだ。そして世界中に「言論の自由を守れ!」の声が大きくなるにつれ、私の疑問は次第に増幅していく。それはあの「シャルリー・エブド」の「表現」は、ほんとうに「守れ!」と叫ぶべき「言論」だったのかという疑問である。私は、「朝鮮人を殺せ!」と公然と叫ぶ「在特会」(在日特権を許さない市民の会)が、それを非難する声に「表現の自由だ」と反論する姿を思い起こしてしまうのである。その疑問をコラムに書かなければと準備している時に、私が言いたかったことを、すでに見事に表現している文章をみつけた。高林敏之氏(西サハラ問題研究室主宰・早稲田大学理工学術院非常勤講師)のブログである。
 高林氏は、「シャルリー・エブド」の「表現」についてこう書いている。
(中略)
(以下は高林氏のブログからの引用)
ムスリムにとって精神的拠り所であり身命にも等しい聖典と預言者に対する最大級の侮辱であり、ヘイトスピーチ、イスラーモフォビアそのものだ。しかも、何度批判されても繰り返し同種の絵を掲載するのだから、明らかに確信的に挑発しているのだ。騒ぎになるたびに「表現の自由」だと擁護してくれる者たちが多く、新聞自体も注目を集めると踏んでいるから、こういう挑発を平然とできるわけである。

これは酷すぎる。いかなる理由があれテロ殺人自体は許されないとはいえ、この新聞社を「表現の自由のために闘った犠牲者」のように持ち上げることには全く賛成できない。遺憾な事件だが、とても追悼する気にはなれない。

オランド仏大統領は事件を「表現の自由への攻撃」「野蛮なテロ行為」であると非難し、「フランスは団結した国だと示さねばならない」と呼びかけたのだそうだ。
 この事件は例えるなら、「朝鮮人を殺せ」「汚鮮」「慰安婦は売春婦」などというヘイトスピーチを繰り返す在特会に対し、警察や司法が何らの措置もとらない(日本など京都朝鮮学校襲撃事件の有罪判決が出たのがまだ救いだが)ことに絶望した在日コリアンの誰かが、思い余って在特会の事務所を襲撃し幹部らを殺すようなものだ。
 もし本当にこんな事件が起こったなら、殺人を起こしたこと自体はしかるべき裁きを受けねばなるまいが、その心情は充分に理解可能だし、ましてや在特のヘイトスピーチと差別主義が免罪されるわけはない。それを「表現の自由」「集会・結社の自由」に対する「野蛮なテロ攻撃」だから、これに反対して「日本は団結した国だと示さねばならない」などと首相が言い出すようなら、在特のようなレイシスト集団はやりたい放題だ。

emksemks 2015/01/13 01:42 精神の拠り所だからといって叩いてはいけないとなると境界線が誰にもわからず萎縮する
陳腐な一般論ですが、やはり私はどちらかというと表現の自由を高く置く主張に賛成ですかね…
在特会に例えるならイスラム教徒を叩き出せとまで言及してるパターンでしょう
そこまで行けば濫用と思いますが今回はどうでしょうね

自分で書いてて陳腐な意見と思うのは、やはり馬鹿馬鹿しい風刺と思っているからかもしれません
産経新聞の例の朴大統領の一件で、イマイチ擁護したくないあの気分に似てると今気づきました

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