2008年09月04日

■『仮面ライダー青春譜』第55回

 第6章 アシスタントふたたび

●『柔道一直線』のアシスタントも同時に

 ジョージ秋山氏のアシスタントをはじめたとたんに、こんどは、「墨汁三滴」の仲間ふたりがアシスタントをしている斎藤ゆずる氏からも、SOSの連絡が入ってきた。
 斎藤氏は、さいとう・たかを氏のさいとうプロ出身で、青春劇画を得意とする劇画家である。園田光慶氏が『あかつき戦闘隊』を投げ出しかけていたときは、代筆を担当していたこともあった。
 今回もまた、ピンチヒッターの仕事が入り、急きょ人手が必要になったとのこと。その仕事は「少年キング」に連載されていた『柔道一直線』の執筆だった。
 梶原一騎氏の原作で、永島慎二氏が長く作画を担当していたが、『漫画家残酷物語』や『フーテン』も描くマンガ家には、スポ根マンガの執筆が苦痛だったようで、ついに連載半ばにして作画の担当を降りることになってしまったのだ。
 斎藤さんのところには高校生のときから出入りしていたこともあり、喜んで引き受けた。週に一日だけ(ただし徹夜)というので、秋山氏の仕事にも支障がなさそうだったからである。
 毎週木曜日の午後、小金井市にある斎藤氏の仕事場に行き、一晩で二〇ページ前後の原稿を仕上げるのだが、ほかに「墨汁三滴」の仲間だった田村仁と近藤雅人も手伝っていたため、さほど大変な仕事ではなかった。
 大変だったのは、やはり斎藤氏だった。梶原氏の原作の到着は、毎週水曜日の午後か夜。それから一晩でネームを入れたあと、そのまま、さらに一晩で原稿を上げなければならないのだ。永島氏が『柔道一直線』の仕事から降りたのは、原作の到着が遅いことも理由のひとつだったらしい。
『柔道一直線』のマンガは、一九六七年から「少年キング」に連載され、一九六九年からこの年(一九七一年)の四月までの二年間は、TBSテレビ系でも桜木健一主演でテレビ映画版が放映され、高い人気を集めていた。
 しかし、テレビ放映が終了したこともあり、マンガの連載も終盤に向かっていて、あと十回ほどで終わるらしい。その最終回まで手伝うことになり、小金井通いがスタートした。
 仕事は夕方からヨーイドンでスタートし、割り当てられた背景を描いていく。ひとりで六ページから七ぺージのペースだったが、さほどむずかしい背景があるわけでもなく、コンスタントに描いていくことができた。
 秋山氏のところではシンプルな絵のギャグマンガ、斎藤氏のところでは斜線の多いリアルな背景と、絵柄を描き分けたが、これもとくに問題はなかった。
 アシスタント代は、食事もついて一日三千円。当時のアシスタント代としては、悪い額ではない。秋山氏のところのアシスタント代は、一ページ千円で、一晩で一万三千円になったが、破格な値段であり、これを当然だと思ってはいけないこともわかっていた。
 週に二日――徹夜になるから実質的には四日ともいえるが――の労働で、月に六万四千円から八万円にもなるのだ。
 経済的にゆとりができると、精神的にもゆとりが生まれてくる。これで空いた日を自作マンガの執筆にあてればいいのだが、そうは問屋がおろさない。
 結局、あとは本を読んだりパチンコをしたり、イトコのところにいって俳優の畠山麦さんたちと遊んだりで、いつのまにか毎日が過ぎていった。
 この頃、芸能プロで俳優のマネージャーをしていたイトコは、ひとりの少女をスカウトしていた。
 銀座で見かけた少女を見て、「この子なら売れる」と直観したイトコは、その少女に声をかけたのだ。少女は、まだ中学生だった。
 銀座のみゆき座にオードリー・ヘプバーン主演の『暗くなるまで待って』を見に来ていた少女は、自分をスカウトしようとする怪しい男を振り切るために、みゆき座に飛び込んだ。映画館にまでは、ついてこないと思ったのだ。
 ところが男は、チケットを買って映画館の中にまで入ってきた。そこで少女は女子トイレに逃げ込んだ。いくらなんでもトイレの中にまでは追いかけてこないだろうと考えたのだ。
 トイレで時間をつぶし、映画が始まる時刻になってから外に出ると、そこにスカウトの男が立っていた。
 あまりのしつこさに音を上げた少女は、あきらめてスカウトの男――ぼくイトコの話を聞くことにした。その結果、彼女は、まずモデルとして、テレビCMにデビューすることになった。
 小林麻美という芸名をつけられた少女は、ティーン向けの化粧品のCMに出演し、歯磨きのCMにも登場した。さらにテレビドラマやCMへの出演依頼が相次いだことから、イトコは、彼女を抱えて独立することに決め、来年の春に事務所をオープンさせる準備を開始した。その事務所には、畠山麦さんも移籍するという。
 しかもイトコは、こんなことを言い出した。
「いつまでもアシスタントをやっているわけにはいかないだろう。うちの事務所で電話番をやりながら、そこでマンガを描いたらどうだ?」
 アパートを借りて生活できるくらいの給料は払ってくれるという。たしかにアシスタントも、いつまでもつづけているわけにはいかなかった。
 もうすぐ二十歳になるところだったが、マンガの世界では十代でデビューするのが当たり前だ。なんとか二十歳前にデビューしたかったが、いまのところ無理そうだった。それでも、できるだけ早くデビューしたかった。それには、オリジナルマンガを描き上げる必要がある。アシスタントをしていると、生活は安定するが、まとまった時間が取れないため、結局、オリジナルマンガは描けないままだった。
 ――とりあえずは来年のはじめまでアシスタントをやって、そのあとはイトコの事務所で働くことにしよう!
 ぼくは、芸能プロの〈デスク〉を担当しながら、マンガを描く道を選ぶことにした。

  つづく


Posted by すがやみつる/菅谷充 at 02:31
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