東京レター
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【戦後の地層】戦時下民の声 にじむ平和への渇望
戦時下の特別高等警察(特高)の取り締まりの記録「特高月報」。戦後70年たった今では、庶民の戦後に続く平和への思いをうかがい知ることができる貴重な資料になっている。 (飯田孝幸) 「出征中の愚息、南支広東省方面に於(お)いて名誉の戦死否犬死を致し申候」 名古屋市の元新聞記者の夫と幼稚園を経営する妻は1942年12月から43年2月にかけて、息子の戦死を「犬死(に)」と表現した死亡通知を親戚や息子の同窓生に出したことが特高月報に掲載されている。夫妻は43年9月に反戦反軍的な通信文を送ったとして摘発されるが、取り調べに、通知が「英霊への反逆行為」だったと認め、厳重訓戒処分で釈放された。 39年10月には、薬売りの男性が北海道の飲食店で「兄が3人出征中だが、俺も征(い)けば4人。後に残った家族はどうなる」と店員らに話し、厳重説諭処分を受けた。 特高は、共産主義や無政府主義などの活動家を取り締まることに主眼があったが、月報には、思想的な背景のない日常会話や私信までが取り締まられたことをうかがわせる記載が多数ある。 特高月報や戦時中の日記などから、戦時中の庶民の意識を探った著作「流言・投書の太平洋戦争」のある明治大の川島高峰(たかね)准教授(近代民衆思想史)は「戦前の体制のすごさは、警察が目を光らせるだけでなく、国民が国民を監視するところにあった。警察や憲兵だけではあの体制はつくりえなかった」と指摘する。「一番隠したかったのは戦局。もっとも、取り締まる側も本当のことは知らなかったのだが…」 月報には、生活の困窮を訴える声も多く残る。43年4月に秋田県の連隊司令官宛てに次のような投書があった。「夫や子どもを戦地より帰してください。飯米の配給はますます不足になり、家内一同殊に子供らは腹がへったと親として見ていられません」。42年8月には大阪府警に「3代4代と続いた伝統の商売もこんどの戦争でふいになりました。もう、いくらやってもだめだ」と書かれた投書が届いた。 物言えぬ空気の中、募った平和への思い。「国家のために個人を犠牲にすることは間違ったことと思います。自由のない所は暗闇です。自由のない所には幸福はありません」(40年8月、内務大臣宛ての匿名投書)。1面に登場する元特高係、井形正寿さん(故人)は著書「『特高』経験者として伝えたいこと」(新日本出版社)の中で、戦後の朝鮮戦争(50年)のときにも、戦争反対の意志を不特定多数に送ることを求める手紙が、かなりの数出回ったことを紹介。「そういう手紙を出した人には、第2次大戦中の反戦投書の記憶があったのかもしれない」と記している。 シリーズ「戦後の地層」にご意見、ご提案をお寄せください。手紙は、〒100 8505(住所不要) ファクスは03(3595)6919 電子メールはshakai@tokyo-np.co.jp 東京新聞社会部「戦後の地層」取材班へ。 PR情報
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