問いを立てる。

 自分なりの答えを出す。

 それらを持ち寄り議論する。

 政治や社会を動かしていくための、大事な営みだ。

 だがどうだろう。いまの日本社会では、問いよりも、答えを出すことよりも、「答え合わせ」に重きがおかれてはいないだろうか。なぜそのような答えを出したかは吟味されず、答えをつき合わせて、同じであれば安心する。でも、ひょっとしたらそれは答えではなく、ただみんなが空気を読んだ結果に過ぎないかもしれない。

 きょう、成人の日。

 若者をとりまくこの社会のありようについて考えてみたい。

■自分の言葉で語る

 関東在住の専門学校生、菜々子さん(21)は昨秋、ある医院の就職面接を受けた。「その場で内定をもらって。うれしかった」。その後雑談していたら、恋人とはどこで出会ったの?と聞かれた。どうしよう。でもここでうそをつくのはなんか違うよな、えっと、はい、私は政治に興味があって、彼とはデモを通じて知り合ったんです――。軽い調子で、でも丁寧に言葉を選んだ。大学生ら若者が主催していること。党派性のないカッコいいデモであること。徹底して非暴力であること。

 数日後、医院から電話があり、今回はなかったことにしたい、という趣旨のことを言われた。医院側は「正式に働いてもらう約束をしたという認識はなかった」。だが菜々子さんは、「私が政治の話をしたからじゃないかな。どうしても、そう思ってしまいます」。

 だって、これまで何度も経験してきたから。原発とか戦争とか政治の話をし始めると一変する場の空気、「そんな話やめろよ」という有形無形の圧力。母親に、就職ダメになったと伝えたら、政治と宗教の話はタブーなのに、何をやっているんだと責められた。

 そんなことは知っている。だけど私たちの生活はどうしたって政治につながっていて、私はその話をしただけじゃないか。

 怒りがわいてきた。医院にではなく、この社会に対して。

 おかしいと思っても、気づかないふりをしないと生かしてくれない社会って何だ。自分の頭で考え、自分の言葉で語ろうとするほど疎外されるこの社会っていったい何なんですか?

 若者の政治的無関心を嘆き、叱咤(しった)してきた「大人」は、菜々子さんのこの問いに、怒りに、どう答えたらいいのだろうか。

■脱リクルートスーツ

 就職活動シーズンに街にあふれる黒のリクルートスーツ。強制されていないのに制服化しているのは、「答え合わせ」を重ねた結果なのかもしれない。

 シーズンが終わっても、リクルートスーツを着ている学生は、「就職先未定」という貼り紙を身にまとっているようなものだ。「個性を大切に」と言ってきたはずの学校や企業、社会はなぜ、この真っ黒な世界をよしとしているのだろうか。

 そんな現状に、「就職内定率100%」で近年注目を集める、国際教養大学(秋田市)が一石を投じた。昨秋、学内の就職説明会で、黒のリクルートスーツは着なくてもいいと学生に伝え、40社を超える企業からも了解を得たという。

 どうしてそんなことを? 

 「なぜ黒のスーツでなければならないのかと問われた時、誰も答えられないからです」と、三栗谷俊明・キャリア開発センター長(54)。なぜ黒なのか。ベージュじゃだめなのか。真夏にジャケットを着る必要はあるのか――。学生だけでなく、社会全体が考えるきっかけになればいいと思う。

 「グローバル化の時代に、みんなと同じなら安心という感覚はそぐわない。自分で考え、その上で、やっぱりリクルートスーツを着るという答えを出すなら結構なことですよね」

 理由は、ほかにもある。

 就活において地方の学生は大きなハンディを背負っている。名の通った企業の多くは東京に本社を置く。お金がない学生は8時間以上高速バスに揺られて移動し、インターネットカフェに寝泊まりする。だからせめて、堅苦しいリクルートスーツを、着なくて済むように。

■「異物」がいていい

 地方の大学が社会に投げ込んだ小さな一石。だが、就活、グローバル化、都市と地方など、照らし出す問題は幅広い。

 黒のリクルートスーツを着ずに就活にのぞむ学生は、「異物」扱いされるかもしれない。でもそれによって、新たに見えてくることがきっとあるだろう。その「異物」に触発され、後に続く学生が出てくれば、違う道が開かれる可能性もある。

 問いを立てる。自分なりの答えを出す。そうして社会は少しずつ動いていく。その流れが滞っているのなら、考え、動くべきはこれから社会に出ていく若者ではなく、この社会を形づくってきた「大人」の側である。