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【戦後の地層】

咲く桜、散る桜 散り際の美学すり替え

桜をモチーフにしたバッジ=名古屋市昭和区の桜花学園高で

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 古くから満開の姿が日本人を魅了した桜は、戦時下「ぱっと散る」美学にすり替えられた。戦争を知る人々は、桜を通じて「美化」の危うさも胸に刻んでいる。 (木原育子)

 名古屋市昭和区の桜花学園は、1903(明治36)年の設立。奥村年季朗(ときお)事務長は「校名には、桜のような純愛と慈愛に満ちた女性にとの願いが込められる」と説明する。

 30年代の軍国主義の台頭は、その古来の美意識をのみ込んだ。軍歌「同期の桜」は若者を桜になぞらえる。

♪咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため

 国学者で、戦後は国語辞典を編修した山田孝雄(1873〜1958年)は太平洋戦争の始まった41年に、桜の利用に警鐘を鳴らした。新聞で「道徳または哲学を桜に求めむとするときには附会(ふかい)の節(うその理論の意)以外に何物をも得ることがない」と指摘している。

◆焦土の記憶重なる

 渡部亨さんら多くの若者が沖縄戦で特攻に駆り立てられた45年春は、本土への空襲も激化。焦土の記憶を桜と重ねて刻みつけている人たちもいる。

 軍隊にいた歌人岡野弘彦さん(90)=静岡県伊東市=は、山手線を軍用列車で走行中、東京北部を中心に「城北大空襲」に遭う。死傷者約3300人。数日間にわたり、遺体や軍馬を焼却した。

 本土決戦に備えた茨城・鉾田の部隊に戻った時、満開の桜を見る。軍服に舞い落ちた花びらが、自身にまとわりついた死臭を際立たせた。「花びらに打たれたような、自分が責められているような。一生、桜を美しいと思うまいと感じました」。戦後20年以上を経た67年、思いは歌によみがえる。

 すさまじく ひと木の桜 ふぶくゆゑ 身はひえびえと なりて立ちをり

かつての滑走路に桜が咲き誇る旧海軍串良特攻基地跡=昨年4月(鹿児島県鹿屋市提供)

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 小説家坂口安吾(1906〜55)も53年、新聞連載「桜の花ざかり」で、大空襲で焼け野原になった東京で咲いた桜を描いた。「異様な気がしたことが忘れられない。(略)情緒などはどこにもなく、およそ人間の気と絶縁した冷たさがみなぎっている」

◆愛国心への融合

 桜と軍国主義の関係を考察した「ねじ曲げられた桜」(岩波書店)の著者、米国ウィスコンシン大の大貫恵美子教授(象徴人類学)は「花は、生きることのシンボルにも死ぬことのシンボルにもなりうる。どちらに重きをおくか、気づかれずに変えることにも成功しやすい」と指摘する。

 花見の研究を深めるうち、自然の美しさを愛国心に融合していった戦時に関心が向いたという。「美化というのは恐ろしい。人は情緒的なものには抵抗しにくい。だれがどういう目的で美化しているか注意しないといけない」

 花見は今も春を告げる風物詩だが、その木を美しいと思ったことを悔やむ人も同じ日本にいる。それもまた、戦争の一片だった。

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