電波犯罪と超科学

電波犯罪を告発する。98年ネットで日本初の告発。被害は20年。彼らの手口を詳しく解説。また最先端の精神世界を紹介する。

道徳教育は軍国主義教育ではないことの証明

2015-01-12 11:27:46 | 電波犯罪
こんにちは 大阪は晴れ。今日も休日。私は休みが日曜だけ。

 道徳教育は軍国主義教育ではないことの証明

 安倍首相が道徳教育を科目にすることは 適時で正しい問題解決である。いじめは止まらない。大人の犯罪も増加(統計にのらない地下犯罪はかなり増えた)。そんな国民の規律の低下がひどくなった。もう一度、国民は遵法精神や、友人関係を正しく学びば直す必要がある。大人に教えるのは、なかなかできない。子供から行なう。

 だが、日教組や左翼団体、左派メディアは反対する。左翼は何も解決策を示さないで、反対ばかりする。実に、危機感が薄く、無責任だ。いじめの蔓延は道徳否定、反政府運動という無秩序の推奨、という日教組教育が引き起こしたものであるのに。

彼らの反対が、的はずれな理由からきていることを説明しよう。彼らの反対は、「道徳教育は軍国主義教育だ。」ということに集約される。現実には、道徳・倫理は、軍国主義教育ではない。これは明々白々である。愛や信頼、友情や尊敬生命への畏敬は、軍事国家が大切にする理念ではない。軍人の心得は、命令厳守、上官への服従、頑強なこと、勇気、愛国心、国を守る心などだ。国を愛するのは国民に共通するものとして、軍人と市民とに差がない。が、軍人に要求される資質は特殊である。道徳は、精神全般をさす。よって、道徳教育が、軍人育成に特化したものではない。道徳を教えることが、軍国主義教育ではない。

 詳しくみよう。、彼ら左翼が恐れる「軍国主義教育」とは何かを明らかにしよう。

 終戦間近に軍部が教育に介入していた。「国民化」で以下は教えられたものである。

国民化の内容を見ると、こんな感じだ。

〜〜〜

修身
衷心より皇国国防の責務を自覚せしめ皇国の威徳を顕揚すべき基礎的資質を啓培す、特に建国の精神皇国の伝統を基とし其支な事変の成果に鑑み戦時下国民の道義乃取材す軍事上取材すべき主要なる事項を述ぶれば下表の如し

第一期
 軍人と忠義、観兵式
第二期
 神風(天佑の神助)、湊川の戦(軍神教材)、軍用動物の愛護、武運長久の祈り(銃後の誠心)、出征、英霊に対する態度、白衣の勇士に対する態度、防諜
第三期
 明治天皇(大本営)、御府、靖国神社、軍人勅諭五箇条(軍人精神)、楠 正成(軍神教材)、広瀬中佐(軍神教材)、乃木大将(軍神教材)、皇軍乃国是皆兵、軍人援護、負けじ魂、必勝の信念、団結、遺髪(遺骨も還らざる覚悟)、困苦欠乏(大別山突破)、責任(佐久間艇長)、名を惜む、応召時の心得、出征軍人の妻、最後の通信(自爆精神)、防空、公共施設の愛護、交通道徳

一、忠節、礼儀、武勇、信義、質素、誠の精神は毎学年に之を織り込む、特に献身奉公を重点とす
二、聖戦の本義を明確にす
三、忠孝一本の事例を多くす
四、利を計らざる精神全体を思い中心に帰一する精神を強調す
五、服従の精神は常に之を培養す
六、精潔整頓、体力増強等衛星観念の向上を図る
七、科学の精神の培養に励む

第四期
軍人勅諭全文、在郷軍人勅諭、聖戦の本義と皇軍の威徳、軍紀、戦勝と諸兵の協同、率先身弓行、武士の風尚(日本武士道)、在郷軍人会の趣旨、徴兵検査の心得、戦時国民生活、国家総力戦、銃後夫人の覚悟。

『「国民学校教科書」研究ノート』の 国民化の指導要領から

〜〜〜

 戦時中の小学校で教えられたものだ。左翼はこれを軍国主義教育とする。そして、これが安倍首相のいう「道徳」だとみなし、反対する。

 冷静に考えよう。上記の国民化の教育は、道徳だろうか? どうみても兵士を育成するための教育である。道徳は、その中にあるとしても。これは軍部が従順な軍人を学校で育成するように、求めて作られたものだ。「特に献身奉公を重点とす」とあり、国に尽くすことが叩き込まれる。

 また、道徳では偉人を精神の目標とする。が、軍人教育なので、「軍神」を崇める。その軍神は、どうも楠正成、乃木、広瀬中佐である。乃木は、旅順で大量の戦死者を出し、軍略は劣る。ただ天皇の教育係をしたので、精神的には落着いたものがあったのだろうが、乃木を崇めたのでは、旅順の再現ではないか。楠正成は知略に優れる武将で、少人数で大軍を打ち破った。

 が、織田信長や豊臣秀吉、黒田かんべえや竹中はんべえもいるのに、天皇を守っただけでマイナーである。中国では、孫子や孔明が名高い。西洋で軍神といえばミカエル。人はナポレオンか。格が違う。ともかく、道徳を教えているようにはみえない。

 また「出征」、「応召時の心得」、「出征軍人の妻」、「遺髪」など、軍人になる前の人や、兵士を出した家族の心のあり方があり、こういうのも道徳で教えるものではない。

 それから、「遺髪(遺骨も還らざる覚悟)」、「名を惜む」、「最後の通信(自爆精神)」、「銃後夫人の覚悟」は、戦死にかかわる心構えで、敗戦濃厚となっている当時の雰囲気を感じさせる。だが、こういうのも、道徳教育の中心ではない。

 またもっとも大事なのは、これは正確には軍人を育てる教育としては欠陥がある。兵学、孫子の兵法を学ぶとき、軍事的な作戦を自ら立てる能力を高めることが求められる。が、この国民教育にはそれは決定的に欠けている。ただ、そういうものが避けられているのは、命令に忠実な兵士を育成するためであろう。

 軍人の教育としても、この戦時の教育は質があまりよくない。

 こういう軍人教育などを、道徳と呼んでよいのだろうか? 確かに、これら戦争中に、兵士として、兵士の家族として、どういう精神的あり方がよいかが、説かれている。しかし、国民が戦争にどう国民が対処するか、兵士として振舞うか、それの心得に特殊化している。これは、道徳教育ではない。軍人教育である。

 左翼の反対、道徳教育が復活すると、こんな軍人育成のための科目ができる、というのは、かなり間違いである。道徳教育は、こんなものではないからだ。

 左翼は、正しくはこう反対すべきである。「軍人育成のための教育、そんな軍国主義教育に反対する。」、と。実際、左翼が反対しているのは、道徳教育ではなく、兵士育成教育だからだ。つまり、本質的にみると、彼らは、道徳教育自体には、反対していない。

 道徳教育に反対する道理はないからである。国民を遵法精神が希薄で、無秩序を好み、規律がない、すぐに暴れ、すぐに汚くちらかすような野蛮な集団にしたい人はいないからである。

 道徳教育の再興は急務である。

 参考、道徳教育とはこんなもの。

資料

「私たちの道徳」活用のための指導資料(小学校)

道徳 指導要領 第五学年及び、第六学年

主として自分自身に関すること
一、生活習慣の大切さを知り、自分の生活を見直し、節度を守り、節制を心掛ける
二、より高い目標を立てて、希望と勇気をもってくじけないで努力する。
三、自由を大切にし、自律的で責任のある行動をする。
四、誠実に、明るい心で楽しく生活する。
五、真理を大切にし、進んで新しいものを求め、工夫して生活をよりよくする。
六、自分の特徴を知って、悪い所を改め、よい所を積極的に伸ばす

主として、他の人とのかかわりに関すること
一、時と場をわきまえて、礼儀正しく真心をもって接する。
二、だれに対しても思いやりの心をもち、相手の立場に立って親切にする。
三、互いに信頼し、学び合って友情を深め、男女仲よく協力し助け合う。
四、謙虚な心をもち、広い心で自分と異なる意見や立場を大切にする。
五、日々の生活が人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し、それにこたえる。

主として自然や崇高なものとのかかわりに関すること
一、生命がかけがえのないものであることを知り、自他の生命を尊重する。
二、自然の偉大さを知り、自然環境を大切にする。
三、美しいものに感動する心や人間の力を超えたものに対する畏敬の念をもつ。

主として集団や社会とのかかわりに関すること
一、公徳心をもって法やきまりを守り、自他の権利を大切にし進んで義務を果たす。
二、誰に対しても差別をすることや偏見をもつことなく、公正、公平にし、正義の実現に努める。
三、身近なな集団に進んで参加し、自分の役割を自覚し、協力して主体的に責任を果たす。
四、働くことの意義を理解し、社会に奉仕する喜びを知って公共のために役に立つことをする。
五、父母、祖父母を敬愛し、家族の幸せを求めて、進んで役に立つことをする。
六、先生や学校の人々への敬愛を深め、みんなで協力し合いよりよい校風をつくる。
七、郷土やわが国の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、郷土や国を愛する心をもつ。
八、外国の人々や文化を大切にする心をもち、日本人として自覚をもって世界の人々と親善に努める。

 道徳教育 指導要領 文部省 より。

本日の被害
昨日、体調不良。猪名川イオンの帰りに、体に電波が強くあたり、体調が崩れかける。体が重たくなった。1時間くらい横になると、回復する。
 今朝は、PC机に粉がかかっていた。それが目に入ると、目が痛くなった。口の中、目は睡眠中に刺されている。その刺された箇所は、歯茎から血が少し出ている。
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トマス・ピケティの嘘

2015-01-10 12:19:51 | 電波犯罪
こんにちは 今は晴れている。今日は体調がよくないから、短めに。

スケートボードの"How to"ものをユーチューブをみている。ボストンに住んでいた時に、少しやってみたいと思ったから。で、気づいた。男女ともに、やせている。足から腰が、フィギア選手なみに、やせやせ。スケードボード(Penny Board)は、ダイエットになるようだ。

 昨日は、国家制度を一生懸命教えても、それは社会制度(人権)に詳しい人間を作るだけということを書いた。人権を守ること、人権侵害の告訴は上手になるとしても、精神面は何も深化しない。いじめも止まらない。今日は何にしよう。

 日本人と欧米人が描く未来社会の差

 日本人は未来社会に対しては世界の人々と比べて、豊富な知見がある。日本人は子供の頃から、未来社会をアニメの中で親しんできたからだ。

 ドラえもんは未来からやってくる。その20何世紀の未来は、高いビルがあり、空中を自動車が走る光輝く都市だ。様々な未来の機械をつかっている。人間のようなロボットが普及している。宇宙にも、過去・未来にもゆける。そこは、総中流社会で、誰もがその未来技術を享受している。格差などない。
 ガンダムは戦争はあるが、貴族と市民の間に大きな壁はなく、一般市民は身分に関係なく、学者になり、政府の一員、時に首相になり、社会の一員として十分な待遇を受け、自由に楽しく暮らす。
 日本人の描く未来社会では、誰もがその科学技術の恩恵を受け、身分制度はなく、平等に暮らす。現代の社会問題は全て解決した明るい未来である。現在の中流社会がさらに、進んで平等を絵に描いたような理想社会となる。日本人は、誰もが、そんな未来が当然と思っている。

 身分制度はなくなるのは、世の理、必然である。差別、身分制度はなくなる方向に進む。江戸時代にあった身分制度が明治維新が消えた。アメリカにおいても奴隷制度はリンカーンから少しずつなくなっていった。インドにわずかに残るが、それも廃止されつつある。マルクスは強行に破壊的な手法で階層をなくして、新しい身分制度、共産党階級を作り上げた。そういう停滞は中国や北朝鮮、かつてはソ連・東欧など一部にはみられる。が、アパルトヘイトはなくなった。全体的に、世界各地の差別的な制度はなくなり、格差も消え、総市民化している。

 こういう誰でもわかることと、違ったことを言う頑迷な人間は一部にいる。新たに階層(身分制度)が生じる、と。部屋で経済理論をいじくっていると、数字ばかりみているうちに、現実が見えなくなってしまうというのが幾人かいる。彼らは特異なのだろうか? 未来の真実が見えないのだろうか。

 例えば、トマス・ピケティである。資本家は金を儲けて、金持ちの階層を作る。大多数の国民は成長率が低いから、両者に生活差が出て、やがては資本家と市民という階層が分離する、という。つまり、未来では、超金持ちの資本家が特権階級となる。そして、大多数の市民はスラムのようなところで貧しい生活する、という。格差が進み、超金持ちと貧乏な市民と二極化するという。

 未来は、市民平等の時代になることが正しいと信じる日本人は、このピケティの未来予測には、違和感がある。日本人の知っていると未来と、明らかに違う。かなり、変だ。

 日本人は、絶対的に、未来社会は全ての市民が、科学の先端技術を享受して、何不自由しない良い暮らしをする、と信じている。特権階級がいつまでも君臨することはない。それこそが、真の未来だと。何十もの日本アニメが、そんな未来を描いている。鉄腕アトム、サイボーグ009, ポケモン、ドラゴンボール、エヴァンゲリオン、宇宙戦艦ヤマトなどこの手の未来を描くアニメは限りなく多い。この未来は真実であるはずだ。

 が、この経済学者はそんな日本人が全体的に受け入れる未来社会--平等が進んだ市民による理想的な科学社会--ではなく、金持ちの宮殿の横にスラム街が立ち並ぶような、まるで過去の社会を描き出す。そんなニュアンスで未来を表現する。まるで、戦前、さらには産業革命以前のヨーロッパの村のような。まるでアーミッシュのような未来を。

 彼ら左派経済学者の提示する未来は、あまりに退廃的、古い時代と酷似する。どう考えても真実の未来ではない、と日本人なら誰でもわかる。きっと間違いだろう。人類が進歩を止め、退化することはありえないからだ。

 彼は、未来予測で何を間違えたのだろうか。考えなくても答えはわかる。彼、トマス・ピケティの理論はたった一つだ。「格差が拡大する。」 これが彼の前提であり、予測の根幹である。おそらく、この部分が間違いだろう。考えなくても、すぐにわかった人は、鋭い。

 彼の経済理論、格差論は、どこかおかしいのである。しかし、どこがどうおかしいのかは、なかなか一般の人が明らかにするのは、難しいだろう。だが、彼の理論はおかしい、と今日は覚えてほしい。

 なぜなら、日本人が思い描く未来は、正しいからだ。身分制度はなくなる未来こそが正しい。新しい階級が出現するのは、世の趨勢に合わない。それに反して、未来は新しい階層が出現するという彼は誤りなのだ。未来がそんな産業革命以前になるわけがない。だから、トラス・ピケティの危惧はおかしい。そんな資本家と庶民が分離する社会にはけっしてならない。格差の拡大は、心配する必要もない。そう思ってくれたら、今日は十分である。

 いくつか彼は、未来予測の要素を間違えている。

 一つ彼の間違いを説明する。
 そもそも彼は、ヨーロッパ人だ。ヨーロッパには、王族や貴族がある。それがいまだに宮殿に住み、豪華な装飾品に囲まれ、上流階層の中で暮らす。英国、オランダ、デンマークに王族がいる。彼らは市民とは隔絶したような上品な貴族社会にいる。それを維持できている。彼らにかげりが見えない。彼はそれで、王侯貴族がずっと未来社会でもその地位で居座り続けると思いこんだようだ。身分制度ではないが、そういう血族は未来に残る、と彼は考えた。

 この前提が間違いだ。貴族は長くは続かない。貴族は生活がだんだんと苦しくなっており、疲弊しつつある。英国貴族は、自宅の城を開放して、みせものにして入場料を得て、危機をしのぐ。他の貴族も、新興の金持ちと結婚して、贅沢をやっと保てている。貴族はしだいに没落する。そして、新しい貴族は生じていない。つまり、今ある貴族・王族が最後となる。よって、もうすぐ、数百年もすると、貴族や王族はなくなる。残す民族はあるかもしれないが、それは国が支援しないと不可能だろう。

 トマス・ピケティの嘘
 だが、彼は、貴族社会が永遠に残る、と非現実なことを考えた。その意図は何か? 彼の話は経済学者としては、幼稚である。貴族の没落は明白で、そういうニュースはヨーロッパでも多々きかれるからだ。階層の平等化はヨーロッパでも進んでいる。経済学者なら、貴族に先がないことを知っている。しかし、彼は、そういう起こりもしない資本家と市民の分離(階層対立)を盛り込み、人々の危機感を生じさせた。これは、左翼の扇動法なのである。彼は予測に嘘を採り入れたのである。

 彼は、資本家と市民の分離を描いた。彼は、小ずるく、本を扇動的にしあげたのである。彼は労働団体の党に属する。どうやら、経営者をなんらか彼の得意分野で貶めたかったようである。それで資本家への敵意をむき出しにしているようにもみえる。彼の主要な論点では、金持ちはずっと金持ちだというのがそもそも嘘くさい。彼は、資本家の問題については、何もかも大げさに表現している。そこは正確さやバランスに欠けるのである。

 というわけで、彼は予め資本家や経営者を貶める目的があった。そのために過剰な表現をいくつか用いている、と考えられる。予測に嘘がやや混ざっている。そういう本を、きまじめに信じ、真に受ける必要はない。

 時間がなくなったので、ここまで。

本日の被害
 軽い頭痛がある。睡眠中に毒を注射する。それで毒にやられやすいようにされたみたいだ。そして、室内で毒水が噴霧されている。それを吸うと、口の中で溶けて、口の中がややぬるぬるする。そうなると、頭痛になる。電波を飛ばして、刺激することで、頭痛が増す。
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人権教育は道徳の代替になりうるか?

2015-01-09 12:07:45 | 電波犯罪
こんにちは
 晴れ。
 深夜に根室で地震があったけど、私の予知がなんとか成功した。詳しくはブログで。場所は根室までつきとめられなかったが、あまり厳密にしなくても。

 人権教育は道徳の代替にならない 
 
 人権は、そもそも社会制度だ。精神理論ではない。日本人は、なんにでも「精神」とつける。憲法の精神、柔道の精神、平和の精神、囲碁の精神。人権にも同じように"精神"をつけ、"人権の精神"と、した。が、それを精神論と勘違いしてはいけない。人権は「精神論」ではない。フランス革命ではじめて国家に認められた社会制度である。

 人権の精神といっても、それは社会制度の意義や理念のことをさす。憲法で考えてみよう。"日本国憲法の精神"では、三権分立、民主主義、人権、政府、裁判、警察などが説明される。ほとんどは、国家の制度である。よって、"憲法の精神"は、精神論ではない。

 人権は、信教・思想、表現、集会結社の自由などある。それらは、精神論ではない。違いがわからない? 道徳は明らかに精神論だ。指導要領では、「親切」、「友情」、「善悪の基準」、「正直」、「勇気」、「節制」、「真理追究」などがある。こういう徳目が精神論であって、人権の理念にはそういうことは書かれていない。

人権は精神論ではない。それは内容を比較してみると、一目瞭然なのだ。つまり、人権を教えても、国家制度の一つ、人権制度について知見が深くなるだけで、精神自体はよくならない。これは自明である。

 人権は、国が国民に保障するものだ。国が、国民に人権を保護するように働きかけている。外的なものだ。精神論は、内的な規律だ。愛、信頼、尊敬、信仰など、心理的なものだ。心の法則なのだ。社会の法則は、社会慣習や法律、権利であるが、それは心の法則ではない。つまり、人権は、分類上、心の法則たりえない。

 よって、人権には内的な規律がほとんどないから、道徳の代替になりえない。つまり、人権教育をしても、心の美しく、勇気があり、正義感が強く、友情あつき、思いやりがある子供は育たない。

 人権を教えても、精神の優れた子供が育たない。それには他の理由もある。人権では、思想・信条、信仰の自由とあり、国が特定の思想を強要することは、認められていない。義務教育のように、バランスのよい知識を教育することはよいのだが、特定の知識は教えない。つまり、人権だけでは、それら精神の実質は教えられないのだ。

 戦後、日教組が道徳教育を教えなくなった1980年頃から、しだいに学校が荒れだして、校内暴力が盛んになった。いまやいじめが陰湿化する。それは、子供の精神性の低下。つまり、管理教育が原因ではなく、道徳教育をなくしたことによって、引き起こされた。その間、人権教育はたくさん時間をかけたが、子供の精神は一向に改善しなかったのである。

 最近の左派は、思想・信条の自由を、曲解して、道徳教育の反対論に使っている。国は道徳だけは何も教えてはいけない、と。だが、算数、国語、社会は日本人の精神・思想基盤だ。日本人は誰でも、科学的な心をもち、日本人の伝統や歴史をよく知り、それが自身のアイデンテティーになっている。これらは国が教育している。つまり、国が思想を教えていることになる。日本人を日本人たらめしている多くは、歴史教育だが、それはよい。が、道徳だけはいけない、という。

 道徳も教えてよいのである。実は、現在教えられる道徳は、日本が長年の培った精神文化の一般的なものだ。特に、戦後に形成されたもので、天皇崇拝は排除している。国家や社会が許容するバランスのよい精神規律である。特定の思想や宗教に偏るものではない。左派はそういうことを知らないから、間違ったことを言う。

 道徳は、人間を人間たらしめるもので、人間として生きられるようにするための教育である。人権では国は国民を一人一人を人間らしく生きさせる義務がある。そのために、生活費を与え、義務教育を受けさせる。ならば、道徳教育も、人間らしく生きるための自己を律する知識を教えること。人権の一つとして、国が国民各自に与えなくてはならないものである。

 道徳なき者は野獣で、感情に支配され、すぐに暴力をふるい、他人をいためつける。彼らは悪心に満ち、己のことだけをする。国民の規律の低い国は、すぐに暴徒が生じ、内紛が絶えない。国の法律も守らない。他人の人権も守らない。国は、こんな人間を大量に生産しては、社会が無法化して、秩序がなくなり、国が滅ぶ。よって、精神のあり方を子供に教えるのは、国が乱れないようにするためで、国のつとめだ。

 道徳教育は国家にとって必須、不可欠である。人権が教えてはいけないとする偏った思想教育とは、あまりに極端なイデオロギーである唯物史観のほうである。

 人権教育では中身がない、精神性の薄い人間が育つことが、みえてきただろうか? 人権教育で育った子供達は、いじめばかりしている。それが人間同士のコミュニケーションだと思い違いをする。人権には、人間愛や正義、信頼、友情、節制、責任、勇気、希望といった精神の基本が一つもない。人権を学んでも、社会ルールを丸しかできなくて、心からよき人間になれないである。人権教育は、道徳のかわりにならない。

本日の被害
 針刺しキズが皮膚にある。朝、鼻の横にわずかに血が固まっていた。指先も刺されたあとのように小さな痛みがある。また目も痛む。あちこち、睡眠中に針で刺されたようだ。
 
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道徳は家庭で教えられない 2

2015-01-08 11:51:38 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り
今日は、東北か北海道で強い地震があるかも。地電流がすごい反応なので。

 私は精神論を常日頃、考えている。だから、得意。


 道徳は、家庭で教えられるか?

 ユーチューブを見ると、若者がいろんな物事に挑戦する。日本のキャンデーを食べたり、シャボン玉の中に入ったり、乳児用食品を食べたり。人気があるようだ。

 「道徳は家庭で教えられる、学校で必要ない。」と、日本人を精神性豊かな国民に育てあげることに反対する者達は、当然、家庭で道徳を教えているのだろう。まさか、彼らは口先だけで "できる"とは言いながら、家庭で教えてないのか? 反対派は嘘つきなのか?

 では、やってみよう。どこまでできるか?

 絵本の読み聞かせは、子供の語学力、想像力を高めるだけでなく、教訓的な話によって道徳心を養える。3-5歳になった子供には、毎夜、母親が絵本を読み聞かせる。それが子供の心を発達させる。さて、それを日課とする母親は何割いるだろうか? 忙しくて子供の要望をきかない母親が多いのではないか?

 神父や僧侶は心を清らかにする感銘のある話をしてくれる。西洋では教会で精神のあり方を学ぶ。親は日曜に、そんな教会に子供を連れてゆく。こんな両親は日本に何割いるだろうか? 何もしない親が大半ではないか。

 子供同士遊ばせる。子供は友達と一緒に活動することで、人づきあい、人を信じること、友情、遊ぶ楽しさ、正義、嘘をつかないこと、リーダーシップを身につける。書物や教室の学びよりは、こちらは実践的だ。放課後に何割の子供が友達と遊んでいるだろうか? 塾通いや電子ゲームばかりさせては、身につかない。

 アニメや子供番組を見せる。大切なことはすべてどらえもんから学んだ、という本を出す人もいる。アニメの精神的な効果は大きい。仮面ライダー、戦闘ものアニメは正義の心を育む。プリキュアは友達を大切にする心。妖怪ウォッチは、ドラえもんと似て、悪いことをするとひどいことになることを、具体的にみせる。ケチ、だらしない人、不良、無理とばかり言い何もする気がない人。

 日本昔話からは、最近は放送されないが、教訓的な話が多く、伝統的な日本人の精神を会得できる。世界の偉人伝のアニメは、世界に通じる精神がそこに描かれる。これらを見て、子供は心の持ちようを知る。親は子供にテレビを見せ、この点は寛容だ。だが、最近の子供アニメは1970年代よりは貧弱である。

 こんなに家庭で子供に精神的な体験をさせると、どうなるか? もちろん学校では人権教育は行なわれている。

 学校でいじめが蔓延する。いじめは陰口を叩き、嫌がらせを日常行い、人を敬う心がない。気に入らないものをすぐに攻撃して、ストレス耐性が弱い。またすぐに人をいじめるのは、その子供の集団のリーダーシップがなってないからだ。いじめが蔓延するのは、誰も大きな声でそれを言わなくて放置されるから。つまり今の子供は特に正義心が欠ける。

 現代の子供達はこれだけ家庭で精神的な物事に接しても、倫理観に欠ける。人間として、やってはいけないことをたくさん知らない。家庭や子供が育つ社会だけに道徳教育を任していては、不十分である。

 家庭で教えるだけなら、すべての子供達が美しい精神をもち、愛を行い、社会に奉仕する精神になれない。そのきっかけすらつかめない。なぜなら、そんな倫理教育をどの家庭もしないからだ。そして、子供はいじめグループの一員になっている。

 家庭で、道徳教育などどこもしない、というのが問題である。母親は仕事や買い物、友人づきあい、家事、さらにはストーキングで忙しい。子供にかまってられない。父親は、仕事から帰ってきて、家では休むもの。日曜は遊ぶもの。子供の教育は、塾や学校任せだ。自分の家で、そんなことを教えている親は少数である。

 いじめの増加、つまり子供の精神性の低下は、当初から、学校で道徳を十分に教えないで、家庭や社会にそれらを任せてきたここ20-30年の社会慣習が限界にきた、という問題なのだ。従来どおり、道徳の否定、家庭にそれら精神教育を任すというやり方では、根本的に解決できない。反対派は、何が問題なのかすらわかっていなかったのである。

 この現実を直視しなくてはいけない。家庭で教えないならば、どこでするか? 子供に教会を通わせるわけにもいかない。塾が倫理的なことを教えてはくれない。サマーキャンプなどで健全な子供のあり方は教えられるが、精神性の向上という点では効果がはっきりしない。道徳教育は、学校でしっかりと教えるしかないのである。

 今の道徳教育は、天皇に忠義を尽くせ、など明治神道のようなことは教えない。いつまで、そんな間違いを信じて、反対するのだろうか? 子供のたちのあまりの規律のなさを見よ。いじめ、嫌がらせ、暴言。名を隠してネット上で、こそこそ中傷しあう。ただ罵倒しあい、悪口を言い合う。陰湿極まりない。まるで地下共産ゲリラのミニチュアのようだ。一部の子供はそこまで落ちている。

 またこの希薄さは子供だけでなく、大人にまで広がっている。このまま、何もせず日本人の精神性を貶めてよいのだろうか? 日本人の高い精神が消え失せるだろう。

 道徳を再興しなくてはいけない。学校で教育して、しっかりとした人間を育てあげなくてはいけない。そうでなくては、日本人の良さは、長くは続かない。現在は、世界の人々との交流も多い。我々は責任をもって、子供達を世界の中で特に慕われ、好まれる賢明で良き人間に育てあげなくてはいけない。

本日の被害
 左目がやや痛む。口の中に、針刺しキズがある。電波で熱くなる。また居間にいると、過剰に眠たくなった。

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道徳教育は学校で。家庭では躾しかできない。

2015-01-07 11:46:07 | 電波犯罪
こんにちは
 曇り

 北海道地震を予知して、3日目。今日はやばい。日本の地磁気はね。

 You-Tubeで、英語の勉強中。TYT Showsは顔の薄暗いキャスターがしゃべる。彼は金持ち(Rich people)、バイヤー(大企業)の政治、市民(citizen)という。民主党系だ。論理が最近の左派テレビのキャンペーンと同じなのがひっかかる。日本のリベラルは、アメリカの直訳? 彼らの対処法がみえてきた。メディアがアメリカの民主党のロジックを使うのなら、そこが解決の糸口だ。

 道徳教育は学校で。家庭では躾しかできない。

 朝日や毎日の投書には、道徳教育は家庭や近所で十分だ、本人がそんな育ちだったから、とある。人の子は犬猫じゃあるまいし。それは躾である。箸の持ち方、服の着かた、車は怖い、見知らぬおじさんにはついていかない。家庭の躾は、そんな簡単なものだ。日本人がそんな程度の規律でよいわけがない。道徳をしっかり学校で教えないと、アメリカにおける犯罪の多さ、中国の金満主義などの台頭、精神の荒廃を招く。日本人のよき精神は失われてしまう。

 道徳は、高度だ。人を信じる、尊敬、畏敬、愛する、忠勤、正直さ、裏切らないこと、短気・直情にならないこと、軽薄、安易、犯罪を犯さないこと。他人への親切、博愛。もっと発展すると、倫理、宗教にゆきつく。学問になると哲学、倫理学、心理学、脳科学、思想で専門的に研究される。
 こういうことは、親から教わらないし、テレビを見て身につくものではない。物好きな近所のおじさんが、語り聞かせてくれるものではない。

 なぜなら、現在、中高年の全共闘世代は道徳を侮蔑して、その知識がほとんどないから。近所のそういう倫理的とはいえない老人達は、道徳・倫理を子、孫に教えることすらできない。

 論語読みの論語知らず、とは論語を読んでも、それを実践しない人を戒める諺だ。まずは論語を知らなくては、はじまらない。その上で、普段、人の道を行なうと努める人がよいとされる。つまり、論語すら教わってない、読んでいないようでは、道徳について何も実践できはしないのである。それが現代日本の問題である。

 学校でまずは、道徳をきっちりと教えること。それが日本人を日本人たらしめ、よき心を養うきっかけとなる。道徳も知らない者が、精神的に人々を感化するよき振る舞いなどできない。

 道徳や倫理は学校で教科にして、習わせるのがよい。それは、戦後、ずっと続けられてたことだ。それは正しいことだった。道徳教育は、戦後に始まったものではない。もっと古来から行なわれてきた。

 道徳は人の道。江戸時代には、寺子屋や藩の学校で、論語や古典、武士道を学ばせた。それ以前は、僧侶が寺で文字、お経、仏道を教えていた。明治維新後は、小学校に通わせたから、そこで明治神道にかえたようなものを教えた。忠孝や仁は武士の精神だから、神道に変え、忠勤が天皇に尽くすものにした。戦後は、天皇への崇拝は削り落とされ、道徳、世界の偉人などが奨励された。

 昔から日本では、躾で道徳が十分身につくとは考えられてこなかった。僧侶、師範、先生、教師から教わるものだった。道徳は、私がそれを学んだ1979年にはあったから、かなり続いた。学校で道徳を教えるものと、社会は共通の認識をもっていたからだ。

 道徳は一つの学問である。そのために宗教では、仏教は仏の道を求めたし、キリスト教はイエスと同じものや神の求める生き方を目指した。が、現代の親はそんな本も読まないし、体験もない。ドラマを見て、料理を作る母親や、会社の仕事に忙しい父親が、日曜に寝転がって休んでいるのに、時間をかけて子に人の本分を教えてくれるのだろうか? それは義務づけられたものなのだろうか? そんなことを何もしないで、子供は賢明に育ち、精神的に申し分ない人格になるのだろうか? それはありえない。

 家庭の躾で、十分なのは、トイレの使い方や箸の持ち方くらいではないか? 家庭で算数も国語も社会も教えない。道徳も同じように奥が深く、高度なものなのだ。二桁の足し算や九九くらいは親が子に教えられるだろう。だが、家庭で分数や一次関数、二次関数、英語も教えられない。

 道徳も、恋愛の初歩的なこと、嘘をつかないこと、犯罪をしないこと、友人とけんかしないことくらいは、家庭でできる。しかし、それ以上に深い精神的なこと、哲学的な話題、論語の内容、宗教の意義、倫理基準、博愛を徹底すること、人に尽くすこと、欲望に走らないことなどは、親の力量を超える。義務教育でやってもらうほうがよい。

 物質的なものが充足する昨今、これからは精神の時代でもある。精神をより豊かに開花させるために、そういう人格を育てる教育環境が必要である。道徳教育を科目にすることは、安倍首相の強い思い入れもあるが、本当は時代の要請である。
 
本日の被害
軽い中毒で、体がだるい。頭も痛くはないが、頭が働かないほどに、ふらふらする。これはひどい。左目と右目は刺されて、違和感がつきまとう。
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