社説:成人の日 大きな優しさと強さを
毎日新聞 2015年01月12日 02時32分(最終更新 01月12日 02時35分)
「成人の日」を迎えた若者たちに、心から「おめでとう」といいたい。
今年の元日時点で20歳の新成人は前年比5万人増の126万人にのぼる。21年ぶりに増加したが、総務省では「第2次ベビーブーム世代」(1971〜74年生まれ)を親に持つ子供たちが成人したためと分析している。来年以降、再び減少傾向になる見込みだ。
昨年、若者をめぐるニュースで衝撃的だったのは、読書離れの実態だった。全国大学生協連の調査では、大学生の40.5%が読書にあてる時間がゼロと答えた。調査が始まって以来、初めて4割を超えた。
ただ、これは若者に限った現象ではない。文化庁の国語世論調査によると、1カ月に全く本を読まない人が47.5%もいる。「読書量が減っている」という人は65.1%。日本人全体で読書離れが加速している。
読書量が減ったのはスマートフォンが普及し、ゲームなどに時間を奪われているためと考えられる。確かに情報技術(IT)にたけている若者が多い。情報に素早くアクセスしたり、それを処理したりすることは現代を生きるのに欠かせない能力だ。ただ、体系的に物事を理解したり、大きな文脈で考えたりすることはどうだろうか。読書はそういう力を鍛えるものでもあるはずだ。
体系や文脈といった時にまず思い浮かぶのは歴史だ。今年は節目の年になる。まず、戦後70年。日本はアジアでいち早く近代化を果たし、富国強兵を進め、やがて無謀な戦争をして、廃虚になった。その中から懸命に生きてきた70年だった。この歩みを検証することが求められる。
阪神大震災や地下鉄サリン事件からは20年になる。前者は日本社会がもろい地盤の上にあることを実感させた。後者は若者の一部が抱える心の空虚をあらわにした。誰かに意思や判断を預ける危険も示していた。
視野を広げ、想像力を養うことが必要だ。それを可能にするものこそ、知性や教養ではないだろうか。
知性とは何か。庄司薫さんの小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」から引用しよう。
<たとえば知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので(中略)でも結局はなにか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指していくものじゃないか>
舞台は1969年。大学紛争のために東大入試が中止になり、18歳の主人公は大学へ行くことをやめる。そして、知性とは何かと考える。
大きな優しさと強さを。そんなメッセージを新成人に贈りたい。