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(オープニング)
オープニング
1964年、東京・代々木に画期的な建築が誕生。国立代々木第一体育館と国立代々木第二体育館。設計したのは丹下健三である。同じ年に、丹下はもう1つの傑作を生み出していた。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
今日の作品は、東京カテドラル聖マリア大聖堂。銀色に光輝く壁面は、総ステンレス張り。壁でありながら屋根でもある。まるでテントのような不思議なフォルムは見る場所によって、その表情を変化させる。
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大聖堂が建った当時、関口台町小学校に通っていた小堺一機さんは大聖堂を初めて見たときの印象を、「とにかくドンとある。ピカピカで真夏は眩しい。宇宙基地みたい」と話した。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
丹下健三は、世界31ヵ国に330以上の建築や都市を設計。実質的なデビュー作は広島平和記念公園。今日の作品・東京カテドラル聖マリア大聖堂は、丹下健三が51歳のときの作品。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
50年前に建てられた衝撃「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
小堺家のアルバムには、小堺一機さんの父・秀雄さんが撮影したは大聖堂の写真が何枚も残されていた。小堺一機さんは、「しょっちゅう入ってた。妹と写真を撮ったりとか。昔は大聖堂の横の幼稚園に妹が通っていたので入りやすかった」と話した。
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丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
「東京カテドラル聖マリア大聖堂」建設への道のり
1945年に東京大空襲で焼失した聖堂は16年後にドイツ・ケルン教区の支援によって再建が決定した。建築家はコンペによって決定されることになり、丹下健三はHP曲面という建築様式を取り入れて新しい造形を生み出そうとした。丹下はコンピュータがなかった時代に割り箸とヘアネットを使った試作品を作って、試行錯誤を繰り返した。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
世界のTANGEの傑作 「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
1963年に東京カテドラル聖マリア大聖堂の建設が始まった。歪んだ壁面は複雑なHP曲面によって表現され、職人たちは微妙に形が違う木枠にコンクリートを流し込むという丹念な仕事を行った。翌年の12月に建設は終了した。小堺一機によると、内部は見た目より大きくて、広さと高さもあり厳かな雰囲気になるという。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
「東京カテドラル聖マリア大聖堂」 アプローチに隠された秘密
丹下健三は東京カテドラル 関口教会 聖マリア大聖堂に日本的記念性をもたせようと、聖堂の入り口まで神社を巡るのと同じアプローチを取り入れた。藤森照信は西洋の原理と日本の伝統を上手く組み合わせたと評した。
丹下健三「東京カテドラル聖マリア大聖堂」
小堺一機は夕暮れ時になると東京カテドラル聖マリア大聖堂は壁がオレンジ色になり、聖堂全体が綺麗だったとコメント。聖堂の建設を手がけた丹下健三の告別式は2005年3月に大聖堂の内部で行われた。
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