「お姉様、ただいま戻りました」

　扉の開いた音とティムの声が聞こえてくる。ティム達が帰ってきたみたいだ。いつもならにこやかに出迎えるのだが、今日は違う。

「母さん、父さん、ティムの事は私に任せといて、必ず反省させるから」
「ティレア、待ちなさい！　何度言ったら分かるの！　あの子はティムじゃないのよ、殺されるわ！」
「セーラ、いい加減にしないか！　ティムは確かに妙な言葉を使うようになったが、俺の見た限り姉妹仲よさげだったぞ」
「そうだよ、母さん、私とティムの間で何かあるわけないでしょ！」
「それにティムに『お姉様』と言わせて、ティレアお前のほうが問題だ、ティムをいじめているんじゃないだろうな？」
「いやいや強制してないよ。ティムがどうしてもそう呼びたいって言うから」
「本当か？　満更でもない様子だったがな」

　うっ、ダディ、鋭いじゃないか！

　そうなんだよ、強制はしていないが止めさせてもいない。

　べ、別にいいだろ、ちょっと「まりみてぃ」世界に浸っていてもさ。

「と、とにかく、まずは姉として私がビシッと叱ってくるから、父さん達はひとまず待っててよ」
「あっ、ティレア、待ちなさい！」
「待て、セーラ！」
「あなた、離して！　早く止めないと……ティレアが殺されてもいいの！」
「もうよさないか！」
「あぁ、なんで分かってくれないの！」
「ティレア、セーラの事は任せておけ、セーラは疲れて現実が見えなくなっている、お前はちゃんとティムと話をつけて来い」
「分かったよ、父さんは母さんをお願いね」
「任せとけ！」
「現実が見えていないのはあなた達よぉ――っ！」

　母さんは尚も「ティムは魔族だ」とか「ティレアが殺される」とか叫んでいる。これは早急に仲直りさせないとね。俺は親子の情を取り戻すべくティム達がいる部屋へと向かう。

「ティム！」
「あ、お姉様、実は近衛隊を再編中でして、ぜひお姉様に視察して頂きたいと」
「ティレア様のご尊顔を拝見すれば隊員の士気も格段に上がりましょう」

　近衛隊の再編……

　また魔王軍ごっこで遊んできたのね。今度は視察を名目として俺も遊びに参加させたいってところかな？　普段だったら一緒に遊んでやっても良かったが……

「視察はしない、ティムあなたは当分外出禁止だから」
「そ、それはどういう事でしょうか？」
「ティム、そこに座りなさい」
「わ、わかりました」

　ティムが神妙な面持ちで椅子に座る、俺もティムの対面に移動する。テーブルをはさんで向かい合おう形だ。俺はキッとティムを睨む。

「お姉様……？」

　ティムは俺の機嫌が悪い事を察したのだろう、不安げに俺を見つめてくる。うぅ、そんな悲しげな顔をされたら説教する気持ちが萎えてくるよ。
　だが、だめだ、ここで甘やかしては前回の二の舞である。

「ティム、何か私に言うことはない？」
「そうですね、お姉様の修行のおかげで我は格段にパワーアップしました。非才な身なれどお姉様の覇業のお手伝いをさせていただきます」
「いや、今はそういう事じゃなくて……ティム、以前、私があなたにお仕置きした事覚えてる？」
「はい、お恥ずかしいかぎりです。あの時は我の愚かさ、弱さを痛感しました」
「反省したってことよね？　もう二度とあんな事はしないと誓ったはずよね？」
「はい、我は二度と同じ過ちは犯しません」

　ティム……

　あくまで白を切るつもりね。俺に暴力を振るわなくなっても母さんにしていたら一緒だよ。それともばれないとでも思っているのか！

　ティム、あなたがそんな卑怯者になっていたなんて、お姉ちゃん、悲しいよ。

　あ～これがよく言われる「うちの子に限って」というパターンだ。盲目的に信頼しすぎて非行に走っている事に気づかない、危険な兆候である。

「それじゃあ、ティム、ここ数日母さんに何て言ったか覚えてる？」
「あの人間にですか？　分をわきまえるように言ったはずですが……はっ!?　もしや、お姉様に無礼でも働きましたか！　それでお姉様はお怒りなんですね？　まったく仮とはいえ親であったので甘い顔をしておりました。即刻処分――」
「ティム！　ぜんぜん分かっていないじゃないの！　私が怒っているのはあなたが原因なのよ！」
「ひっ、申し訳ございません。わ、我がお姉様に、何かご無礼を……？　我は一体何を……？　我は――」
「『我』じゃないぃ！」
「ひ、ひっ、わ、あ、ああ」

　ティムは混乱しているようでしどろもどろになっている。涙目になって口をパクパクさせていた。

「本当に分からないの？」
「ひっ、え、えっと、即刻処分をしなかったのが原因ではない……のですか？」
「ティムぅう！　あんまり私をがっかりさせないでよね」
「ひっ、ひぐぅ、え、あ、あの、あ……」

　ティムはとうとう涙を流し、ガクガクと震え出した。小刻みに震えている妹を見ていると罪悪感が急激に膨れ上がってくる。

「ティレア様、ご無礼を承知で申し上げます！　どこが悪いのか、何がいけなかったか具体的におっしゃってくださらないとカミーラ様も困惑します！」
「ニールゼン、良い！　お姉様のご期待に添えない我が悪いのだ」
「し、しかし、それではあまりにご無体でございます。私の目からみてもカミーラ様は一点の曇りもなくティレア様にお仕えしております」
「部外者はすっこんでなさい、これは家族の問題なの！」
「は、はっ、出過ぎた真似をお許し下さい。ですが、ティレア様の忠実なる臣として言わせて頂きます。どうかカミーラ様をお信じください」

　変態(ニールゼン)は必死でティムを庇う。その姿は私心なく仕えている騎士のように見える。だが、その裏では優しい母さんの心を踏みにじっているのだ。その忠臣面が逆にムカツクね。ティムは可哀想だけどあんたには容赦しない。

「あんた、何、自分は関係ないって面(つら)してるの？　あんたも当事者なのよ！」
「そ、それは、私にも何か落ち度があったのでしょうか？」
「落ち度どころじゃねぇ――よぉ！　私の期待を裏切りやがって、お前はしばらく床に寝てろぉ――ッ！」

椅子から立ち上がり変態(ニールゼン)を蹴飛ばす。変態(ニールゼン)は勢いよく地べたに転がった。そして俺は地べたに転がった変態(ニールゼン)の顔をぐりぐりと足で踏みつける。

「ぐぉおおお！　テ、ティレア様、い、一体何ゆえお怒りなのでしょうか？」
「はぁ？　理由はてめえの頭で考えろ！　その頭はかざりか、この変態野郎が！」
「あ、あ、お姉様、おやめください、ニールゼンが死んでしまいます」
「ティム、殺そうとしているんだから、当たり前でしょ」
「お、お姉様、ニールゼンはお姉様の覇業になくてはならない人材です。どうかお許しください、罪は我が引き受けますので」

　あいかわらず変態(ニールゼン)はティムからの信頼が半端ないね。このまま踏み潰したいところだが、ティムを悲しませるわけにはいかない。

　変態(ニールゼン)、命拾いしたね、ティムの言葉が無かったらまじでやっちゃってたよ。俺は踏みつけていた足をゆっくりと下ろす。

「ぐはぁ！　はぁ、はぁ、テ、ティレア様、私の命をご所望であればどうぞお取りください。ですが、せめてカミーラ様へのお怒りは解いて頂けませんか？　臥してお願い申し上げます」

　変態(ニールゼン)は頭を床にこすり付けて懇願する。俺に蹴飛ばされた痛みを必死で我慢しながらひたすらティムの為に慈悲を乞うのだ。そんな態度が出来るなら母さんにも同じように接しろと言いたい。

「よせ、ニールゼン！　お姉様のお顔を見よ、本当に期待を裏切られて残念そうなご様子だ。お姉様を失望させたのだ、このような失態を演じてどうして生きていられよう、我はこのまま自害する！」
「カ、カミーラ様、どうかお考え直しを……」
「くどい！　我はお姉様に殉じる事こそ本望なのだ」
「カミーラ様……」
「お姉様、あなた様の為ならばこの命、喜んで捧げましょう。これまで分不相応にご寵愛していただいただけで我は嬉しゅうございます」
「……分かりました、カミーラ様お一人だけ逝かせるわけにはまいりません。こうなれば近衛隊総員で後を追いかけまする」
「な、何を言うか！　我への後追いは許さぬ、近衛隊全員死ねば誰がお姉様の覇業をお支えするのだ！」
「し、しかし……」
「良いのだ、我はヴァルハラよりお姉様の偉業を見守る事にしよう」

　ティムと変態(ニールゼン)はそうやって「だめだ」「ならぬ」「しかし」とやりとりを繰り返している。

　……なに、この茶番？

　俺は本気で怒っているんだよ。

　それなのにこんな時でもティムと変態(ニールゼン)は主従ごっこをやっているのだ。こんなふざけた事をされたらさらに叱るところだが、二人の演技が真にせまっているせいか、言葉をはさめない。

　というか本当に死んだりしないよね？

　……中二病が過ぎると笑えない、本気で勢いのまま死んじゃう事があるから。

「あ～二人で盛り上がっているところ悪いんだけど……」
「お姉様、ニールゼンは説得しました。お姉様に変わらず忠誠を尽くしてくれる事でしょう、これで我は心置きなく死ぬ事ができそうです」
「だぁああああ！　もう本当やめてよね、いつ私があなたの命を欲しいなんていったの！　冗談でもそういう事言うのはやめなさい！」
「わ、我は冗談では――」
「ティム、これ以上死ぬだのなんだのいうのは無し。誰であっても私のかわいい妹を殺そうとするものは許さない、ティム、あなた自身であってもね」
「お、お姉様、うぅ、そこまで我のことを思ってくださり……わ、我は本当に何が悪かったのか分からないのです。うっ、うっ、情けない我をお許しくだされ」

　はぁ～もうそんな世界の終わりみたいな顔をしないでよ。泣き崩れているティムを見ると胸が締め上げられるように悲しくなってくる。

　もう無理！

　ティムのこんな顔を見たらお仕置きなんてとても出来ない、我ながらティムには甘いことを自覚してしまう。

「ほら、もう泣かないの」

　俺はティムの泣きじゃくった顔をハンカチで拭く。涙で目が腫れないように優しく丁寧にハンカチを当てていった。

「うぅ、お姉様」
「いい、ティム、もう母さんにあんなふざけた態度はやめなさい。ううん、というより母さんだけじゃない、周りにいる人全員に対しても言えることよ」
「そ、それはどういう意味でしょうか？」
「ふ～全部言わなきゃ分からない？」
「い、いえ、分かります、だ、大丈夫です。お姉様、きっと分かって見せます。だから、だから、どうか我のことを見捨てないでください」
「ティム、私があなたを見捨てるわけないでしょ！　もう怒っていないから、とりあえず今日私が言ったことの意味をしっかり考えて答えを聞かせてね」
「は、はい、お姉様を失望させる事は二度といたしません」
「そう、期待しているから」

　ティムを抱き寄せ頭を優しく撫でてやる。ティムの顔から強ばった表情がとれ、ホッとした様子だ。

「ごめんね、怖い思いをさせちゃったね」
「お、お姉様、ひっく、やります。絶対にお姉様のご期待に応えます」

　よしよし、俺はさらにぎゅうっとティムを包み込む。ティムが落ち着くように優しく優しく抱きしめたのだ。
　次に俺は地べたに這いつくばっている変態(ニールゼン)にゴミムシをみるような目を向ける。こいつには同情しない。本来であれば即刻処刑するところの話だ。

「あと床に倒れてるお前も一緒だから、私の言葉の意味をよく考えるように！」
「はっ、私もティレア様のご期待にそえるよう努めます」

　ぜひとも頼む、お前に対してはティムみたいに優しくないからね。次も愚かな事をしでかすようなら……

　ふ～俺もせっかく育てた従業員が死ぬのを見たくはない。