2015年01月12日

(メモ)『近代学問の起源と編成』を読んだメモ

近代学問の起源と編成 -
近代学問の起源と編成 -

『近代学問の起源と編成』. 勉誠出版, 2014.
 長尾宗典様よりご恵贈賜りました。
 全部じゃなく気になったのを読んだのですが、視点の持ち方を勉強になったのでこれは折に触れて読み返したらいいなという感じでした。
 例えば、最後の論文の最後のまとめに出てきた「予算獲得のための研究があってもいい」という言は、それだけ見るとえっ?てなるけど、ひととおりざっと読んだ上で最後に見ると、あ、うん、そうそう、ふつーにあり、ってすんなり身体に落ちる、っていう感じ。


●総説 近代学問の起源と編成(藤巻和宏)
・学問という営為に潜在するバイアス。
・周到に構築された学問環境、フィルターを通さずに、研究対象に接するのは難しい。時代の文脈、受容のされ方、政治性の介入もある。研究は無色透明ではない。
・学問領域の編成もそうで、範囲の画定と囲い込みがされ、対象が限定される。文科省が定める科研費の「分科細目表」がその最たるもの。
・前近代から、西洋を受け止め、近代にいたった、日本の学問の起源・構築・再構築を考察する。
・◎別役実「鳥は鳥であるか」

・本書の構成
-明治の学問(第1章 近代学問の起源と展開)
--近代学問「編成」への階梯
--西洋学問の受容基盤としての外国語(翻訳、外国語教育。)
--新たな学問の諸相
・中国語由来の「文学」がliteratureの訳語とされたことによって、その意味が「学問」→「言語芸術」に変容してしまい、日本古典文学を芸術として理解しようとした。
・西洋学問としての神話学が科学的とされたことで、神話学の有する政治性を隠してしまった。農学教育が英国流からドイツ流に変更された。など。

-近代とは(第2章 近代学問の基底と枠組み)
--科学の近代
--西洋・近代というバイアス
--近代学問の枠組み
・宗教を研究対象としたときの、西洋的・近代的なバイアスの存在。宗教における前近代的要素を近代に比べて過小評価しかねない。そのバイアスを自覚する必要がある。

-学問の内と外(第3章 学問の環境と諸問題)
--研究領域の可視化と変容
--学派と社会
--研究活動の外郭
・ボードレールはいかに学問の対象となったか。研究対象は自明ではない。
・社会科学研究が社会情勢の影響を強く受ける。
・明治期の美術史研究が、日本のイメージを西洋に宣揚するための通史構築、文化財調査であったこと。


●近代国学と人文諸学の形成(藤田大誠)
・国文学国史学が国民や国民性を再生産したものとしてその政治性やナショナリズムの存在を訴えることは、ともすれば反国家主義のレトリックになりかねない。資料による実証で説明・理論に結びつけるべき。
・総合的日本文化学としての「国学」が、近代日本の人文諸学の基盤ととらえられてきた。
・近代国学は、漢学系学問や西洋諸学問との連携、拮抗、共鳴部分を見いだした上でのスムーズな導入、接続させるなどしていた。
・帝国大学国史科は、漢学出身の学者やドイツの歴史学者の協力で、実証史学としての国史学を確立していった。
・◎芳賀矢一「国学とは何ぞや」
・芳賀矢一は、文学や史学が専門で分かれるのではなく、人文諸学の総合的学問としての国学の発展を訴え、「日本文献学」としてとらえなおし、再構築しようと構想した。(国語、国文学、文献注釈、国史律令、有職故実、古器物・考古学)
・帝国大学では蛸壺的な専門分化が進行したが、私学の國學院においては一貫して総合的学問としての国学を保持していた。(その後、東京帝国大学では「神道学」が人文諸学を再統合)


●明治期における学問編成と図書館(長尾宗典)
・諸学の編成に図書館はどう寄与したのか。
・帝国図書館(東京図書館-東京書籍館)、帝国大学(-東京大学)附属図書館を対象に。
・蔵書構成@東京図書館。近代学問がドイツ中心になってきていても、洋書の収集は英語が主だった。
・蔵書構成@東京大学。東京書籍館より圧倒的に洋書が多い。明治21年を境にドイツ語が英語を上回る。
・明治期の図書館分類は、江戸の伝統を継承した体系だった。それが明治20年頃を境として、江戸の知的伝統から脱し、近代学問編成の基礎が形成され始めた。明治20年代の東京図書館・帝国大学図書館の分類表は、明治前半期に追求された近代学問の一覧表であるといえる。
・◎薄久代『色のない地球儀』


●近代科学の起源 : 本質を探求する学としての科学(森田邦久)
・科学と近代科学をわかつものは、「実験」。「機械論的世界観」(←→目的論的世界観・アリストテレス)
・ロジャー・ベーコン(13C)はイスラム科学を取り入れ実験観測を重視した。
・目的論的世界観:「不完全な金属は完全な金に近づく」(→錬金術)。世界の中に神の意志が存在する。
→機械論:ラヴォアジェ(18C)近代化学の父・質量保存の法則他。経験を重視する。
・「モデル」と科学的説明について。
・「モデル」は、個別の事例ではなく、それらに共通する本質を取り出し、現実世界を抽象・理想・単純化したもの。科学が、現象に理論的説明を与えるときには、このモデルに理論を適用することになる。モデルを批判し、修正を加え、科学が発展していく。(モデル≒実験。実験はコントロールされた経験であり、調べたい現象を再現させる)


●〈実証〉という方法 : 〈近世文学〉研究は江戸時代になにを夢みたか(井田太郎)
・東京帝国大学・芳賀矢一は、ドイツ文献学を日本の文学研究に導入した。自らの過去を知る、近世以前と明治時代を通して展望する、時代精神と作品・作者を結びつけて考える。「文学史」。国民国家において国家の須要に応じる。
・池田亀鑑『古典の批判的処置に関する研究』。文献学の本文批判によって始原を復元する技法の確立。
・京都帝国大学・潁原退蔵・野間光辰・中村幸彦。校勘学。資料派。東京ほど時代精神と密着して考えない。
・外地(台北帝国大学・京城帝国大学)は本土より給料が良く、新設のため予算が潤沢で、戦中でも古典籍国乳が継続されていた。
・私立大学が大学に格上げされるときに図書館の蔵書数が要求されたが、求められるのは洋書であり、和古書は無関係だった。
・官立大学では近世文学は講じにくかったが、図書館とその周辺には、近世文学の専門家愛好家がアジールのように存在し、収集・書誌学研究をおこなっていた。在野の所蔵家・愛好家がいた。そこでの「近世のイメージ」が現在の近世文学・近世文化のイメージにつながっている。(体制に抵抗する庶民、知的自由へのあこがれなど) 春画も?

・戦中、ナショナル・アイデンティティに奉仕するための近世文学研究が要請・構築された。日明戦後、資料派が「実証性」によって政治性を回避するほうへ。
・実証性によって近世文学を「復元」する。→「復元」するためには対象の範囲確定が必要。→”文庫”(という限られた範囲のあるもの)を対象とする。(例:古義堂文庫目録)→実証性の殻に閉じこもったり、実証性を客観性と混同して無色透明と誤解したりする。
・実証的な方法を偏重しすぎる→閉じるほうへ。鳥瞰図を構想するような論文が専門の学会誌で掲載されることはまずない。
・『国書総目録』。それを踏まえた国文学研究資料館のマイクロ収集。→資料乱獲競争、データ主義、資料の海+実証性・資料派+デジタル化 →なんのために近世文学を研究するか、社会的位置づけをどうするのか、という問題が見えにくくなった。
・時代区分という便宜上の区分を超越した巨視的な新規モデルが提示されなかった。


●日本の美術史学の展開過程とその特徴 : 1910-50年代の学術研究化(太田智己)
・前史。鑑定、鑑賞。画史、画人伝。落款印譜集、図録集など。
・明治期の美術史研究の課題は、日本美術史の通史の構築だった。日本の国家イメージを西洋に対して宣揚する、対外的文化戦略の手段として必要とされた。
・1890、東京美術学校で「日本美術史」講義開始。岡倉天心。
・1900『Histoire de l'art du Japon』刊行、パリ万博出品。(邦訳『稿本日本帝国美術略史』)
・東京帝室博物館での日本美術史編纂事業(1901-)
・『国華』(1889-)。半官半民で日本古美術の図版を掲載し欧文版を海外に流通させた。
・国による大規模な文化財調査。

・1910年以降、美術史学が”学術研究”となっていった。
・学術インフラの整備: 帝国大学で美術史学という特定の学問を学ぶ課程を設置する。職業研究者のポストとして研究機関を設立する(東京帝室博物館など)。学術雑誌(総合誌や批評誌ではなく)を刊行する。学会・コミュニティを設ける。
・学術インフラを整備する→専門職業としての研究者が、学術研究としての活動を持続的に行うことができる→安定的で持続的な学術知生産ができる。
・主観的鑑賞から「科学」へ。
・研究費受給体制の整備。科研費のカテゴリが、”哲学の下の美学と合同”から、”史学の下で美術史単独”へのりかえ。単独で安定した研究費の確保ができる。

・日本美術史学では、西洋の美術史学の方法論を体系的に移入した経験がほとんどみられない。(西洋の素材・技法が日本古美術に適用されない?)


●「文化情報資源」をいかに活用していくか : 博物館・図書館・文書館が連携し合う時代の学術情報流通(岡野裕行)

 (全文すべて参考にすべきなので、メモ省略)


●学問領域と研究費(藤巻和宏)
・学問編成の問題を、研究費に注目して考える。
・科研費を申請する際、「分科細目表」の中から選ぶことになる。
・分科細目表では、新たな領域をどう扱うかが課題となっている。
・「時限付き分科細目表」。たとえば「震災問題と人文学・社会科学」など。既存の細目ではカバーできない分野が可視化される。新たな研究領域が独立して安定的に科研費を受給できることにつながるので、たとえば時限付き細目に設定された分野について「採択されなくてもいいからとにかく応募数を増やせ」というような動きが出たりする。
・日本文学研究の世界には、過剰なまでの”時代区分”へのこだわりがある。学会組織がそうなっていることも一因。説話文学会・仏教文学会が実質的に中世文学会の分科会のように理解されてしまい、中世以外の発表が受け入れられにくいという問題も起こっている。また、歴史研究ではとっくに否定されている「中世は武士の時代」「鎌倉新仏教の時代」のようなイメージが、いまだに日本文学研究者では持ち続けられているというような問題もある。
・例えば日本文学研究では「大作家」「大作品」「日本文学史」を基盤に発展してきたところがあるが、本来は何が研究対象になるかならないかはあらかじめ決まっているわけではない。文化資源・文化情報資源も、その要不要は少数の研究者によって判断されるべきではなく、研究者同士の認識の相違に折り合いをつけていかなければならない。

・「予算獲得のための研究」があってもよいのではないか。それによって研究が進んだり、ポスト確保ができたり、予算執行のための不本意な研究によって新たな研究テーマに出会ったりできる。

posted by egamiday3 at 12:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする