JE NE SUIS PAS CHARLIE - 表現の自由は無制限の権利ではない

フランスのテロ事件を日本のテレビがどう報道するか、気になっていたが、昨夜(1/9)のTBSとテレ朝は公平だったので安堵した。特にTBSのNEWS23は秀逸で、この事件を解説するに当たって、ダマスカスから記者が報告し、シリアの現地の人々を取材して感想を伝えるという丁寧な取り組みをしていた。この報道の仕方は、私が最も望んでいたもので、また事件の本質を探る上で欠かせない情報であり、TBSのジャーナリズムの姿勢を評価したい。記者は、イスラム国の野蛮な暴力による被害者は、シリアの無辜の人々なのだという点を強調した。このことも、前回の記事で提起した視点であり、今回の事件の意味を考える上で落とせない重要な事実認識だ。事件を「文明の衝突」のコンテクストで意味づけると、イスラム国が狂暴に殺戮している相手が欧米人だというイメージに導かれてしまう。マスコミ報道では、もっぱら、イスラム国の戦闘員が欧米人を処刑する場面ばかりがクローズアップされ、イスラム国の敵が欧米だという構図で説明されているけれど、実際に、彼らが残虐に殺しまくっているのは、シリアの地で暮らしている民衆であり、流血の犠牲者は貧しいイスラムの弱者なのだ。戦場となったシリアの土地で、市民が中立に暮らすということは難しい。アサド側の兵士になるか、反アサド側に与するか、それぞれの軍が占領した土地の男たちは、銃を手にして戦闘することを強制される。

手元に、集英社の「学習漫画・世界の歴史 6 - マホメットとイスラムの国ぐに」がある。監修は木村尚三郎。親が子どもに読ませて歴史を教える漫画本だ。この中に預言者ムハンマドが登場するが、どのコマでも顔全体が黒い影になって描かれていて、読んだ子どもはずいぶんと違和感を覚えてしまう。そして、親にその不思議について質問する。そこで親は子どもに、イスラム教の偶像崇拝禁止を教え、嘗て起きたサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」の事件のことを語って聞かせる。このようにして、日本の子どもはイスラム教というものを知り、宗教の禁忌と宗教的核心の不可侵性というものを知り、自分たちの社会と異国の社会との違いに想像力を馳せるようになるのだ。米国や欧州では、このような漫画本の歴史教材は普及してないのだろうか。"JE SUIS CHARLIE"のプラカードを掲げてマスコミの被写体になっている市民たちは、ぜひ、日本のこの漫画本を見て欲しいし、イスラムの世界と内在的に接するインタフェースとプロトコルという問題を再考して欲しい。例えば、奈良の興福寺の国宝館で、阿修羅像の前に立った欧米人が、手が6本もある仏像は奇形で滑稽だなどと言ってケラケラ笑ったら、われわれは神聖な文化を侮辱されたと感じて憤ることだろう。どれほど本人に悪気がなかっても、それは許せない暴挙であり、日本人の心を傷つけるハラスメントの行為に他ならない。

デンマークで2005年に起きたムハンマド風刺画事件は、日本でも大きく報道されて話題となった。その後、特に類似の事件が起きたというニュースがないので、この事件に懲りて、欧州でも反省と自制が進み、イスラムに無神経な言論の挑発をすることは控える態度に成熟したのだとばかり思っていた。また、欧州に流入するイスラム系移民は増え続けていて、人口比率は高まる一方だから、その影響で欧州の市民社会も変化し、イスラムに対するミニマムのマナーが定着したのかなと想像していた。ところが、実際はそうではなく、問題のシャルリー・エブドは、2005年にデンマークで騒動を起こした同じ風刺画を掲載し、その後も飽くことなく同じ趣向の作品を掲載し続けていた言う。報道記事を見ると、最近では、イスラム国の黒づくめの戦闘員がムハンマドの首を斬る戯画を掲載している。これは、イスラム教徒からすれば許しがたい侮辱と冒涜であり、原理主義の過激派がテロに蹶起するのも無理はない宗教的挑発ではないか。現実に、シャルリー・エブドは幾度もイスラム過激派のテロの被害(放火等)に遭っていて、この日も武装した警官が編集長を護衛していた。こんなことまでして、言論の自由や表現の自由は強引に貫徹されなくてはならないのだろうか。それによって得られる利益や守られる価値は何なのか。無謀な喧嘩を執拗に売っているのと同じで、憎悪と抗争を自ら呼び込んでいるのと同じではないか。

"JE SUIS CHARLIE"と言ってはいけない。その立場と主張は誤っている。宗教的挑発の行為を擁護してはいけない。この事件で抗議のメッセージを発するなら、「表現の自由を守れ」ではなく、「暴力反対」でなくてはいけない。暴力で言論や表現をねじ伏せる行為を非難しなくてはならないのであり、糾弾されるべきはその野蛮な犯罪なのだ。"JE SUIS CHARLIE"とプラカードを掲げることは、シャルリー・エブドによるイスラムへの嫌がらせを丸ごと肯定し正当化することになる。それはしてはいけない。マスコミも、"JE SUIS CHARLIE"とプラカードを掲げて集会する市民の絵を、普遍的な正義として絶対視した報道をしてはいけない。"JE SUIS CHARLIE"の主張は、ある意味で反イスラムの原理主義が含意されているのであり、言論・表現の自由についてのイデオロギー的なスリカエが細工されている。言論・表現の自由を普遍的な「価値」だと言う言説には、その権利を確立してきた欧米の歴史と論理を絶対的なものだとする意図が重なり、欧米以外のものを相対化しようとする動機が仕込まれている。このことに注意しなくてはいけない。"JE SUIS CHARLIE"の立場が正当化されるなら、今後もどんどんイスラム教徒が嫌がる戯画を描けということになる。それを積極的に容認するなら、当然、イスラムの側の反発は激化し、今回と同様、流血の暴力による阻止に出る者も出るだろう。すなわち、それは無意味な挑発でしかないのだ。無制限の自由はない。言論の自由と言っても、そこには自ずから限度と抑制がある。

言論・表現の自由については、必ず公共の福祉による制限と留保が一般論としてついて回る。それが憲法のセオリーで、問題になるのは権力が公共の福祉の論理を濫用して個人の自由を抑圧する場合であって、公共の福祉の論理そのものが否定されることはない。なぜなら、各個の権利はバッティングするからであり、バッティングは調整されなくてはならないからである。そのことを、"JE SUIS CHARLIE"の市民たちとそれを称賛するマスコミは忘れているのではないか。今回の問題に関連して、誰も言わない意見だが、どうしても言いたいのは、年末からの例の北朝鮮を風刺したソニーの映画の件である。事件が起き、ソニーが公開を中止し、オバマが報復を宣言して騒動が広がったとき、年末だったが、あるテレビで米国の市民へのインタビューが映されていた。その中で、他国の指導者を一方的に誹謗するのはよくないと、そう答えてくれた市民がいた。その後、この立場の声は日本の報道には全く登場しなくなり、連日、NHKのニュースがこの問題で放送を埋め、映画の宣伝と反北朝鮮をのプロパガンダで一色となった。今から20年前、1995年に制作された007シリーズに「ゴールデンアイ」という作品があり、その中で、サンクトペテルブルクの街を破壊しまくるシーンがある。確か、ピョートル1世の銅像もぶっ壊したのではなかったか。冷戦に勝った西側(米英)が、これ見よがしに、嫌がらせするように、映画の中でロシアが大切にしている建築を無神経に壊していた。

それは、ちょうどアトランタ五輪で「USA、USA」と喚き散らしていた頃だったが、2001年のNY同時テロ後の風景を決めてゆく、思想的な基盤が出来上がっていたように思われる。ブッシュの時代の米国は、とにかく他国の言語や文化や風習を尊重するということをせず、文化帝国主義の野蛮な態度が前面に出ていて、粗野なアメリカ主義の空気に全員が染まっていた。その思想的傾向は、イラクとアフガンでの戦争が泥沼化し、2008年のリーマンショックが起き、有色人種のオバマが大統領に就いたことで、少しは改善され転換されていたかに見えたが、あのソニーの映画は、またぞろ米国の悪い癖(自己中心病)が出たようで落胆させられる。どれほど表現の自由だと言っても、北朝鮮にとっては最高権威である元首が傷つけられた屈辱であり、国家として放置できない攻撃だと感じたことは間違いない。あの映画を制作した者の中に、アジアの小国への侮蔑と偏見があり、揶揄を商売にしてやれという悪意があったことは疑えない。同じ共産独裁国でも大国である中国に対しては、あのような誹謗映画を作ることはできないだろう。冷静に見れば、無用な名誉毀損であり、弱者に喧嘩を売って喜んでいるのと同じだ。北朝鮮のサイバー攻撃は擁護できないが、ソニーが上映を中止した時点で事を丸く収め、報復などするべきではなかった。米朝間の対立を深める選択は、指導者として慎重に避けるのが当然だった。米国は再び傲慢になっている。謙虚さと寛容さを失いつつある。そのことが非常に気がかりだ。

殺されたシャルリー・エブドの編集長は、自分たちの行動を正当化し、宗教を風刺する表現の自由もあるのだと強調していた。が、自分たちが際限なく表現の自由を行使することが、イスラム教徒の心をどれだけ深く傷つけるかについての内省はなく、単に、表現の自由を譲れない「価値」として、意固地になって貫徹しているだけだ。これでは、文明の衝突が起き、不信と対立と憎悪が深まるだけで、結局のところはイスラム全体を敵に回し、敵となったイスラムの側が、フランスの(欧米の)独善的な「表現の自由」の論理と定義に屈服しないかぎり、問題の解決と収束は図れないことになる。そうなれば、戦争と支配が必然化され、多様な価値観が共存する世界という理想は否定される。多様な価値観を認め合う寛容な社会という理念は成立しない。そこに"JE SUIS CHARLIE"の誤った原理主義があり、他文化を見下した欧米至上主義がある。本来、言論・表現の自由は「価値」ではなく、社会の中で誰もが持つ権利だ。これを一つの「価値」であると定義し、「価値」を否定する邪悪な敵がいるように立論する(大越健介のような)態度こそが悪質な詭弁と虚構であって、そこにはある種のイデオロギーのバックグラウンドが透けて見えるる。イスラム教徒にとっても、言論・表現の自由は大事な権利だ。権利の内実を一つの主義主張で定義づけ、それを万人に押しつけることはできない。権利は空気であり水である。以前、藤原帰一が、民主主義は価値ではなく制度の問題だと言っていたが、その指摘に私も同感だ。

シャルリー・エブドは、自らを表現の自由の闘士のように言っているけれど、本当にそれだけなのか。国民戦線がフランス国内で支持を広げたことに、彼らが貢献したということはないのか。それだけでなく、イスラム系移民への嫌悪の増大を、巧みに利用して稼ぐ市場とし、儲かるから煽っていたという事実は本当になかったのか。であるとすれば、その表現の自由は欺瞞もいいところだ。"JE SUIS CHARLIE"には同意できない。プラカードを掲げるなら、メッセージは”NON A LA VIOLENCE”だろう。



by yoniumuhibi | 2015-01-10 23:30 | Trackback(1) | Comments(4)
トラックバックURL : http://critic20.exblog.jp/tb/23317842
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Tracked from マスコミに載らない海外記事 at 2015-01-11 11:57
タイトル : シャルリー・エルボ襲撃後の“言論の自由”という偽善
2015年1月9日wsws.orgシャルリー・エルボ編集部襲撃は、パリ中心部における12人の非業の死に震え上がらせ、人々に衝撃を与えた。武装した男達が銃を発砲して、既に負傷している警官を殺害した、何百万人もが目にしたビデオ画像は、水曜の出来事のとんでもない実情を伝えている。銃撃直後から、国とマスコミは、国民の恐怖と混乱...more
Commented by NY金魚 at 2015-01-10 21:31 x
世に倦む日日さんに感化され、ブログを立ち上げたのが2007年暮れ、ほぼ最初に取り上げたのが9-11と故・井筒俊彦のグローバリズム論。http://nyckingyo.exblog.jp/6851673/ 
井筒の専門がイスラムだったこと、たまたま住んでいたNJにあるWTCの至近距離の街がイスラム系住民が多かったことも含めて、「文明の激突」を目の当たりにしてしまいました。それからわが意識のなかのアメリカ像はそれまで以上にガラガラ崩れ、(多分3-11後の日本像よりもうんとひどく)嫌悪し、現在にいたっています。グローバリズムが「地球社会化」などではなく、欧米という主人国とそこに隷属する奴隷国、という図式がいまの地球だと認識しています。フランスも日本も極端に右傾化し、ここでまたエゴを貫き通す国家という「文化的枠組み」同士の激突をひどく恐れています。
「新自由主義経済」からはじまり「自由」という言葉がいまほどの欺瞞に満ちている時代はなかったと思います。
Commented by 長坂 at 2015-01-11 16:04 x
ドローンの誤爆(故意の?)で何十人死んでも新聞の一面に載る事はないし、抗議の連帯もない。ガザで少年が政治犯(!?)として連行され拷問されたり、子供が斬首されても、報道の自由があるのに報道されない。サダムやビンラディンやカダフィと、かつての指導者とその家族があんな殺され方をしても、それが正義だと。そんな世界でどうやって、言論には言論で、風刺には風刺で対抗するのか?お尻を丸出しにしたムハンマドや「コーランは糞」と表現するのは自由かもしれない。でも「私はシャルリー」と言う前にいったいアラーはフランス人に何をしたと言うのか、是非教えて欲しい。
Commented at 2015-01-11 22:05 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2015-01-12 02:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。


カウンターとメール

最新のコメント

ドローンの誤爆(故意の?..
by 長坂 at 16:04
フランスではライシテ(政..
by てんてん at 08:32
私もみんなが同じ印刷物を..
by if at 02:03
世に倦む日日さんに感化さ..
by NY金魚 at 21:31
長坂さん 私は..
by ewha at 19:32
ニュウヨークの9月と比較..
by 三木申造 at 16:35
表向きは「表現の自由を守..
by 長坂 at 22:37
…続… ここから少し本論..
by NY金魚 at 11:21
本論から少しはずれますが..
by NY金魚 at 10:19
幸か不幸か安倍晋三の暴挙..
by kokoron at 21:41
上のcccさんのコメント..
by 若手研究者 at 14:41
内田樹は武道をたしなむと..
by ともえ at 12:01
私は医師です。 笹井と..
by HIDE様 at 11:37
>笹井という男が自決した..
by HIDE at 03:06
世に倦むさんの変わらぬ鋭..
by 右寄りの批判派 at 23:17
やっぱりいざ核戦争・ミサ..
by ROM者です。 at 22:37
すみませんが、上記のコメ..
by 違和感 at 07:59
あの都知事選の後、私は2..
by 反安倍統一戦線 at 17:31
笹井氏の自死については梅..
by 都民 at 17:33
申し訳ありませんが、梅子..
by タニシ at 16:53

以前の記事

2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月

記事ランキング

昭和天皇の戦争と安倍..
小保方晴子事件は来年..
笹井芳樹の「遺書」の..
内田樹の「山河」と司..
桂勲のヘラヘラした詭..
JE NE SUIS..
文明の衝突の年明け ..
大晦日に - 最悪の..
笹井芳樹の自殺 - ..
10 Nスペ『STAP細胞..
XML | ATOM

skin by excite